再廻


 ホムンクルス・プライドは、周囲にある血の濁流をさして気にとめず、静かに座り込んでいる。その光景はちぐはぐで、ジェシカはくらりと目眩がした。
 なぜここに。ここはどこなのか。プライドは、自分は、生きているのか。次々と湧き上がる疑問は、血の濁流のように絶えずジェシカの脳を駆け巡っていく。
 プライドは大きな瞳を宿す目尻を柔らかくして、ジェシカに微笑みかけてくる。ジェシカは肩が強ばった気がした。
「どうして……? どうしてプライドがここに?」
「ああ。やっと話せましたね、ジェシカ。僕はこのときをずっと待っていた」
 ジェシカの混乱はプライドに受け止められることなく、宙に浮くように消えていく。
――どうしてプライドが生きている?
 エドワードに倒されて、赤ん坊の姿になったと聞いている。それに、ここはどこなのか。自分はどうなってしまったの?
 ジェシカは絶えず浮かび上がる疑問に溺れてしまいそうになる。プライドの楽しそうな笑い声に、さらに混乱しそうになった。
「ふふっ、可愛いですねジェシカ。きみは本当に頭が回る子だ」
「……笑ってないで説明して。ここはどこ、どうして貴方がいるの」
 ジェシカは眉間に皺を寄せる。必要な回答をいつまでも与えてくれないプライドに苛立っていた。ここまで感情を剥き出しにしたのも久しぶりだ。常に冷静沈着を心掛けていたジェシカは、久々に苛立つ感情を手の上に転がしては増加させていく。
「ここは、言わば『魂の暴風雨』。そしてまたの名を、『賢者の石』であり……ジェシカ、きみの『中』です」
「は……? 私の、『中』?」
 ジェシカの表情は強ばっていく。プライドの言葉は真実なのだろう。比喩等はまったくされていないように思える。しかし、魂の暴風雨であって、賢者の石であって、さらにはジェシカの中という回答は、すぐに理解できるものではなかった。
「覚えていませんか? ブラッドレイの屋敷で、きみが気を失ったときのことを」
 屋敷で気を失ったこと。ジェシカは過去を遡る。あれは確か、セリム・ブラッドレイがホムンクルスだと知ってしばらくした頃の話。普段通り、家庭教師として屋敷を訪れていた時のこと。ブラッドレイ婦人は席を外していて、セリムと二人きりになったときだ。
「そのときに私がしたことを、思い出してください」
「私にしたこと……っ!」
「そう、きみの中に『僕』を紛れ込ませました。今の僕は、プライドの魂の半分……といったところでしょうか」
「魂の、半分……?」
 プライドの説明は、聞いたことのある内容が含まれていた。『僕を紛れ込ませた』という話を、ジェシカは当時耳にしたことがある。そうだ。あの日、目が覚めたらセリム・ブラッドレイではなく、ホムンクルスのプライドが目の前に立っていた。使用した注射器を見せて、「僕の欠片をきみに注ぎました」と伝えられた。
 最初は何を話しているのかわからなかったが、段々とその真意に気づき、ジェシカは血の気が引く思いがした。プライドの欠片――つまり、賢者の石を血液内に混入されたのだ。
「うまく混ざりあってくれました。さすが、優秀ですね、ジェシカ。これできみと僕は、一心同体です」
 プライドは心底嬉しそうに話を続ける。ジェシカは感覚がないはずなのに、腹の底からヒヤリとした何かが全身に巡っていくようだった。
「混ざり……あった? じゃあ、私は……」
「この通り。混ざりあったおかげで、きみの身体の中にある、僕の魂の半分は生き続け、きみは晴れて僕たちの本当の『仲間』になったんです」
「私は、ホムンクルスになった、ってこと……?」
「賢いですね。ジェシカ。ラースほど賢者の石を混入してはいませんが、怪我を治すことくらいは簡単にできますよ。ホーエンハイムのように、ノーモーションでの錬成も、やろうとすれば可能です」
「っ……」
 人間ではなくなった。ホムンクルスになってしまった。その事実は言葉を失くさせる。
「ラストが言っていたでしょう。『賢者の石は引かれあうもの』だと。それは、きみの中に僕の欠片が流れていることを表していたんですよ」
「なんでその言葉……知って……」
「ずっと見ていました。ジェシカがラスト達と再会したことも、彼女らと共闘したことも、一人の人間を助けるために、計画的犯行に及んだことも」
「……なにもかもお見通しなんだね」
 プライドの言葉に、プライドが身体の中にいるのを自分だけが知らなかった事実だと悟る。すでにラスト達は気づいていた。気づいていたから、わざとあの言葉を囁いた。
 なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、なにか変わったかもしれないのに。
 ジェシカはそこまで考えて頭を振る。いいや、なにも変わらなかった。プライドがいてもいなくても、ポートガス・D・エースを救うことに躊躇いもなかった。
――じゃあ、この二年間、ずっとプライドは黙って見ていたということ?
 ジェシカは新たな疑問が浮かぶ。なぜプライドは今になってジェシカと接触したのか。自我があったのなら、すぐにだってこの空間に呼び込むことだってできたはずだ。
「どうして今になって? この二年間、ずっと見ていただけだったの?」
 ジェシカはプライドに問う。プライドは微笑みを消して肩を落とした。
「……この姿――セリム・ブラッドレイの型になるまでに時間を要しましてね。魂の暴風雨の中、気を取り戻すまでにも手間取りました。その間、きみを見ていることしかできませんでしたが」
 プライドは言葉を切ると、足の上で両手を組んだ。ぐっと力が加えられた手には血管が浮かび上がっている。
「……僕の可愛いジェシカが、何も出来ない人間ごときに踏み躙られたのは許し難いことだ。怒りで我を忘れてしまいそうになりましたよ。……危うく、暴走しそうになりました」
「暴走……影のようなものを現して、攻撃するってこと?」
「ええ。簡単にできますよ。しかし、タイミングが悪かった」
「タイミング……?」
 ジェシカは首を傾げる。プライドの言うことは理解できた。しかし、暴走しかけたという話題には眉を顰める。タイミングが悪いとは一体どういうことだろう。
「目が覚めたら、分かりますよ」
「! 私は今、眠っているの?」
「ええ。手酷く体力と気力を消耗したでしょう。ですから、これからの話は、また今度にしましょう」
「また今度って……どうやったらまた会えるの?」
 聞きたいことがまだ山ほどある。なぜプライドは自分の魂と賢者の石を混入したのか。本体が倒されてもジェシカの中で生き延びているのはどうしてか。何が目的なのか。
「ふふっ、そんなに心配しなくても、これからはもう、簡単に僕に会えますよ。目を閉じて話しかけてくれさえすれば、すぐに僕は返事をします」
 花がほころぶように笑うプライドに、ジェシカは目を丸くする。どうしてそこまで嬉しそうにするの。一人で寂しかったの。ずっとこんな場所にいて、苦しくないの。問い掛けたい言葉はジェシカの心の中に留まるだけで、言葉にならなかった。プライドのあまりに嬉しそうな顔に、ジェシカは息を呑んだ。
「……さあ、そろそろ目覚めてはどうです? 頃合いだ」
「頃合いって?」
「今日は首を傾げてばかりですね、ジェシカ。……目を覚ませば、わかりますよ」
 プライドの言葉に、ジェシカは次第にぼうっとしてくる。瞼が自然と落ちてきて、視界がぼやけていく。
「プライド……そばにいてね」
 ジェシカは視界が真っ暗になる直前、ぽつりと言葉をこぼす。するりと零れていた言葉は、ずっとジェシカが抱えていた孤独を表しているようだった。
「――もちろん。僕とジェシカは、一つになったんだから」
 プライドの嬉しそうな声を最後に、ジェシカは意識を失った。

22,07.08



All of Me
望楼