きみがいない楽園



 セダス南部からグレイ・ウォーデンを追放して以来、ブライトの傷も未だ癒えないフェレルデンでは審問会に対する疑惑の念が少しずつ強まっている。聞くところによるとホークの先導を逃れた者たちはアンダーフェルスへ行くのを拒み、アリスター王を頼って海越え山越えデネリムに向かっているのだとか。
 自身も妻もウォーデンの一員である王は当然のように彼らを受け入れた。アダマントにおいてクラレル提督は過ちを犯したかもしれないが、命令に対して忠実であっただけの兵士たちを罪に問うわけにはいかないと王は言った。方法が間違っていたとしてもブライトから世界を守りたいという想いは真実だったのだから。審問会に好意的な民衆も、この件に関しては全面的に王の言葉に同意しているようだ。
 ブライトの問題がある。次にアーチデーモンが目覚めた時、いったい誰がダークスポーンの軍勢と戦うのか? 歴史を辿れば前回のブライトから十数年で次が起こったことはない、そんな曖昧な希望に縋っているのが現状だ。実際グレイ・ウォーデンなしでブライトとどう戦えばいいのか私にはさっぱり分からない。
 だけど私だってウォーデンを裁きたいなんて思っているわけじゃないんだ。追放したのは罪に対する処罰ではなく彼らが穢れを通じてコリーフィウスの手に落ちてしまう可能性があったからだ。スカイホールドに危険を留め置くわけにはいかなかった。今は南から離れておく方が彼らのためにもなる。それに、アンダーフェルスなら私たちよりもうまくウォーデンの問題に対処できるだろう。
 もし万が一すぐに次のブライトが起きたら彼らを呼び戻すことだって……たぶん……できない、のかな?

 解決法も見出だされないまま断行してしまったのはよくなかった。だけど緊急のことだったし、考えてる時間もなかったし、今だって同じ決断をくだすとは思う。他にどうしようもなかったんだ。
 そんな危うい状態でギャスパール大公が即位した。審問会が、私が彼を選んだのだ。オーレイ帝国は今までよりも明確に、己こそが我々の第一の支援者であることを世界に告げた。シュヴァリエが加わり審問会の軍は精強さを増し、各国への影響力も格段に高まった。追従する者も膨れ上がった。
 そしてフェレルデンは慎重になった。表立って審問会に敵意を露にするほど険悪じゃない。だけどこちらの戦いに快く支援を申し出てくれるわけでもない。かの国は我々とオーレイの同盟を自分たちへの牽制のように感じ、悪いことにはギャスパール自身、同じことを考えている。いずれ審問会の存在を圧力として国土を拡げようと目論んでいるのだ。
 他の国々もまた、私たちが両国をどう扱うのかに注目していた。今フェレルデンに無理を強いればオーレイの力を借りて従属を迫っているように見られてしまうだろう。

 レリアナの提案でフェレルデンの救世主を探すことになったのは私たちがアダマントの砦から撤収してきた直後だった。ブライトの調査をしているという彼女の足取りを追って密偵を放ち、音沙汰がないまま待つこと二ヶ月。進展があったのはオーレイ帝国の争乱を片づけてスカイホールドに帰ってきた時だった。
 我々が彼女の協力を欲する理由は変わりつつあった。セダス全土のどこの国よりもフェレルデンで絶大な人気を誇る救世主が審問会を支持してくれれば、グレイ・ウォーデンの追放とギャスパールの即位が及ぼした影響とも釣り合いがとれる。彼女が国を導いてくれるだろう。「審問会の判断は我々を脅かすものではない」と、彼女に保証してもらいたいんだ。
 味方にするためというよりも敵ではないと皆に知らしめるために、救世主の存在を求めている。そして私たちはようやくエリッサ・クーズランドに辿り着いたのだった。
 救世主からの手紙に新たな情報はなかった。彼女はコリーフィウスとの戦いに役立つようなことは何も知らないと言っており、レリアナは「そんなはずがない」と少し怒っていた。また審問会への支援要請に関しては「協力したいと思っているが、私には進むべき別の道があり、呼び声を癒すまでは帰れない」と……やんわり逃げられてしまった気がする。
 だけど彼女が呼び声を癒す手段を見つけ、グレイ・ウォーデンが穢れの支配下から逃れられるなら追放を取り消すことだってできる。それを公表すればウォーデンの不在に戸惑う人々を安心させられるだろう。その許可を求めるため、アリスター王と会うことにした。呼び声について話すならウォーデンの秘密も明かさなければならなくなる。

 私は今、救世主からの手紙を携えてブロナック城にいる。デネリムまで行くのは憚られるうえに遠く、スカイホールドに呼びつけるわけにもいかず、会うならば審問会の旗のもとでとアリスター王が気遣ってくれた。連絡を取ってから驚くべき速さでブロナック城にやってきた彼は、私の提案に難色を示した。
「グレイ・ウォーデンの秘密主義は保身のためだ。バレたら組織の存続も危ぶまれるようなことがたくさんあるんでね。呼び声もその一つだ。無惨な最期を知りながら俺たちに加わろうとする者はそういない」
「でも失墜したウォーデンの名誉を回復するに秘密を明かすべきでは? 彼らの払ってきた犠牲を、真実を知ればアダマントでの行動だって、」
「秘密を明かせば余計に名誉を失うよ。だからこそ秘密なのさ。俺たちは、憎まれ嫌われ軽蔑され排斥されても構わないが、“いなくなる”わけにはいかないんだ。アーチデーモンを殺すにはウォーデンの存在が必須だ……少なくとも、そう言われているから」
「言われている、って?」
「知らないだけで、もしかしたら他にも方法があるかもしれないだろ。しかし、だとしたらウォーデンなんて最初から必要なかったってことだ。徴兵された者、名誉を信じて加わった者、過去に遡ってあらゆるウォーデンは最初の者たちに騙されて無駄に穢れを受けたことになる」
 まるでアリスター王自身がグレイ・ウォーデンを疑っているかのような言葉に困った。というか、戸惑っていた。彼らと敵対したいわけではないと証明するために来たのに、とうのウォーデン自身から「むしろ敵対すべき相手である可能性がある」と言われてしまった。

 でも思い返せばフェレルデンの救世主が“独自にブライトの調査をしている”のもおかしな話だ。クラレルだって有事に際してアンダーフェルスの指示を仰ぐことなく独断専行に走った。彼らは連携がとれていない。上層部を信じてないんだ。
 そもそも南部にいるウォーデンが全滅の危機に瀕している時でさえ北方の司令部からは何の音沙汰もなかった。天が引き裂かれて以来、世界は大きく変化を続けている。これもその一つなのかもしれない。
 当たり前に正しいと信じてきたことが多々覆されているこの時代、人間が犯した罪への罰だというブライトにウォーデンだけが立ち向かっている事実も深く考え直してみるべきではないのか。
「なんで俺だけがこんな仕事しなくちゃいけないんだって、誰でも思うことだろ? それが本当に俺たちにしかできないならウォーデンの存続のために秘密を明かすわけにはいかない。だがもし他の方法が見つかったら、何もかも明かして兵士たちを解放すべきだ。非道な徴兵が二度と行われないように」
 秘密の闇に潜んで孤独な使命と戦っていたグレイ・ウォーデンは良くも悪くも光のもとへ歩み出でつつあった。彼らの払ってきた犠牲が必要不可欠なものではなかったとしたら過ちを正すには遅すぎる。だけどもしそれが真実なら一刻も早く明かさなければ、犠牲者は増え続ける一方だ。

 それでもウォーデンに関しては、ひとまずそっとしておくしかないだろう。何よりもコリーフィウスの排除が最優先だ。偽の呼び声が響いている限り彼らの問題に取りかかることはできない。その間に、アンダーフェルスへ向かった者たちにも動きがあるかもしれない。
 ともあれ追放の件に関しては、難しい立場ではあるが審問会に敵対するつもりはないとアリスター王は保証した。どんな声が聞こえても自分の言葉がフェレルデンの意志だと。そして彼は不意に目を逸らし、何かを言い淀みながら頭を掻いた。
「審問官……その、何も協力してやれない状況で、申し訳ないんだが、もしよかったら……なんていうか……」
 それっきり口を閉ざしてしまった王にしばらく首を傾げ、やがて私が持ってきたもののことを思い出した。フェレルデンの救世主からの手紙。私に宛てた当たり障りのない文章だけれど、彼に見せたいと思ってたんだ。
 紙一枚の手短なそれを手渡す。アリスター王は神妙に受け取り、真顔で目を通した。まさか偽物だったんだろうかと疑うほどの険しい顔つきが、後半に差し掛かって徐々に緩み、すぐに破顔した。喜びが溢れ出さないよう我慢してわざと眉間にしわを寄せてただけみたいだ。
 最後の署名を優しく指でなぞり、ゆっくりと手紙から顔をあげ、彼は立ち上がって窓の方へ歩いていった。そして大きく息を吸い込み、空に向かって
「だったら連絡を寄越しやがれってんだよバーーーーカ!!」
 ……と叫んだ。部屋の外がざわめいている。許可なく誰も入ってこないように予め言っておいてよかった。

 むしろふざけているようにも見えるほど真剣な表情を作って戻ったアリスター王は再び椅子に腰かけると私に囁いた。
「俺がバカって言ったのは内緒にしてくれ。殺されるかもしれない」
「は、はあ」
 手紙を、彼女の文字を何度も何度も読み返し、視線の位置から察するに“我が王に再会するため”という部分で至福の笑みを浮かべる。彼女が無事でいる。それをアリスター王に伝えられた。私もささやかな喜びを噛み締めていた。
 だけどそんな暖かい雰囲気も束の間、愛しげに手紙を見つめる彼の表情が急に翳りを見せる。文面の最後の方を穴が開くほど見つめて呟く。
「“彼の”王国だと?」
「え?」
「なあ、審問官」
 王は私を見ていない。一切の表情をなくし、手紙の文字を虚ろな目で眺めていた。
「なぜ彼女は見つかる気になったんだろう?」
「え……それは、」
 膨大な資金と時間をかけて審問会が徹底的に探したから見つけられたんだ。かつてレリアナたちが探した時よりも今の私たちはずっと力がある。遠い街の細かな路地まで目を向けることもできる。だから……だけど……救世主を探す熱心さで言えば、審問会が発足する前の方がずっとずっと切迫していた。
 人の住む領域を抜け出てから彼女は完璧に足跡を消していた。目撃情報なら時々あった。だけど、いつそこに現れ、いつどこへ旅立ったのか、彼女の辿った道筋はまったく見極められなかった。結局は調査中の密偵が予想もしなかった場所で唐突に彼女を発見したんだ。そう、偶然見つけたに等しかった。あれだけ必死に探していたのに“運良く”ばったり出会ったのだ。
「あいつは、本当に自分で……最後、を覚悟するまで、連絡してこない。居場所を知り、無事を知れば俺が待ち続けるのを分かってるからな。だから音沙汰がないのは、彼女が無事でいる証……だと……思っていた」
 まだ隠れ続けているつもりなら、それは不可能じゃなかったはずだ。なぜ彼女は見つかる気になったんだ?

 絶句する私の前で、アリスター王の目は何か強い輝きを取り戻していた。彼は手紙から私に視線を移し、「セリーンが死んだそうだな」と尋ねた。唐突な質問に驚きながら頷く。それはあまり考えたくない事柄だったけれど、幸いにも彼の興味は他にあったようで、女帝の死について質されることはなかった。
「ギャスパールが皇帝になるなら、女帝の神秘顧問がどうなったか知らないか?」
「えっ……、あ、ああ、モリガンならスカイホールドにいる。連絡役と、それ以上に魔法の専門家として私たちに協力してくれている」
 そうか、モリガンは救世主の旅に同行してたんだから、アリスター王とも仲間だったんだ。妙な感じだけど。モリガンとアリスター王が協力して戦っているところはなぜかまったく想像できない。レリアナならすぐに想像できるのに。
 モリガンは救世主に対して何か後悔があるようだった。そのせいか、レリアナと違って彼女を探すことには賛成しない様子だった。王は一人納得したように小さく頷いた。
「エリッサの足取りをまだ追えていた段階で、彼女がオーレイの宮廷に寄ったのは分かってる。ちょうど行方を眩ましていたモリガンが姿を現した時期だ。もし彼女が何かを託すとしたらあの魔女だ」
 らしくもなく憎々しげな声音が意外だった。アリスター王はモリガンをかなり嫌っているようだ。しかも彼女が救世主の居場所を知ってると考えている。
「モリガンに尋ねてみようか?」
「あの根性曲がりの邪悪な鳥女がまともに答えるわけがないさ」
「そ、そこまで言わなくても」
 鳥女ってどういう意味だろうと悩む私をよそに何事かに考えを巡らせたあと、彼は持っていた手紙を私に返した。よければ差し上げると言ったけれど彼は「それは俺宛じゃないからな」と首を振る。

「連絡をありがとう審問官。あいつが、どうにかすれば手の届くところにいると分かってよかったよ。ウォーデンの件は気にするな、追放はいい機会だ。伝承を鵜呑みにして怠惰に生きる時代は終わったってことさ。……まあ、うちの救世主様ならそう言うだろう」
「彼女を探すのか?」
 皮肉っぽい顔でアリスター王は「まだ無理だな」と笑った。切なげではあっても悲壮な色が消えているのに安堵する。何にせよ“まだ”彼女が生きているのは確かだと知っただけでも大きな救いとなったようだ。
「あんた方が見つけた場所にはもういないと思う。だが、次の機会を逃すつもりはない」
「……なんだか珍しい獣でも捕まえようとしてるみたいだ」
「獣ねぇ、あながち間違いでもないな。……あいつはいつもそうだ。自分勝手に全部背負って突っ走って苦しんで死にそうになって、一度だって俺に助けを求めようとしない。帰ってくると信じて首輪を外したのに、結局は俺が探しに行ってやらなきゃいけないんだ」
 く、首輪? って……たぶん何かの比喩だろう。彼女が犬好きで知られていることとか毛むくじゃらの幼馴染みの話とか彼女自身がほとんど犬みたいな気質の持ち主だとかいういろいろな噂を思い出して妙な妄想が頭を過ったけれども、アリスター王は気づいてないようで幸いだ。
 ほとんどないような希望に縋って彼は彼女を待っていた。彼女が帰ってくる場所を、彼女の国を守りながら。そうだ、救世主の手紙には“彼の王国”と書かれていた。まるで他人事みたいに。自分がそこへ戻ることはないかのように。
「彼女は俺に、求め続けた楽園を与えてくれた。清らかな水、色とりどりの花、瑞々しい果物、優しく頬を撫でる風。生きていくには充分だ。俺には最高の家がある……。だが、美しく気高い獣の姿がそこに足りない」
 怒りを含んだ凄味のある笑顔でアリスター王は言った。
「俺はあいつを救世主の座から引きずりおろすことにする」



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