逃げ道の先に


「それで? 本当は何があったの?」
 ニッコリと、それはもう効果音のつくくらいニッコリと笑うジェシカに、ウソップは全身が凍りつくようだった。
――ああ、こいつには一切、嘘が通用しないんだ。
 ウソップの脳裏に『口は災いの元』という古い言葉が浮かび上がる。
 真実を追い求める深紅の双眸は、サンジが容れてくれる紅茶よりも熱くて触れられそうになかった。
――やっぱり、ジェシカはカヤと似ても似つかない。
 ウソップはまるで、野獣に逃げ道を塞がれた、兎の気分を味わったのである。

   * * *

 カヤは元気だろうか。それが、ウソップがジェシカを初めて見た時に考えたことだった。
 名前を言い合い、彼女が仲間の一員になってからも、ウソップはふと、カヤのことを思い出した。体調は悪くなっていないだろうか。ちゃんと食べられているだろうか。しっかり睡眠は取れているだろうか。趣味や楽しいことは、以前より増えているだろうか。
 ウソップがジェシカを見るたびに、カヤを思い出してしまうのは、きっと容姿が似ているからだろう。ウソップはそう考えていた。白すぎる肌に、細っこい手足、大きな瞳にすっとした鼻筋。静かな雰囲気だけれど、笑う時は小さな花が揺れるように微笑む。髪色はジェシカの方が色素は薄いが、二人は全体的に色素がないに等しい。
 しかし、容姿は似ているが、中身はそうでないのかもしれない。ウソップはそれに気づくまでに、少しだけ時間を要した。
 カヤは弱そうだけど強い女。そしてなにより、自分のついた嘘を信じる。
 ジェシカも弱そうだけど強い女。だが、ウソップの嘘を一切信じないのだ。信じないというよりも、嘘を見抜いているというほうが、正しいのかもしれない。
「おれ、ジェシカを笑わせてぇんだ」
 しょんぼりしたチョッパーに、ウソップの良心は刺激される。自分がする話に、または嘘に何かしら反応してくれたのなら。そう楽観的に考えてしまうのは、ウソップにとって呼吸のようなものだった。
「よーしわかった! このウソップ様がジェシカを笑わせてやろう! そりゃあもうゲラゲラ腹抱えて笑っちまうぜ!」
「ほんとーか!? ウソップ! さすがだ、かっけー!」
 チョッパーのキラキラした瞳に、ウソップの心は針で刺されるかのように、チクチクと痛んだ。針を千本飲んだら、きっとこのくらい痛いのだろう。想像してみるが、悲しいことにウソップの想像は甘かった。

「――それで? 本当はなにがあったの?」
 ウソップの嘘は、それはもう簡単に見抜かれた。ジェシカの表情も声も柔らかいはずなのに、目が笑っていないように感じる。気のせいだろうか。いや、気のせいじゃない。心做しか空気も冷たく感じるし、なにより胃がチクチクジクジクした痛みで張り裂けそうだった。
――針千本以上にジェシカは怖ぇぞ……。
 ウソップは針千本だけは飲みたくなかった。しかし、ウソップが感じるジェシカの冷徹な嘘破りに、まだ針千本飲み込んだ方がマシかもしれない。
「なっ、なんのことかなー? ジェシカすわぁん?」
「早々に嘘って見破られちゃうと、恥ずかしさもあるだろうけど……無理しなくても平気だからね。私、わかってるよ」
「なんっだよ、その予想を超えた返し! そういう新しい、めちゃくちゃ優しくされるの慣れてねーんだよ! 怖っ! ジェシカ様こわすぎ!」
「ウソップくんは優しくていい人だから、本当のこと、言えるよね?」
――こんな会話、まるで姉と弟だ。
 ウソップは一人っ子で、故郷では兄貴分であったが、姉がいたらこんな感じなのかと考えてみる。普段はぼんやりしたように感じるが、芯がしっかり通っていて、真実を追い求めるときは人一倍に強く感じる姉。
――そして、弟のおれ。
 腕を組んでジェシカが姉だったらと想像してみる。自身の想像力は『針千本予想』からあまり期待できないが、ジェシカが姉だという想像はきっとできるだろう。
 ジェシカが姉ならば、間違いなく頼りになる。何でも率先して手伝うし、戦闘だってルフィ、ゾロやサンジにも負けず劣らずなレベルだ。様々な分野への知識もあり、無人島にたどり着いたとしても科学の力で生き抜けそう。ナミみたいにすぐ怒ったりしないのも利点だ。
――ただ、ぜってー怒らせちゃならないけどな。
 ここまで怒る姿を初めて見た。いいや、本当はあまり怒ってないという可能性も捨てきれない。この恐ろしさで? と思うが、ナミの本物の怒りもこんなものではないし、ジェシカもそうだとしたら……。ウソップはそこまで考えて、大きく身震いをした。
「――ずびばぜんでじだッ!」
 これはもう、降参するしかない。ウソップは、その場で土下座をする勢いで頭を下げた。肝に銘じろウソップ。どんなに調子に乗ったとしても、ジェシカにはホラを吹いちゃならねぇ。
――しかし、なんでここまで嘘を許せねぇんだ?
 素朴な疑問を質問するには、ウソップはまだ勇気が足りない。

   *

 ウソップは自負してはいないものの、些細なことに気づくことが多い。それは物質的なものであったり、人間関係に関することだったりと、多種多様である。
 最近では、なんとジェシカに恋に落ちてしまった、ナミの心境に気づいてしまったのだ。恋しく想う相手はジェシカで、想い人はナミだ。相手は女だぞなどと野蛮なことは決して言わない。自分の主観を押し付けないのは、ウソップの長所だ。驚きは非常に大きかったが、二人とも大事な仲間だ。せめてどちらかが傷つく未来は、ないことを願うばかりである。
――だと思っていたのに。
 ジェシカを想い人にする者は、ナミだけではなかった。
「ありがとう、ウソップくん……!」 
「感謝の言葉を素直に告げるジェシカちゅわんも超絶可愛いよお〜! おれにそんな姿を見せてくれてありがと〜!」
 サンジと話し合って製作を決めた、『特製、ウソップの滑り止め加工食器一式』を、とうとうジェシカにプレゼントした。製作には思いのほか時間がかかってしまったものの、完成品は胸を張れるものだ。とある島に寄港した際、サンジと調達した食器を使い、ウソップが加工したのだ。
 食器は珍しく割れにくい材質でできているもの。手を添えて支えやすいよう縁が幅広になっており、零しにくい深さと、片手で掬いやすい設計が特徴的だった。それらの食器底部に、ウソップは滑り止めゴムを貼り付けて、加工を施した。ジェシカが零しにくく食べやすいよう、ワンプレートで済みつつも、料理が映える食器。サンジからの要望は多かったが、妥協せず探し続け、これなら加工ができるものを見つけ出した。
 同時にウソップは、ジェシカのマグカップにと、特殊な素材を使用したコップを作り出した。握力が弱くても掴みやすく、手が滑りにくいコップは取っ手がついている。さらに、蓋をつけることが出来、ストローも小さな穴に刺せる優れもの。蓋はコップを傾けても、外れない仕様になっている。
 他にもウソップは、滑りにくく持ちやすいスプーンやフォーク、滑り止め加工されたトレーなど、いくつか製作したものを、ジェシカにプレゼントした。
「まあウソップ様にかかれば、朝飯前よ!」
「うれしい、すごく嬉しい! これで私、サンジくんの美味しい料理を零さず上手に食べられるんだね……! ありがとう、ウソップくん!」
「うおっ!?」
「んなァ〜!? ジェシカちゅわん! 喜んでくれるのは嬉しいけどォ〜! ウソップに抱きつかなくてもいいんじゃな〜い!? おいウソップ、そこをどけ」
「怖ぇよサンジ! 痛っ、ジェシカ! 力が強ぇ!」 
 感激するほど、抱きついてお礼を伝えてくれるのは、作者冥利に尽きる。しかしジェシカ、それはサンジの前ではやらないほうがいい。睨みだけでおれの魂が抜けてしまう。
「ごめんウソップくん……骨折れてたりしない?」
「しないわ! つーかそれだけで骨折れたら怖ぇわ!」
「おれはジェシカちゃんの愛で骨が折れるなら万々歳だよ〜!」
 ジェシカの腕から解放される。ようやく息ができるとウソップは胸を撫で下ろした。呼吸を整える一方で、クルクルとジェシカの周りを回っているサンジを盗み見る。
――あのサンジが、一人の女を好きになるだなんてな。
 今でも信じられない。しかし現実は、ジェシカはサンジの『特別』だった。ナミやロビン、他の女に対する反応と似ているが、よく観察すれば、ジェシカ相手にはなにかが違う。そのなにかがウソップにはわからなかったが、自分の判断は間違っていないだろう。
「ウソップくん、本当にありがとう!」
「おれからも礼を言うよ、ウソップ。無茶を聞いてくれて、ありがとう」
――おしどり夫婦みたいな反応しやがって。
 なんだかこっちが照れくさくなってくる。ウソップは指の背で鼻の下に触れる。へへっと笑った。真っ直ぐに感謝されるのは擽ったい。
「大切に使うね」
 ジェシカはカヤみたいに、いやそれ以上に綺麗だと感じるほど笑みを浮かべた。
――なんだ、嘘なんか必要ねぇじゃんか。
 サンジと嬉しそうに話しながら、楽しげに大きな口を開けて笑うジェシカに、わざわざ嘘をついて笑わせる必要はなかったのだと、ウソップは悟った。

22,06.11



All of Me
望楼