幸福の破片



 寝間着にするには高価すぎる豪奢なドレスをさっさと着替えて、髪をほどいて化粧も落とし、外向きの完璧な笑顔も剥がれ落ちて素に戻ったエリッサはベッドに突っ伏すや否や枕に顔を押しつけて肩を震わせていた。
「お前っ、いい加減に笑いすぎだろ……」
 俺の声にも若干の怒りが滲む。しかし俺が不機嫌になるほど余計に彼女を愉快な気持ちにさせてるんだから虚しいよな。
 堪えきれなかった笑い声が枕との隙間から漏れ聞こえてくる。さっきからずっとこんな調子で埒が明かない。一応これでも新婚初夜なんだぜ。もうちょっとどうにかならないのか? まあ、悪いのは俺なんだけどさ。

 ついさっき俺たちの結婚式が終わった。もっと厳かで神聖な儀式を想像していただけに、市民に見守られながら教会前での簡素な誓約と王宮での大規模な宴会といった雰囲気に終わった結婚式は、戴冠式ほど緊張せず気楽に臨むことができた。
 気を抜きすぎたのがいけなかったんだろう。兄に手を引かれてエリッサが教会の前まで歩いてくるのを目にした瞬間、予め頭に入れておいたはずの手順が綺麗さっぱり消えてしまった。
 俺はもう、終始棒立ちだった。教母が誓いの言葉を促した時もぼけっとエリッサに見惚れていて何も耳に入ってこなかった。誰もが無言で硬直し、その場が妙な緊張感に満ちるのを感じた。俺がいつまでも誓約の言葉を言わないので見物してる連中の口からもざわめきが聞こえ始めた。
 今にして思えばかなり際どい状況だった。エリッサはただでさえ権力目当てに俺をたぶらかして女王の座にありついたなんて言われてるのに、とうの俺が彼女に愛を誓うのを躊躇したら不仲説を裏づけるようなもんだ。実際には頭が真っ白でそんなことに考えが及ぶ余裕もなかっただけなんだが。
 やがて困り果てた彼女が先に妻としての愛と忠節を誓う言葉を並べ立てた。これも終わってから思い返して気づいたことだが、予定より長い台詞だったのはたぶん俺を我に返らせる時間を稼ごうとしてたんだろう。舞い上がって余計に何も考えられなくなったけど。
 俺がしどろもどろに「誓います」とかなんとか言ったら、彼女はちょっと笑って自分でベールをあげ、かつてない優しさで俺に口づけた。その頃には周りのやつらも、俺がただ緊張しすぎてパニックになってるだけだと気づいたようで、新郎の無様な姿を苦笑いしながら見守っていた。
 良いように考えろとエリッサは言った。デネリムの人々のみならず有力貴族が居並ぶ中で類い稀な小心ぶりを晒したんだ。ロゲイン派貴族だって俺を警戒する気も失せただろう。御しやすいと思われている方が自由に動ける。
 少なくとも俺は貴族どもに“早く潰すかあるいは懐柔しなければならない有能な国王”ではないと証明したわけだ。……狙ってやったことじゃない辺りがみっともないけどな。

 ようやく笑いの波が引いたらしいエリッサは上体を起こして息を整えようと頑張っている。頬が真っ赤なのは枕に押しつけてたせいで息苦しかったのか、笑いすぎか。
「はー、ありがとうアリスター。この思い出で一生楽しめそうだ。誓いを忘れた時のあなたの顔ときたら」
「その話は今日だけでも聞き飽きたよ」
「じゃあ違う話にしよう。指輪を忘れてるのに気づかず私が差し出した手を掴んだ話? キスが長すぎたこと? 私のドレスを踏んだとか、それに慌てて転んだとか、話しかけられるのが嫌なばかりに食事に専念しすぎて五人前は平らげたとか、飾り用のレモネードで酔っ払ったとか」
「ごめんなさいもう勘弁してください」
 恥ずかしすぎて死にそうで突っ伏した俺を見てまたエリッサは声をあげて笑い転げた。くそぉ……喜んでもらえて嬉しいぜ……。でもそろそろ許してほしい。
 何かやらかすだろうなとは自分でも思ってた。だけどここまでいろいろやっちゃうとは我ながら呆れ果てる情けなさだ。

 そう、宣誓もぐだぐだに終わったが、最悪なのは指輪の交換だった。彼女が左手を差し出した時、錯乱していた俺は何を促されたのかも分からなくなって彼女の手を握り、謎の握手をしてしまった。あの皆の「えっ?」て空気を思い出すのはつらい。
 幸いにも指輪を嵌めるシーンだとはすぐに気づいたが、どこに仕舞ったか思い出せなかった。というか式の前に準備した記憶さえなくて蒼白になった。そしたらエリッサが俺だけに聞こえる声で「右のポケット」と囁いた。ああなるのを見越して彼女が入れといてくれたんだ。
 次は誓いのキスだった。ハイエヴァーで織られた深紅のドレスに身を包み、金銀細工の冠で飾り立てた彼女を改めて正面から見据えた。彼女にキスされ、無意識にその腰を抱き寄せて、なんていうか……“二人きりのキス”をしてしまった。教母にやんわりと窘められた。
 厳かで神聖と言えそうな部分は教会の中で行われたが、なんのことはない、パンを食べワインを飲んでロウソクを祭壇に捧げただけだ。テンプル騎士の修行をしてた頃と似たようなものだった。大衆の目を避けられたんでむしろそこが一番気楽だった。
 祝宴を開くため王宮に帰る馬車に、乗ろうとしたところでエリッサのドレスを踏んだ。彼女がすぐに気づいて留まったから破れずに済んだが、慌てて飛び退いた俺は思い切り後ろに転んだ。今もわりと尻が痛い。この辺りで彼女は既に小刻みに震えつつあった。
 宴の間ではファーガスやイーモン伯爵やティーガンや、ウィンやレリアナに顔見知りの諸侯がひっきりなしに祝いの言葉を述べに、もとい俺の醜態をからかいに来たから答えなくて済むようずっと何かを食べていた。
 八皿目くらいで限界を越えたあとは無心で口を動かしていた。動く死体みたいだとエリッサに笑われた。
 テーブルには発泡酒が並んでいた。腹の中で食べ物がごった返していた俺は必死にそれを流し込むと、脳がゆだるような気持ち悪さに襲われ「今まで知らなかったけど俺もしかしたら酒に弱いかもしれない」と彼女に泣きついた。「それは酒じゃない」と言われた。
 発泡酒に見せかけた単なるレモネードだった。俺はアルコールの入ってない普通のジュースで酔っ払っていた。

 順繰りに思い返してみると、よく「やっぱりこの結婚は取り止めにする」と言われなかったもんだと思う。面白かったと笑って済ませるエリッサは、たぶん度量が広いんだろう。でなきゃ自棄になってるんだ。
 一頻り笑って落ち着いたエリッサはおもむろに立ち上がって鏡台から小さな箱を取り出してきた。ベッドに戻って腰掛け、それを俺の手に乗せる。中には細いチェーンに奇妙な形の石がついたペンダントがおさめられていた。
「変わった形だな」
「それは年月を経ると二つに分かれる性質を持つ石だ。対になる片割れとしか形が合わないようになっている」
「ふぅん?」
 俺がペンダントを手に取って首にかけようとするとなぜだか彼女の眉間にシワが寄った。あれ? 俺にくれたんじゃないのか? 明らかな仏頂面を前にどうしていいか固まってしまう。箱に戻して彼女に返した方がいいのかと思い悩む俺から目を逸らし、呟くエリッサの声はだんだん小さくなっていった。
「二つで一つという性質上、船乗りのお守りに使われることが多いんだ。嵐に迷わず帰ってこれるように。あとは戦場へ向かう……恋人に渡したりとか、ふ、夫婦の……絆として……交換したりとか」

 ドレスを脱いだエリッサは襟元までぴっちり閉じたシャツを着ている。もう俺しかいないってのにそこまで肌を隠す必要はないだろうと思うくらい厳しく封鎖された胸の中にはいったい何があるのか突然気になりだした。もしかしたら、もしかするのか。
「……なあ。服を脱がせてもいい?」
「ダメ」
 いや待てよ、ダメったって俺たちはこれから初夜を迎える新婚の夫婦なんだぞ? そりゃ確かに今さら初夜も何もないと言われたら反論できないけど、でもそれはそれというかやるべきことはやるべきなんじゃないだろうかと相変わらず酔いの醒めない頭で思う。ワインを一口とレモネードしか飲んでないが。
 結婚式における俺の愚行を笑い倒した楽しそうな顔もどこへやら、仏頂面を崩さないエリッサに素早く手を伸ばして服を脱がそうとしたら猛烈な抵抗にあった。縺れ合い絡み合って二人でベッドの上を転げ回ったあと、先に音を上げたのはエリッサだった。
「もう、分かったよ!」
 やけくそ染みた勢いでシャツの中から引っ張り出したチェーンには俺のと同じ石がついている。その片割れとしか形が合わない、二つで一つの性質を持つ石。俗に“絆石”と呼ばれるものだと怒ったような口調で彼女は言った。
 指輪を嵌める時より緊張して俺の石を彼女のそれとくっつけてみると、結果なんて分かりきってることではあるが、ギザギザな断面がぴたりと組み合った。
 ああそうか、仏頂面は怒ってるんじゃなく照れてたからだ。

「これ、俺にくれたんだよな?」
「当たり前じゃないか」
「あ……ありがとう」
 感極まった俺に、今度は気恥ずかしさで顔を真っ赤にした彼女が言い訳がましい言葉を並べ立てた。
「揃って見つかることが少ないから貴重ではあるけど、見ての通り不格好だから装飾品としては人気がないし、高価なものじゃないし、本当はこういう贈り物に相応しくないのかもしれないけど」
「そんなことない。ありがとう。もっと……気の利いた言葉を思いつけないのか、俺は? 嬉しいよ。何度言っても足りない。ありがとう。本当に」
「も、もういい!」
 嬉しいなんて言葉じゃとても言い表せない。俺の心の弾みっぷりを他人に理解させるにはセダス中の吟遊詩人を集めて喜びの歌を作らせなきゃいけないだろうな。それだって、とても間に合わないだろう。
 意外と言ったら失礼になるか、これを渡すのに実はかなり緊張していたようで、俺がペンダントを首にかけるのを見届けてエリッサは安堵の息を吐き出した。
「婚約の贈り物にするつもりだったんだ。でもあなたが、予定より早く式を挙げるって言うから……。結婚指輪は別に作るし、指輪にすると無駄になると思って、男性への贈り物にペンダントというのも変な気がしたけど。……私は本当に、こういうのに慣れてないんだ。なんだかすごく恥ずかしいな」
「恥ずかしがってる君はすごく可愛いよ」
「黙れ」

 俺たちの出会いは、どうしようもない悲劇によって成り立つものだった。俺たちの運命は彼女の身に悲劇が降りかかるところから始まった。それでも今は笑っている。結局はここに辿り着いた。そしてこれから先に幸せが続いている。
 俺は創造主に感謝をしよう。彼女に苦痛を与えたことも含め、それを乗り越える強さを与えたことも含めて、俺と彼女の道を交わらせてくれたことを、永遠に感謝する。
 右手で胸元のペンダントを握り、左手を彼女の手に重ねる。こちらに向けられた緑眼をまっすぐ見つめ、心のままに言葉を紡いだ。
「健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、この命の続く限り……お前を愛し、敬い、慰め、助け、真心を尽くして生きると誓う」
 すると彼女は少し赤い頬で俯きがちに返事をしてくれた。
「私はあなたを夫とし、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、死が二人を分かつまで、あなたを愛し慈しみ、貞節を守ることを誓う」
「ほらな? 自分でやればちゃんとできるんだよ」
 お前さえそばにいてくれるなら大丈夫だ、そう言ったらエリッサは、愛情を掻き立てるような柔らかな笑顔を見せてくれた。
 これは俺のものだ。この笑顔は、妻としての表情は、俺だけが見るものだ。だから馬鹿なことして笑われるのさえ喜びに代わるんだ。世界の理不尽や弱い自分への怒りも苛立ちも、砕けて幸せの欠片に変わる。
 いろいろなことがあったけれど、きっといつか最後の時には、思い返す日々のすべてが満たされ幸せな人生だったと笑えるだろう。彼女さえそばにいてくれるなら。



 51 / 104 

back | menu | top