明かされた真実


「ジェシカ……その怪我、誰にやられた?」
 ルフィの声は普段の風船のようにふわふわと浮かぶ楽しげなものではなく、ひどく真面目な声だった。耳を澄ませていた一味はドキリとする。ルフィの真面目な声は、あまり聞く機会が無いからだ。
 ジェシカは口を開くも、何も言わず静かに唇を閉じる。指先は絶えず弄られており、そわそわと忙しなかった。
 ルフィはジェシカの回答を待った。しかし、いつまでもジェシカからの声は聞こえない。
――言いたくねぇのか?
 ルフィはふと、ジェシカが男性から冷やかしや酷い言葉をかけられていたことを思い出す。ルフィの眉間には皺がぎゅっと寄った。その光景を思い出しただけで、腹が立ってくる。おれの大切な仲間に、なんてことをしてくれているんだ。大きな声で叫んで、ジェシカを傷つけたヤツらを倒してやりたくなる。
 ルフィはジェシカをじっと見つめた。しかし、いつまでも目が合うことは無い。ジェシカはずっと下を向いていて、指をそわそわさせている。ルフィはそれが気に食わなくて、ジェシカに近寄り、細い両肩に手を伸ばした。
「ジェシカ、こっち見ろ」
 ジェシカはビクッとした後、ゆっくりと視線をあげる。ようやくジェシカと目が合った。サングラス越しの赤い瞳は揺れている。
――ジェシカって、こんな小さかったか?
 ルフィは改めてジェシカの身体を見る。自分の方が背が高いことは知っていたが、ジェシカが見上げてくる様子に、ルフィは改めてジェシカの小ささを実感する。肩なんて、少し力を入れただけで折れてしまいそうだった。
――こんな身体で、今まで闘ってたんだな。
 ルフィはシャボンディ諸島で散り散りになったときのこと、マリンフォードにて再会した時のことを思い出していく。一味の中でも強い方に分類されるジェシカは、いつだってルフィやゾロ、サンジの次に攻撃を繰り出し、戦闘に参加していた。
――やっぱり、おれはジェシカのことをまだ知らない。
 仲間だからと知ったかぶりをしていた。しかし、そうでは無かった。知らないことが多すぎる。ルフィは下唇を噛む。知りたい、ジェシカのこと。もっと、色んなことを。どうすれば教えてもらえるんだ? ジェシカはなんと言ったらすべて話してくれる? ルフィは考えすぎて頭から煙が出てきそうだった。
「ジェシカ、おれは、お前のことが知りたい」
 ルフィはゆっくりとジェシカに本心を伝える。ジェシカは目を丸くしていた。それでも、ジェシカから目が逸らされることはなかった。ルフィは無意識に胸を撫で下ろす。
「考えてることとか、思ってることとか……ジェシカのこと、全部知りてぇ」
 ルフィは語りかける。ジェシカの肩がピクリと動いた気がした。ルフィは壊れないようにと意識しながら、ジェシカの肩を掴む手を強くする。
「過ぎたことは変わらない。そんなことわかってる。でも、知りてぇんだ、あの時の……二年前の、マリンフォードでのこと」
 ジェシカの唇がそっと動いた。すぐにまた口を閉じてしまうが、よく見ると唇は震えていた。次第にゆるゆるとジェシカの頭が下がっていき、また目が合わなくなってしまう。ルフィは顔を覗き込みたくなる気持ちを抑えて、そのままジェシカの行動を眺めていた。
 ジェシカは腹の前で手を組んで、指先に力を込めていた。ぎゅっと握りしめている手はただでさえ白いのに、力を入れたことで青白くなっている。腕や肩はぷるぷると小刻みに震えていた。
 ぽたりと頬を伝う涙に、ルフィはぎょっとした。肩を掴んでいる指先に力が込められる。ジェシカは唇を引きしめながら涙を流していた。とめどなく落ちていく涙に、ルフィはぎゅっと胸が締め付けられる。
「……っ」
 ジェシカは組んでいた両手を離し、片手でサングラスを取り、もう片手で涙を拭った。それでも涙は溢れてきてサングラスを持つ手でも涙を拭いだす。涙は手に巻かれている包帯を濡らしていった。
「ジェシカ。本当のこと、話せ」
 ルフィの静かな声が響き渡る。ジェシカは拭っていた手を止めた。持っていたサングラスを、ゆっくりとコートのポケットに仕舞う。
 ルフィはジェシカから目を逸らさずにいつつも、レイリーが話していたことを思い出していた。
『ジェシカは本当はやりたくなかったのに、そうするしかなかった。そのためには、『名誉大罪人』になる必要があった。ルフィが傷つくことを承知の上だったから、『許さないで』と言った……』
 確かめなければならない。船長として、仲間として。
「ん……?」
 ルフィの左手首に、ジェシカの手が触れた。肩に触れた手を離して下ろす仕草に、ルフィはジェシカのされるがままになる。ジェシカは両手でルフィの手をひっくり返し、手のひらを見えるように動かした。
――なんだ?
 ルフィは首を傾げるが、声が出せなかった。ヤルキマン・マングローブの枝の隙間から、陽の光が線のように差し込んでくる。陽の光にあたるジェシカは、白い髪がキラキラと輝いていて、ルフィは海のように綺麗だと感じた。まるで世界が止まってしまったかのように思えてくる。白い髪がキラキラ、赤い瞳に溜まる涙がキラリと光る。眩しくてルフィは目がチカチカした。
 ルフィの左手の手のひらに、ジェシカの人差し指がそっと触れる。そっと触れる指先が擽ったくて、ルフィは声が出そうになるのをぐっと堪えた。ジェシカは何かを伝えようとしてくれている。ルフィはジェシカの行動を一挙手一投足見逃さないよう集中した。
 ルフィの手のひらに、ジェシカは指先を動かして文字を書いていった。一文字ずつ綴られる言葉に、ルフィは手のひらをじっと見つめた。
「や、く、そ、く……?」
 ボソリとルフィの声が漏れる。ジェシカが書いた言葉は『約束』という言葉。
――約束?
 ルフィは首を傾げる。声をあげようとしたが、ジェシカの指先はまだ動いていた。先ほどよりも強い指先の力にルフィは圧倒されたが、ジェシカは皮膚感覚がないことを思い出す。ならば、この指先の動きだって、ジェシカはとてつもなく集中しながらやっているに違いない。ルフィはジェシカの集中に応えるように、手のひらに書かれる字に集中する。
「……ま、も、る……た、め?」
――約束、守るため?
 ルフィは眉間に皺を寄せる。約束。なんの約束だ。ルフィは思案する。
 ジェシカに触れられていた左手が、ぎゅうっと握りしめられる。ジェシカの両手はカタカタと震えていた。ジェシカを見つめると、唇がゆったりと開いた。
――ご、め、ん、な、さ、い……?
 ジェシカの声が聞こえないのを不思議に思いながら、ルフィはジェシカがゆっくりと口の動きで表した言葉を繋ぎ合わせた。
――約束、守るため、ごめんなさい。
 ジェシカからの言葉をルフィは、もう一度心の中で繰り返し唱える。約束を守るために、エースを処刑した? それがごめんなさいってことか?
 何かが足りない。ルフィは直感的にそう思った。ツギハギだらけの言葉では、結局真相が分からずじまいだった。
『自分がルフィを傷つけることを、ジェシカは分かっていたんだろう。それでも、そう行動するしか無かった』
 レイリーの言葉がルフィの耳の奥で鳴っている。ルフィは腕を組んで考え込みたくなった。しかし、ジェシカに片手が取られてる以上、それは難しい。
 ジェシカはルフィの手を取ったまま、涙を浮かべている。泣くなと言ってやりたかったが、ルフィの口は上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。ルフィを傷つけることを、ジェシカは分かっていた。レイリーの言葉が本当ならば、今のジェシカはルフィ自身を想って泣いていることになる。
「っ……」
「……ジェシカ、まだ言ってねぇことあるだろ。言え、全部教えろ。船長命令だ」
 ルフィはついに真相を確かめようとする。言いづらいのなら、命令してしまえばいい。ルフィはジェシカのことをまだ仲間だと思っていたし、ジェシカの船長は自分だとも考えていた。
 ルフィの片手からジェシカの手が離れていく。再び手のひらを上に向かされて、ジェシカの指先が触れた。海王類の小骨みたいに細い指先が、ルフィに真実を伝えていく。
「っ……!? う、うそ、だろ?」
 ジェシカが指先で書いた言葉に、ルフィは驚愕した。心臓がドキドキと高鳴って、全身に伝わってくる。頭に大きな鐘でもぶつけられたみたいに、ぐわんと脳が回転しているかのようだった。
「エースは……生きてる……!?」
 ルフィのささやき声は、ジェシカにしか聞こえていなかった。ジェシカは小さく頷く。ジェシカに取られたルフィの手は震えた。
『愛してくれて……ありがとう!!』
 マリンフォードでのエースの様子、コルボ山でのエースとの日々が、ルフィの心の中を駆け巡っていく。じわりとルフィの目に涙が滲んだ。ぼろぼろと頬を伝って落ちていくルフィの涙は、ジェシカとルフィの手にを濡らしていく。
「生き゛で……る゛のか……? ほんとうに……?」
 ルフィはジェシカの手をぎゅっと握った。ジェシカには力の強さも濡らしていく涙の温度もわからない。そんなこと、今のルフィの頭からは消え去っていた。
――約束って、もしかして……!
 ジェシカの言った『約束』を、ルフィはなんの事だか思い出した。ジェシカも義兄がいると教えてくれた時、いつか義兄たちも交えて一緒にメシを食おうと約束したのだ。
――ずっと、覚えていてくれたのか……!?
 ルフィを見上げたジェシカは、こくりと頷いて、唇で会話をする。相変わらず声はでなかったが、ゆっくりと真実が告げられた。もう一度伝えられる。生きている、と。
「じ、じゃあ、ジェシカはっ……エースを、救けるために、マリンフォードに来たってことか……? 大芝居打って、エースを助けてくれたのか……?」
 ルフィの声は涙色に震えていた。
 ルフィにはジェシカが嘘をついているだなんて思えなかった。ジェシカは嘘を嫌うということを、ルフィは彼女とウソップのやりとりを見て知っていたからだ。ジェシカは嘘をつかないし、許さない。だから絶対に、告げられた内容が嘘だなんてことは無い。ルフィはジェシカを“知って”いた。
「ジェシカ〜ッ!」
 ルフィは思い切りジェシカを抱きしめた。
 つまり、ジェシカはエースを生かすために、マリンフォードに現れて、あの処刑を行ったということ。どうやってエースを生かし、逃がしたのかはルフィにはわからなかったが、謎だった点と点が繋がって線になったように、ルフィの疑問はジェシカの言葉で解決した。
 サニー号で見守っていた仲間たちは、突然のルフィの行動に驚き声を上げる。ルフィの背中には仲間からの動揺の声や、一部怒りの声が突き刺さっていたが、ルフィはまったく気にならなかった。
「あり゛がとうッ!!」
 涙に濡れたルフィの声が空気を揺らす。『許さないで』なんて言うジェシカの言葉が、ルフィの脳裏にずっと刻まれていた。しかし、真実を知った今、許さないことなんて、どだい無理な話だった。エースは生きている。ジェシカが救ってくれた。そんなことを知らされて、許せないということはないのだ。
 ジェシカは目を丸くする。ルフィに抱き締められ、ジェシカはおずおずとルフィの背中に手を回す。
 マングローブから注がれる順光線が、ルフィとジェシカを照らしていた。

22,07.29



All of Me
望楼