○○しないと出られない部屋 その2
 “お互いの指を絡めて踊らないと部屋からは出られません。制限時間は120分です”
 なんと、完結的に書かれた張り紙だろうか。B5のコピー用紙に、ゴシック文字で印字されたそのメッセージを読んだあと、ゆきのはぐるりと部屋を見渡した。部屋の隅には、蓄音機。その隣に隣接されている机の上にはレコードが数枚。そのレコードの隣には“115:04”と、時間が後退していくタイマー時計のようなもの。それ以外はなにもない、簡素なワンフロア。
 その中央で座り込み、未だに眠気眼の友人である男性――豆介にくすりと笑みをひとつ零しつつ、ゆきのは豆介の傍へしゃがみこんだ。

「おはよう、豆介くん」
「ん、はよ……」
「ふふ、まだお眠さんかな?」
「んーん……起きるよ」

 頭をゆるく振った豆介は、もう一度だけ目を擦った後にゆっくりと立ち上がる。ゆきのもまた、それに習うように立ち上がっては張り紙のことを報告した。

「……ドアも開かないの?」
「うん、押しても引いてもダメだったよ」
「よし!今度は俺がやる」

 簡素な白のドアのノブを捻っては、押したり引いたり……男性の豆介でもダメなのだろうか。途中で、ゆきのも加わり二人でドアを押してみるがビクともしない。ノックをしたり、扉の向こう側へと声を掛けてみるものの返事は全くなく、沈黙だけが流れるだけだった。


「ゆきのさ……じゃなくて、ゆきのちゃん。ちょっと離れてて」
「え、豆介くんなにするの?」
「思いっきり体当たりする」
「だ、だめだめだめ!怪我しちゃう!」

 助走をつけようとしているのか、身体を反転させようとした豆介を慌てて静止をかけて、服の裾を握り動きに制限をかける。ゆきのに止められたことにより、豆介の表情は少しだけ苦いものだった。

「俺、怪我しないよ」
「だめ!万が一もあるの!」
「じゃあ、足」
「めっ!諦めるまで放しません!」

 いくらか押し問答を繰り返したが、「わかった」という、豆介の言葉でそれは終結を迎えた。ゆきのはその言葉に満足げに頷いては、服の裾を放し張り紙をもう一度見ようを提案を述べた。
 二人で張り紙の前まで移動をして、気になる個所がないかもう一度紙面へ目を滑らせる――が、特にこれと言って変わったものはなく、見る角度によって他の文字が浮かび上がる……なんてこともなかった。
 きっと部屋の隅にある蓄音機とレコーダーは、この紙に書かれている“踊る”ための楽曲提供だろう。さきほど、ざっとレコードを見たときによくダンスに使われる音楽が何曲かあることを思い出した。
 隔離された空間、張り紙、蓄音機、レコードが数枚、そして後退を続けるタイマー時計――全てが謎で、手詰まりだ。

「豆介くん、この時間ってもしかするともうカウントされてるかも。蓄音機の横に、タイマー時計みたいな――どうしたの?」

 タイマーの存在を口にしようとした時だった、ゆきのが豆介の異変に気が付いたのは。
 黙ったまま、張り紙を見つめている豆介の瞳は、ゆらゆらと揺れ戸惑いに包まれているようにも見える。控えめに流れてきた、横眼の視線がぴったりとゆきのと合ってしまい、それは慌てて顏ごと逸らされた。

「ど、どうしたの?」
「いや!なんでもない!」
「え、ええ?でも……」
「だっ大丈夫!ほら、蓄音機のとこ行ってみようっ」

 足早に蓄音機の方へと行ってしまった豆介の様子に戸惑いつつ、ゆきのは追いかける様に蓄音機の方へと歩を進めた。
 やはり、蓄音機もレコードも特段変わった様子は見受けられない……時計のような物は“112:20”と表示され、やはりこれはタイマーの様だ。

「やっぱり、踊らないとダメなのかな」
「ぅえっ!?」
「え、」
「あ、いや!ちがっ!嫌とかじゃなくて!」
「大丈夫だけど、えっと、豆介くん踊るの苦手?」
「たぶん、教えてもらえれば大丈夫だと思う……けど」
「それじゃあ、いけるそうかな?」
「う、うん……ゆきの、ちゃんは踊れるの?」
「ワルツなら少しくらい踊れるよ」

 レコードのタイトル表記を眺めては、ある一枚のレコードを手にしてそれを蓄音機へとセットする……暫くたてば、華やかなピアノ伴奏が流れ出した。

「踊ってみて、それでもダメなら他の対策取りましょ?」
「う、うん」

 フロアの中央へ進んだゆきのは、戸惑いをそのまま現している豆介に微笑んで手招きをした。ゆっくりと近づいてくれるその表情はやはり晴れやかではない。向か合って手を差し伸べるゆきのに対し、豆介の瞳は揺れて左右を行ったり来たりと忙しなく、頬を少しだけ紅潮しているのは気のせいだろうか。
 明らかな異変に、ゆきのは表情を伺うように豆介の顔を覗き込んだ。

「具合悪いのかな?それとも痛い?」
「ぁ、違う、その……えーっと、非常に言いにくいんだけど……」
「うん、ゆっくりで大丈夫だよ」

 未だに動きを止めない瞳。絡み合わない視線を気にすること様子もなく、ゆきのは次に出てくる言葉を努めて穏やかな表情で待った。
 何度か、深呼吸を繰り返したあと、ようやく平静を取り戻しつつある豆介とパッと目が合う。ゆきのは「なぁに?」と、口では出さないが小首を傾げて微笑んだ。

「俺、その……異性と手繋ぐの苦手、で」

 ぽそりと告げられた言葉に、ゆきのは微笑から一転、きょとりと不意をつかれたような驚いた表情をとった。が、それも直ぐに破顔して、口元を手で隠しクスクスと控えめに笑い出した。そんな様子のゆきのに、豆介はバツ悪そうに顔を赤らめ、また視線を地面に落とす。

「ごめんなさい、笑っちゃった」
「いいよ、別に」
「ごめんね?怒らないで〜可愛いなって思っちゃって」
「……」
「豆介くーん、機嫌直してくれないかな?お姉ちゃん、豆介くんが笑ったお顔が見たいな」
「……ふっ、何それ」

 「小さい子扱いするなよ」と、言った豆介の表情は先程よりも明るいものだ。その表情にゆきのは、ほっと安堵の息をついていつの間にか終わってしまったレコードを再び掛けなおした。
 向かい合って手を差し出す――少しだけ震えている手。流石に、直ぐには慣れないだろう。何度か握りなおしては居心地を確かめる豆介の表情は、困り顔で微かに頬も上気しているが嫌がる素振りは見せなかった。そんな相手の様子に、ゆきのは嬉しさを覚えひっそりと笑った。

「リードは私がするから、豆介くんは適当でいいからね」
「……それ、案外むずかしいんじゃ?」
「ふふ、そうかも。この曲ね、」
「うん?」
「ショパンのワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1っていうの、豆介くんにピッタリな曲だと思うの」
「それってどういう――」
 
 豆介の問いを聞く前に、軽やかにステップを踏む始めたゆきのは「うわっ!」と、声を上げた豆介にクスクスと笑う。抗議しようと口を開きかけたが、楽しそうに笑う彼女に豆介は毒気を抜かれ、たまらず破顔してしまった。

 コミカルな、それでいてリズミカルな曲調の中、二人はめちゃくちゃなステップを踏む。
 それはまるで、子犬の戯れだ。
 




 









ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1…通称「子犬のワルツ」
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