きっと最後にのこるもの



 エリッサ・クーズランド。姓を名乗ってはいないが、こいつがそうなのだとは少し会話して分かった。アダマントに集結中の面々と未だに合流することなく一人気儘に南部を彷徨いてるウォーデンなんか他にいない。提督であるクラレルの命令を意に介さず自分の意志で行動できるのはフェレルデンの救世主だけだ。
 現代のブライトを退けた伝説的英雄、あらゆるウォーデンが目指す頂点。彼女はフェレルデンのウォーデン提督という地位においてクラレルと同等であり、セダス南部に築いた名声ではクラレル以上だった。
 我らが主は悪魔の軍勢を作り出すために多くのグレイ・ウォーデンを欲している。計画当初、その筆頭が彼女だった。クーズランドの号令があれば、パニックに陥った南部のウォーデンに飽き足らず遠く北の僻地アンダーフェルスを動かすことさえ可能だったかもしれない。
 そしてまた彼女は、必然であったはずの犠牲を免れるという離れ業をやってのけた。コリーフィウスの興味はそこにある。
 ブライトに挑むグレイ・ウォーデンは血の穢れを利用してアーチデーモンの魂をその身に宿し、自らの魂と引き換えに相討ちにて不死の邪竜を破壊する。美竜ユーサミエルを討ち果たしたクーズランドは本来なら第五次ブライトの終わりと共に死んでいるはずだった。だが見ての通り、彼女はここに生きている。
 肉体が死した時の替え玉としてウォーデンを侍らせるコリーフィウスには、彼女の存在は謎であり、脅威にもなり得る。取り憑いて次の体にしようとした器に魂を破壊されるかもしれないから。主はクーズランドを探していた。捕らえてその内部を調べるか、あるいは単に引き裂いて殺すために。
 しかし結局コリーフィウスの魔手は行方不明の彼女に届かず、呼び声の恐怖を利用した支配の計画にはオーレイ所属のウォーデンを束ねていたクラレルを使うこととなった。

 お陰さまでエリモンドの用意する軍は不完全なものになるだろう。聞くところによると、現にクラレルの命令に反発して姿を隠している者もちらほら見受けられるとか。とうのクラレル本人ですら自分の掲げた正義に疑問を感じているらしいから統率への道程は前途多難だ。
 神になろうという者にだって軍を集めるにあたってはそれなりの大義名分を求められる。下僕に変えてしまえば意のままだろうが、従えるべき人々を引き寄せるには甘い餌が必要だ。
 血の穢れによる繋がりを持つウォーデンを生け贄に捧げなければ、支配の儀式で魔道士の精神を虜にすることはできない。そしてもしウォーデン戦士が策謀に気づいて一斉に反抗でもすれば数で劣る魔道士は負けるだろう。ブライトを防ぐために地底回廊へ攻め込むなどという戯言を、全員に心から信じさせなければ意味がなかった。
 幸運にもコリーフィウスの目を逃れていたクーズランドは今、愚かしくも自らその領域に飛び込もうとしていた。仲間を助けるためではもちろんない。自分自身を守るためだ。
 穢れた肉体に響く呼び声を癒すべくフェイドへ忍び込もうとしている。グレイ・ウォーデンを破滅へと導く、恐怖そのものが待ち構えている夢の世界へ。その計画を打ち明けられた俺は「ああこいつの脳味噌はもう駄目になってるようだな」と納得した。
 なあ知っているのか女王陛下? あんたの家にもヴェナトリの目は光っている。あんたの旦那も狙われてるんだぜ。為せるかも分からない夢を追うより目の前の現実に死守しなきゃならないものがあるだろうよ。教えてやるほど俺は親切じゃないがな。
 どうせ創造主の定めし運命からは逃げられやしないんだ。呼び声に喰われて死ぬか、悪魔召喚の生け贄にされて死ぬか、あるいはコリーフィウスに殺されるか。何をやっても結局は同じことだ。だったら……せめて最期の時までは大人しく家に居ればよかったのに。

 暇潰しと言いながら騎士たちの“治療”に励むクーズランドの全身は活力に満ちている。痛みに悶絶して悲鳴をあげる俺の部下を見つめては、心なしか目を輝かせてニヤニヤ笑っている。明らかに暴力を楽しんでるな。にもかかわらず、とてもそうは見えないが、彼女は確かに死の淵に立っているんだ。
 彼女の耳にはウォーデンの最期を告げる音楽が聞こえている。元々は、死出の旅だったのだそうだ。しかしあの天の亀裂が開かれたせいで目的を果たす前に故郷へと戻る理由ができてしまった。
 フェレルデンの様子を探り、可能な助けを与えるために帰ろうとした。そのために獅子の地までやって来たと言った。だが天の亀裂に近づくほど狂気が強まりこれ以上は行けないのだと。そんな偶然の道行きで彼女は俺たちを見つけたのだ。
 カルパーニアが器としての優れた素質を明らかにしてコリーフィウスは御機嫌だった。なんせまだギリギリ利用価値のあるゴミに過ぎない俺とは違い、あの女は旧き良きテヴィンターって幻想を主と分かち合っているのだから。比べるまでもないだろうが、主が手元に残したがったのは俺ではなくカルパーニアだった。
 俺と騎士たちには新たな仕事が与えられた。それは今までやってきたことの延長でもあった。レッドリリウムの栽培だ。赤いテンプル騎士団を維持するためにオーレイ中の鉱山を赤く染めた。それでも足りない穢れの供給量を増やす必要があった。レッドリリウムの穢れに対して耐性に優れ、摂取してもすぐには死なない俺たち自身の身体を苗床にした。もちろん使い捨ての農民どもに植えつけるより収穫は余程大きい。俺たち全員が弱り果てて死ぬまでにどれほどのリリウムを製造できるだろうか。
 そして俺は、こいつらを連れて採石場から逃げ出した。救われるためではなくマシな死に方をするためだ。べつに使い捨てられてもいい。倫理を問うつもりもない。正義など糞食らえだ。だがどうせ死ぬなら騎士らしく死にたいものだ。だから家畜以下の立場から逃げ出した。
 そんな意地も現実には呆気なく尽きて、赤いテンプル騎士団からですら落ちこぼれた俺たちは皆で死を待ちながら雪原に転がっていた。マドックスがいたので辛うじて息をしているだけだった。
 で、彼女がやってきた。俺たちを見て、珍しい花でも摘み取るように、躊躇なく剣を突き立て血肉ごとレッドリリウムを抉り出してしまった。

 初めて顔を合わせた時から賢しげに説教を垂れる教母みたいに感情を露にしない女だったが、クーズランドは徐々にその傾向を強めていた。残虐さを感じるほど何事にも躊躇いがない。
 彼女は失われゆく自我を守るために静寂の儀式を行おうとしている。魔道士でもない彼女が正しい儀式に臨めるはずもなく、仮に成功したところでマドックスのように完全な静者になるわけではない。しかし、真似事ならできるだろう。
 穢れに冒された生物の身体にはフェイドの魔法、それも深淵の魔力が常に流れ込んでいる。身体と心の内側に口を開いた裂け目のようなもの。分かりやすい例は魔力を持たないはずのドワーフを素体としているダークスポーン、通称ジェンロックがそこらのサークル・オブ・メジャイよりも強力な魔法を呼び出すことだ。ウォーデンやダークスポーン、そして俺たち赤いテンプル騎士も、魔道士ではないが、ある種の魔法を持っている。
 静者化を定められた魔道士はヴェイルを越えてフェイドに入り、精神をそこに置き去りにして……肉体を覚醒させる。心を夢の中に封じてしまうわけだ。そうすりゃ中身は空っぽの静者が完成。クーズランドはそれをリリウムも魔法もなしでやろうとしていた。
 研ぎ澄まされた自制心によって精神に仕切りを立てる。内からも外からも傷つけられない障壁で封じてしまう。彼女の心は世界の影響も及ばない深淵に置き捨てられる。どうも彼女はテンプル騎士の修行方法を聞きかじって知っているようだ。
 確かに静者となってしまえば穢れの侵攻を食い止めることはできるかもしれない。だがそれは即ち自分の心を殺すことにもなり得ると、この女はちゃんと理解してるのか? 何も考えることなく何を為すこともなく、ただ息を吸って吐くだけのモノを生者と呼べるのか。成功すれば、そうなってしまうかもしれないんだ。

 いずれ音楽が自己を完全に凌駕する。暗闇に恋い焦がれ、思考せず行動もせず、ただ腐敗して朽ち果てるだけの運命が待っている。そうならないために敢えて心を手放すという。己の核を守るために他のすべてを見捨てようとしている。
 抜け殻となった身体には怒りも喜びも愛も憎しみも如何なる感情も沸き起こりはしない。比類なき静寂の奥底に強固な結界を作り出して自分自身と呼ぶべきものをしまっておく。だがそれを取り出せるのか? いつか人間らしくあった日々に、本当に戻れるのか? 肉が朽ちるまで静者のままなら……心を切り離してまで生きる意味はない。
 そんなことはクーズランドも重々承知のようで、俺の疑わしげな問いに彼女は「過去になくしてしまったものを取り戻せはしないだろうが、忘れてしまったものならきっと思い出せる」と答えた。
 穢れから身を潜めてやり過ごし、この混乱がおさまった暁には、隠しておいたものを取り出してエリッサ・クーズランドに戻る。彼女はそのつもりだ。俺は、うまくいくとも思えなかった。
 ビジルにも似たそのやり方は不完全で不安定で、もし失敗すれば彼女の心は永久に喪われるだろう。命を守るという目的に反してるんじゃないのか。

 クーズランドはしばらく留まるつもりらしい。この女に助けられたんだろうかと考えることがある。そうとも言えるかもしれないが、だから何ということもない。俺たちは教会にもコリーフィウスにも捨てられた用済みのゴミクズだ。あちらさんも通りすがりの気まぐれにそれを拾ってみただけ。感謝を求めも捧げもしない、一瞬道が交差しただけの話じゃないか。
 尤も、気まぐれで赤いテンプル騎士を助けるなんて行為が相当イカれてるのは事実だ。あてもなく歩いてる間、野性動物だって俺たちに近づかないくらいの知恵はあったってのに、彼女にはそれがない。
 病に冒されている者が治癒を経ずして同じ病にかかることがないように、既にダークスポーンの血なんて物騒なものを飲み干しているウォーデンの女は躊躇せずレッドリリウムに触れることができた。身体を穢れに、心を狂気に冒されつつあるクーズランドにとっては、赤いテンプル騎士の存在など今さら恐れるに足りないのだった。
 価値を見出だされず、やさぐれて道を踏み外し、他人に無視されることに慣れていた騎士団のやつらの中には、彼女に淡い憧れを抱きつつある者も出始めている。ただ人間らしく扱われたというだけで。
 そう簡単に誰かを欲するもんじゃない。運命が無能者に報いることは滅多にないと俺たちは痛感しているはずだ。ましてこの女は最初から他人のモノだった。まあ、まだ生き足掻く道を切り拓いてくれたことに感謝はしているが。だから、彼女の先行きを案じるくらいはする。
 最後の希望にすら見放された俺たちには祈りを捧げるべき神もいない。ただ単純に、願うだけだ。世界が見放した落伍者を気まぐれに助けた彼女が、クーズランドが、満足のいく形で死を迎えられるように。為したことに相応しい報いがあるように。
 そんなことすら叶えられないほど、この世界が見下げ果てた荒野ではないと、もう少し信じていたい。



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