ひとりを厭う
トレベリアンの機嫌が悪いので宥めてくれとレリアナに頼まれた。いや、あれは“お願い”に見せかけた“命令”だったとは思うが。ヘイブンからなんとか逃げ出し、このスカイホールドに到着して数日は避難民に顔を見せて回るのに熱心だった彼女だが、審問官の地位に就いてからは以前にも増して我々との会話を避けている。修復作業の現場にはたまに顔を出すが、気晴らしを求めて話しかけてくるようなことはなくなってしまった。
天の亀裂を塞いだら解放されるかもしれないと淡い期待を抱いていただろうに、もはや戦いは彼女自身のものとなっていた。セダスの救い主、アンドラステの使徒、お仕着せの象徴ではなく歴とした我々の導き手として彼女こそが審問会を率いている。自身の望みに関わらず、もう逃げられないのは分かっているはずだ。
裏で糸引く真の敵が未だ知れず、ただ亀裂に対する世界の守りとして皆の先頭に立っていた頃なら、なんとか目を瞑ったまま地位を放り出して逃げることもできただろう。しかし審問会は大きくなった。スカイホールドに集う人々の目はすべて彼女に向けられていた。トレベリアンが今も運命から逃げ出したがっているとしたらここは大した牢獄だ。
ただでさえ多くを背負わされた彼女の重荷を僅かなりとも軽くしてやれたらと思うが、私は労りや慰めの言葉をかけるのが不得手だった。レリアナやジョゼフィーヌの方がよほど向いているだろうに。しかし私自身も彼女と話したいという思いがあった。ついでに言うならそろそろ脳を休めなければ疲労が蓄積しすぎて愚かなミスを犯しそうだ。
彼女と話している時は冷静でいられる。心が落ち着き、無様な姿を見せたくないと身が引き締まる。私の抱える問題で煩わせたくない、そのためにこそ正気を保とうとする意志の力が強まった。レリアナはきっと、トレベリアンだけでなく私自身のためにも息抜きをしろと命じたのだろう。
審問官の私室は玉座の奥に用意されているが、彼女はいなかった。未だ荒れ放題の要塞でゆっくり休める場所など知れている。探し回るまでもなくまっすぐに図書室へ向かえば、案の定トレベリアンはそこにいた。キルトを持ち込み床に蹲って寝たふりをしている。
長らく放棄されていたスカイホールドはあちこち破損しており、修復は兵の宿舎と難民の居住区画を最優先に行っている。この図書室にまで手が回るのはいつになるやら分かったものではない。乱雑に積まれた本の間に古いクモの巣が取り残され、その上から埃が堆く積もってどことなくサークル・タワーを思い出させた。彼女が好むのも理解できる。が、眠るには相応しくない。
「部屋で寝た方がいいんじゃないか」
猫か何かのように丸くなり、目線だけでちらりと私を見遣りまた目を閉じる。ああよかった、そんなに不機嫌ではないらしい。
「……カレンの部屋で寝ちゃダメ?」
「えっ? そ、それは、駄目だろう、いくらなんでも」
正直なところ今は寝る暇もないほど忙しく、ほとんど指令部にかじりついて自室に帰ることもないので構わないのかもしれないが。室内の片づけも済んでいないし……いやそういう問題じゃない。というか割り振られた自分の部屋がどこにあったか思い出せないから後で確認しておかなければならないことに今気づいた。
ヘイブンの時と同様、仮に寝泊まりしている兵舎にこのまま住んでしまっても一向に構わないとは思うのだが、困るのは私ではなく部下たちだ。今はまだしもスカイホールドが落ち着いてくれば私が腰を据えて管理しなくてはならない書類その他情報も増えてくる。部屋は必要だ。私自身も定位置に収まっていなければ連絡役の者たちに余計な手間をかけてしまう。
もそもそと起き上がり、どうやら先程までは本当に寝ていたらしく眠たげな目を擦ってトレベリアンは大きな欠伸をした。もう少し……隠そうとは思わないのだろうか。そんな姿を私に見られても平気だというなら喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところだ。
「せっかく大使殿が整えた部屋を使ってやっては?」
「……私の部屋、遠いんだもん」
「作戦室からすぐじゃないか。ものぐさだな」
「そ、そういう意味じゃなくて! 他の人がいるとこから遠いんだ。一人で寝るのって慣れてないし、ヘイブンも私の小屋があったけどすぐ外にいっぱい人がうろうろしてたし、だから、話しかけられるのは嫌だけど誰もいないのも嫌で、……ううぅっ。もういい、部屋に帰る!」
放っておいてほしいが一人ぼっちは嫌、口にしてみればあまりにも我儘に聞こえる言葉に辟易したのか、恥ずかしさで染まった頬を隠すようにキルトを被って去ろうとする彼女の肩を苦笑しながら引き留める。
「まあ待て、言いたいことは分かるよ」
「どうせ私は寂しがりなくせに人見知りが激しいめんどくさいやつだ!」
「べつに責めてない、勝手に拗ねるな」
周りに人がいてほしいけれども自分には関わらないで欲しい。サークル出身者には実際、そういう性質の者が多かった。魔道士もテンプル騎士も似たようなものだ。狭いところに多種多様な者たちが詰め込まれて共同生活を送っていると、他人との距離に過敏になる。エントランスの喧騒がほどよく響き、そのくせ訪れる者のない図書室は彼女にとって過ごしやすい場所なのだろう。
大昔にもスカイホールドの城主が暮らしていたであろう審問官の部屋はとても守りやすい位置にある。バルコニーは絶壁に面しており、外からの侵入は不可能だ。部屋への扉は玉座の真上の吹き抜けを通った先にあり、審問官を訪ねる者は誰であっても謁見の間に姿を晒すこととなる。完璧な防御はつまり、トレベリアン自身も厳重な監視下に置かれているという証でもあった。
彼女が部屋に戻れば誰もがそれを目にする。ヘイブンで彼女がよくやっていた“ちょっとした休憩”も今はできない。無人の図書室に潜み項垂れて溜め息を吐くトレベリアンの顔には、精神的な疲労の色が濃く浮かんでいた。
何か審問会と関係ない話をすべきだ。そう分かってつつ目を泳がせる。何も思いつかない。
「……ん? ちょっとじっとしてくれ。髪にクモの、」
「わあああああっ!!」
巣がついている、と言い終えるのも待たずパニックになったトレベリアンはものすごい勢いで髪を掻き乱し、先程まで自身の体をくるんでいたキルトで力一杯に頭を拭いた。拭きまくった。そこまでしなくても後ろ髪にほんの少し引っかかっていただけなんだが……、取ってやろうと差し出した手が行き場をなくして硬直する。
「とっ、取れた!?」
「ああ、完膚なきまでに排除されたよ」
涙目でよかったと息を吐く彼女はしかし、頭がさっきよりずっと悲惨なことになっている。きらめく黄金の麦畑を思わせる金髪がまるで干し藁のようにボサボサになってしまった。
本当に心の底からクモが嫌いなんだな、彼女は。……しかし、だったらなぜ……。
「これだけ巣を張っているのだからまだそこらにいるかもしれない」
「えぇっ!?」
「無防備な寝顔にクモが落ちてきたらどうする? やはり、こんなところで寝るのはどうかと思うよ」
審問官の部屋はジョゼフィーヌが拘り抜いて内装を整えた。応接室ならまだしも、トレベリアンの寝室に来客の予定など……あっては困るくらいだが、誰に見せても恥じることのない立派な居室となっている。私から見ると豪華すぎて落ち着かないし、きっと彼女もそう感じているのだろうが、せっかく用意されたものならば使わなければもったいないだろう。大使も自分の仕事が不足していたのではないかと思い悩んでいることだし。
「さあ、風邪を引いたら困るだろう。ちゃんと自分の部屋に帰って寝るんだ」
なにやら微妙な顔をしつつも彼女は頷いた。まだ私の言葉を聞いてくれることに例えようもなく安堵する。
ヘイブンの襲撃を辛くも生き延びたすべての者が絶望に行く手を阻まれ立ち尽くした夜、使徒の存在は灯火のごとく輝いていた。彼女は希望だった。未だ世界は終わっていない。未だ我々は戦える。その証が彼女だった。だがトレベリアン自身にその光は見えるのだろうかと考えるたび焦燥が身を焼いた。
二度と希望を失いたくない。もうあのような決断はしない。彼女を犠牲にして得るものなど何もない。守り抜いてこそ意味がある。運命が彼女を拘束し、常に危険へと追い立てるならば、私が彼女の盾となろう。
渋々ながら自室に戻ろうとしたトレベリアンは、図書室の扉に手をかけたところでふと私を振り返った。
「……カレン、ちょっと個人的なことを聞いてもいい?」
「ああ、どうぞ」
そう改まれると何か緊張してしまうが、彼女は気を抜いた様子で続けた。
「カークウォールに誰か残してきた人はいるのか?」
「いや。私はレッドクリフの片田舎の出なのでね。自由連邦にも友人知人はいるが、家族は皆フェレルデンで暮らしている。今は南方地方に移り住んでいるが」
「えぇとそうじゃなくて、恋人はいないのかなと思って」
何気なく吐かれた言葉に冷や汗が流れた。なんということもない雑談だろうに、ひどく責められたような心地がするのはなぜだ。
「……どうして、急にそんなことを」
「私の知ってるテンプル騎士はみんな独身を貫いてたんだ。そういう決まりがあるのかと思って」
「ああ……よくある誤解だな。手続きが少々煩雑ではあるが、騎士団に所属していても結婚は可能だ。まあ、実際する者はあまりいないが。サークル・タワーに配属されれば特に俗世との関わりがほとんど断たれるから、結婚する意味がないんだ」
それにリリウムの問題もある。忠誠の誓いを済ませ、ひとたびそれに触れたなら、テンプル騎士はもう逃げられない。意志に関わらず生涯をその道に捧げることとなる。誰かを愛したとして……愛すればこそ、一緒になりたいとは思わないものだ。正常な暮らしなど得られないのは分かりきっているのだから。
いずれ機を見て、スカイホールドが落ち着いたらすぐにでも、私の抱えている問題を彼女に話しておかなくてはならないだろう。その時にどんな反応を見せられるのか、正直なところかなり不安だった。
微かな好奇心に瞳を輝かせてトレベリアンは私をじっと見つめていた。彼女の声を聞くと心が落ち着くのだが、その青い瞳はなぜかむしろ私を焦らせた。
「で、カレンは結婚してるの?」
「……してるように見えるか?」
「うん」
「えっ」
意外な答えだ。カサンドラやレリアナ、審問会の古参メンバーからは独身の代名詞のごとく扱われ、仕事と結婚しているので妻帯者だなどとからかわれるのが常なのだが。
「なんていうか、女慣れしてる? って言うと意味が違うな。人の扱いがうまいっていうか、あしらいがうまいっていうか、やんわり避けるのに慣れてるんじゃないか? ああそう、パートナーを求めてる感じがしないんだよ。落ち着いてるから」
それはまるで私の中にある怯えを指摘されたようだった。誰かに恋をするということを。他人に期待するということを。相手を求めるということをひどく恐れている。見透かされる恐怖に一瞬は竦んだが、彼女はまったく予想外な言葉を続けた。
「お母さんみたいだなってずっ、と……おもって……」
「…………」
「お、おか、お堅い、お堅いタイプなんだなって思ってたんだ!」
「せっかく言い直してもらったのに悪いが、かなり無理があるうえにあまりフォローにもなってない」
「うぅ……べつに悪い意味じゃないんだけど……、あなたのそばにいると安心できるなって思って、だから結婚してるんだろうなと思っただけなんだ」
私も、彼女が言葉を続ければ続けるほど泥沼化してゆく話下手だということだけはなんとなく分かった。
「結婚してはいないし、そもそも誰かに話せるほどの恋愛経験もない。何も安心なことはないと覚えておいてくれ」
つまりその、もう少し異性として扱ってもらえるとありがたいのだが。母親のようにではなく。……失言に慌てふためいてこくこくと激しく頷いている彼女を見る限り、たぶん私の言いたいことは正しく理解されていないだろう。
見ていると危なっかしくてつい世話を焼いてしまうせいなのだろうか。懐いてくれるのは嬉しいが、そこまで安心感を持たれても男として落ち込んでしまう。彼女と恋愛したいというわけではないが……何か、もっと、違うものを求めている気がしてならないんだ。