溶け合う謝罪


 シャボンディ諸島で、仲間と二年越しの再会を果たした。そんなチョッパーの最初の患者は、仲間であるジェシカだった。再会した時、包帯や湿布だらけの彼女を見て、チョッパーは船医としてすぐに対応すると決めていた。ルフィとジェシカの話し合いは時間を要したものの、無事ジェシカは『麦わらの一味』の仲間であることが証明されて、船に乗り込んだのだ。
 船長の掛け声でサニー号が出航する。船が動き出したことを確認して、チョッパーはすぐにジェシカを医療室に呼んだ。再会直前まで耳が聴こえなかったジェシカは、チョッパーの声掛けへの反応が遅れていた。聴覚が戻ったばかりだからとチョッパーは見立てたものの、聴力検査も視野に入れた方がいいかもと見解を示す。
 声が出ないジェシカの診察は、困難を極めた。質問は基本『はい』か『いいえ』で答えられるものにしなければならない。怪我を負った詳細な現場をチョッパーは質疑だけで判断しなければならないのだ。
――こんな傷、誰かに暴行されたとしか言えねぇぞ。
 チョッパーは包帯を変えながら、怪我の酷さにごくりと生唾を飲む。切り傷や打撲痕は痛々しく、チョッパーは何があったのかとジェシカに訊ねた。
「誰かに、やられたんだな」
 ジェシカはこくりと首を縦に振る。肯定を表すジェシカに、チョッパーはカルテを書き込んでいる蹄をぎゅっとさせる。
「何が起きたのか、ここに書いて教えてくれないか」
 チョッパーはメモと筆記用具をジェシカに渡す。受け取ったジェシカは少しぼうっとしていたけれど、チョッパーがカルテに目を移すと、すらすらと怪我の起きた状況を書き出していた。
 ジェシカの怪我は全身に渡っていた。首や手首足首の圧迫痕、頬や腹には殴られ蹴られた痕、足には切り傷。ジェシカの肌は白い。そのため、怪我はより一層酷いように見えてしまう。医者として、それ以上に仲間として、ジェシカが怪我をしたことは許されなかった。
 ジェシカの手が止まったのを見計らい、チョッパーはメモを覗き込む。そこに書かれていたのは、ジェシカが強姦を受けた事実だった。
「っ……!? なんだそれ、許せねぇ!」
 チョッパーは頭に血が上っていく感覚を覚えた。
――許せねぇ、許せるはずがねぇ、絶対に許してやらねぇ!
 何も感じてないように振る舞うジェシカは、チョッパーを見て目を丸くしていた。チョッパーはそれに気づいて怒りを治めようとするが、気持ちのコントロールが上手くいかない。ぎゅっと握りしめた蹄はギリギリと音を立てていて、どうにかなってしまいそうだった。
「っ……」
「! ジェシカ……?」
 チョッパーの蹄に、ジェシカの片手が触れる。そっと包み込んでくれる手に、チョッパーはゆるゆると涙腺が緩んでしまった。
 なんで、どうしてジェシカばかりが、辛い思いをしなけりゃならないんだ。昔から男にそういうことをさせられていた過去があって、今でも傷つかなきゃならないのか。そんなのおかしいだろ。ジェシカはもう、苦しみから解放されていいんじゃないか。
 眉間にぐぐっと皺を寄せて、涙と鼻水が垂れないようチョッパーは必死に耐える。ジェシカは「ありがとう」とでも言うように、チョッパーの蹄をとんとんとあやすように軽く叩いた。まるで「気にするな」とも言われているように思えて、チョッパーはさらに胸が苦しくなる。
「ッ! ジェシカ、身体を確認させてくれ! 腫れていたりしたら大変だ!」
 チョッパーはジェシカに心を支えてもらったと感じつつ、船医として確かめなければならないことを思い出す。ジェシカの下半身を診察しなければならない。乱暴されたということは、つまり、秘部も随分と酷くされたということだ。
 チョッパーが診察の打診をして必要性を話すと、ジェシカはすぐに了承してくれた。ズボンを脱いで横になってもらい、チョッパーはジェシカの診察を開始する。
 予想通り酷く腫れていた。チョッパーは確認を済ませると、ジェシカにそのまま横になって待つようお願いをする。シーツをジェシカにかけてやって、チョッパーは薬草を漁って塗り薬を調合し始めた。
 医療室に控えめなノックが響いたのは、もうすぐで薬が完成するといった頃合だった。
「サンジ! どうかしたか?」
 チョッパーは手を動かしながらも入室したサンジに首を傾げる。サンジは医療室だからかなのか、いつもの煙草を吸う姿ではなかった。珍しいと感じながらも、チョッパーはサンジの返事を待つ。
 サンジはチョッパーを見た後、すぐにジェシカに目を向けた。その視線は真剣で、チョッパーはあれ? と首を傾げる。
――ジェシカ相手には、発作がでないのか?
 サンジは自他ともに認める女好きであり、修行の二年が経つとなぜか女への耐性がなくなっていた。女を見ただけで鼻の下を伸ばし、相手が好みに合えば合うほど鼻血を噴出してしまう。サンジの血液は希少なため、あまり出血してほしくないチョッパーは、たとえ仲間であってもナミやロビンとの接触や目を合わせることをきつく禁じていた。実際、二年越しの再会を果たした時、視界に入れただけで鼻血を出してしまっている。女性への耐性が身につくよう、刺激の少ないところからのリハビリの必要性があるとチョッパーは感じでいた。
 しかし、どうだ。サンジはジェシカを見ても、そんな様子をまったく見せないでいた。ましてや、ジェシカは今下半身にシーツをかけているものの、ズボンを脱いでいる。脱いだズボンはベッド脇に置かれているから、ジェシカの状態をサンジが察することは容易いだろう。サンジならばシーツの下の状態を想像して鼻血を吹くと考えたが、それすらサンジはしなかった。
「伝えなきゃならねぇことがある」
 サンジはチョッパーに目をやったあと、ジェシカの元へ歩みを進めた。ゆっくりと歩くたびにサンジの質の良い革靴の音が医療室に響く。チョッパーは薬の調合の手を止めてサンジに駆け寄った。
「包帯は新しいものに変えた。今は塗り薬の調合中だ」
「ああ。ありがとう、チョッパー。助かるよ」
 まるで自分のことのようにサンジはお礼を言う。ジェシカはサンジが近づいてくるとゆっくりと起き上がり、シーツを下半身に被せたまま、体の向きを変えて床に足をつけた。サンジと向き合えるようにしたのだ。
「チョッパーも聞いていてくれ、船医として」
 船医として。チョッパーは自然と肩に力が入る。
 サンジはジェシカの前にたどり着くと、その場に跪いた。
「触れても、いいかな」
 サンジはジェシカを見上げて許可をとる。ジェシカは頷いた。サンジは小さくお礼を言って、ジェシカの膝の上に置かれていた右手に触れる。ゆっくりと手を包み込むように握った。
 チョッパーはその姿を見て、懐かしいと感じた。ジェシカと初めて出逢ったこの医療室で、運び込まれたジェシカにサンジは今と同じように手に触れたことがある。当時のジェシカは素手で刃物を握ったことにより、右手の手のひらに大きな切り傷ができていた。チョッパーが治療を済ませると、サンジはジェシカの前に跪き、包帯の巻かれた右手に触れてそっと握り、自己紹介をしたことがあった。
 それから二年。二人は二年前と同じように、再び向き合っていた。
「今から話すことは、ジェシカちゃん。きみを傷つけることかもしれない。それでも伝えておいた方がいいから、おれは伝える。……おれのこと、許さなくていいからな」
 まるで懺悔をするかのように、サンジはジェシカに言葉を紡ぎ続ける。チョッパーはなぜかそれが神聖なものに見えてしまう。まるで二人が教会にいるかのようだった。ゴシゴシと目を擦ると、慣れ親しんだ医療室に逆戻りする。いったい今のは何だったんだろう。
「ジェシカちゃん、きみを救出して、『ぼったくりバー』に運んだあと……飲ませたんだ」
 言いづらいようにサンジが吐き出した言葉に、主語はなかった。チョッパーは首を傾げる。何を飲ませたのだろう。ジェシカも同じようにキョトンとした様子だった。
「きみに……薬を飲ませた。……緊急避妊薬だ」
「っ!」
「……ッ」
 サンジが語ったのは、緊急的な処置を施したという話だった。つまり、緊急避妊薬を飲ませなきゃいけない状況に、ジェシカは陥ったということ。ジェシカの下半身の診察をしたチョッパーは薄々気づいていたが、やはり『そういうこと』をジェシカはされたのだ。
 チョッパーがその現場にいたとしても、同じ判断を下すだろう。緊急避妊薬は時間との闘いだ。サンジのことだから、走って薬を手に入れて、急いでジェシカに飲ませたのだろう。想像に容易い光景に、チョッパーは奥歯をギリりとさせた。
「きみに許可なく身体を見てしまったこと、運んで……触れてしまったこと……説明もしないまま、薬を飲ませたこと、謝る。本当に、ごめん」
 サンジはジェシカの手に触れたまま頭を垂れた。ジェシカはぴしりと氷のように固まっていた。
 今はサンジの優しさが、硝子みたいに鋭いものになっていた。サンジがジェシカにしたことは、ジェシカを助けるためには必要不可欠なことだった。そのおかげもあって、ジェシカは今こうして起き上がれて、チョッパーの診察を受けられるほど解決している。
――サンジ、変わっていないな。
 サンジが謝ることはない。チョッパーは直感的にそう思った。しかし、サンジ自身は納得がいかないのだろう。どこまでも優しいやつだと、仲間の良い面に触れて、チョッパーは誇らしくなった。
 氷のように固まっていたジェシカが、ゆるりと動きだす。ジェシカが動き出したのを感じたのだろうサンジは、ゆっくりと頭を上げた。ジェシカはベッドの上に置いてあったメモと筆記用具を手繰り寄せて、何かを書き出していた。サンジはちらりと見えた、すでに書かれている言葉を見て、あからさまに眉間に皺を寄せる。見ていて気持ちのいい言葉ではないからだろう。
 書き終えたジェシカは、サンジをちょんちょんと指でつついて、メモを見るよう促した。チョッパーもサンジの視線に倣ってメモを見る。
『助けてくれて、ありがとう』
 サンジの瞳がつるんと光った。海みたいな青い瞳に波が漂うように涙が浮かぶ。シンプルなお礼の言葉に、どれほどの気持ちがこもっているのか、チョッパーにはわからない。サンジがどんな気持ちでジェシカを助け、薬を飲ませたのかもわからない。
 しかし、ジェシカの言葉を見てぎゅっと彼女の手を握ったサンジと、その手の上から包み込むようにもう片手を乗せたジェシカの二人には、仲直りしたかのような空気が広がっていた。
「もっと……はやく救けられたら」
 サンジが奥歯をギリっと鳴らす。サンジの震える手を握るそれを、ジェシカはサンジの頭に置く。髪を梳かすようにゆったりと手を動かし、ジェシカはサンジの頭を撫でた。
「おれを、許さないでくれ……!」
 ピクリとジェシカの手が止まる。サンジの痛烈な呟きに、チョッパーはなぜだか泣きたくなった。
 ジェシカは唇をもごもごさせていた。開いては閉じてを繰り返し、眉間に眉を寄せている。話しかけたいのに、声が出ない。それがもどかしい。そう言っているようにチョッパーには見えた。
 ジェシカは身体を大きく前に倒して、サンジの頭を抱き締める。言葉が出ない代わりだろう。サンジは震える手をジェシカの背中に回した。
 サンジの鼻を啜る音と、サンジの頭を撫でるジェシカの手の音が、医療室に小さく響いていた。

22,08.12



All of Me
望楼