嘆けないのうつくしい人
夕陽が岩壁を真っ赤に染めている。村をうろうろしてただけなのにもうすぐ日没だって、信じられない。
大体レッドクリフは急な坂道が多すぎるんだよな。昔はここで走り回るのも平気だったのに、今では風車と教会を何度か往復したら早くも膝が痛くなってきた。今さら遅いが、装備一式は坂の上に置いておけばよかったぜ。
俺に与えられた仕事は単純だ。教母に騎士パースの要望を伝え、教母からの祈りと伝言を騎士パースに持ち帰り、再び教会に戻って守護のメダリオンを丘の上まで運んで……もしかしなくてもこれは雑用だった。グレイ・ウォーデンの仕事じゃないなんてスタンの言葉にちょっとだけ同意したくなる。
だが、つまらない役割に思えてもそれが俺の為すべきことなら為し遂げなければいけない。もう失敗はしたくないんだ。こんな苦労で皆が生き延びる可能性が高まるなら安いものだよな。
加護を与えられた騎士たちの感謝の言葉を伝えると、嘘の祈りを与えることを渋っていた教母もなんとか自分を納得させたようだった。
べつに創造主が直接その声をかけたんじゃなくたって構わないだろう。大事なのは結果だ。彼女の祈りが騎士たちの意志を支え、ひいては村人を守る力となるのは紛れもない事実なんだから。それはまさしく奇跡を起こす祈りと言えるだろう。
教会を後にする。ふと顔をあげて広場を見渡してみると、数時間前とは景色がまったく異なっていた。
青褪めて虚ろな目をしていたはずの村人たちはいつの間にやら簡素な革鎧に身を包み、一部の者は金属のプレートまでつけている。ブーツや小手も戦闘に耐え得る頑丈そうな品に変わり、兜をかぶっている者さえいた。
訓練に使っていた矢を拾い集めながら、彼らは立派な装備を揃えたドワーフの指示を聞いている。装備はともかく、いつの間に指揮官まで現れたんだ。
なんともはや。死にかけの病人みたいだったやつらの目が一端の戦士みたいになっている。“民兵”って言葉も様になるくらいに、戦う意志が芽生えていた。絶望一色だった空気が僅か数時間のうちに塗り替えられていた。
もしかしたら勝てるんじゃないか、そんな心の声が聞こえてくるようだ。俺が坂道を登ったり降りたりしてる間にエリッサは一体なにをしたんだろう。
村長のマードックと話していたエリッサが、俺に気づいて近寄ってくる。すっかり準備完了ってところだな。まさか本当に完了するなんて思ってもみなかったけど。
「アリスター、そっちの様子は?」
「騎士たちは上で待機中だ。教会の方は……男の子が一人、行方不明になってる」
「その子の名前は」
「ベヴィン。教会に姉さんがいるんだが、ちょっとばかり錯乱気味なんでレリアナが慰めてるよ」
自分で剣を持って戦えるわけでもなく、もし防衛線が破られれば何一つ為す術のない女子供は不安に押し潰されそうになっている。レリアナのおかげで沈痛な雰囲気はかなり和らいだが、問題が解決するまで皆の緊張がほぐれることはないだろう。
あのピリピリした人々の中に爆発寸前のケイトリンを放っとくのは危険だ。できれば夕刻の襲撃までに解決したい。
だけどエリッサの後ろであからさまな仏頂面をこっちへ向けているモリガンに、弱い人々を助けなければいけない理由なんて説明するだけ無駄なんだろうな。
エリッサは教会の方を見ながら少し考え込んでいる。
「子供か。村の中では見かけなかったが」
「姉に聞いた限りでは、いなくなった母親を探しに行ったんじゃないかって話だ」
「城に近づいて無事で済むとは思えないし、騒ぎがあれば村人が気づくだろう。村を出たとは思えないな」
エリッサが男の子を探すつもりでいるらしいことにすごく安堵した。
そもそも俺たちの方がイーモン伯爵の助けを求めてここへ来たくらいだから、レッドクリフを見捨てて先を急ぐという選択肢だってあったんだ。彼女が他人を助けることを無意味と断じてしまうんじゃないかと思っていた。エリッサという人を見誤っていたのが嬉しかった。
「もしかしたら家に帰ったんじゃないかな? 教会ってのは居心地が悪いし。とりあえずそこを探してみたら、」
「安全性の高い場所を自ら出て行ったんでしょう? 好きにさせてやるべきだわ。放っておくことね」
「……俺はお前には何も言ってないんだけどな?」
「私は彼女に返事をしたのよ」
モリガンは案の定、怯えた姉弟を助けるのに大反対のようだった。……もう、こんなやつデネリムに置いてくればよかったのに。でなけりゃロザリングに着いた時に置いてくればよかった。いやいっそのこと、荒野から連れてこなくたって……。
苛立ちを押し殺して睨みつけると、向こうも負けじと同じ視線を返してきた。
ここの人々がどれほどの恐怖に苛まれているか、想像してみようとも思わないんだろう。同情心のかけらもない冷たい女だ。そりゃそうか。邪悪な魔女には人の心なんて無いだろうしな。
誰かを助けるのがそんなに嫌なら、自分だって他人の助けなんか求めずに、一人ぼっちで生きていけばいいんだ。モリガンがそうすると言っても俺はべつに止めないぞ。
俺とモリガンの間にぴしりと走った緊張を見てとり、エリッサはこめかみを押さえて溜め息を吐いた。……たぶんこういう事態を避けるために俺たちに別行動を取らせたんだろう。彼女に迷惑をかけたくはないから不本意だが口を噤むことにした。
するとエリッサはモリガンを説得する体勢に移る。俺ではなく。ほら見ろ、つまり間違ってるのはモリガンの方だってことだよな。
「なあモリガン。その子を探さずにいて、もし戦闘が始まってからパニックに陥った子供が飛び出してきたら、とても愉快なことになると思わないか?」
「……心配しなくてもその前に死ぬわよ、そんな愚かな子供なんて」
「であればいいが、そうならない可能性もある。目の前で見知った子供が死んで、戦闘経験のない民兵が冷静さを保てると思うか? できる限り戦場に不安要素を残したくないんだ。私はその子を捕まえて教会に放り込んでおくべきだと考えるが、モリガンの意見はどうかな?」
ああ、なんていうか、ほんとに口が上手いな。相手の意見を覆すための要点を熟知してる。
モリガンに正義だとか慈悲だとか説いても無駄なんだ。あいつはそんなものに価値を見出ださない。だから、これをすれば得がある、これをしなければ損をするとか損得勘定で言いくるめなきゃいけない。
エリッサはひねくれ者の扱い方をよく分かってるようだ。
「分かったわよ、勝手にしなさい。私は先に丘へ行ってるから!」
そしてモリガンは負け惜しみを吐き、肩をいからせて坂を登っていった。エリッサは物言いたげな目つきで眉を寄せているスタンに向き直ると「子供が怯えるからあなたも待機だ」とモリガンの方を指差した。失礼極まりない言葉のような気もするが、スタンは黙って従った。
どうも不安にさせられる仲間たちだったが、こうして見ているとエリッサはあの曲者どもを使いこなす確かな自信があるからこそ道連れにしたんだろうなと思う。
ケイトリンの家は静まり返っていた。家探しするのも気が引けるなあと悩む俺の傍ら、エリッサはいきなり手近な椅子を蹴り倒す。俺が驚いて飛び退くと同時、目の前のクローゼットの中で何かが小さな音を立てた。
「ベヴィンだろう? そんなところで何をしてるんだ。ケイトリンが探してるよ」
ぶっきらぼうな口調ながら優しげな声音にちょっと驚いた。なんか、エリッサは子供に厳しいような印象があったんだけど、意外だな。
「お姉さんが教会で待ってる。出ておいで」
「きょ……教会には戻らないよ。あそこは嫌だ。僕は……怖がったりしない。剣を持ってるんだ。村を守るために戦う!」
「ふぅん。そのクローゼットの中で?」
「う……それは……」
「出てきて話をしよう。怖いやつはいないよ。きれいなお姉さんとその下僕が一人いるだけだ」
おい。誰が下僕だ、誰が……って言いたいところだけど、否定できる要素があるのか自信がない。俺が口を挟んだらややこしくなるかと思って黙ってるのに、それを分かってて好き放題言ってくれるよな。
「わ、分かった。ちょっと出てみる。でも怖がってなんかいないよ」
話しかけてきたのが女性だから安心したのか、それとも“きれいなお姉さん”につられたのかは分からないが、クローゼットの扉がゆっくりと開いた。
怯えきった小さな影がクローゼットから出てくるとエリッサはしゃがんで視点を合わせてやった。ベヴィンの顔を見た途端、なんとなく彼女の雰囲気が変わった気がする。いつもとはちょっと違っていた。
ベヴィンはきょろきょろ辺りを見回して俺たち二人しかいないことを確認する。緊張に強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。モリガンとスタンを置いてきて正解だったな。
「怪物と戦うためにその剣を取りに来るために教会を抜け出したのか。剣は二階にあるのか?」
「そ、そうだよ。祖父さんがのこした、大事なものだから、あいつらに盗られないようにしまってあるんだ。僕の剣だよ!」
戦うつもりならクローゼットには隠れないだろう。意気込んできたはいいが一人になると怖くなったのか。二階に剣を取りに行くこともできなかったらしい。
たぶん俺たちに見つかったんで引くに引けなくなってるんだと思う。子供らしい意地だが、分かる気はする。素直に姉のもとに帰るのはみっともなくて嫌なんだ。といって本当に剣を持って戦う勇気もない。
子供のプライドってのは、まったく厄介だ。昔を思い出して嫌になる。
どう説得して教会に帰すべきかと俺が頭を悩ませていたら、エリッサは聞いたこともないような優しい声でベヴィンに尋ねた。
「君の剣を私に貸してくれないか。村を救うのに役立つかもしれない」
「え、で、でも……」
「村を守るために剣を取りに来たんだろう? だが君は、まだそれを持つには小さいようだ。剣は然るべき者に託し、別のやり方で戦うのはどうだ?」
「別のやり方って……?」
「君がいないんで、お姉さんは泣いてる。教会へ行って励ましてやれ。君が彼女を守るんだ。教会にいる人たちは皆とても怖がってる。あそこには勇敢な者が必要だ」
ベヴィンは戸惑いつつエリッサを見つめ、俺に視線を移し、俯いてから弱々しく頷いた。頼りない小さな手から鍵を受け取った彼女は、騎士の誓いのようにそれに口づけた。
「君の勇気は私が預かる。これを以て必ず村を守ってみせよう」
祖父の遺品だという剣を彼女が手にするまで見届けた後、渋りながらもベヴィンは教会に行くことを承諾した。不安そうな彼にエリッサは「終わったら剣を返しに行くから、私が来るまで教会にいるんだぞ」と念を押す。
ベヴィンは何度も振り返りながらも姉のもとへ向かって走っていった。
「で……それ、使うのか?」
ドラゴンスレイヤーさながらの巨大な剣は軽やかに短剣を繰り出す彼女に似合わない。どっちかっていうと、似合ってほしくないだけかもしれないが。
「短剣の方が得意だが、敵は人間じゃないからな。攻撃の正確性に拘るよりも大剣を振り回して叩き斬る方が効果的かもしれない」
「そういう意味で聞いたんじゃないんだけどさ」
胸の中がもやもやする。きっとあの姉弟にとって祖父の剣は、騎士たちにとってのメダリオンと同じものなんだ。持って行くべきではないんじゃないか。でもそれを言っていいのかどうか。
終わったら、ちゃんと返すんだよな? なんて聞いたら彼女は気を悪くする程度で済まないだろう。
泥棒扱いするつもりはない。今まで見てきた限り、そんなやつじゃない……と思う。だけど理由が分からなくて不安だった。なんでその剣を持って行こうなんて思ったんだ。
……さて、それはさておき、いよいよもって時間がなくなってきたぞ。日も傾いて辺りは暗くなりつつある。
「アリスター、他にできることはないかな?」
「うーん。罠でもあればよかったんだが、ほとんどは前の襲撃で使っちまってたようだな。いくつか残ってたトラバサミも壊れて使い物にならない」
エリッサが思案げに見つめた先には不気味なほど静かな城が佇んでいる。どれだけ準備しても足りない。思えば、守るべき誰かを背にしての戦いは初めてだった。心臓が嫌な速度で脈打っている。
「そういえば、港の商店に油樽があった。あれを使えないだろうか」
「火をつけるのか? そりゃ結構な博打になるぜ」
「もちろん村では使えないが、丘の上で迎え撃つなら初手としては悪くない。手足が焼け焦げれば怪物も動けなくなる」
「あー、数を減らすにはいいかもな。こっちが燃えないように気をつけなきゃいけないが」
じゃあ急いだ方がいい。詳しい作戦を騎士パースに相談するのは後にして、とりあえずそこらにあった荷車に油樽を積み込む。今だけちょっと、スタンを残しておけばよかったなんて都合のいいことを考えながら半ば走るようにそれを押して坂を登っていく。重いな。
「私とスタンが前衛に立つ。あなたは騎士パースと共に坂を守ってくれ。レリアナとモリガンには仕留め損ねた敵の掃討を頼もう」
「俺も前に出るよ」
向こうはかなり数が多いと聞く。二人だけでは囲まれかねない。そう言うとエリッサは「陣形は考えなくていい」と首を振った。
「敵は、たぶん屍術の類いを使ってる。村人を殺したいなら昼夜を別たず攻め立てればいいはずじゃないか? なぜそうしないのか不思議だった……」
既に死んだ体には休息など必要ない。敵が死体を操るなら、最初の襲撃で最後の一人まで殺すこともできた。そしたらレッドクリフはとうに滅びていただろう。
俺たちが来たのも城のやつには見えてたはずだ。民兵が訓練に励むのを、その装備が少しずつ揃っていくのを、敵は見ていたはずだ。しかし城からは何の反応もなかった。屍術の利点を活かして村人を“効率よく殺す”のが目的じゃないんだ。
「そうか。誰だか知らないが、遊んでやがるんだな」
こっちの準備が整うのをわざと待っている。死までの時間を長引かせて恐怖を煽り、楽しんでいる。
「怪物どもは炎にまかれても体を斬られても振り向かないと思う。やつらは村に殺到し、暴れて、帰るだけだ。私やスタンが孤立しても特に困らない」
だから前線を強固にするよりも波状攻撃を厚くした方がいいってわけだ。エリッサとスタンが分断した敵を俺と騎士たちが更に打ち砕き、それでも残った破片をレリアナたちが消し潰す。教会まで届くものは少なければ少ないほどいい。
「……こんなこと聞きたくないが、なんとかなると思うか?」
「なんとかしなければベヴィンに剣を返せない」
至極真剣な眼差しに気づいてハッとする。
エリッサがモリガンに言ったことはほとんど本心だと思う。彼女もまた慈善より損得勘定で動く人だ。でもベヴィンに会ってから、なんとなくエリッサは彼との約束のために戦うつもりでいるように見えた。
坂の中程まで登ったところで冷たく輝く彼女の瞳が教会を見据えた。守るべき人々がそこにいる。今夜戦う者たちのために祈っている。
エリッサは、彼女は自分の家族を守るために戦うことを許されなかった。……彼女がレッドクリフを見捨てて行くんじゃないかと思った理由のひとつはそれだった。グレイ・ウォーデンとして故郷を見捨てなければいけなかった彼女は、この村を救ってくれないかもしれない、なんて。
「あの、さ……」
もしかしたら、あんたには弟でもいたのか? そう聞こうとして言葉に詰まる。そんなこと聞いてどうなるんだ。「弟を見殺しにした後悔からベヴィンを助けたいと思ったのか?」……聞けるわけ、ないじゃないか。
どうかしたのかと尋ねるエリッサに何でもないと強く答えて、彼女を置いてく勢いで荷車を押し上げる。呆気にとられた彼女が慌てて追ってきた。いいんだ。俺一人でもこれくらい運べるよ。だから、ちょっとは休んでてほしい。
もうすぐ風車小屋だ。ベヴィンが教会に戻ったらレリアナもすぐこっちに合流するだろう。油を撒いて火矢の準備をして配置について。あとは、敵を斬るだけだ。朝になるまで斬り続けるだけだ。
ああ、なんとかなる気がしてきた。自分の内にある煩悶と向き合うよりも、怪物と戦う方がずっと簡単だからな。