“三人”きりの夜


 シャッキーの丁寧な手当により、ジェシカはいま店奥の客間のベッドに寝かされている。以前意識は覚醒せず、助け出した時からずっと眠っている状態だ。
 ゾロが『ぼったくりバー』にたどり着いたのは、夜更けのことだった。シャボンディ諸島中を歩き回った結果、ようやくゾロはたどり着く。到着した頃には、すべて終わっていた。
 通された客間では、月明かりが窓から差し込む薄暗いところだった。月明かりに照らされたジェシカが淡く白く光っていて、まるで別世界の住人のみたいだ。
 手当が施されたジェシカは包帯や湿布まみれで、静かにベッドに横たわっていた。近づいて顔色を確認したが、息はしている。そうしないと死んでいるのかと勘違いしてしまうほど、ジェシカの顔色は悪かった。
 ゾロはサンジが置いていった食料リュックを床に置くと、酒を取り出す。パンパンに詰め込んであったリュックから酒を探すのは至難の業だったが、勘に従って取り出した。
 ゾロがコルクを開けて飲み始めても、サンジは何も言わなかった。サンジは、壁に背を向けて座り込み、タバコをくゆらせている。ジェシカのように顔色が悪い。事が一段落してもなお、心の傷は深いのだろう。
「おい」
「……なんだ」
「シケたツラしてんじゃねェよ」
 ゾロはサンジに釘を刺す。サンジは気だるく返答した。
「テメェのツラ拝んでから言うんだな」
 ゾロは目を見開いた。同じような顔をしていたのか、おれは。自覚している以上に、今回のジェシカの件について、衝撃は大きかったようだ。
「……薬、」
「ア?」
「薬を、飲ませたんだ」
「……っ」
 なんの、とは返事がしがたかった。しかし、ジェシカの被害を思い出し、何の薬なはすぐに想像がつく。ゾロは腹の底が冷たくなっていくようだった。
「わかるか? わからなそうなお前に教えてやる。緊急避妊薬だよ。シャッキーちゃんに言われて、薬屋まで走って手に入れた。戻ってきて、急いで飲ませたさ。意識はなかったがな」
 サンジは恐ろしいくらい淡々と、早口で話した。まるで感情をあえて抑えているかのようだ。本当は、喚き散らしたくて、暴れ回りたくて仕方がないはずだ。
「――……アイツらは、殺したのか」
 それは、雨の中足音を消して、一歩踏み込んだような声だった。
「……いや、致命傷だ」
 殺してやりたいくらいだった。殺してもいいほどのことを、あの男どもはジェシカにしたのだ。慈悲など必要がなかった。ゾロは、最後の最後まで殺す気でいたのも事実だ。しかしゾロの手を止めたのも、ジェシカの存在だった。
「ジェシカは“それ”を、望むかどうか。……そう考えた結果、やめた。まあ、股間は切り刻んでやったがな」
「ハハッ。死んだ方がマシだな、そりゃあ」
 ようやくサンジの笑みがこぼれる。吸殻を携帯灰皿に押し付けて、ぐしゃりと煙草を潰した。新たに煙草を取り出し、フィルターを噛み締めて火をつける。ぼうっと明るくなる室内に、自然とゾロの視線はサンジへ向かう。長い前髪に隠れて表情はよく見えなかった。
「……明日か」
「ああ、明日だ」
 二年後の『約束の日』は翌日だ。ついに待ちに待った日だと言うのに、二人の心は浮かばれない。それはジェシカの存在が原因なことに、二人は口に出さなくても気づいている。
「……おれは、ジェシカちゃんを、一人残して海に出るなんてできねェ」
「…………」
 だろうな。ゾロはそう即答しそうになったが、口を開いて止めた。何も言う必要はなかった。それはサンジ本人だけでなく、きっと仲間全員が理解できることだった。そして、仲間全員がサンジと同じ考えだろう。あの戦闘を生き延びて、試練すら乗り越えて再び出会えるのだ。もう仲間を失うなんてこと、誰もしたくないはずだ。
「おれは船長の判断を“信じる”」
 ゾロは言い切った。けれど、語尾は普段と違っていた。普段ならば“信じる”ではなく、“従う”はずだ。これまでもそうだし、これからもそうだ。
 ゾロが未来を信じたくなるほど、ジェシカが船に乗るかどうかの決断は、シャボン玉のように脆く、淡い希望である。

22,06.17



All of Me
望楼