とある出来事をきっかけに、ジェシカという女性が、我らが海賊王を目指す船長の仲間に加わった。ブルックは、ジェシカを気にかけることが多かった。
初めて彼女を見たとき、その雪のような白さと雰囲気の静けさに、目を丸くした。厳密に言うと、眼球はすでになくなっているが。長い人生で美しい女性はそれなりに出会ってきたが、ジェシカの美しさは、穢れなき大理石のようだ。それだけではない。ジェシカはどこか危なっかしく、日に当たれば溶けて消えてしまいそうな儚さが、ブルックの心に引っかかる。
この時勢、抱えているものや、背負っているものが深く重い者が多い。麦わらの一味である自分を含め、仲間も同様だ。個々につらい過去があり、それを乗り越えて現在、前を向いて生きている。ジェシカのルビーのような赤い瞳の奥には、彼らと同じように深い哀しみが根ざしていた。
彼女のようなタイプは、常に自分を否定的に見ている傾向がある。そして周囲を常に気にかけ気を遣い、自分の意思よりも他者を優先させるのだと、ブルックの勘が働く。
まるで娘や孫がいたらこんな気持ちになるのだろうか。安らかに健やかに、人生を謳歌してほしいと自然と願っている自分がいる。
仲間と過ごしている時は実年齢を忘れて振る舞ってしまうことも多いが、ジェシカといる時は祖父のような気持ちが胸の内からじわりと湧き上がる。世話を焼きたいような、かまってあげたいような、彼女が知らないことを一つひとつ見つけて教えてあげたいような。
初めて抱く気持ちに、ブルックは最初戸惑ったものの、今ではすっかり慣れたものだった。それはきっとジェシカ自身が、最年長としてブルックという存在を親しんでくれているからだろう。
今では「パンツ見せて貰ってもよろしいですか?」とお決まりの言葉をジェシカに言うのは、少しだけ躊躇するようになってしまった。
* * *
ブルックがジェシカを気にかける以前、その立場は逆であった。ブルックはことある事に、ふとした瞬間、ジェシカからの視線を感じていた。
彼女の視線に気づいた当初は、くすぐったさや照れくささを感じていたものの、日を追うごとにそれは変貌していく。ジェシカの視線に ロックオンされると、決して外れることがない。話しかけられることもなく、ただじっと観察されるのだ。ブルックは次第に背筋が凍るようになる。取って食われてしまうのではないかと考えたが、食われてしまう肉は骨身だけの自分にはなかった。
――私、なにかしてしまったのでしょうか。
次第にブルックは不安が募っていった。パンツを見たい発言を根に持っているのか、それともこちらが意図していない行動が、彼女の気に触ってしまったのか。はたまたルフィたちとおふざけがすぎるときに、彼女が取り組んでいたことを邪魔してしまったか。
あらゆる可能性がブルックの存在しない脳みそを駆け巡る。仲間に相談しようにも、チョッパーやルフィは首を傾げるし、サンジからは目くじらを立てられ羨ましがられるし、フランキーやゾロからは「そうか?」と言われる始末。こういうことに聡いナミやウソップ、ロビンに訊いてみても、明確な答えは返ってこなかった。
年頃のお嬢さんの気持ちは、爺にはわからない。そう告げると、ジェシカと一番年齢も距離も近いロビンは面白そうに笑った。
「時期にわかるわ」
さすがは考古学者であり、謎を追い求め続けているロビン。確実にジェシカの行動の裏に潜む心理を知っていそうな発言に、ブルックは飛びつく勢いだった。だが、深みのあるロビンの言葉に理性を働かせ、分泌されていないが生唾を飲み込んだ。
ロビンの発言は数日後に的中した。ブルックは、ジェシカから話しかけられたのだ。今まで挨拶程度の言葉しか交わさず、それもブルックからであったのが、この時はじめてジェシカから近寄ってきた。あろうことか、全員で昼食を共にした直後である。
「――ブルックさん、服、脱いでもらってもいいですか?」」
「はァ!?」
自分を含め、仲間の驚きで船は大きく揺れた。目玉と舌、そして数人は飲み物を吹き出している。ブルックも例外ではなく、ない目玉を極限にまで飛び出させた。心臓ですら口から出てしまいそうだった。骨身だけなので心臓はないけれど。
「ちょっとジェシカ! アンタ何言ってんのよ!」
「そうだぞ! 突然なに言い出すんだ!」
「どうしたんだよジェシカ! 熱でもあるのか? おれに診せてみろ!」
「なんだ? ジェシカはブルックの裸が見てえのか?」
「ジェシカもスーパー変態だな!」
「なっ、バッ、場所を弁えろテメェ!」
「ジェシカちゅわ〜ん! おれはいつでも脱いであげるよお〜!」
「ふふっ、ジェシカったら大胆ね」
驚くナミとウソップ、体調を心配するチョッパー、特に驚きもしないルフィやフランキー、珍しく混乱しているゾロ、そして安定のサンジに、楽しそうなロビン。いかにもな反応を示す各々だったが、ブルックはジェシカの発言に、開いた口が塞がらなかった。
――男ブルック。ここで言わなくてどうする。
ツッコミとボケが混作している今、自分の発言で場の雰囲気は一転する。
ブルックはジェシカからの熱い眼差しを一身に浴びて、深く呼吸をした。高鳴る胸を抑え、ない唇を震わせる。
「――なら……パンツ見せてもらっても、よろしいですか?」
「させるかァッ!」
ナミとサンジの声が、ブルックの言葉を遮る勢いで突っ込んでくる。
「アンタ! どさくさに紛れて何言ってんのよ!」
「そうだぞ! 抜け駆けは許さねぇぞこの骸骨野郎!」
「そういう問題じゃねぇだろサンジ!」
ナミとサンジの暴走気味な様子に、ウソップのツッコミが炸裂する。ギャンギャンと騒がしい三人の横で、ハラハラとチョッパーは見守り、その他の面々は興味半分といった様子で眺めている。
なんとまあ賑やかなこと。心地よい騒がしさに身を委ねつつ、ブルックはジェシカの返事を待つ。パンツを見せて貰いたい気持ちはゼロではないが、それ以上に、彼女の返答が興味をそそられた。
ナミのように強烈なツッコミとゲンコツを繰り出すのか、それともゾロのように呆れた表情を浮かべるのか、はたまたこの仲間たちでは見られない反応をするのか。それとも――。
ジェシカの瞳が大きく見開かれている。つるんと光る双眸の輝きに、目を見張った。
「えっ、パンツでいいんですか? ダメですよ!」
「ほーら見なさい!」
「よかったー……。驚かせるなよジェシカ」
「その通りだジェシカちゃん! 俺以外の男にパンティを見せるだなんて! ダメに決まってる!」
「いやおめーもダメだろ!」
ジェシカの言葉に、ナミとサンジはほっと胸を撫で下ろす。ウソップはことある事にツッコミを入れており、そろそろ息切れが目立ってきた。
――そうか。やはりダメか……。
どこかでジェシカの発言に期待していたブルックは、気づかれないように肩を落とす。
「ダメです!」
ジェシカは再度否定をする。ああ、そんなに力を入れて否定をしないでほしい。少しだけ悲しくなってくる。
しかし次の瞬間、ジェシカの発言により、船内は雷が撃たれたような衝撃が駆け巡った。
「対価が同等じゃない! ブルックさんが脱いでくれるのなら、私も脱ぎます!」
「ハァアア!?」
今度ばかりはブルックも驚きに加勢した。心臓が止まりかける思いだ。風も強くないのに、船は再度大きな振動を受ける。
揺れに合わせて、ジェシカの前髪がふわふわ左右に揺れていた。この現象の原因だと、本人は気づいてすらいないのだろう。
「ジェシカ!? アンタそれどういう理屈よ!」
「なんだそりゃあ!? 極論すぎるぞ!?」
「ジェシカ、やっぱりどっか悪いのか!?」
「あらあら、ジェシカったら大胆ね」
「ぶっひゃっひゃっひゃっ! ジェシカお前、おもしれぇなあ!」
「スーパークールだぜ!」
「いや感心してる場合か!」
「ジェシカちゅわ〜ん! そんな骨男なんて放っておいて、おれと脱ぎあいっこしないか〜い!?」
「えっ、サンジくんの体には興味無いです。ごめんね 」
「んんん〜! 即答するジェシカちゃんもクールで素敵だぁ〜!」
一味の愉快で騒がしいツッコミが、船内を縦横無尽に駆け巡っていく。
ブルックの耳の奥ではジェシカの発言が繰り返し響いている。驚きすぎて、「まあ私、骨だけなので耳ないんですけど」と言い聞かせることすら忘れてしまった。
「ブルックさんの身体、すごく不思議だなってずっと観察していたんですけど、あっ、いつもじっと見つめちゃってごめんなさい。色々どうしてかなって考えだしたら止まらなくて。魂の定着が一番近い形なのかなって考えてたんですけど、飲食はできるし、ならきっと生理現象もあるだろうし、痛覚もある。痛覚があるってことは神経が通ってるのかな? とも考えたんですけど、骨身だけなら脳がないから、中枢神経がなりたたない。でも、意思や思考にそって体は動いているし、情報伝達もできてる。……『悪魔の実の能力だから』って、一言で片付けるのは、しっくりこないから嫌なんです。解き明かしたい。それに、ブルックさん長生きされてるのに、骨の密度も劣化しているのかどうかも調べたいです。ああそれと――」
「ストップ! ジェシカストップ!」
「んうっ! な、なに?」
「なに? じゃないわよ! アンタって子は……!」
今日は驚きの連続だ。ジェシカは、まあ喋りだしたら止まらない。じっと見つめられていたのは、ずっと考えていたからなのか。観察されていると感じた印象は、間違っていなかったようだ。それにしても一息であそこまでのことを語れるだなんて、脳の回転が早い。
ナミがジェシカの脳天をチョップしていなければ、ジェシカは喋り続けていただろう。ナミが我々に対してゲンコツをお見舞するように、ジェシカにもそれを繰り出していたらどうしようかと一瞬不安が過ぎった。けれどナミは、しっかりとその境をつくっていたようだ。
ジェシカには、皮膚感覚や痛覚がないらしい。そのため、チョップされた痛みは感じていない様子だが、突然視界が下へと移動したことの衝撃と驚嘆はあるようだ。舌を噛んでいないことが幸いである。
それにしても。自身より年上のジェシカに対して母のような発言をしたナミに、彼女がジェシカのことをどう思っているのかをブルックは悟った。庇護欲を掻き立てられるのは、自分だけではないことが判明し、少しだけ安堵する。
「ではジェシカさん、さっそく裸のお付き合いといきま――」
「いかねェわ変態!」
ナミのゲンコツとサンジの蹴りを喰らい、視界が暗転したブルックは、次の瞬間、美しい川と花畑をうっすらと見た気がした。
場所を改めアクアリウムにて、ブルックはジェシカの疑問に出来うる限り応えた。ブルックの声だけが室内に響いている。魚や海中の様子も気にせず、ジェシカは話に耳を傾けていた。
結論から言うと、言わない方が良かったのかもしれない。
「――死んでも……一度だけ、蘇る……」
ヨミヨミの実の説明と、少しの身の上話が終わった時、ジェシカの表情は消え失せて、これ以上無いほどに青白くなっていた。
――ああ。これはやってしまった。
男たるもの、女性の心情を無視して自慢話を繰り広げてはならない。紳士の振る舞いを弁えているブルックは、日頃から意識していた。しかし、ずっと距離を置いていたジェシカが、自分からようやく歩み寄ってくれた。さらに、己の身体についてだったが興味を持ってくれた。その些細なことが胸が踊るほど嬉しくて、ついジェシカを置き去りにして、過去を懐かしみベラベラと話してしまった。
蚊の鳴くような声に、震える唇と指先。表情は俯いていてブルックからは確認するできない。胸が痛むほどの悲壮感に襲われているジェシカに、ブルックはかける言葉を見失っていた。
どんな言葉も気休めでしかならない。ジェシカの事情をほとんど知らないブルックにとって、彼女の根幹や本質を理解するには日も信頼も浅く、なすすべがなかった。例え言葉をかけたとしても、それが上辺だけの優しさであり、彼女の受け取り方しだいでは剣のような鋭さになる。
ブルックは、ジェシカを強いと捉えているが、同時にとても脆く壊れやすいとも感じていた。それがきっと、彼女を気にかける理由になっていることも、薄々理解し始めていた。
死ぬまでの人生においても前途多難であったが、ここまでブルックが言葉につまった経験は皆無に等しい。
静かなアクアリウム内は、ジェシカが涙を浮かべれば、すぐに反響して自分は気づけそうだ。ガラスの向こう側の海は別世界のようで、一枚の絵画にすら見えてくる。
海中にて水泡が登っていくのを横目に、ブルックは努めて肩の力を抜いた。自分が今、ジェシカのためにできることと言えば、何も言わずにこの室内にいることだけだ。
ブルックの脳裏には、チョッパーとの会話が思い出される。『化け物』だと呼ばれることを、ジェシカは自分とお揃いだとチョッパーに語ったそうだ。彼は少しだけ嬉しそうに、けれど寂しそうに話していた。
化け物ならば、ブルック本人もその部類に入ると自覚しているし、言われたことがある。自分は言われてもあまり気にしないが、若いチョッパーやジェシカは心苦しいことも多いだろう。
――この子は、いったい何を背負っているんでしょうねえ。
気にならないとは言えないが、大事なのは過去ではなく現在だ。今こうして彼女は、ブルックの話を受け止めて、必死に過去と折り合いをつけようとしているように見える。何も出来ないけれど、彼女の飲み込み具合を見届けるくらいなら、骸骨でも出来そうだ。ブルックはそこまで考えて、ようやく自然と身体の力を抜くことが出来た。
「……よかった」
ぼそりと呟かれた声に、ブルックは目を見張る。
ジェシカはゆらりと俯いていた頭を上げた。彼女と真正面から目が合う。雪のようなまつ毛がふわりと目を形づくる。
「ブルックさんが、その実を食べて……こうして、この船に乗っていて、出逢えた。だから……よかった」
悲痛な声を押し殺して、精一杯の優しさがこもった言葉に、ブルックは胸を締めつけられた。言葉を失って、顔色を変えるほどの衝撃を受けてなお、自分のことはひた隠して、相手を慮って言葉をかける。
過去を話したくないのかもしれない。ブルックに言葉をかけることしかできない理由があるのかもしれない。そうだとしても、こんなにもやさしさに包まれた声を出すことが出来るのだろうか。
やさしさに色があるのだとしたら、きっとジェシカのような色だ。そんな子どもめいたことを考えてしまうほど、ブルックはジェシカに胸を打たれた。
「ブルックさんにとって、今は第二の人生、みたいなものなんですね」
「ええ……そうですね」
ジェシカの言葉にようやく返事ができたものの、声が喉にはりついたように掠れてしまい、数回咳き込みそうになった。骨身になってもなお、心の状態は身体に映し出されてしまうらしい。
ブルックは俯き小さく咳払いをして、想像上の痰を切る。再びジェシカを視界に入れると、彼女とはもう目が合わなかった。
視線が合わないだけなのに、焦燥感を覚えてしまう。声をかけようと口を開くと、ジェシカの唇が微かに動いた。
「……私も、似たようなものなのかな」
ガラスの向こうを見つめて呟くジェシカは、今にも泡になって消えてしまいそうだった。
22,03.01