満たしておくれ


 可哀想な娘だ。それがセリム・ブラッドレイ――プライド――が最初に抱いた、ジェシカ・ヒューズの印象だった。
 可哀想に。人間というものは、自他の違いを受け入れることができず、他者を異端と決めつけて攻撃をする。人間の性を見せつけられた興味深い存在、それがジェシカ・ヒューズである。調べれば、彼女はイシュヴァールの中で有名人だった。『悪魔の子』と呼ばれるのは、父親が病を受け入れられないこと、干ばつにより飢餓が流行したことが重なり合い、不幸の象徴となった娘。
 可哀想に。名を与えてくれた錬金術師の青年が、自分が原因となって命を落としてしまう。そしてプライドの関心を引いたのは、その後のジェシカの行動だ。人体錬成を犯したジェシカは、皮膚感覚と引替えに、真理の扉を手にする。
 可哀想に。マース・シューズの手によって保護されたものの、ホムンクルスに目をつけられのが運の尽きだ。『父上』はジェシカを、次の依り代にしようと企てる。そのせいで彼女は大総統キング・ブラッドレイに目をつけられ、無理やり軍に入隊、大総統付きの国家錬金術師となった。
 可哀想に。彼女が、マース・ヒューズの妻が妊娠を機に退役したあとも、『父上』は逃がさなかった。家庭教師を始めたジェシカに声が掛けられて、新たな生徒になったのが、我がセリム・ブラッドレイである。
 可哀想に。どう足掻いたところで、我らから逃げられるわけがないのに。それでもジェシカは足掻いてもがいて、何とか掻い潜り抜けようと努めた。
 諦めず前を向く強かさと脆さに、セリムは惹かれていった。ジェシカの姿勢と彼女の信念に、いつの間にか心が奪われてしまったのだ。

   * * *

――ジェシカ、可愛い僕のジェシカ。
 ジェシカがセリム・ブラッドレイの正体について気づいてもなお、接し方を変えない姿勢に、プライドは好感を持った。
 元々は『父上』の次の依り代となる存在。繋がりを保っておくための、家庭教師という立場の利用だった。しかし、プライドの傲慢な部分がジェシカを捕まえて離さない。いずれは『父上』の一部となる存在であっても、プライドは自分とジェシカの未来を信じて疑わなかった。相手が『父』であれ、負ける気がしなかったのだ。
「ジェシカさん、次はこの本について教えてください!」
 プライドはセリムを装い、ままごとのように家庭教師と生徒という立場で彼女を弄ぶ。ままごとであるそれは、キング・ブラッドレイとその妻と過ごす、ハリボテだらけの家族ごっこに似ていた。プライドは無意識に、ごっこ遊びに興じることを、真剣に取り組んでいたのだ。
「ジェシカさんが教えてくれると、すっごくわかりやすいです!」
 ブラッドレイの妻に無理を強いて、ジェシカが家庭教師として屋敷に来る頻度を増やした。出先で偶然を装って、出会うよう仕組んだことだってあった。
「セリム様、お遊びがすぎますよ」
 プライドが『セリム』を押し通すたびに、ジェシカは困った様に肩を竦める。しかし、それ以上は苦言せずに、最終的にごっこ遊びに付き合ってくれるのだ。
 皮膚感覚がないというメリットはもちろんの事、他のホムンクルスもジェシカを好いている。彼女のどこに惹かれるのか。それを理解している者といない者とでは、彼女との接点の作り方が違う。ジェシカに一番近い存在は自分だと自負している。
 ブラッドレイ付きの国家錬金術師としてジェシカが家に招かれてからというもの、ずっと彼女を追い求めてきた。自分の立場を利用しては、ジェシカを傍に置いた。それだけで心地好い気分になるのに、プライドはその先を求めた。姉のようで妹のような、まるで赤ん坊のような無垢な心を持つ少女。その無垢な心で自分を包み込んでほしい。プライドは、ジェシカの寂しそうな温もりを求め続ける。
 本来ならば、『父上』の一部となるジェシカ。皮膚感覚がないため、都合のいい依り代になる予定である。しかし、プライドは自分以外の者がジェシカを手中に収めようとすることが、許しがたかった。
――なら、唾をつけておけばいいだけだ。
 これから何が起ころうと、ジェシカにまず手をつけるのは自分である。それはホムンクルス、『父上』ですら裏切る行為だ。しかしプライドは傲慢で、はじまりのホムンクルスでもある。
 プライドは『父』を実験だと説き伏せて、ジェシカに自分の『一部』を輸血させようと試みる。ああ、なんて面白いのだろう。もうすぐきみが手に入る。プライドはこれ以上わくわくすることはないのかもしれないと考えた。
 そして、プライドはある日、家庭教師として屋敷を訪れたジェシカの気を失わせる。プライドの持つ注射器には、自分の『一部』である、賢者の石の液体が入っていた。
「――さあジェシカ、僕と一つになりましょうね」
 可哀想なジェシカ。僕の欠片を、きみに注いであげる。

22,06.23



All of Me
望楼