飴色の夢
あと数日で今年が終わる。年明け前にブライトが終わって本当によかったとしみじみ思う。
伝承にある災厄を体験し、それが終わってみれば大昔のブライトは何十年も続いていたなんて信じられない。あれは教会の嘘ではないのか? たとえば、人々に恐怖を与えて警戒を促すためのハッタリだ。
本当にあのような災害が百年近くも続き、その間中ダークスポーンに蹂躙されていたのだとしたら、セダスはとうに滅びているだろう。今回が驚異の速さで終わったというよりも伝承の方が誇張されていたという方が信憑性がある。
何事も未知であった最初のブライトはともかくとして、試行錯誤の第二次ブライトまではともかくとして、一国が独力により一年足らずで終わらせられるものを何十年も退けられなかった過去のグレイ・ウォーデンはどれほど無能だというんだ。
ともかく。真実がどうであれ、第五次ブライトは竜の時代30年の出来事として記録されるだろう。来年からフェレルデンは苦難と無縁だ。そうありたいと願っているし、そのように行動するつもりでいる。
そう、安堵して気を抜いて一息ついてる隙を見計らって、その手紙は届けられた。ブライトの終焉と新たな時代の幕開けを感じさせるかのように。
バラの封蝋をほどくと見慣れた兄の文字が並ぶ。『結婚しました』と……なるほど。
「ファーガスが結婚した!」
荒々しく扉を開けて部屋に駆け込むと、すでにベッドに入って微睡んでいたアリスターが慌てて体を起こし、破壊された扉と壁をなんとも言えない表情で見つめた。今は修理費用がいくらだとか私の乱暴さを直すべきだとかそんなことはどうでもいい。
「この手紙を見て。結婚しますじゃなくて『しました』だと? 事後承諾なのか? あり得ない、こんな話は聞いてない!」
先日ようやく準備が整い、アノーラをハイエヴァーに送り出したばかりだった。こういう話が出るには早すぎる。しかも王であるアリスターを式に立ち合わせもせず勝手に結婚するなんて、何様のつもりだ。
「ファーガスが、こんな……結婚なんて」
憤慨を通り越してパニック状態の私をちらりと見ただけで、アリスターは興味もなさそうにまた寝転がると「ふーん」とかなんとか唸った。……ちょっと待て、なぜそう平然としていられるんだ。
俺には関係ないなんて思っているのか? 妻の兄が結婚したっていうのに。しかも、アリスターがそうするはずだったアノーラと!
そこまで考えてふと思いついた。アリスターとアノーラは渋りつつも結婚を承諾していた。御破算になったのはロゲインが死んだからだ。私は埋め合わせをしようと考えていた。ほとぼりが冷めてから再び説得し、そのうえで私が失せれば彼らは互いの手を取り合うだろうと目論んでいたんだ。
鼓動が激しくなる。アリスターは、この驚くべき手紙の内容に対して一切の動揺を見せていない。
「……もしかして、あなたは、これを知ってたのか」
もしかしたら、アノーラと二人でこれを仕組んだんじゃないのか。私の計画を挫くためにロゲインを殺したほどだ、できれば結婚したくない相手を義兄に押しつけるくらい今のアリスターならやりかねない。アノーラだって、父親の仇と結婚するよりはとファーガスで妥協した可能性は高い。
混乱のあまり部屋がぐるぐると回って見えた。その中でのんびり居座るアリスターは私の胸中も知らず暢気にあくびを噛み殺して答えた。
「んー、いいや? ファーガスに再婚の意志があるのは聞いてたけど、こんなにすぐのこととは思わなかった。相手もな。まさかアノーラとは」
「さ、再婚の意志って、私はそれも聞いてない!」
もはや泣きそうな私に目を留め、彼はゆっくりと起き上がる。何を思ったのか満面の笑みで「俺の胸に飛び込んでこい」とばかりに両手を広げるものだから手近にあったクッションを顔面に投げつけておいた。
全身の力が抜けた。沈み込むように椅子に腰を落として項垂れる。アリスターは勢いをつけてベッドから立ち上がり、私のそばまで来た。心細い気持ちで彼の顔を見上げる。なんだか覚えのある光景に思えた。
……そうだ、レッドクリフで、彼に「モリガンと寝ろ」と言った時、ちょうど同じように向かい合っていた。あの時は彼が座ったまま心許なげに私を見上げていたけれど。今は逆だな。
「お前って、俺には躊躇なく政略結婚ってやつを押しつけるくせに、ファーガスのことはそんなに戸惑うのか? ちょっと腹が立つな」
言葉とは裏腹の優しい声音で囁き、苦笑しながら慰めるように私の頭を撫でる。ファーガスの仕種がうつったようだ。
「あなたとは事情が違う。兄さんがこんな結婚をする必要はまったくない」
「そいつはどうかな? むしろお前が思いつかなかったのが不思議なくらいだ。アノーラの処置にこれ以上の案があるか? 彼女をハイエヴァーに送ったのはお前だろ」
……そうだ。アリスターの地位を脅かすなら彼女は死ななければならない。しかし彼女を容易く処刑できるほど私たちには力がない。ロゲイン派貴族の問題もあった。アノーラを味方にしなければならなかった。それには結婚が最善だった。アリスターとアノーラの結婚が。
二人の間を取り持つまで、とりあえずはアリスターから引き離し、なおかつ目の届く場所に移すしかなかったんだ。
……それは二人を結婚させることに拘った場合の話。分かっている。ファーガスでも構わないんだ。彼女が、私の……兄の妻になるのなら、アリスターと結婚させなくてもアノーラの地位と名誉を守り、味方につけることが可能だった。
冷静にならなければ。起こってしまったことを嘆くよりもこれがどんな影響を及ぼすのかを考えるんだ。
私はアノーラをどうするかで悩んでいた。そして兄に任せると決めたんだ。これはいい報せのはず……だけど、駄目だった。どうしても無意味なことを考えてしまう。理性ではなく感情の問題なんだ。
「少し前なら、あなたの言う通り、私が兄さんに提案したのかもしれない。死者を悼むよりもやるべきことがあると言って」
その言葉がどれほど兄を傷つけるのかを理解していながら、私はそうしただろう。きっと……。
「なあ、お前は家族の思い出がなくなっちまうような気分になってるんだろうけど、ファーガスはオリアナを忘れようとしてるわけじゃない。俺よりお前の方がよく分かってるはずだ。お前だってアノーラを尊敬してるんだろ? 彼女が家族になれば心強いんじゃないか?」
オリアナへの愛を抱いたまま、新しい愛を紡いでゆくだけ。消えてしまうのではない。増えていくだけ。帰れない過去のために立ち止まるのではなく、より広い世界へ歩もうとしているだけ。
アノーラは義姉さんの居場所を奪いはしない。もう一人の義姉が増えるのだ。……そう考えなければいけない。まさかアリスターに諭されるとはな。
「あなたはどうなんだ。アノーラが義姉になってもいいのか」
「妙な感じはするさ。でも以前から彼女は俺の義姉だったわけだしな」
「それは……そうだな」
確かにアノーラはケイランの妻だったのだから、彼女がファーガスと再婚しなくても元々アリスターの義姉だった。
妙な感じという彼の表現は的確だ。おそらく私はただ戸惑っているだけなんだろう。アノーラを、家族として見たことがないから。受け入れる準備がまだできていなかっただけだ。
受けたことのない衝撃に頭がズキズキと痛む。アリスターの指がぎこちなく髪を撫でるたび、ほんの少しずつ心が落ち着いていくように思えた。その手が離れていくと、つられて視線が追いかける。わざとらしく咳払いをして彼はなぜか頬を染めた。
「あー、えっと、それで提案があるんだが」
「何?」
「俺たちも式を挙げないか」
「……ふぅん」
なるほど。ファーガスが急いで再婚する気になったのはこれもひとつの要因か。大事な義弟のためというわけだ。自分の結婚で動揺させ、アノーラという選択肢も奪い取り、私とアリスターを強固に結びつけてしまおうと。
粗野な振る舞いに騙されて忘れがちだけれど、兄さんだって父親似の強かな政治家としての一面を持っている。アノーラとの再婚は、理性でも感情でも納得尽くなんだ。それなら私が口出しすることじゃない。
私も決心しないといけない。アリスターとの結婚は仮のものだと考えていた。誓いさえ済ませなければいつでも彼とアノーラの仲を取り持てると思っていた。けれどうまく逃げられてしまったから仕方ない。
アノーラが兄さんと結婚するなら、こちらの式も強いて遅らせる理由はなくなった。どうせ盛大な式など挙げる金はないんだ。諦めにも似た気持ちで、彼がそんなに望むならと思う。
「分かったよ。じゃあ、年が明けてすぐに私たちも式を挙げよう」
アリスターの顔がパッと明るくなった。その素直すぎる喜びの感情にあてられ、なんだかどうでもよくなった。世間ではこの新王は恐妻家と見られているようだけれど、正直に言うと私の方こそ彼にうまく踊らされているような気がしてならない。
早くも感極まった様子のアリスターに抱き締められ、夜着越しにその鼓動を感じた。抱き返すか迷っているうちに囁かれた言葉に驚いて固まる。
「誓いの指輪は用意してあるんだ」
「えっ? い、いつの間に」
「ファーガスにハイエヴァーの銀をもらってさ。俺がお前に永遠の愛を誓うのに、これより相応しいものはないと思う」
愛しげに私の頬を撫で、泣きそうに潤んだアリスターの瞳には、痛みと切なさも秘められていた。ここへ到るまでに起きた様々な出来事、いくつかは私がつけた傷、何もかもが喜びだけに満ちていたわけではないけれど。……なんだかすごく、満足そうだ。
「ああ、本当に嬉しいよ。俺がどんなに素敵なものを手に入れたのか、みんなに見せてやらないとな?」
この荒廃した世界にも、まだ美しいものが、愛すべきものが、残っていると。そう私に教えてくれたのは彼だった。灰色になり朽ちてゆくばかりの人生に輝きを与えてくれたのはアリスターだった。
もう生きる理由もなかった私に、夢を思い出させて――
「俺の夢を叶えてくれ。お前と一緒になりたいんだ」
まだ生きていかねばならないと、思ったのは彼のためだった。
部屋の灯りに照らされた瞳が飴色に輝くのを呆然と見ていた。アリスターの夢。前に覗き見たあれは悪夢だった。だけど彼の心からの願いでもあった。ひとつの、大きな家族になるという夢。
私と彼、ファーガスとアノーラ。この結びつきで亡きロゲインは彼の父になる。オリアナは彼の姉になる。ケイランは私の兄になる。皆が繋がっていく。
そしてフェレルデンに生きるすべての人々が私の家族だ。ここはアリスターの国であり、私は彼の妻なのだから。
「……ドレスは何色がいい?」
胸の高鳴りを誤魔化すように尋ねたら、彼はニヤニヤとしまりのない顔で私の目を覗き込んできた。
「うん? ファーガスは『あいつは絶対ドレスじゃなく鎧を着たがるぞ』って断言してたけどな」
「お望みならそうしますよ」
珍しく殊勝な態度をとってみたらこれだもの。鼓動がおかしなリズムを刻んでいた。べつに恥ずかしがってなんかいないから、これは何かの病気かもしれない。
そして密着しているせいで彼にもこの音を聞かれているのに気づき、腕を突っ張ってアリスターを引き剥がした。
「そうだなぁ。武装したって格好いいのは知ってるけど、ドレス姿は見たことないからな。今回はそっちにしてくれ。色は……どういうのが良いのか全然分からないんだが」
「あなたの好きな色でいい。あまり拘りはないから」
矯めつ眇めつ私を眺め、ドレスを着た姿でも思い描いているらしい。正直そんなもの着るのは何年ぶりだし、激戦に揉まれてやたらと体格がよくなってしまったし、不安は大きい。傷跡も多いから露出は控えた方がいいだろう。
革鎧から傷だらけの肌が見えても平気なのに、ドレスは気が引けるなんて考えてみるとおかしな話だ。
針子の苦労を思って同情に浸る私とは裏腹、アリスターはいいところばかり夢想しているようだった。
「俺の好きな色か。考えたことないな。あ、ハイエヴァーの色って?」
「赤だよ」
「じゃあ俺は赤が好きだ」
屈託のない笑みを向けられて呆気にとられた。彼にとっては口説き文句という意識すらないのだろう。たぶん、そう意識していたらすんなり言えなかったに違いない。
「……自覚的にそれができればモテるだろうに」
「へっ? どういう意味?」
もったいないと思う。この人に口説かれるのが私だけなんて。もっとたくさんの人に分けてあげたいのに。我知らず浮かんでいた笑みにアリスターもわけが分からないまま微笑んだ。
ハイエヴァーの布でドレスを縫って、クーズランド代々の銀で指輪を作って、新たな家族を迎え入れる。兄も私もまだ幸せが手に入るのだな。とうに失ったと信じていた夢。アリスターが招き入れてくれたんだ。