一は全、全は一


 スリラーバークにて念願の音楽家を仲間に引き入れた。その後寄港した島で、新しく仲間になったのはジェシカだ。
 ルフィとジェシカの出逢いは偶然だった。その日ルフィは、冷蔵庫の食材を食べ尽くしてしまい、サンジにこっぴどく怒られ昼食抜きを言い渡されてしまっていた。島で食事を摂ろうとしても、所持金が無い状態で、宛もなく歩いていたところ出会った。
「ジェシカお前、科学者なのかァ!? すっげぇ!」
 ルフィは初めて見た時から、コイツはいいやつだと確信していた。だって、サンジの目を盗んで盗み食いをした罰として、抜かれてしまった昼食を、譲ってくれたのだ。料理はあまり得意ではないと言いながらも、家に招いて簡単なものを作ってくれた。満腹にはならなかったが、空腹を凌ぐことはできた。
 ジェシカが誰で、ここで何をしているのか。ルフィは気になることが口からどんどん飛び出していく。ジェシカは食器を洗いながら、楽しそうに笑いながら答えてくれた。ナミだったら「一個ずつ聞きなさいよ!」と怒るだろう。
――ジェシカはやっぱ優しいやつだ!
 ルフィは比較しても仕方がないナミとジェシカを比べて、ゲップを零しながら再度ジェシカの認識を改める。
「……ンでも、科学者ってなにするんだ?」
「そんな大それたことはできないけど。そうだね……」
 疑問にすぐジェシカは答えてくれた。材料の粉やら使うビーカーを出して、どんどん手を動かしていく。計って、混ぜて、捏ねて、切っただけ。魔法みたいな手つきで、すぐにラムネを作ってくれた。
「すっげぇ! すっげぇなあジェシカ! ラムネって作れるのか! 食ってもいいか!?」
 ジェシカの返事を待たずに口に放り込んだ。
「すっぺー! でも甘ぇ! 美味い!」
 本当は切った後に固めるらしい。固める時間は惜しい。固まってないから、口の中に入れると溶けていくらしい。シュワシュワしながら一瞬で溶けてしまうラムネ。口の中はきっと今、海の中みたいになってる。炭酸の泡は気泡のように上へと昇っていく。
「簡単だから、ルフィくんも作れるよ。もしよかったら、一緒に作ってみる?」
 お代わりを要求しようと口を開こうとすると、思いがけない言葉をかけられる。
「ジェシカじゃなくて、おれが作るのかァ?」
 生まれてからまともに料理をしたことなんて、肉を焼くくらいだ。
「ラムネを作ってお友だちに渡したら、きっと喜ぶと思うよ。怒ってた子も許してくれるんじゃないかな」
 ジェシカが続けた言葉に、ルフィはその様子を想像した。驚く仲間たちに、わくわくして居てもたってもいられない。ラムネを食べてもらって、美味しい美味しいと笑う様子に、心がまるで浮き輪を使って海にぷかぷか浮いている気分になった。
「作ろう! 教えてくれ、ジェシカ!」

 ルフィは教わりつつも、流れに身を任せて自分流に手を動かした。材料を零す、混ぜすぎる、ビーカーを落としかける、テーブルを散らかす……。ルフィ本人はハプニングだと捉えていないそれを連発した。しかし、ジェシカは笑いながら修正点を隣で伝えていた。
 ジェシカがラムネを作り上げた時間の倍以上時間をかけながらも、ルフィはやっと、ジェシカが作ったものに近いラムネを完成させた。ルフィは完成した嬉しさで、作ったラムネの半分ほどを自分で食べてしまう。残ったそれはクルーが二粒ずつほどしか食べられない量だった。それでも、ルフィはクルーが食べてくれる様子を想像して、ひたすら上機嫌だった。
 ジェシカは、ルフィが丹精込めて作ったラムネを崩してしまわないよう、気をつけて包み紙に包んだ後、小瓶に詰めた。ルフィがラムネを粉々にしないように持って帰ることは難しそうだと、ジェシカは調理の様子から気づいた上での配慮であった。
 ルフィは大喜びして船に小瓶を持ち帰る。その後、とある出来事をきっかけに再会を果たし、ジェシカは麦わらの一味に加入することになった。

   *

 ジェシカは時々よくわからないことを言う。いつもわかりやすく話しかけてくれるのに、なぜだか変な言い回しのような、呪文のようなことを言うことがある。それを理解できるのはサンジやナミ、ロビンやブルックだとルフィは感じている。自分やウソップ、ゾロは何を言ってるのかわからないことが多い。
 そして今日もまた、ジェシカのクイズの時間が始まるのだ。ちょうどジェシカが洗濯物を干していて、ルフィの冒険話が一通り終了したときだった。
「ねえルフィくん。『一は全、全は一』って、どういう意味だと思う?」
「……なんだァそれ?」
 今日のクイズは特にわけがわからなかった。なんの呪文かと思ったくらいだ。
「いちはぜんのいち?」
「ふふっ、ごはんの名前みたい」
「メシの話しかァ!?」
「ちがうちがう、ごめんね紛らわしくて」
「なんだー……メシの話じゃねェのかぁ……」
 ルフィはだらんと項垂れてしまう。ジェシカはごめんと謝っているのに、なんだかくすくす笑っている。
「『一は全、全は一』だよ」
「いちはぜん? ぜんはいちィ?」
 なにかのひっかけか? ルフィはすぐさま首を傾げる。首を傾げ過ぎて、首が伸びてぐるんと一周してしまう。ジェシカにそれを見られて「わぁ、ぐるんってなってるよ、ルフィくん!」と少し慌てられた。大丈夫、こんなの腕が伸びるのと同じくらいだと笑って見せて、さらに首を伸ばしてぐるんぐるんと回してみせると、ジェシカは肩を揺らして笑っていた。
「すぐに答えなくてもいいの。忘れちゃってもいいよ。でも、もし覚えていたら、ちょっと考えてみて。ルフィくんの答えが聞きたいな」
「おれの答え……ってことは、答えは一つじゃないのか?」
「人によって、それぞれ解釈が違うだけだよ。だいたいみんな同じ考えに到達する」
 楽しみにしてるねとジェシカは笑い、別の話題がはじまった。この前食べたサンジのデザートがとても美味しかったという話だ。ルフィには振る舞われない、サンジの言う『レディ限定デザート』。ルフィは食べられなかったことをひどく悔やんでいた覚えがあり、瞬時にその話題に乗っていた。ルフィはデザートの話題を楽しむあまり、ジェシカのクイズを一時忘れてしまっていた。

   *

 ジェシカが一味に入るきっかけになったのは、空腹のルフィを助けたことに他ならないが、その後に起きた騒動もきっかけである。麦わらの一味だと気づいた名も知らぬ海賊数名が、賞金目当てに襲いかかってきた時、ちょうどジェシカも一緒にいたところだった。海を眺めてジェシカと話しているところに、敵がやってきたのだ。
 ルフィは海や冒険の話に夢中で、敵が気配を消して迫ってきていることに気づかなかった。海と冒険の話をして、ジェシカの食いつきがよかったら、船にぜひ一緒に乗ろうと誘おうと考えていたのだ。
「ルフィくん!」
 敵の攻撃に、先に気づいたのはジェシカだった。ジェシカは敵のナイフを右手で受け止めて、ギュッと握りしめた。相手がナイフを掴まれたせいで動けないでいるところを、腹を蹴りあげたのだ。ジェシカは真っ先に自分の身体を盾にした。
「ジェシカ! おい、大丈夫か!?」
「このくらい平気。それより、こいつらは味方? 敵?」
「敵だ!」
 まるで痛くないとでもいうように、その後ジェシカは、敵の存在に気づいたルフィと共闘して相手を倒していく。途中で合流したサンジとも、協力して敵を蹴散らしていった。そのご、怪我の重大さに気づき先に行動したのは、サンジだった。
「このレディをすぐに船に連れていくぞ! チョッパーに診せる!」
「おう! わかった!」
「お前はレディの荷物を持って来い! おれは先に行く!」
 ジェシカはサンジの破かれたシャツを右手に包まれて、ひょいっと横抱きにされてサニー号へと向かっていった。ルフィはサンジに言われた通り、ジェシカの荷物を持って後を追いかける。ちらりと見えたジェシカの鞄のなかには、気候、航海術といった名前が見えて、ルフィはもしかしてと思考を巡らせる。
 サニー号で治療を受け、ほかの仲間にもジェシカを紹介した後、ルフィは訊ねた。
「ジェシカ、お前……海に出てぇのか?」
「うん、そうだよ」
「なら! おれたちと来ないか!?」
 仲間の驚く声が上がるなか、ジェシカは驚いた表情で、掛けていたサングラスを外していた。右手で外すものだから、チョッパーが「まだ動かすなァ!」と注意している。
「ルフィくん、それ本気?」
「あァ、もちろん!」
「だって、さっき会ったばかりだよ?」
「だってジェシカ、おれにメシ作ってくれたじゃねェか! それに、ラムネも! あっ、そうだ……ほら見ろよ! これ、ジェシカに教えてもらって作ったんだ!」
 ルフィはポケットの中身から、ジェシカから渡されていた小瓶を取りだした。中には少しばかりのラムネが入っている。
「だからよ、さっき会ったばかり、じゃないだろ? なあ、仲間になれよジェシカ! 科学者が仲間だなんて、すっげーかっこいいじゃねぇか!」
「わ、私は……船に乗れたら嬉しいけど……。でも、お仲間さんはそうじゃないんじゃない……?」
 ジェシカの不安げな言葉に、ルフィは仲間を振り返る。クルーたちは納得したような、呆れたような表情をそれぞれ見せていた。
「ルフィが言ったんじゃ仕方がないわ」
「ルフィが言ったんじゃ仕方がない」
「ああ、仕方がねぇな」
「おれはレディが増えるなら大賛成だよ〜!」
「おれも、仲間が増えるの、嬉しいゾ!」
「ヨホホホ! お美しいお嬢さん、よろしくお願いします」
「アウ! 科学者か! 面白ぇじゃねぇか!」
「ふふっ、楽しくなりそうね」
 ナミにウソップ、ゾロとサンジ、チョッパーとブルック、そしてフランキーとロビンがそれぞれの意見を伝える。
「なっ、ほら! ジェシカ、仲間になれよ!」
 こうしてジェシカは半ば無理やりではあったものの、急展開を迎えて、麦わらの一味の迎えられたのだった。

   * * *

『なあジェシカ、『一は全、全は一』って、なんだと思う?』
 なぞなぞを出すように笑うエドワードの顔を、今でもジェシカは思い出せる。その問いに、すぐ答えることができなかった。
――私は、なんて答えたんだっけ。
 エドワードと過ごした日々は色鮮やかで、ジェシカに刺激を与えてくれるものばかりであった。宝箱の中に入れておきたい記憶ばかりなのに、なぜだかそれだけがどうしても思い出せない。
 ルフィに訊いてみたのは、ただ、なんとなくだった。ルフィならなんて答えるのだろう。それが気になって、そうしたらぽろっと口からこぼれていた。
 エドワードはその言葉を、師匠から教わったという。同じように、ジェシカは『彼』から教わっていた。法則を習う際に言葉を教えてもらった記憶がある。
「ジェシカー!」
「っ、なあに?」
 夕暮れ時になって、洗濯物を畳み配り終えたジェシカが一息ついていると、ルフィはどこからとも無くやってきた。
「さっきの答え! 『一は全』のやつ!」
「ッ!」
 まさか本当に考えてくれるだなんて。ジェシカは座っていた場所からぴょんと立ち上がって回答を待つ。
「俺は、海賊王になる男だ!」
「……え?」
 ルフィの決めゼリフのような、毎回聞いている言葉に、ジェシカは首を傾げる。ルフィはニシシッと笑って話を続けた。
「『一』も『全』も、俺だ! 『全』ってすべてってことだろ? なら、すべてを制覇するのは海賊王だ!」
「……!」
 ルフィはしっかりと答えを出した。きっと熟考しなければ出せなかった答えだろう。ルフィなりに考えて、解釈をまとめた。   
『――『全』は世界、『一』は俺!』
 エドワードの回答が思い起こされる。ルフィもエドワードも、似たような考え方をしたのちに、回答を出した。
「――っぷ、はははっ!」
「ん? どうしたジェシカ! なんか変だったか?」
「ちがうちがう! すっごく素敵な考え方だなって思っただけ」
「ステーキ!?」
「素敵。ルフィくんらしい考え方ってこと」
 夕暮れどきの凪いだ風が二人の髪を揺らしていく。潮風に乗って、香ばしい香りがルフィとジェシカの鼻腔をくすぐった。夕飯時を告げる匂いに、ルフィは大声を上げてダイニングへ駆けて行く。
「……応援してるよ、未来の海賊王くん」
 一人残されたジェシカは、その場から動けなかった。美しい海の景色は、この船に乗らなければ見られなかったかもしれないもの。
 この船に乗ってまだ数十日しか経っていないが、クルー全員がやさしくしてくれる。こんな世界が、存在するだなんて。自分が身を置いていいだなんて。ぬるま湯に浸かっているような環境に、ジェシカはこれまでの生活を思い出して、涙を零した。

22,06.18



All of Me
望楼