おとしいめる視点



 オスタガーの遺跡を発ち、程なくしてダークスポーンに遭遇することとなった。初めてそれと相対して実際に戦ってみた感想としては、べつにそこらにいるゴロツキどもと何も変わったところはないように思う。不細工で不潔で弱いくせにしぶとい。それだけだ。
 聞いていたような不死の怪物ですらなく、他のあらゆる生物と同様に切れば死ぬただの獣だった。伝説にあるような特異性といえば余程熱心に切り刻まなければ腐った肉体から流れ出てこない黒く乾いた血くらいのものだろうか。
 クーズランドの名のもとに私が遂げるはずだった名誉ある死は理不尽にも奪われた。ならばこんな場所でグレイ・ウォーデンのためになど死んでやるつもりはない。洗礼の儀だか何だか知らないがさっさと終わらせて自分の人生に戻るのだ。
 その先に一人でファーガスを探すのも運命への復讐を始めるのも、まずは生き延びてこそ。私は私なりに真面目な態度で任務に取り組むつもりでいた。
 荒野は危険だと聞いていた。キャンプを出たら他の問題には目を向けず生きることに集中し、気を引き締めておかなければならないと決意していた。なのに……拍子抜けだ。経験も少ないたった四人の若者が適度に緊張を保ちながら苦もなく歩き回れている。
 こうしてみればケイラン王がブライトを軽視する気持ちも分からないではなかった。

 大柄な騎士ジョリーは自前の大剣で集団の敵を薙ぎ、ダベスはおそらく戦場で集めたであろう不揃いの武器を臨機応変に扱う。グレイ・ウォーデンのアリスターは監督役というだけあって先走ることなく盾を構えて皆を見守る位置を保っていた。自然と私が先頭を行き、斥候役を務めている。
 影に潜んで敵味方の視線から逃れ、複雑怪奇に捻れた木々の生い茂る荒野で姿を隠すのは簡単だった。他の新兵を置き去りにしてファーガスを探そうと思えば可能なほどに。……でも、そんなことはしない。
 辿るべきルートから少し離れた場所にチェイスンドの足跡を確認し、戻ってくるとアリスターが私を待っていた。
「できれば、あんまり離れないでもらえるとありがたいんだけどな」
「伝道師の記録を確認してるだけだ。気にしないでくれ」
「それをやめろとは言わないが、全員揃って行動すべきだと思うぜ。どっからダークスポーンが出てくるか分かったもんじゃないし、一人の隙に襲われないとも限らないからな」
「あなたはやつらの気配を感知できるんだろう?」
「俺はただ感知と予知は違うって言いたいんだよ。不意をつかれなきゃ絶対に死なないってわけじゃない」
「それは各々が注意すべきことだ。グレイ・ウォーデンに選ばれるほどのものが我が身の世話くらいできなくてどうする」
「そうじゃなくて……俺の言いたいことは分かってると思うんだけどなぁ?」
 私を見失うのはそちらの勝手だ。彼の不安を和らげるためだけに姿を曝しておく義務など私にはない。

 ダンカンの子飼いらしいアリスターは私の監視を命じられているようだった。私がふらりと道を外れるたびに厳しい視線が追ってくるのは感じていた。尤も、今のところ私はこの一行を去るつもりなどないのだが。彼の懸念はまったくの無駄だ。
「一人で荒野を歩き回るほど馬鹿ではない。少々離れたとしてもあなた方からはぐれない距離に留めているのでお構いなく」
「でもな……」
「皆で仲良く手を繋ぎ並んで歩かなきゃいけないのか? 私はそちらの要求する仕事をこなしている。文句を言うなら結果に不足があった時だけにしてくれ」
「あ……はい、了解」
 煩わしい。さっさとこの同行者たちから離れ、偵察に出ているというファーガスとハイエヴァーの兵を探したかった。ダンカンに逆らわずオスタガーまでついて来たのはそのためだ。でも私は兄の部隊がどの辺りにいるのかを知らないんだ。
 結局のところ、どんなに歯痒く思っても今はダンカンとケイラン王の思惑に従うしかなかった。
 ウォーデンになれと言われればそのような格好をしてみせる。だが、次の戦闘が終われば兄も戻るだろう。そうしたら一緒にハイエヴァーへ帰るんだ。私自身の使命を果たすために。すべてはそれまでの辛抱だ。

 アリスターはしばらく物言いたげに私の背中を見つめていたようだが、やがてこれみよがしに諦めの息を吐いた。
「俺はもしかしたら彼女に嫌われてるのかな?」
「とりつくしまもないってな。高貴なお嬢様は俺たちみたいな下賤な輩とは一緒にいたくないんだろうよ」
「女性一人で男ばかりの集団に混じってるんだぞ。彼女の身にもなれ」
 素っ気ない私の態度にアリスターは些か消沈し、ダベスがそれを茶化すように笑うと騎士ジョリーが窘めた。自分で言うのもなんだが、女だから不安なんて柄ではないと思う。ここで最も胆が据わっているのは私だろうに。
 騎士としての身分を持つジョリーが一番話しやすい相手だ。ダベスは私の言動にも皮肉っぽいところはあるが、やたらと混ぜっ返して言うほどには貴族に対する敵愾心はないようだ。
 アリスターについては、よく分からない。農民の出とは思えなかった。仕種の端々に教育を受けたであろう名残がある。だが彼自身、騎士のように扱われることを嫌っている気がした。私への態度は穏やかだが、貴族や王族への辛辣な言葉はダベスと違って本心に見える。
 グレイ・ウォーデンに選ぶだけあって彼らの戦闘技術は確かなものだった。背中を預けるには心強い仲間たちと言えるだろう。でも、今の私には何の価値も感じられない。彼らは私にとって無意味な存在だった。彼らの内実になど興味はなかった。
 ダークスポーンの血を採取して戻るだけなら私一人の方が簡単だ。隠密行動を駆使して無駄な手間をかけず速やかに任務を終えることができただろう。しかしそうする意味もなかった。急いで帰ってもファーガスはキャンプにいないのだから。
 おそらくダンカンは単独行動を取らせないために公文書の探索を指示したのだろう。その保管場所を知っているのはアリスターだけだ。新兵が任務を放り出して逃亡しないように、仲間や安全という名の枷をつけたのだ。
 彼らがいなくても困らないけれど、いた方が生き延びる可能性を上げる、という程度の役目は果たしている。
 ジョリーの言葉ではないが、何のためにわざわざこんな回り道のような試練を課すのか理解できない。世界の危機だからと私から自由な死を奪っておいて、今さら何を見極める必要があるんだ?
 我々がウォーデンとなるにふさわしいだけの技術があるかどうか、その判断は既にダンカンが下したはずじゃないのか。

 テヴィンターの遺跡群を抜けて、オスタガーより南東の橋を渡ったところで丘の上にドームが見えた。アリスターによると公文書が昔のままに守られていればあそこにあるそうだ。しかし道中たくさんのダークスポーンが見える。
 チェイスンド人の足跡から探り当てたキャンプを見つけ、私たちはひとまず小休止をとることにした。
 ジョリーとダベスは言葉数も減るほど疲れている。泥濘の中を常に緊張し通しで歩いてきたのだから無理もない。一方で私たち新兵よりはダークスポーンとの対峙に慣れているアリスターが、キャンプの出口で見張りに立った。
 グレイ・ウォーデンは誰でもダークスポーンの気配を感知できるという。やつらがどれほど狡猾に身を潜めて近づいてきても不意をつかれることだけはない。
 私が隣に立つと、アリスターはちらりとこちらを確認してすぐに視線を前方に戻した。
「あんたも休んだ方がいいぜ。文書を見つけたら、なるべく一足で軍のキャンプに戻りたい。これが最後の休憩だ」
「正直それほど疲れてないんだ」
「あまり緊張してないみたいだったな。ダークスポーンが怖くないのか?」
「べつに。ただの狂暴な獣だろう」
 猪狩りの時だって命の危険は感じる。それと何ら変わりはない。ただし今の私には恐怖も不安もなかった。
 未知の怪物と対峙しても。ブライトによって祖国が存亡の危機に瀕しても。私の心はハイエヴァーで既に死を迎えた。今さら何を恐怖するというんだ。

 アリスターに話しかけたのは、勇敢なグレイ・ウォーデン様に不安を和らげてほしいからではなかった。
「北の方でパトロール部隊の生き残りに会ったのを覚えているか?」
「ん? ああ、見た目のわりに元気そうだったし、無事に戻ってるといいがな」
「彼の部隊にグレイ・ウォーデンは組み込まれていなかったようだ。それについて意見を聞きたい」
「えっ、な、なんでそんな……」
「彼らは不意をつかれたんだろう?」
 つまりパトロールにはダークスポーンを感知できる者がいなかったということ。ずっと疑問だった。荒野に恐怖しない分、歩いている間も思考が渦を巻いていた。
「何のために偵察をさせるんだ」
「そりゃ、敵の……周りの様子を知っておくためだよ。倒木や泥濘で軍を迂回させなきゃならない場所とか、逆に戦いで利用できるものもあるかもしれない。戦場の状態はなるべく把握しておくべきだ。……そうだろ?」
「なるほど。でもなぜグレイ・ウォーデンは全員がキャンプで待機しているのかな。荒野に出る部隊にはせめて一人、ウォーデンがいるべきじゃないのか? 私たちの中にあなたがいるように」
「俺たちは本当に数が少ないんだ。オーレイからの援軍が来れば各部隊に配置することもできるだろうけど、今は……」
「今は大事なグレイ・ウォーデンを危険な任務に就けず温存しなければならないわけだ。なるほど。ありがとう、とてもよく分かったよ」
「……どういたしまして」
 ありったけの愛想を振り撒いて笑顔を向けるとアリスターは青褪めた。なるほど、私の言わんとするところが理解できる程度には、彼も馬鹿ではないらしい。

 あのパトロール部隊に一人二人のウォーデンがいれば、不意打ちをくらって全滅なんて事態には陥らなかっただろう。少なくとも怪物が影から現れる前に戦闘準備に入り、心構えをすることができた。
 やつらの気配を探りながら、なるべく離れて歩いて様子を探ることさえできたかもしれない。実際、気をつけて歩いていればさほどの危険がないのは我々が証明している。
 生き残りの兵士も、死んだ者たちも、充分すぎるほど周囲に注意を払っていたはずだ。しかしその警戒に意味はなかった。彼らはグレイ・ウォーデンではないから。
 もちろん事前に察知できたからといって必ずしも戦闘を避けられるわけじゃない。戦うにしろ逃げるにしろ荒野に出た時点で誰にでも等しく死の危険が忍び寄ってくる。もしダークスポーンと遭遇して戦うはめになって、そこにいたグレイ・ウォーデンが生き延びられるとは限らない。
 つまりはそういうことだ。軍のために誰かが偵察任務をこなさなければならないが、グレイ・ウォーデンをそこで無駄死にさせるわけにはいかないから、一般兵士に降りかかる死の危険性を格段に高めてでも、ウォーデンは温存されるのだ。
 他の者の犠牲のもとに彼らは今もキャンプで休息をとっている。温かなスープを啜り、キルトを身に纏って体を癒している。
 べつに大したことじゃない。当たり前の格差じゃないか。どうせ戦闘が始まれば彼らも最前線に立たされるのだ。そしてその時にウォーデンは普通の者には果たせない高度な使命を与えられる。だからこそ今は安全を享受する権利がある。
 心の奥で警鐘が鳴らされた。本当か? 本当にそうなのか? よく考えろ。グレイ・ウォーデンは実際のところどのように特別なんだ。ダークスポーンなど誰にでも殺せるじゃないか。彼らは何も証明していない。彼らが安全でいるために犠牲を払っているのは他の者たちだ。
 ファーガスは今も荒野のどこかを歩いている。ハイエヴァーの民がダークスポーンの闊歩する地を歩いている。フェレルデンの人々が、いつ飛びかかってくるともしれない暗闇に怯えながらさまよっている。
 そしてグレイ・ウォーデンどもはキャンプで笑いあっている。ただそこに選ばれたというだけで、生きている。
 この戦争のために私の運命を盗み取っておきながら、誰にでもできる仕事さえも放棄し、過去の名誉と栄光を貪っているのだ。……反吐が出る。彼らの仲間になど加わりたくないと強く思う。
 クーズランドの名に、父母の血に誓って、私はフェレルデンを守るためにこそ戦う。心が死に体が朽ちても、私はグレイ・ウォーデンになどならない。



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