名を着せに
レッドクリフへ向かう道中、キンロック見張り塔を横目にカレンハド湖の畔をのんびり歩きながらエリッサは俺の話に耳を傾けていた。たぶん、傾けてくれてるはずだ。一見するとさっぱり聞いてないように思えるのが不安だけど。
大袈裟に反応してほしくないのは確かだけど、無視されるのも嫌だな。俺の素性を知って彼女がどんな態度を見せるのか、ほとんど諦めの境地でそう長くもない話を終える。
言葉が途切れた瞬間エリッサは立ち止まった。それで一応は聞いてくれていたようだと安堵する。「俺、実はマリク王の不義密通の子なんだよ」なんて……二回も言わずに済んでよかった。
彼女はこっちを振り返り、仲間との距離を確かめる。俺に一切の注意を払わず最後尾を歩くモリガンと、その気を引こうと必死に話しかけるレリアナと、何を考えてるかよく分からないスタンが間に続く。誰にも話を聞いていた様子はない。
必要があれば打ち明けるが、今のところ全員に話すつもりはなかった。特にモリガンには言いたくない。どちみちイーモン伯爵に会えば知られることになるだろうが、それまではエリッサにだけ伝えておけばいいと思う。
そして目下の問題に戻る。彼女は俺が黙ったのを見てとり、それで話は終わりだと理解して「そうか」と呟くと、また歩き出した。
……ちょっと待って、そうか、ってそれだけ? 思った以上の無反応ぶりに困惑する俺を置いて、彼女はどんどん歩みを進めている。慌てて追いかけ隣に並んだら彼女は表情ひとつ変えずに続けた。
「つまりあなたには継承権があるということだな」
「ないよ! まさか。冗談は止してくれ。俺はただのメイドの息子だ。そんな責任は負えない。王子なんかじゃない」
「セイリンの血を引いている以上、母親の身分や育ちは関係ないだろう」
「氏より育ちってこともあるんじゃないかな?」
やっぱり彼女も俺を“マリクの息子”として見るのだろうか。いきなり傅かれなかっただけマシではあるが、継承権についてなんて話し合いたくないってのが本音だ。
俺の肉体を流れてる血は王のものと似通ってるかもしれないが、俺の心は王子じゃない。これから先にもそうなるつもりはないんだ。
「とにかく、他のやつから聞かされる前に俺から伝えておきたかっただけなんだ。俺は王だった男の血を引いてるかもしれないが、そいつは俺とは無関係だってことを」
「そうか。分かった」
「うん……」
分かってくれて、嬉しいよ。……いやにあっさりしすぎてる気もするけど。
少なくとも俺が危惧したような反応はされなかった。彼女自身が高貴な身分だからだろう、変に気負うことなく普段通りに接してくれるのが一番ありがたい。
たぶん、継承権があるというのだって単なる確認だ。「私が犬のために買ったチーズを食べたのはあなたか?」って聞かれた時と同じトーンだった。いや、あの時の方がずっと恐ろしかった。二度としない。二度としません。ごめんなさい。ごめんなさい。
と、思考が逸れかけたところで怪訝そうに俺を見つめる視線に気づく。
「不満がありそうだな。本当にどうでもいいことなら、なぜ今まで言わなかった? 私が信頼できないからか?」
「えっ、いや、違う違う! そうじゃない……、あんたのことは大事な友達だと思ってるよ。だからこそ言いたくなかったんだ。この関係が……、あんたの態度が、変わってしまう気がしたから」
これを知ったやつらは皆、なんとかして俺と王家を結びつけてその繋がりを利用してやろうと俺に甘い言葉を吐くか、あるいは国の裏事情に首突っ込むなんて面倒事の種だと俺を疎ましく思うのか、どっちかだったからな。
どっちにしろ分かりやすい。この血の色に気づいた途端、俺が俺であることなんて消えてなくなっちまうんだ。
「言わなきゃいけないとは思ってたんだ。でも……機会もなかったし」
だって、彼女は洗礼の儀で死ぬかもしれないと思ってたし。正式に入団するまでは、そもそもあんまり話なんてしないものなんだ。でも戦いのあとでゆっくり話す時間ができたら言うつもりだった。それがあんなことになって機会を逃して……。
いや、だけど俺は本当に話そうとしただろうか? グレイ・ウォーデンの仲間にだってほとんど誰にも教えなかった。そんなに親しい相手もいなかったし、親しくなったらなったで今さら言って友情を失うのが怖くなっていた。
エリッサは見透かしたような瞳で、だけど決して蔑んではいない静かな視線をまっすぐに俺の方へ注いでくる。
「以前もその話題は出た。機会はあった。話したくなかったんだろう? 王家の血に意味があると思ってるのは私ではなくあなた自身だ」
「……否定はしないさ。俺は、自分が大した人間じゃないって分かってる。高貴な血筋とやらに掻き消されて俺を見てもらえないのが嫌なんだ」
「跪いて栄光を称えましょうか、殿下? 心配しなくてもべつに何も変わらない。あなたが王になることはないだろう。私もそれを望みはしない」
淡々とした口調と裏腹、エリッサの緑眼は力強く俺を見つめた。その言葉に嘘がないと分かる。……話してよかった。なんだか意図せず隠し事をしていたようで嫌だったんだ。彼女の言葉を借りるなら、まるで信頼できないから黙ってるみたいに思えて引っかかっていた。
歩きながら何事か考え込んでいたエリッサが不意に足を止めてどこか遠くを見ながら呟いた。
「あなたがマリクの子ならロゲインは知ってるはずだな。公爵があなたをどうしたいにせよ、あなたを“次の王になり得る者”として見ているのは間違いない」
「そんなものになるつもりはない。と言って聞くわけないよなぁ? やつがどうしたいって、そりゃ俺にいなくなってほしいんじゃないか」
「確かに、公爵が王位を狙っているならあなたを殺したいだろう。だがロザリングにいた兵士は私だけを狙っていた。なぜだ? あなたが生きていることを知らないのか、王位継承権とは別の意図であなたを探してるのか……」
俺はそれよりも、あいつらがどうやって“グレイ・ウォーデンの生き残り”をエリッサと断定したのかが気になるけどな。
ダークスポーンはイシャルの塔の地下から溢れ出してきた。フレメスがいなければ俺たちは死んでいたんだ。俺たちが生き延びたと思うよりも、戦場から逃げ出した者がいるかもしれないと考えるのが自然じゃないか。
それともロゲインは会議の場でエリッサによっぽどの印象を受けたのだろうか? あの惨状から生き延びているに違いない、と思うほどの強烈な存在感。……まあ、あり得るよな。
俺が彼女を心強い味方だと感じているように、あの男にとってエリッサは真っ先に殺しておかなければいけない強敵に見えているのかもしれない。
「どうでもいいさ、やつの目的なんて」
俺の頑なさを感じ取ったんだろう、彼女は肩を竦めた。馬鹿みたいに思われるかもしれないが、王の息子扱いされるのは絶対に御免だ。そこを譲るつもりはない。俺がそんな存在だったことなど一度もないんだ。
「イーモン伯爵が助けてくれると確信していたのは自分の血筋のせいだろう、アリスター?」
「……違うとは言わない。でも彼は善良な人だし、ケイランの叔父だってのも事実だ。俺がまったく無関係のグレイ・ウォーデンだとしても伯爵はロゲインと戦う手助けをしてくれるはずだ」
「ふぅん。私の感覚では、厄介払いされた王の隠し子を匿ったうえで自分の子ができた途端に教会へ押しつける人物を善良だとは言わないけどな」
「そ、それは……でも、仕方ない……ことだろ?」
刺のある言葉に腰が引けた。そりゃあ、伯爵だって単なる親切心から俺を拾ってくれたわけじゃないだろうとは思うけど。
「間違いなくイーモンには下心がある。彼に協力を求めれば、一度は手離したあなたという餌を再び与えることになる。彼はロゲインに対抗するためにあなたの血を利用するだろう。それでも彼を頼っていいのか?」
あり得ないとは言えなかった。俺だって、この血による関わりがなければそもそも伯爵に助けを求めることさえできないのは分かってる。
たぶん彼はエリッサの言う通りの行動をとるだろう。「ケイランが死んだとなれば王になるべきはマリクの息子である、この……」なんてな。ああくそ、冗談じゃない。
ロゲインがこの国を支配しようと目論んでいるなら止めなければいけない。つまり他の、真っ当な“王に相応しい人物”がいればいいんだろう?
「もし王になるべき人がいるとしたらイーモン伯爵だ。彼はケイランの叔父だし、皆に好かれてる」
「私は好きじゃないぞ」
「え? えーと……それは困ったな」
「第一、イーモンが持っているのは婚姻による関係だ。彼自身にセイリンの血は一滴たりとも流れていない。イーモンが王になれるならロゲインにも可能だ。彼は旗頭に相応しくない」
そりゃあローアン女王の弟だから伯爵にセイリンの血は流れてないけど、ケイランとはちゃんと血で繋がってる。比べてロゲインはケイランの妻の父親でしかない。一代の違いを大きいと見るか、小さいと見るか。
要するに、血筋なんてどうだっていいじゃないか? そんなことで国の主を決めていいのか? 王に相応しいか否か。それは個人的な資質だろう。血筋なんかで決めるから、自分の息子にさえ責任をとれないような無分別な男が王になったりしてしまうんだ。
「俺はいないと考えるべきだ。ケイランが亡くなった今、セイリン王家は断絶したんだ」
「そして保守的で鈍重なゲリン家を王に据えるのか。だったら私も名乗りをあげるよ」
「へぇ、それは意外と名案かもな?」
エリッサにはリーダーシップがある。間違いなく腕も立つ。それに公平さと優しさを両立できる、知性的な人だ。クーズランド家は人望があるようだし、実際に彼女が立ち上がればいい線いくんじゃないか? 少なくとも俺よりは向いてるだろう。
今さら王の血なんてものを引っ張り出されるより、彼女を玉座に就ける手伝いをしろとでも言われる方がよっぽどマシだ。……まあ、冗談だと分かってるから笑えることではあるんだが。
レッドクリフ城に着いたら……イーモン伯爵は本当に、俺を王にするなんて言い出すだろうか。たぶんそうなると半ば納得しているが、もう半分ではあり得ないとも思っている。いや、単に考えたくないだけか?
「私に言われなくとも充分承知だろうが、あなたがいくら無視しても事実は変わらない。アリスター・セイリン、あなたは王になる権利を持っている。それは理解しておかなくてはならない」
「理解はしてるさ。でも俺は王になんかならない! あんただって、そんなことは起きないと言ったじゃないか」
「もちろん、誰がフェレルデンを守るかなど私の仕事には関係ないからな。私の出会った唯一のグレイ・ウォーデンがそれは重要なことではないと教えてくれた」
一瞬、彼女の瞳に悪意が満ちるのに気づいて怒りが萎んだ。
そうだな。エリッサはたぶん、本来ならこの問題にもっと踏み込んで関わる地位にあったのかもしれない。グレイ・ウォーデンになっていなければ、王位の問題は彼女にとって重大事だった。
「……あんたが知るウォーデンは一人じゃないだろ。俺がいる。それに、ジョリーやダベスもグレイ・ウォーデンだ。洗礼の儀を行い杯の血を飲んだら、俺たちは兄弟なんだ」
「ジョリーは杯に口もつけなかったが?」
「だが、彼はグレイ・ウォーデンに迎え入れられた。彼が望んでいなくてもその事実に変わりは、ない……」
そこまで言って口を噤む。冷静沈着そのものの顔を見る限り、彼女は最初から会話をここへ持っていくつもりだったんだろう。俺は見事に誘導されてしまったわけだ。
儀式を完了できなくても、たとえ自分の意思でウォーデンになることを拒絶したとしても、秘密を知ったら後戻りはできない。
ジョリーもダベスも洗礼の儀に辿り着いた。その最後の意思に関わらず彼らはグレイ・ウォーデンとして死んだのだ。
でもそれは俺の話とは意味が違う……はずだ。反論はできないけど絶対に違うんだ。この体に流れる血がどうであれ、俺は王位なんかとは関係ない。
「……あんたと話してると罠にかかったウサギにでもなった気分になるよ」
不貞腐れる俺に悪戯っぽい笑みを浮かべ、エリッサは俺の耳を引っ張った。
「可哀想に、耳を切られたのかウサギさん?」
「からかうのは止せってば!」
特に痛くもなかったが、触られた耳がやけに熱かった。まずい感じだ。彼女の言うことを聞いてたら誤魔化されて流されて、俺が王の息子だって納得してしまいそうで怖い。
誰のためでもそんなことは認めるものか。
エリッサは、まだ俺を王子扱いしない。ずっとそうであってほしいと思う。でも彼女はあくまでも優しく俺を諭すんだ。
「もしマリクがあなたを認知していたら、あなたはこんなところで這いずっている必要などなかっただろう」
「そうだな、俺も王宮で馬鹿みたいに高価な絹の服を着て毎日踊って暮らしたかったよ」
勢い余ってそんなことを言ってからすぐに後悔した。彼女は公爵の娘なんだ。こういう皮肉は侮辱にあたるのだろうか。
べつに高貴な身分のやつらが皆して嫌な人間だなんて言うつもりはないんだ。現に彼女に対してそんな偏見は抱いてない。ただ俺は、そこに混ざりたいと思わないだけだ。
「アリスター、賢しらに諭すつもりはないよ。ただ自分自身の真実を見ろと言いたいだけだ。もしあなたが王なら、言葉一つでロゲインを処罰することもできた。それについてはどう思うんだ」
「王の言葉がなくてもやつの悪事は真実だろ?」
「だが、今のあなたに彼を裁く権利はない。血筋や地位を無視するのは自由だ。でも自分に何ができるかは知っておくべきだな。私はあなたに王であることを強制しない。だけどもし私があなたなら、その権力によって得られるものを見過ごしはしないだろう」
「お、俺は……権力なんていらない」
「本当に? グレイ・ウォーデンだとか王の隠し子だとか、そんなものは単なる肩書きだ。肩書きを恐れるな。この体が如何に穢れようとも私はクーズランドだ。その体に流れる血が何という名でもあなたはあなただ」
でもそれは、俺の存在は王という強大な名前の力で掻き消されてしまうほどちっぽけなものなんだ。だから受け入れたくない。
権力によって得られるもの? 宝石が散りばめられた王冠だとか重たいマントだとかきらびやかな金銀財宝、大勢の人間に傅かれる暮らしか? そんなもの一度だって求めなかった。
俺がほしいのは家族だ。俺を単なるアリスターとして扱い、暖かく迎えてくれる家だ。ささやかな望みだろ? そして俺がほしいものは、王になっては得られないんだ。