建前と本音


「――エースの処刑を、代わりに行いたいんです。彼を助けるために」
 今、この娘はなんと言った。エースを処刑する? 助けるために? どういうことだ。矛盾しているではないか。
 ガープは腹の底からふつふつと熱いものが湧き上がってくる。
「なっ……何を言っているのか、わかっておるのか!?」
 ガープの大声に、ジェシカは唇に人差し指を立てて距離をとった。こちらの反応が予想できていたのだろう。そっと微笑む姿は、やはりルージュに似ていて、どこかこの世の人間ですらないように見える。
「わかっていますよ」
「エースを処刑? 助ける? そんなこと、あってはならん!」
「どうしてですか? 血は繋がっていないけれど、あなたたちは家族なのでしょう? なら、船長の兄であるエースを私が救けるのだって、家族だからと言える。それとも、助けて何が悪いんです?」
「お、主……本気で、」
「ええ。本気です。そのための『名誉大罪人』、そのための『ウロボロスの刺青集団』です。全部、エースを救けるためにやっています」
「なぜ、そこまで……」
 ガープはジェシカの言葉を理解できなかった。いいや、理解はできる。しかし納得ができない。家族であるガープでさえ、エースの処刑はどうしようもない無力感と絶望感を与えている。何をしても無駄だということは、既にわかりきっている。それを阻止しようだなんて、どだい無理な話なのだ。
「ルフィとの約束を、守るためです」
「約束……?」
「いつか、私と、私の義兄と、ルフィとエースで、ご飯を食べようっていう約束」
――そんなことで、命を賭けるというのか?
 ガープは呆気に取られてしまう。どんな約束かと身構えれば、まさかの内容だったからだ。これが、ルフィから『エースを救けてほしい』という約束をされたのならば、理解できるだろう。しかし、蓋を開けてみれば、ただ飯を食う約束だ。それなのに、この娘は命を賭けるというのか。
「私には義兄がいました。今はいません。死にましたから」
「っ!」
「だから、約束を守りたいんです。ルフィは、私の義兄が死んだことを知らない。私は言えなかったんです。あまりにもその時のルフィが、とても楽しそうだったから」
 話の筋が読めた。ガープは肩を落として片手で両目を遮った。
――どうして、若者はこう、後先考えずに進もうとするんだ。
 酒が飲める歳であろうと、航海をしている経験があろうと、ガープからすればただのお子さまだ。若い者が何を言っている。若い芽を詰む。出た芽を育てる……。後進の教育に勤しむ傍ら、いつも若者に対しては悩むことがあった。
 無鉄砲な姿勢も、若者ならではの考え方も、すべて若気の至りだと、歳をとった時に笑って過ごせるように。ガープは自分が若者と関わる時は、いつも胸にそう刻んで教育を施した。それは、エースやルフィを育てた時から、何も変わっていない。
「……ンなもの、ただの自殺行為じゃ」
 腹の底から湧き上がっていたものは、いつの間にか冷却されたように冷え込んでいる。鍛え上げた大きい身体からは考えられないほど、蚊の鳴くような声がする。それは桜の花弁に隠れて消えそうになっていた。
「ねえ、ガープさん。私、ルフィに嫌われてもいいんです」
「……は、」
 ジェシカの言葉に、ガープは顔を上げる。
「きっとルフィは、私がやろうとしていること、止めると思います。真っ向から救けに行けばいい、一緒に救けようって、説得してくると思うんです」
 ガープはジェシカを見ていられなかった。まるでこれから、死にゆく人の言葉ではないか。なんでこんな若者が救出に動き、自分はうごけずにいるのだ。
「だから、ルフィにもこのことは言うつもりは無いんです。……そもそも、今ルフィがどこにいるのかもわかりませんから」
 ジェシカは立ち上がる。白い髪に、桜の花びらが滑り落ちていく。ガープにはそれが、尊き命の終わりにしか見えなかった。
「私の命にかえても……だなんて言ってしまうと、ルフィとの約束が守れない。でも、命を賭ける覚悟はあります」
 ジェシカは言葉を切ると、再度跪いた。ガープと同じ目線になる。
「だから、ガープさん……私に力を貸してくれませんか?」
 ザアッと大きな風が吹いて、桜が一気に舞い落ちる。ガープには、目の前にいる娘が、死神の仮面を被った美しい女神に思えて仕方がない。
 しかし、すぐに女神が見えなくなってしまう。ガープの頬が、泪で濡れていたからだ。

22,06.01



All of Me
望楼