Lonely early childhood
出会った当初、彼女のことを計算され尽くして作り上げられた完璧な芸術品のように思っていた。もちろんその美しさは今でも全く曇ってないんだが、触れた時の柔らかさや温かさを知ったせいだろうか、以前よりずっと人間味を増したように感じる。遠くから綺麗だと見惚れるばかりじゃなく抱き締めて可愛いと撫でくりまわしたくなるような、親愛ってのはこういうものだろう。
今まさに優雅な仕草で彼女が紅茶に口をつける瞬間を狙いすましてぽつりと呟いた。
「お前って昔おねしょを隠すためにベッドに火つけたらしいな」
ぶはっと噴き出したうえにどうやら気管に入ったらしくエリッサは盛大に噎せる。怒る余裕もないその背中を笑いながら撫でてやった。
「だっ、誰から、聞いたんだ!」
「パン屋の奥さん。っていうかみんな知ってるみたいだけど」
「みんな……!?」
ファーガスやオリアナから小母さんへ、そこから御近所へ、そして町中へ。エリッサ自身そう何度もアンティヴァに来たことがなかったにもかかわらず遠く南方に住む癇癪娘の噂話はこの辺にまで広がっていたようだ。
「いろんな話を聞いたぞ? マバリにつられて地底茸を食べて三日寝込んだとか、そのあと懲りずにまた食ったら平気になってたとか、寝室から犬を追い出した乳母への腹いせに彼女の枕に馬糞を詰め込んだとか、」
「そんな細かい話まで聞くな!」
「だってお前のちっちゃい時の話が好きなんだよ。ああ今の恥ずかしい話も楽しいけど」
「どうして恥ずかしい話に限定するんだ……」
「格好いいところは充分知ってるから」
意外と子供っぽくて意地っ張りで突っつくとすぐ怒る堪え性のなさも、その分だけ怒りが持続しなくて烈火のごとく怒ったあとは大体さらっと水に流して許してくれるところも。愛おしい。欠点が目につくほど近づいてみれば余計に魅力が深まった。
大きすぎる恋心を持て余して彼女を好きでいるのがつらいとさえ思っていたのが嘘みたいだ。どんどん好きになるのにそれが少しも苦しくなかった。
「お前がどんな人たちに囲まれてどうやって生きてきたか、知るのが好きなんだ」
「こっちはすごく恥ずかしいんだけど」
「うーん。我慢してくれ?」
「……」
じっとり睨まれてさえなぜだか嬉しさが込み上げてくる。思わず彼女を抱き締めた。ただそれだけのことで幸せに満たされる。
俺には誰かに話すほどの過去がないんだと思う。子供の頃の思い出なんていって浮かぶ記憶が特にない。世を拗ねて、なおざりに他人を避けてやり過ごすことばかり考えて生きてきた。俺の人生が他人の好き勝手に弄り回されていたのは俺がそれに抵抗しなかったからだ。自分自身として生きていなかった。むしろそこから逃げていた。
今、エリッサを知っているという実感があった。一瞬すれ違って背を向けたら二度と会えないような関係じゃなく確かに彼女と繋がっている。彼女のように、誰かの記憶の中に俺が刻み込まれて、きっともう二度と孤独なんて感じないだろう。自分以外の者まで背負って一緒に生きるというのがどんなものか今なら分かる。拠って立つ地のある喜びを。
友達とか、仲間とか、家族とか、夫婦、とか……憧れるだけで舌の表面を上滑りしていってしまった言葉を今なら手触りまで感じられる。俺には居場所があり、そこに根を張って生きているんだ。