露草の冠



 たまに市場へ出るとエリッサの容姿を模した人形なんかが売られているのを見かける。見かけるというか、新しいのを見つけたら必ず買って帰る。俺のもあるが大抵は玉座に腰かけてるか仰々しく剣を持って立ってる姿ばかりでつまらない。犬を従えてドラゴンと対峙したり、グリフォンに跨がって剣を振りかざしたりと派手な姿の多いエリッサの小像の方が見てて楽しいんだ。
 それらは皆すべてグレイ・ウォーデンの鎧兜に身を包んで顔が分からなかった。でも問題はない。今やウォーデンといえばエリッサのことに決まっている。今世紀のブライトを退けた彼女こそがグレイ・ウォーデンという存在そのもの。顔が見えようと見えまいとこれは彼女の人形なんだ。
 時を経るにつれ、フェレルデン国王である俺がウォーデンとして扱われることはなくなっていった。ワイスハウプトも俺に関する事柄には首を突っ込まない姿勢でいる。もはやウォーデンの言葉が俺に届けられることはない。
 俺がグレイ・ウォーデンじゃなくなるなんて以前は考えもしなかったが、エリッサが躍起になって名声を集めてるのは俺の隠れ蓑になるためだと分かってるから寂しいとか不公平だとかは思わなかった。自分でも不思議なほどあの組織に未練を感じてない。心の中で亡くした仲間たちを悼んでいればそれで充分だった。知らないやつのことなど俺は知らない。
 今の俺には別の居場所があり、別の仲間がいて、別の家族を持ってるんだから。

 で、利益になるならと黙認どころか自分モチーフのアイテム製作を奨励している救世主様だが、本音としては持て囃すようなその扱いを恥ずかしく思うらしい。救世主と呼ばれ始めた最初の頃にも「自惚れ屋のバカだと言われてるみたいだ」とすごく嫌そうな顔をしていた。
 エリッサは自分の肖像画だの何だのを絶対に持ちたがらなかった。彼女がアマランシンに行ってる隙に集めた俺のコレクションも、王宮に戻るなり捨てようとしたほどだ。俺が「捨てないで!」って泣いて土下座したら考え直してくれたけど。たぶん情けなすぎて文句を言う気も失せたんだろう。
 確かに、寝室の棚に自分の小像をずらずら並べるなんてどんだけ自分大好きなんだよって感じで嫌がる気持ちはよく分かる。分かるがしかし収集をやめるつもりは一切ないぞ。元々こういう人形だとかは好きだったんだ。それが彼女のとなれば尚更好きだ。小さなエリッサが所狭しと並んでるのを見て、一人二人を手に取るだけで幸せな気持ちになれる。
 顔を隠してるからエリッサ本人にはそんなに似てないし本物の彼女は俺のもんだし、“救世主グッズ”じゃなきゃダメってことはないけど、英雄を象った品々は職人が魂籠めて作ってるからとにかく出来がいい。このグリフォンの躍動感なんて今にも動き出しそう。どこへだってひとっ飛びだ。
「アンティヴァに行きたいかー、おー!」
 グリフォンなんて見たことないけど彼女については隅々まで知ってるから、記憶と重ね合わせることでより現実味を伴ってその石の人形にエリッサの存在を見出だせる。つまり彼女がいない時の話し相手だ。こいつらには何を聞かれたって失望される心配もないからな。
「この窮屈で退屈で嘘とお世辞と遠回しな嫌味に溢れた王宮を飛び出し、きらめく海を越えて冒険の旅に出よう!」
 まあ、ちょっと虚しいけど、ちょっと楽しい。なんてったってもう一ヶ月近くまともにエリッサと話してないし、毎日似たような仕事ばかりだから余計に会えない時間が長く感じる。それを助けてくれるのがこの人形たちだ。

 彼女の像を集めててよかった。あのブライトのことを、不安と絶望に駆られながら泥に塗れて走り抜けた日々の中、彼女を好きになった想い出が、瞼の裏に浮かび上がり、手を伸ばせば触れられそうなほど鮮明になる。あの頃は朝起きてから夜眠りにつくまで、夢の中でも彼女と一緒にいられたのに。
 “勝利”と題された、静かに佇む彼女の小像を手に話しかける。
「あのさ、俺、アンティヴァに行きたいなあ」
「今?」
「冬だし、一人寝は寒いし、人肌恋しいっていうか暖かい国に行きたい……っていう、か……」
 なんか今、返事をしたな。まさか。話しかけすぎて人形に魂が宿ったのか? ゴーレム作りに成功してしまったのか? エリッサの生き霊か? いやあれはまさしく彼女の声だった。確かに彼女が俺に今って、今……。
 両手に握った小像を凝視しつつそんな馬鹿なと頭を振る。冷静になれ、俺。現実逃避はやめるんだ。そして恐る恐る背後を振り返ってみる。困惑しきりのエリッサ(本物)が俺を見つめていた。
「いっ、お、お前、帰ったんなら声かけろよ!!」
「声かけたでしょ、今」
「そうじゃなくってぇ……!」
 めちゃくちゃ恥ずかしいだろ。自分の妻を模した人形に猫なで声で話しかけてるとこを聞かれたとかもう、なんだそれ。カッコ悪いところを見られたとかそんなレベルじゃない。今までにも散々いろいろ見られてるしとっくに手遅れだとしても恥ずかしい。
 慌てて小像を棚に戻して何もなかった風を装ってみる。エリッサは目一杯の優しさで見なかったふりをしてくれた。

「で、いつ?」
「へ?」
「いつ頃に行きたいんだ?」
 一瞬なんの話かと思ったが、どうやら俺が言った「アンティヴァに行きたいなあ」に掛かっているようだ。えっと、べつにそんな真剣な話じゃないんだけど。
「うーん、やっぱり寒い季節は暖かい国が恋しくなるよなぁ、と思って。いつというか、夏は行きたくないな」
 寒いと寂しいけど暑いのもそれはそれで嫌だから。……なんか、エリッサがわりと真面目に考え込んでるのが気にかかる。単なる独り言だったんだが、もしかして行けちゃったりするんだろうかと淡い期待が芽生えつつあった。
「すぐは無理だ。春先でもよければ行ってもいいよ」
「えっ……い、いいの?」
「今から予定を立てればそれくらいの余暇は作れる。何年も留守にするわけじゃないし、一ヶ月くらいならあなたが留守でも私だけで何とかする」
「いや俺一人で行ってどうすんだよ」
 何だよ、もう。ちょっと期待しちゃっただけに落胆が大きいじゃないか。
「アンティヴァに行きたいんじゃないの?」
「お前と出かけたいの!」
 一人でならむしろ行きたくない。目的は場所じゃなくエリッサ自身だ。どこか王宮以外の場所に行って二人で過ごしたいってだけだ。なのに自分で彼女から離れてどうするんだよ。
 俺がデネリムから離れられないのはよく分かっている。足場のしっかりした強力な王ならともかく、諸侯の顔色を窺って玉座に居させてもらってるのがこの国だ。ちょっと息抜きに海外旅行、なんて望むべくもない。でも国内を巡るついでに少しくらい二人の時間を作ることはできるんじゃないかな、なんて性懲りもなく期待の目を向けていたら、エリッサは苦笑しながら頷いた。
「二人で出かけたい、ね。……うん。すぐには無理だけど、一年以内を目安に時間を作ってみるよ」
「ほ、ほんと?」
「公務もこなしてもらうけど少しはゆっくりできるようにする」
 口元がゆるむのを抑えられない。エリッサと旅行か。それはいい。すごく素敵だ。楽しみが待ってるなら公務だってそんなに苦痛じゃない。裁判でも何でも、好きなだけ持ってこい!

 そんなやり取りをしたのがちょうど半年前だ。俺は正直、すっかり忘れていた。エリッサに「明日からアンティヴァに行く」と言われても忘れたままだった。
 何人かの仕官と貴族の子弟と護衛の兵士をたくさん連れてハーパーから船に乗りアンティヴァ・シティの港へ。魚料理をたらふく食って一泊。河を遡った内地では国を牛耳る大商人たちと会い、形式化された言葉を取り交わし、いくつかの書類にサインして、あとは臣下が全部やってくれた。
 デネリムにいるのと大して変わりないそんな政務を一週間ほどこなして、たまにエリッサと二人で港町を観光なんかする時間もあって楽しかった。夏のアンティヴァも案外いいもんだな。海風が爽快だ。
 世話になってた貴族の邸宅を引き払って、仕事を終えた外交官と護衛たちはまたアンティヴァ・シティから船に乗りフェレルデンへと帰国した。俺とエリッサだけはなぜかリアルトで下船して、馬車に乗り換えて南に走る。
 日暮れ前に降ろされたのは、ブドウ畑が広がるのどかな風景にこじんまりと建つ一軒家。エリッサが御者に金を渡すと馬車は早々と来た道を引き返していった。彼女が持っていたやけに大きな荷物を家の中に運び入れる。従者の一人もいない、本当に俺と彼女の二人きりだ。
「向こうに見えてる家の主人がこの一帯の持ち主だ。今は忙しい時期だし仕事を手伝ったら小遣いをくれると思うよ」
「へぇ」
 扉を開けて入ってみると、質素だがなんとなく暖かみのある家だ。暖房はないけど風通しがいい、夏向けの住処だろう。
「彼らも時々こっちで暮らしてるから、必要なものはすべて揃ってるはずだ」
「ああ……」
 そう言いつつエリッサは荷物を広げて、中に入ってた着替えやら何やらをクローゼットに片づけていく。確かに、昨日まで誰かが普通に生活してたような家だ。今からここに住んでも差し支えないだろう。
「まるでここに住むみたいだな」
「二ヶ月だけね」
「……うん? ちょ、ちょっと待て、本当に住むのか?」
「二ヶ月だけだ」
 念を押すように言われたが、それ以前の段階で頭がついていけてないぞ俺は。

 ここへ来てようやく、あの約束のことを思い出していた。ハイエヴァーの兄のもとへでも遊びに行くのが精々だろうと思っていたものが。
 エリッサは約束を重視する。やると言ったことは必ずやるんだ。そして彼女は俺が無責任の謗りを受けずに済むように、この半年間で寝食を削って働きまくって留守中のことをファーガスというか実質はアノーラに任せ、こっちの有力者との会合を取りつけアンティヴァに来る口実を作り出した。
「あなただけならともかく、二人揃ってとなると国を放り出して何ヶ月も遊び歩くわけにはいかない。帰りにも仕事があるから実際はたったの一ヶ月半だけど……やれるだけのことはやった」
 一ヶ月半、王宮を、デネリムを、フェレルデンを離れて、エリッサと二人でこの家に暮らしてもいいのだと。王でも女王でもない二人として。普通の家、普通の暮らし、俺がいて彼女がいる。暖かく迎えてくれる家族が。
 たった一ヶ月半なんてとんでもない。この一瞬の喜びですら一生分のものだった。気持ちが溢れかえって言葉にならない。嬉しいとかありがとうとかそんなんじゃ到底足りなかった。この想いに匹敵する言葉は存在しないのかもしれない。
 馬鹿みたいに口を開けて立ち尽くしてる俺の肩に寄りかかり、エリッサは穏やかに微笑んだ。
「あまり気を抜かないように。ここにいる間もあなたが一国の王だということに変わりはない」
「あ、ああ、うん。それはもちろん……」
「領土はこれだけ、国民は私一人だけどね」
 もう駄目だと思った時には彼女に抱き着いていた。勢い余って二人して倒れ込み、床と俺に挟まれたエリッサが悲鳴をあげる。痛いとか重いとか怒られながらも、彼女にしがみついてないと体がどっかへ飛んでいきそうで怖いくらい、心が高揚していた。

 重厚な玉座も頭を締めつける王冠もない、誰かを恋した男が夢見る、この手の届く範囲の統治、彼女を養い、守り、一家の王におさまるという野望。
 一国の王という肩書きが重さを伴わない。それは愛する家族を守るということだ。俺の手にある幸せを守るということだ。彼女の幸せを守るということだ。何を苦しむ必要がある? これこそが生きる喜びだ。
 エリッサの胸に顔を埋め、泣きそうになるのを隠して「愛してる」と呟いた。もっと気の利いたことを言えればいいのに、胸のうちから素直に出てくるのは単純な言葉だけだった。愛してる。愛してる。愛してる。それがすべてだ。他に相応しい言葉なんてない。
「絶対、この国を守るよ。俺の国を。お前が生きていく場所を」
 俺の腕の中で身動ぎし、なんとか両腕を脱出させたエリッサは俺の背中を抱き返して、彼女らしくもない修飾のない言葉で「私も愛してる」と囁いた。



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