おごそかな破綻



 エルフの異民族区に向かう時は俺も一緒にいく。そう言ったらエリッサは曖昧な表情を浮かべながらも頷いた。
 そこで何が起きているにせよ、もう置き去りにされるのは御免だ。確かに俺は王位継承権を持っていて諸侯会議における重要人物かもしれないが、それは彼女についても同じことが言える。同盟の主たる彼女の支援なしに諸侯会議で支持を得ることはできないだろう。
 結局、俺の身に危険が及ぶからなんて言い分は今さら通用しないんだ。俺たち二人のどちらも欠けてはならないのだから。
 俺がドラコン砦まで助けに行ったせいか、エリッサも一人で無茶するつもりはないらしかった。ひとまずは安心だ。……ひとまずは。だが今、ロゲインの陰謀を探りに行くより前にもっと重大な問題に直面している。
 これを“問題”だと感じてるのは残念ながら俺だけかもしれないが。

 素知らぬ顔をしてる彼女は、いつ切り出すつもりでいるんだろう。俺の方から尋ねなきゃいけないのか。
「さっきアノーラと話したんだ」
「ああ。彼女をどう思う?」
 言動や考え方が父親にそっくりらしいってのを差し引いてもあまり好きになれない女だな。……と言ってしまいたいところだが、アノーラが聡明な人間だというのも実は否定できない。
 王たり得る野心も重責を担うだけの能力も充分に持っている、彼女が女王でなぜいけないんだと俺でも思うくらいだ。こういう状況じゃなければ敬意を抱いて然るべき相手だろう。いや実際、好き嫌いはさておきアノーラを尊敬している部分もある。
 だが、どう思う、だって? 平然と聞けるエリッサの神経こそ理解できないぜ。俺がどう思うのかなんて少しも気にしてないくせに。でなけりゃ、あんなこと……。
「牛の品定めでもするみたいに俺を見るから、なんでそんな目をするのか聞いたんだ。そうしたら彼女、『まるでケイランの双子と結婚するみたいね』だってさ。……俺の聞き間違いだったらいいんだけどな」
「言うほどケイランには似てないよ」
「そんなことを言いたいんじゃない。分かってるだろう。お前、アノーラと何を話したんだ?」
「彼女を支持するよう頼まれたので、あなた達の結婚を条件に承諾した」
 常々エリッサの考えてることがよく分からないと思い悩んできたものだが、時々彼女自身も分かってないんじゃないかと思う。いっそのことそうあってほしいくらいだ。
 ケイランの妻と……ロゲインの娘と俺が結婚するなんて、最悪を通り越して……もう何て言えばいいかも分からない。
「……俺たちはどうなるんだ?」
「アリスター、私たちなんてものはない」
「ああ、はっきり言ってくれてありがとよ、考えもしなかったぜ。でもお前は、平気なのか。何とも思わないのか?」
「何を思う必要が?」
 未来があるとは思えない、彼女は最初からそう言ってたじゃないか。束の間の幸せな夢がここで終わる、その時が来るのが思ってたよりずっと早かった……それだけのことだ。

 泣いて喚いて暴れたかった。そうやって何かが変わるなら喜んで実行するが、生憎とエリッサは考え抜いて出した結論を簡単に覆したりしない。俺が思いつくような文句は彼女も想定しているだろうし、非の打ち所のない反論が用意されてるはずだ。
 言い負かされるために話し合うなんて馬鹿馬鹿しい。説得を試みるのはほとんど無意味だと言えた。
「分かった。お前はそれが必要だと思うんだな? とりあえずは承諾しよう。それじゃあ、どうしてそうすべきだと思うのか教えてくれよ」
「あなたが玉座に就いて、アノーラが統治する。これ以上の案があるなら教えてほしい」
「なるほどね。でかい椅子に俺を飾っといて、その裏で実権を握れたら彼女は満足だろうな」
「そう悪いものじゃないよ、アリスター。あなたが統治に興味を示せば彼女は協力してくれるはずだ。言いなりになるわけじゃない、二人で協力してフェレルデンを治めるんだ」

 自分が今どんな顔をしてるか想像できなかった。きっと笑ってるんじゃないだろうか。教会にいた頃みたいに。似た者同士で友情を育んでいくやつらを尻目にどこへも馴染めず、何もかもを誤魔化してへらへら笑っていた頃のように。
 一度も、嬉しくて笑ったことなんてなかったが。感情を受け止めきれなくなると薄ら笑いで誤魔化す癖がついている。よっぽど俺の顔が不気味だったのか、エリッサは気まずそうに見上げてきた。
「……あなたにとって私との関係が重要だったのは分かってる。でも、それは唯一のものじゃない。愛のない結婚が嫌なら、アノーラを愛すればいいんだ」
「すごい、名案だな。最高だよ。それでよく“分かってる”なんて言えたもんだ」
「聞け。あなたはいい王になると思う。でもそれには時間が必要だ。諸侯はあなたを知らない。アノーラの持つ信頼があなたの成長の支えになるだろう。私は考え得る最善の提案をしてるだけだ。もっと優れた案があるなら従う」
 エリッサの言い分は理解できる。俺はたぶんアノーラを好きになれるだろう。結婚してしまえばいつかは彼女を家族として受け入れると思う。
 でも、できるかどうかは問題じゃない。馬の鞍でも付け替えるみたいに「他の女を愛せ」なんて言われたくなかった。躊躇いさえ見せない、惜しんでもくれない、彼女にとってこの想いは考慮する価値もないものだということが、悲しいだけだ。

 まあ俺は、椅子に座って人に命令をくだすのは性に合わないタイプだ。そうやって誰かの運命を握るのも怖くて堪らない。確かに、俺が一人で王になるより野心も能力も充分あるやつが側で助けてくれた方がいいに決まってる。イーモン伯爵も同意するだろう。
 エリッサの計画は、俺の気持ちを丸っきり無視している他はフェレルデンの玉座にとってまさしく最善だった。それを覆せるほどの良案を思いつけるか?
「……前に、『今から結婚するか』って言ったよな。それは? お前がクーズランド公爵の娘だってことは皆が知ってる。アノーラが持ってるものはお前にだって差し出せるんじゃないのか」
「何? あれはただの冗談だ。分かってるだろう」
「冗談じゃなくなってもいいと思うけど」
 アノーラと俺の結婚はいわば同盟だ。諸侯会議が終わり次第、ロゲインに従っていた貴族は俺ではなく彼女に忠誠を誓うだろう。内乱がおさまっても派閥は別たれたまま、敵対しないために彼女と手を組むんだ。
 逆に言えば、それは弱味を晒すことにもなるだろう。俺は彼らに“支持してもらわなければ”王でいられない。アノーラの助けを得なければ立てないと証明してしまう。……ケイランみたいに。
 その点エリッサはどうだ? 彼女はハウ伯爵の悪事を公にし、その主君であるロゲインについても不正の責任を問える立場にある。
 彼女と結婚すれば、今まで敵対していた者たちは諸侯会議のあとには俺に対して多大な発言力のある支持者ではなく、単なる敗者として王に従うことになる。たぶん、アノーラの権力に頼らなければ王たり得ないと思われるよりもいい。
 俺は諸侯会議で妥協ではなく勝利を示さなければならない。そんな風に言えば説得できるかもしれない。でもこれを口にする気になれなかった。その方が役に立つからとかなんとか、そんなことで彼女に妥協させるのは嫌だ。俺は俺自身を、彼女自身に望んでもらいたいんだ。

「俺は確かに王の血を引いてるかもしれないが、メイドの息子だし、いきなり出てきた隠し子だ。諸侯会議が気にするのはそれだろ? だったら農民の娘より公爵の娘と結婚した方がいいんじゃないか?」
「私はもう公爵の娘じゃない」
「確かに。俺が王になればハイエヴァーはお前のものになる。お前自身が公爵だ」
 少し驚いてはいるようだが、彼女は意見を変えそうになかった。俺の案も悪くはないと思う。だが今のところ最善だとは言い難い。エリッサは最後のクーズランドとしてある程度の影響力を持っているが、アノーラほどではないからだ。
「私ではアノーラの代替にならない。あなたの正統性を保証するには力が足りない」
 もしアノーラがこの世に存在しなくて、それが唯一の方法なら彼女は考えてくれただろうけど、残念ながら現状ではアノーラの方がより良い相手であるのは事実だった。俺にとってではなく、少なくとも、王にとっては。

「でもグレイ・ウォーデンとしての行動によってお前は皆に知られてる」
「そう、クーズランドの名よりも。……内乱を忌避する者なら誰でも二人の候補者を結びつけたいと考える。正統な後継者と有能な統治者。なのにアノーラという支持者を捨てて私と結婚なんかすれば、グレイ・ウォーデンを王にしたと見られてしまうだろう」
「二人揃ってウォーデンをやめたらどうだ。王に命じられたらできるだろう? 俺がクーズランド家の名誉を取り戻し、お前をウォーデンではなく一人の貴族に戻したら……」
「どうしたって私があなたと結婚することに意味はない」
 意味はない。……分かってたが、はっきり言葉にされると堪える。俺の顔を見られないとでも言うように、エリッサはふと目を逸らした。この痛みから考えるに、俺は今よっぽどの顔をしてるんだろうな。
「……俺にとって重要なことだってのはちゃんと分かってくれてるんだよな?」
「だがあなたは承諾した。そうすべきだと納得した。この会話は不毛だ。ただ不満を伝えておきたいだけだろう」
「はあ……、そうだな。返す言葉もないよ」
 前に彼女の言ってたことが分かった気がする。俺が王だったら、人を動かす力を持ってれば、失わずに済んだものや手に入ったかもしれないものが想像もつかないくらいたくさんあるんだろう。
 そして俺は、今更なくしたものの一つに彼女を加える気はない。傷ついて嫌になって見ないふりするのはやめにしたんだ。大事なものを失わないためなら何でもできる。
 アノーラとの結婚が最善の策である限り、エリッサは俺から離れていくだろう。だったらその選択を一番ではなくしてしまえばいい。例え彼女の意思に背いてでも。

「ところで、もし俺がアノーラと結婚したら、お前はどうするんだ?」
「王の命じるままに。何もなければここに留まり二人の手助けをしたいな。でも、私の存在が邪魔になるなら姿を消すよ。私のことはきっちり終わりにしてあなたはアノーラを見るべきだ」
「なあ、おい、俺まだお前に恋してるんだけど? 次の相手を見繕ってやるからさっさと気持ちを切り替えろって、今までの恋人にもそんなひどい終わらせ方をしてきたのか?」
「あなたは彼女と結婚すべきだ。それが一番、誰にとってもいいことだ。あなたのためになると思っていなければこんな提案はしない。酷いことを言ってるのは、分かってるよ」
 それは幸いだ。俺の望む形ではないにしろ彼女は……彼女なりの感覚でとにかく俺を想ってくれている。正直言って傷つけられることも多々あるが、それでも彼女が悪意を以て俺に接した記憶はない。
 エリッサは為すべきことをしているだけだ。いつだってそうだった。
「アリスター、他に言いたいことはあるか?」
「ありすぎて分からない。今のところはもういいよ」
「そう……」
 壁に凭れかかって天井を睨む。座り込んでいじけたい気分だったが、今それをやると立ち上がる気力はなさそうだ。全身に疲労感が纏いつくようだった。異民族区では楽に済めばいいが、たぶん無理だろう。まだまだ波乱の気配が消えない。

 俺が結婚に承諾したことをアノーラに報告してくると言って背を向けたエリッサは入り口で足を止め、困惑した面持ちで振り返った。一応、これ以上俺を不愉快にすることには躊躇いがあるらしい。ただそれだけで少し安堵してしまう。
「まだ何かあるのか?」
「……私はロゲインを生かしたい。会議がどうなるにせよ、彼を殺さないでほしいんだ」
「な……、なんだって?」
「彼には利用価値がある。フェレルデンにはもう、指揮官クラスの人間を失う余裕がない。それに、アノーラと結婚すれば彼はあなたの父親になるんだ。彼が死ねばアノーラはあなたと結婚しないだろう」
「ああ、最低なことを思い出させてくれてありがとよ。ついでに俺があいつをどれだけ憎んでるかも思い出してくれ」
「ウォーデンとしてではなく、この国の王として彼を見ろ。憎しみを捨てるんだ。それは何も与えてくれない。……私は未来に何も望まない。でもあなたには、過去から解放されてほしい」
「それは……」
 ハウ伯爵のことを言ってるのか。彼女は許したがっていた。しかし叶わなかった。だから俺にそれをやれっていうのか? 俺がそう尋ねる言葉を待たず、彼女は部屋を出て行った。

 いつだったか、エリッサは俺にもっと自分のことを考えろと言ってくれたが、同じ台詞を返してやりたかった。
 俺のためとか国のためとか、ブライトに立ち向かうためじゃなく、お前の望みは? お前自身のしたいことは? 本当に何もないのか?
 かつて得るはずだった未来はとうに奪われてしまった。ウォーデンではない彼女はどんなだっただろうと思う。貴族の娘として、然るべき人と結婚し、子供を産んで、家を存続させ……、それも義務には違いないが、彼女自身の望むことだった。
 使命のためだけに生きて死ぬ、グレイ・ウォーデンには許されない、人としての営みが彼女の求める夢だ。
「じゃあ、結婚するか……? どうしてあんな冗談を言ったんだよ」
 あれは本心だったんじゃないのか。帰る家を、迎えてくれる家族を熱望しているのは俺だけではないだろう。
 俺の見た夢はまだ叶うと彼女は言った。そして俺は、その夢に彼女を招くこともできるんじゃないのか?



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