「すまないね、もう少し我慢して」

苦笑いのルネを横目に見ながら中を進むと、天井は低いがとても広く、暖炉の暖かい空気に包まれている事が分かる。
この山で一番大きく安全な施設であるため、普段ならもっと賑わっているはずが、この異常気象のせいで登山家すら少ない。それでも物好きな者はいるようで、彼らの宿泊受付を横目に見ながら記帳台へ。

「ゼア嬢」
手元の分厚く大きな登山記録帳を覗き混んでいた目が此方をゆっくりと見やる。
深い皺と垂れた皮によって細くなった目元は、厳しい光を宿していた。
「おやァ、なんだい」
「ブラングスタはいますか?」
「おるよ、奥入りなァ。ヴァンクとジェイがおるから、何か飲みもんでも用意させるといい」
声を掛けられた嫗が、後ろに続く奥を指差した。
棚にごちゃごちゃと薬草の大瓶や記録帳が並ぶ中、隠れるように奥へ続く穴がある。
深緑の地に、赤く鮮やかな民族紋様が描かれた暖簾が下がっているが、穴と言いたくなるほど、低く小さい間口だった。
「ありがとう。あと、ここ1ヶ月の入山記録を見せてくれないかな」
「ええが、ここだけでええのかィ?」
「あぁ、いや、リア・アデーラ登山口のも有れば嬉しい」
「最近1週間のは無いよ」
「問題無いよ。ありがとう」
「用意しとくさ。サ、奥行きなァ」
細長い記帳台の脇から中へ入り暖簾をくぐると、そこは厨房になっている。料理に使う火も暖として使うためだ。
客が少ないので、料理人は乱雑に作られてガタガタする椅子に座り、ゆっくりと茶を飲んで休憩している。
「ルネ?」
「ん?」
「ゼア婆さんのこと“嬢”って呼んでるのかい」
「そうだね、昔から」
90歳過ぎの嫗をお嬢さん扱いできるから、この男は、半ば信仰心的な感情を向けられるのだろうか。
アマデオとしてはちょっとよく解らない。
自分のところの領民はさっぱりとした性格の者が多いし、自分も執着する方ではないから。

厨房を抜け、裏方の廊下に出ると扉や穴がいくつか。すぐのところにある緑色の扉を3度小突いてから開ける。返事はここでは待たない。
少し悲鳴を上げる扉を開ききれば、室内の視線がゆるりと集まった。中には大体10人ほど居るだろうか。

「あれぇ、どうしたんです、領長じゃないですかぁ!」
扉に一番近いところにいた少女じみた容貌の女が嬉しそうに声を上げる。標準語の発音が少し訛っているが、それが可愛らしさに繋がっている様に思えた。
「こんにちは、ジェイ」
「こんにちはぁ!ちょっとまってな、いまお茶淹れぇるよ。そっち座ってぇ」
「ありがとう」
「アマデオもこっちへ」
「あ、あぁ」
部屋は小さな暖炉と食器棚、家具と登山道具なんかが詰め込まれていて、そんなに広くない。
おそらく本来は今見ているよりもう少し広いはずだが、天井に釣り下がっている高山病対策の薬草や吊り下げ型の仮の寝床、その他まじない道具が体感面積を狭めている。
更に暇潰しのボードゲームや本が無造作に机に広がっていて、色鮮やかな民族衣装を翻す彼らと相まって目がチカチカしてしまいそうだ。
「それで、どうしたんです」

銀色の武骨なマグを持ってきた男、ヴァンクは、湯気を立ち上らせるキヨネラ茶を静かに置いた。
キヨネラは部屋の中央付近に釣り下がっている、小さな白い花が咲く薬草だ。気管を拡げてくれるので、高山病対策などとしてしばしば用いられる。

「北の守護と坑道の神が揃ってるなんて珍しいですね」
「その呼び方やめてくれないか…!」
悲痛な声を上げるアマデオをちらりと見たヴァンクはしたり顔だ。こうやってヴァンクが意地悪するから、アマデオは北の拠点に寄り付かないのか、とルネは妙に納得してしまった。





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