酸欠気味の恋模様
押し黙って空を見上げているアリスター王の横顔を眺めていたら、焦げつくような彼の想いが伝染した。フェレルデンの救世主……エリッサ女王はどうして居所を知らせてくれないのだろう。せめて愛する者にだけは無事を伝えてくれればいいのに。できるなら彼のため、この戦いに加わってくれたら。
「彼女はどこへ向かったんだ? あなたと我々が情報を共有すればレリアナは足跡を追うことができるかもしれない」
「以前レリアナ自身からも同じ提案をされたよ。彼女が俺の妻を審問会に加えようとやって来た時にね」
「……救世主がいてくれれば、もっとうまくやれただろう。彼女は既に一度世界を救ったんだから」
「そう、一度救ったんだから、それ以上を求めるのは贅沢ってもんだ」
優しく、断固として、王はその笑顔で「彼女を放っといてくれ」と語っていた。
だけどクラレルはきっと決断の前にフェレルデンの提督と話したかったはずだ。救世主が真の呼び声を聞いていたなら尚更、コリーフィウスの作り出したそれが偽物だと彼らに理解させることは容易かったはずだ。フィオナは奇妙なタイミングでやってきたテヴィンターの賢者よりも、かつて反乱した魔道士をも許して解放したフェレルデンの王夫妻に助けを求めたかったはずだ。
彼女が、エリッサが、ここにいたら、協力してくれていたら、レリアナもカサンドラも彼女を審問官に選んだはずだ。私ではなく。可能性が私を追いつめる。見過ごしてきた選択肢の先にあったかもしれない未来が眩くて目も開けなかった。
誰にどんな言葉で叱られ、励まされ慰められても認められない。教会や大法官の批難など生易しいものだった。私がこの地位に、皆を導く立場に相応しくないと、一番理解してるのは私自身なんだ。
まったく卑劣な言い分だった。この重責を彼女に押しつけて、苦難が終わらないのを彼女の不在のせいにしようとしている。だけどそれこそ私の弱さを証明してるじゃないか。私は審問官になんてなれない。彼女ならできるだろう。フェレルデンの救世主、レッドクリフのチャンピオン、アマランシンの女伯爵、グレイ・ウォーデン提督、国王の顧問でありその妻、偉大なる女王陛下。彼女が今さら何を恐れて審問官の地位を断るっていうんだ。
彼女なら。私ではなく。私でなければ。彼女であれば。
私を見つめるアリスター王の顔には奇妙な表情が浮かんでいた。思わず彼の瞳を覗いてしまう。吸い込まれるようにして見つけたのは、慈悲の眼差しだった。彼は私に同情していた。切羽詰まった思いでフェレルデンの救世主に助けを求めている私に。
……救世主がいない現状の辛さをよりにもよって彼に愚痴ってしまった自分の馬鹿さ加減に呆れ果てる。本当なら、逆でなければならないのだ。彼女の行方が分からないことを、彼以上に不安がっている者などいないのだから。
もしアダマントの砦に彼女がいたら。もし彼女が、正気を失いコリーフィウスの手に落ちていたら。審問会は彼女に剣を振りおろさなければならなくなる。我々すべてをブライトから守ってくれた救世主を、殺さなければならなくなる。私が。
グレイ・ウォーデンは過ちを犯した。だけどそんなことを信じる人がどれだけいるだろう? 私自身でさえ彼らに分別を取り戻して帰ってきてほしいと願っているのに。アーチデーモンを討ち堕とした英雄を刃にかけたら、世界が審問会に、私に向ける敵意の視線は、手の施しようもないほど強まるだろう。
微かに肩が震えた。また冬がやってくる。雨の増え始めたフェレルデンでなら、これは寒さのせいだと誤魔化せる。目敏く気づいたアリスター王は自分のマントを私にかけてくれた。
「審問官、好きなやつは居るのか?」
「は……ええっ!?」
「お、その反応は肯定だな。いやぁこっち側にまわって初めて分かるが、楽しいなこれは」
「な、何が」
「誰かの恋路をからかうってのはさ」
他人の口から恋路と言われて一気に顔に血がのぼる。これはそういうものじゃないと思う。そんなに、成熟した感情じゃない。彼を気にしているだけだ。そして彼に、嫌われたくないだけ。ただの子供っぽい執着、せいぜいが淡い憧れに過ぎない。
でも……空気が変わってホッとした。
「そいつとは通じ合えているのか? 審問官に恋人がいるって話は聞かないが」
「わ、私が勝手に見てるだけだから」
「何も伝えてないのか」
だって、私は魔道士なんだ。彼が恐れ、もしかしたら憎んでいるかもしれない、魔道士だから。いつ悪鬼と化して破滅をもたらすかも分からない危険な人物だから。カレンが私を見ているのは警戒のためだ。だからこそ、私は彼の存在に安堵する。
無言でじっと私を見つめ、なぜか王は苦しげに息を吐いた。
「あんたを見てると十年前を思い出すな。自分には関係ないと思ってた血筋を指差して『お前が王になれ』って言われた時のことを」
「……王位に就くのが嫌だったのか?」
「進んでやりたがるやつなんているのかね」
どうだろう。普通の人間はそんな可能性を持ってもいないから。そういえばアリスター王は、マリク・セイリンの隠し子だったんだ。その素性を明かすことなくグレイ・ウォーデンに加わり、ケイラン王が死ぬまでは継承権に関わりを持っていなかった。ある日突然、玉座を差し出されたのだ。一国を背負う責任を。
「どう……やって、乗り越えた? その重責に、あなたはどうやって耐えたんだ?」
「何も乗り越えちゃいないさ。自分が王の器に値するなんて思ったことは一度もない。でも、俺の隣にはエリッサがいた。彼女が俺にできると言うならできるんだ。自分を信じられなくても、あいつのことは信じてるから」
――トレベリアン、あなたの大切なものは何だ? 守りたいものは?
「俺が止めなくてもあいつは審問会に加わらなかっただろうよ。でも彼女の代わりに言ってやろう。『肩書きに惑わされるな、自分に何ができるかを考えろ』……器に満たない部分は他のやつに埋めてもらえばいいのさ」
愚かで脆弱な自分自身のことなんて信じられない。だけど彼の優しさと誠実さ、正義と慈悲は、信じている。カレンは私が審問官だと言った。カレンは私を信じている。その期待に応えるため……その信頼を守るためなら、戦えるかもしれない。
でも、アリスター王は救世主の夫だ。二人は最も強い約束によって結びついている。私の隣には誰もいない。この心に芽生えかけた気持ちを打ち明けたところで、カレンが応えてくれるとはとても思えなかった。
「あの、聞きたいことが。あなたはウルドレッドの反乱の鎮圧に直接参加したのか?」
「ウル……ああ、サークル・タワーの。そうだ、フェレルデンの救世主と一緒に悪鬼を倒して回ったよ。急にどうした?」
私はウルドレッドの反乱について詳しく聞かされていなかった。世間に知られたように、キンロック見張り塔でブラッドメイジによる反乱が起こり、大勢のメジャイが加わって、それらが悪鬼と化したこと。魔道士を徴兵するために来ていたフェレルデンの救世主がそれを鎮圧し、サークルが平穏を取り戻したと宣言したこと。
フェレルデンのサークル・オブ・メジャイは秩序と安定で有名だった。かの地のテンプル騎士団は魔道士に対して節度ある接し方を心がけていたという。それが真実であるのはカレンを見れば明らかだ。だからこそ、なぜウルドレッドの反乱が成功しかけたのか議論を呼んだ。悪魔に身を捧げても構わないほどそこから逃げ出したかった魔道士が、そんなに多かったとは思えないんだ。
「当時そこに配属されていたカレンというテンプル騎士を覚えている?」
「うーん……、悪いな。ブライトが終わってから新しく覚えなきゃならない顔と名前が山ほどあったもんで。他の騎士連中に尋ねれば分かるかもしれないが」
「い、いや、そこまでしなくていいです」
悪鬼が現れた。それを退治した。単純な話だ。テンプル騎士は元々その時のためにいるとはいえ、実際にその瞬間を目の当たりにすれば恐怖が心にこびりつくのも無理はない。でも、他の騎士たちは救世主が去ったあと、ブライトの後も塔での勤務を継続し、サークル・オブ・メジャイの復興を手伝った。
カレンはどうして去ったんだ? 彼の身にだけ、何が起きたんだ? それはアリスター王に聞くべきことではなかった。カレン自身が話したくないのであれば。ただ……、
「もしもの話、キンロック見張り塔の“生き残り”に、何も知らない魔道士が……好意を抱いたら、報われると思いますか?」
「……カレン……カレン、審問会の指揮官か? カークウォールの騎士団長……、あの、あいつか! ああそうか、あんたの好きな相手は……」
王の表情が険しくなる。彼は“生き残り”という言葉でカレンを思い出したようだった。
「あんたは彼と普通に話をするのか? こうして俺と話すように?」
その質問に戸惑いながらも頷いた。誠実な相手に対してその職務を理由に悪意を抱いたりしない。サークルにいた時から今までずっと、私はテンプル騎士である事実を理由に誰かを嫌ったことはなかった。そしてカレンもまた、私を魔道士だからと嫌うような態度は見せなかった。
「私は彼が元テンプル騎士だということを嬉しく思ってる。私を監視する能力があることを。カレンは……あの人は、私が魔道士だという事実をあまり意識していないみたいだった」
目の前にいるのが何者かを意識せず、他人事のように魔道士への処置について話したこともあった。そんな時カレンは私が魔道士だったと“思い出して”自分の無神経を詫びるんだ。いつも不思議な気がしていた。彼にとって私の内に魔法があるというのは重要じゃないみたいだった。
確かに、もっと大きな問題がある。魔道士であることよりも“左手に印を持つ囚人”としての印象が強かったせいかもしれない。でも、だからこそ、意識の外に追い出せるはずの恐怖が影のように付き纏うのが解せなかった。
カレンにとって魔道士とは何なのか。私の恋心が彼を傷つけるような気がして、怖くて伝える決心がつかない。
アリスター王は私に「そいつから何も聞いてないんだな」と確認し、しばらく黙って考えに耽っていた。
「あんたのところの指揮官は、魔道士を見かけるなり有無を言わさず殺したくなるような、それも致し方ないと思うような体験をしたんだ。彼が魔道士に対してどれほど残虐で、どんな過ちを犯しても、同じ体験をしていない者には誰にも責める権利がないような目に遭わされた。だが、普通に話せるんだな? 彼があんたに誠実な態度をとれるなら、それは絶対に“平気なふり”ではない。あんたを受け入れてるってことだ」
「もしかしたら、私を審問会に留めるために無理してるのかも」
「俺が記憶しているテンプル騎士カレンなら、アンドラステの使徒が魔法を使うという事実に恐怖し、耐えられず、あんたを殺しただろう。だが、そうしていない。彼は変わることができたんだ。祝福するよ」
そうだろうか。私は受け入れられているのだろうか。だからカレンは普通に接してくれるのか? 分からないけれど、これ以上は勇気を出して本人に尋ねるしかなかった。それを後押しするように、アリスター王が私の背中を叩く。
「その想いはさっさと伝えた方がいいぜ。拒絶されたくないなんて黙ってても、その間に失くしてしまうかもしれないんだからな」
それは彼自身のことを言っているのか。行方知れずの彼女を想っている時、彼の瞳には恐怖と不安が満ちていた。なくしたくない。誰よりも守りたい。なのにその人は、手の届かないところにいる。胃の底から痛みがせりあがってくるようだった。
「救世主様が仰ることには『自分一人幸せにできないやつに世界を救うことなど不可能』だそうだ。幸せの価値を知らない者が他人にそれを与えられるか? あんたは幸せを求めていい。好きなやつと結ばれたいという、当たり前の願いを叶えていい。俺にはそう言ってくれた人がいた。あんたにもいるといいんだが。もしいないなら俺が言おう。審問官、欲しい愛があるならそいつを求めるべきだ」
私の大切な者は、守りたい者は……、今なら答えられる。私は想いを伝えられるだろう。失ってしまう前に。そしてアダマントの砦でグレイ・ウォーデンを止めたら、もう一度アリスター王に会おう。その時に、願わくは彼に幸せな報せが与えられるよう祈っている。