後悔の先に


――なんだ、ここは。
 エースは痛む背中に手を回せずに、右手で左肩を掴んだ。その際に、脇に挟んでいたボールが転げ落ちたことには気づかない。周囲の光景に唖然としていた。
 こんなのまるで、血液の海じゃないか。エースの視界には、一面の『紅』が広がっている。ドロドロとしたそれはよく見知ったもので、自分の身体にも流れているもの。それが大量に、まるで海のようにどこまでも続いていた。
 鉄臭い臭いに鼻がひん曲がりそうになりながら、エースはどこか腰掛けられる場所がないかと探し始める。血の海には、海兵の身体の一部と見られるものや、白骨化されたもの、その他にも、建造物の一部のようなものまで流れている。
 エースは流れてきた大木に腰を下ろした。背中の出血は未だ続いているようで、気を抜けば意識が朦朧とするだろう。息苦しさを整えようと深く息を吸うが、背中がそれで動くようで、ジクジクと傷跡が痛む。
――ここは、あのバケモンの“中”か?
 黒い大きな化け物。口が裂けるほどに大きく開けて、人間を喰っていた。エースは背中を斬られ、ルフィに『遺言』を伝えた後、視界が真っ暗になった。死んだとばかり思っていたが、濡れた滑り台から崩れ落ちるような感覚の末に、やってきた場所がここだ。
「……喰われた、のが、正しいんだろうな」
 なぜ喰われたのか。それはきっと、あの女の一言に由来している。
『事情がある――あなたを救う』
 耳元で囁かれた言葉と女の姿に目を疑った。救う? 誰が? お前がおれを? 無理に決まっている。
 女は名をヒューズ・ジェシカと名乗っていた。『名誉大罪人』という制度で、海軍にへりくだったやつ。その地位を経て、今回エースの死刑執行を務めると装い救出劇を企てたもの。
――何者なんだ。
 エースはジェシカのことを知らなかった。ルフィの顔見知りだと知ったのは、ルフィが助けに来てくれた時にジェシカを呼んでいたから。それ以外はどのような関係なのかもわからない。
――ルフィ、すまねェ。
 伝えたいことがもっと沢山あった。けれど、あの場で伝えられたのは、ほんのひと握りの言葉だった。もっと、どれだけルフィが大切だったのか、どんなにルフィの夢を応援していたのか、もっと話したいことが沢山あった。あの場じゃなかったら一緒に飲み食いしながら、一晩中語り合いたかった。
――親父。
 きっともう、ニューゲートに会えることは無いだろう。あの言葉は、最後に貰った『愛』だった。ニューゲートが親父でよかった。そんなこと、言葉にするまでもなく、当たり前のことで、家族のあたたかさと尊さを教えてくれた。『父』を与えてくれた。
 おれは親孝行できていたのだろうか。エースはこれまでの人生を振り返る。末っ子という立場で、のびのびと生きさせてもらって、それは親父のためになったことが、あっただろうか。もっとなにか、親父のためにできたことが、あったんじゃないか。もっと、こういう日が来るかもしれないという緊張感の中、生きることだってできたし、もっともっと強くなっていれば、インペルダウンに投獄されることだってなかったかもしれない。全部ぜんぶ、己の弱さからきていることじゃないか。
「くっそォ……! オヤジ……ルフィ……!」
 エースは蹲った。痛みがなくなることはない。背中はジクジクと疼いているし、意識していなければ気を失いそうだった。頭の中も心もぐちゃぐちゃになって、ひしゃげてしまいそうになる。もっと、もっと自分が強くて、周りが見えていて、挑発に乗らなければ、なにか別の未来があったんじゃないか?
「おれはァ……! ――っ!」
 エースがギリギリと歯を食いしばっていた時のことだ。グチャッと粘着質な破裂音がエースの後方で響き渡った。驚いて振り向くと、なにかがむくりと動き出す。
 警戒して立ち上がろうとすると、それは見たことのある顔だった。
「お前……」
 そこにいたのは、エースを“殺した”女だった。

22,06.21



All of Me
望楼