言ノ葉


 ジェシカはサニー号に到着し、船を見上げながら困り果てていた。いまの自分は、音も聞こえず、話もできない。これでは何を伝えられてもわからず、こちらの想いも告げることが出来ない。
――どうすればいいの。
 いまも仲間だと信じたいがためにサニー号へとやって来たものの、本当に今でも自分は『麦わらの一味』の仲間なのだろうか。船長の大切な義兄を“処刑”してまで、仲間でいられるのだろうか。
 意思の疎通は今のところ、筆談でしか行えていなかった。それしか方法がないと理解してはいたものの、あまりの不便さに辟易してしまう。
『ジェシカ、困りごとですか?』
――わかっているくせに。
 プライドが脳内で話しかけてくる。ジェシカは不貞腐れたように返事をする。
『失礼、困っているジェシカも可愛らしくて、つい』
 可愛いと言えばどうにでもなるとでも考えているのだろうか。ジェシカは頬を膨らましたくなる。
『そう不貞腐れないで、ジェシカ。私でいいのなら、力になりますよ』
――っ! それ、どういうこと?
『言わば、通訳ですよ。耳の聞こえぬきみの代わりに、相手が話したことを、心を通してきみに伝えます。それなら機嫌を直してくれますか?』
――いいの……? 大変じゃない?
『ふふっ、謙虚ですね。ただの退屈しのぎですよ』
 プライドの静かな笑みに、ジェシカは借りを作りたくない気持ちがありつつも、プライドの提案にのった。
――よろしく、お願いします。
『丁寧なことで』
 プライドはまたクスクスと笑う。この時はまだ、ルフィとの会話があるだなんて、ジェシカは想像もしていなかった。

   *

 ジェシカはルフィの言葉をプライドに通訳してもらいながら、頭を悩ませた。ルフィは二年前と変わらず真っ直ぐと自分の気持ちをぶつけてくる。ジェシカは受け止めることに手一杯で、応えることが難しくあった。
「ジェシカ、その怪我、どうした」
「こっち見ろ」
「お前のこと、全部知りたい。二年前のマリンフォードのことも」
「本当のこと、教えろ」
 ルフィの言葉がジェシカの心を締め付けていく。
――どうして許さないでいてくれないの?
 ジェシカはルフィの優しさに震えた。許さないでいてくれれば、真っ向から切り捨ててくれたら、どれほど楽だっただろう。もうお前は仲間じゃないと言われ、仇討ちのように攻撃を受けた方が、きっと楽だった。
 しかし、ルフィは真実を確かめようとしている。真っ直ぐに見つめてくるルフィの眼光は強く、ジェシカは言い逃れなどできないことを悟る。同時に言い訳のようなことをしても、すぐに気づかれるだけだ。
 ジェシカは腹を括る。ゴクリと生唾を飲み込み、ルフィの手を取った。
 ジェシカがルフィに伝えた言葉は、簡素なものだった。必要最低限のことしか伝えられない。それは指先で文字を書き伝えるという方法のデメリットとも言える。
 ジェシカが指先にのせた言葉は、『約束』『守るため』の二つのみ。そして唇で伝えた言葉は、謝罪の言葉だった。
「……ジェシカ、まだ言ってねぇことあるだろ。言え、全部教えろ。船長命令だ」
 ルフィは食い下がってくる。ジェシカはマリンフォードでの真実を伝えていいものか悩んだ。一人にでもエースの生存がバレてしまえば、そこから蜘蛛の巣のように真実は広がっていく可能性がある。生存していることが世の中にバレれば、エースはまた海軍から追われる身となり、最悪再度死刑にだってなる可能性だってあるのだ。不安要素は消しておきたい。
 しかし、ジェシカはルフィの発言に従うしか無かった。船長命令と言われてしまえば、ジェシカの逃げ場は存在していない。まだ仲間でいたいと思っていたジェシカだったが、改めて船長命令を下されて、自分が未だに麦わらの一味の一人であることを悟る。それが残酷なほど嬉しくて、ジェシカはルフィの優しさに涙がこぼれそうになった。
――ルフィに、嘘はつけない。
 元来ジェシカは嘘というものを嫌っている。それは誰に対してもそうだし、自分も嘘をつかないように生きてきた。今更生き方を変えることなんて器用なことは、ジェシカには難しい。ジェシカは緊張する身を落ち着かせようと深呼吸をして、再びルフィの手のひらに文字を綴った。
――エース、生きてる。
 簡素なメッセージだったが、指先で伝えるにはこるが限度だった。伝わるだろうか心配もしたが、ルフィはみるみるうちに涙を浮かべて、小声でジェシカに確認してくる。
「エースは……生きている……?」
 ジェシカは頷いた。ルフィが大声で話さなかったこと、そしてメッセージがきちんと伝わったことに胸を撫で下ろす。
 本当は話すつもりなどなかった。ずっと罪を背負う気で、秘密にしようと心に決めていたのに。マリンフォードで、目の前でエースを傷つけ、ルフィの心を傷つけたのだ。ルフィをどれだけ苦しめたのか想像も出来ないが、その苦しみがなかったことになる様な真実を伝えることはできなかった。
「ジェシカ〜ッ!」
 ジェシカはぐいっと引っ張られて、ルフィの胸にぶつかった。抱きしめられていると気づいたのは、ルフィの泣く声が肩口から聞こえてきたからだ。ジェシカはおすおずとルフィの背中に腕を回す。力加減は難しいが、なるべく力を抜くイメージを持ってぽんぽんと背中を叩いた。
 しばらくして泣き止んだルフィは、鼻をすすりながらジェシカの顔を覗き込む。
 風がザアッとルフィとジェシカの間を過ぎ去っていく。髪ははためき、木々はザワザワと葉を擦り合われていた。大きなシャボン玉は泡立つ音を立てて上空へと上がっていく。ジェシカは目を見開いた。
――音が、聞こえる……?
 風とシャボン玉の音を、鮮明にジェシカの脳は知覚した。それまで無音だったジェシカの世界は急に色鮮やかに様々な音を届けてくる。ルフィの息遣い、ざわめく木々とシャボン玉の音、船に乗るクルーたちの声。それらが一気にジェシカの耳に飛び込んできた。
「ジェシカはっ、おれの仲間だ!」
「ッ……!」
 ルフィは太陽のようににっこりと笑った。ジェシカの目から再びぽろぽろと涙が溢れていく。ジェシカの鼓膜は正常に働き、空気を震わせたルフィの声を拾った。
「行くぞジェシカ! みんなが待ってる!」
 ジェシカの耳は、自分が麦わらの一味だと確認されたいま、再び聞こえるようになったのだ。

22,07.29



All of Me
望楼