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 夜、帰宅してから母に連絡を入れた。金曜日に受け取ることは簡潔に、年末は恐らく帰れないということを遠まわしに伝える。母も私が家を出てから一度も帰っていないこと、去年と同じようなメッセージを送ったことを踏まえてか、強い言葉を使ってくることはない。けれどいつでも帰って来ていいからね、というやさしい言葉が重い。
 父も母も優しいひとだ。2,3ヶ月に一度のペースでインスタント食品や缶詰がどっさりと入った段ボールを送ってくれて、それに合わせて何気なく気遣うように声を掛けてくれる。10年、いやそれよりもまえからふたりはずっとやさしい。ふたりだけじゃない。ふたりのポケモンも、私のポケモンたちも、ずっとやさしかった。だから余計に、実家に帰りたくないと思うのかもしれない。
 メッセージに既読がついたことを確認して、スマホロトムに充電コードを挿してスリープモードにする。仕事で大変なことはなかった。けれどゼンという名前を見たせいか、昔経験した出来事や光景を思い出して一気に精神力が削れた感覚がある。
 深い息を吐き出しながら、ベッドへと倒れ込んだ。しばらくの間干していないそれはどことなくくたびれていて、それにずるずると身体を埋めながら天井を仰ぐ。
 正直、このメンタルは明日も持ち越してしまいそうな気がした。明日だけじゃなくて、少なくとも荷物が届く金曜日までずっとこの調子のような気がする。
 こういうときの気分を紛らわせる方法を、私は持っていなかった。家を出てから食事に対してもうまく関心を持てなくて、読書や運動もなにか違う。身体的な疲労ではなくて、自身のことではあるけれど根が深い問題だと感じる。チャンプルタウンで生活をするようになってからはポケモンと過ごすこともなくなった。トレーナーや職場に出入りする業者が現場のアシストとして連れているところを、遠目から眺めるだけだ。
 ひとりにされたわけじゃなくて、私が自分の意志でひとりになることを選んだ。周りのみんなはずっと私を心配してくれていて、手を差し伸べ続けていてくれて、でもそれが逆に怖かった。自分がどんどんそれに甘えていって、身勝手になって、みんなのやさしさのうえにあぐらをかくような人間になってしまうことが恐ろしかった。
 実際は、本当にひとりになることはできていない。そのときの私に手っ取り早く取れたのが、ひとり暮らしという形で周囲と物理的な距離を置くことだった。
 3年経ってわかったことは、私はひとりでは生きていけなくて、それでもひとりで生きなくちゃいけないということだった。


 平日の5日間が、いつもよりもずっと長く感じた。
 今日までのタスクをするはずの同僚がいきなり休んだ。その分の埋め合わせを私がやるはめになって、退勤できたのは定時を2時間も過ぎたころだった。
 生ものや冷凍食品が入っていないから置き配にしてもらっているとはいえ、荷物をずっと外に置きっぱなしにするのは抵抗を感じる。帰りのバスのなかで、スマホロトムが配達完了の通知を鳴らした。
 いつもと違う時間帯のバスの車内は、定時のそれとは異なる雰囲気がある。疲れ切った空気が車内いっぱいに滞留していて、金曜日だからなおさらそう思えるのかもしれない。座席で深く眠るサラリーマンの男性や、ドア近くに凭れてぼうっと外を眺めている女性。薄く流れる暖房の空気が頬に当たって、ゆるやかな眠気に誘われる。
 それでもバスから降りてしまえば、吹き付ける夜風で一気に眠気は飛んでしまった。ポケモン用の眠気覚ましなんか使うまでもなく現実に意識を戻されて、アパートまでの道をとぼとぼと歩いていく。
 夜風に紛れてふんわりと、飲食街から食べ物の匂いが流れてきた。それを嗅いでも胃の底がむかむかするような不快感を感じて、お腹に空腹感を覚えない。
 冷蔵庫のなかは昨日の夜から空っぽだ。朝は仕事が終わったら買い物に行こうと思っていたけれど、想定外の残業でその気力はすっかりとなくなっていた。そうなると食欲は皆無に等しく、今日はなにも食べずにさっさと寝てしまうのが良いような気がしてきた。
 アパートの階段を登ると、私の部屋の前にひと箱のダンボールが置かれている。ドアを開錠して導線を確保してからダンボールを持ち上げると、それなりの重さに顔を顰めたくなった。缶詰がメインで他にも色々入っているのかもしれない。
 ふと考えてしまう。こういうときに、ゼンがいたら。ゼンだけじゃなく、誰かひとりでも傍に居てくれたら。
 一緒に重い荷物を重いと言いながら運べたら、仕事の嫌なことがどうでもよくなったりするんだろうか?
 でも、いまの私はひとりだ。
 虚しさを感じながら、どうにかしてひと昔前のゲームアクションのようにダンボールを部屋へ押し込んだ。鍵を閉めて、そのままダンボール脇にしゃがみ込む。
 しばらくその状態から動けなくて、立ち上がれたのは30分を過ぎたころだった。


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悲喜として茫洋