明日をくれた人


 それは、ジェシカがまだ、『ジェシカ』でなかったときのこと。
 遊びといえば、泥遊びだった。しかし、泥団子などを作るのではない。体中に泥を塗りたくる。
 みんなが自分を遠ざけ暴言を吐くのは、きっとこの白い肌のせいなんだ。みんなと同じような褐色の肌になれば、笑顔を向けてくれるはずだ。
 ジェシカは毎日のように、誰も近づかない秘密の場所で泥を作り、一日かけて肌の白さが見えないように泥で隠して家に帰った。しかし、父親は家の中に入れてはくれなかった。暴言を吐かれ、酒瓶を投げつけられ、お前のせいでアイツは死んだんだと地面が震えるような声をまき散らした。
 ジェシカの母親は、待望の第一子が自分たちとは正反対の真っ白な肌を持って生まれてきたことにショックを受け、還らぬ人となった。父親は母親を愛していた。最愛の妻を亡くした感情の矛先は、ジェシカに向けられた。お前が生まれなければ、お前が褐色の肌だったら、妻は今でも俺の隣で微笑んでくれていたのに。自分の血が流れている実の子を、父は『悪魔の子』だと叫んだ。一連の出来事は瞬く間に集落に知れ渡る。
 同時期、雨が降らずに日照りが続き、人々は干ばつに襲われた。丹精込めて育てた作物は枯れ、沢山の餓死者が出た。そんなとき現れた、畏怖の念すら感じる真っ白な少女。長きに渡る酷い干ばつに、ジェシカの存在は都合が良かった。そこには少なからず父親の同情も入っていたのだろう。
 イシュヴァールの民の間で『悪魔の子』は厄災を招くと噂され煙たがれるようになった。
 そしてジェシカは、独りぼっちになったのである。

   * * *

 名前すら与えられなかった少女にとって、運命の出逢いを果たした青年は、少女の『世界』すべてとなった。
 青年に拾われ、名前を与えられた少女は、青年の尽力あって、みるみるうちに心身ともに成長を遂げる。青年は、少女と生活を送る中で様々なことを教えていった。読み書き計算や家事。空が青い理由、雨が降る仕組み、植物が育つ工程……。そして、なぜ人が産まれ、生きていくのか。
 少女は一生懸命、青年の話に耳を傾けた。青年の話はとても好奇心をくすぐり、興味が湧いた。少女が疑問を投げかけると、青年はすぐに答えを教えるのではなく「一緒に確かめてみよう」といつも少女の手をとった。
 少女は常に、自分と同じ目線でいてくれる青年を慕った。なにをするにも二人はずっと一緒だった。時々街に出掛けては二人で美味しいものを食べ、綺麗な景色に心を癒し、思い出を共有した。
 少女が宗教行事に興味を持ち、「お祈り、すてきだね」と話すと、青年は宗教ごとに祈る内容が違うことを教え、二人だけの『お祈り』をつくってくれた。また、少女が星や惑星に興味を持った時は、アメストリスで一番大きな図書館に行き、星について調べ、夜遅くまで起きて観察を実施した。
 少女が科学と宗教、どちらにも幅広く知識を蓄えたのは、青年がそれらの専門家であったことが理由であろう。青年はアメストリス人で、錬金術師だった。
 そんな少女の『世界』がさらに広がったのは、青年の知り合いだという、友人が二人の家を訪れたことがきっかけだった。それから少女は初めて『友達』を得た。青年の知り合いは、少女の『友達』となった。少女はイシュヴァールの民から忌み嫌われていたが、驚くことに、少女の『友達』も民からのはみ出し者とされていた。『友達』は、イシュヴァラの神の教えに反する錬金術について、部屋にこもって研究する日々が続いていたのだという。青年以外の錬金術師と、少女は初めて会った。『友達』と自分の共通点に、青年が嫉妬するほど、少女は『友達』に懐いた。
 『友達』は、少女がどういう経緯で青年の元に来たのかも、青年が何を想って少女を育てているのかも知っていた。そして『友達』は、自身も少女のために何かしてあげたいと強く思っていた。
 だから、その日から『友達』は、自分が研究をしていて培った知識を少女に教えていった。
 ずっと部屋に閉じこもっている自分を不思議に思っても邪魔は一切してこない家族に感謝した。それに、少女のことは一族全員が知っていたから、近寄る者もいなかった。時々心配して様子を見に来る弟はいたが、さして少女のことは気にしていないようだった。
 少女は水を得た魚のようにぐんぐん成長していった。要領がとても良いらしく、どんどん術をものにしていった。
 少女は楽しかったと同時に嬉しかった。何もできなかった自分が、錬金術や煉丹術を使うことで、青年の役に立つことができたから。青年も、少女が新しい事に挑戦していく様子を温かく見守り、応援した。
 しかし、そんな幸せな日々は突然終わりを告げる。
 アメストリス軍によるイシュバール殲滅戦。『友達』との永遠の別れ。
 愛してやまない青年の死。
 そして、人体錬成。
 青年という『世界』を失った少女の心は再び深い闇に覆われた。生きる理由も目的も失くした。青年が居ないのならば、自分も存在する意味はない。
 少女の瞳は絶望に染まり自ら命を絶とうとした。

 そこに現れたのが、マース・ヒューズという男だった。マースは少女を発見すると目一杯抱きしめた。そして少女を綺麗な布で包み抱き上げ保護した。
 マースは戦線を離脱するアレックス・ルイ・アームストロングに少女を託した。
「この子をグレイシアの元へ連れて行ってくれ。理由は後で話す」
 アレックスは二つの返事で了承し、少女を預かった。そして、マースの言伝通り、少女をグレイシアの元へ連れて行った。
 グレイシアは突然のことに驚いたが、少女を温かく迎え介抱した。けれど少女は自分の殻に閉じこもってばかりだった。グレイシアもどうしたものかと頭を悩ませていた。
 しかし、イシュバール殲滅戦が終わり、マースが帰って来てそれは変わっていく。
 マースは時間が許す限り少女に語り掛けた。少女はそんなマースの姿に、どこか青年の影を見た気がした。マースの話は青年から教わったことの発展したものもあれば、少女が全く知らないこともあった。
 少女は少しずつ、マースの話に相槌や疑問を投げかけていった。好奇心を抑えられなかったのだ。マースが語り、少女が質問し、マースがそれについて応える。ただ、その繰り返し。けれど、マースとの会話は回数を重ねていくごとに、少女の楽しみになっていた。
 そして、少女の『世界』は再び形成され広がっていく。マースに出会ってから、少女はたくさんの人に支えられ自分が生きていることを知った。
 少女、ジェシカにとって、マースの存在はかけがえのないものとなっていた。

22,03.25



All of Me
望楼