こころを丁寧に折りたたむ
ひんやりと額につけられたその感触が心地いい。霞む視界をクリアにするために、何度も瞬きしていれば視界の隅にある輪郭が段々と形付かれていく――ヘーゼルグリーンの丸い瞳がこちらを不安げに覗き込んでいた。あぁ、この不安げな瞳は頭の片隅に色濃く残っているものだ。
「……かあ、さ?」
「目が覚めましたか?神父様」
相手の声を聞いたところで、ぶつりとその映像は切り替わる。
柔らかな金色の髪は、茶髪に。輪郭も服装もなにもかも……そもそも、記憶の中にある母さんはヘーゼルグリーン色の瞳じゃない。これはとうとう、脳内までも熱にやられているのかもしれない。
僕の額に乗るタオルをとって、それを桶に浸けた彼女・ティラミスは「食欲はありますか?」と、また心痛そうな面持ちで瞳を揺らす。
熱ぐらいで大げさじゃない?
「まあ、食べれなくはない……」
「それは良かったです。今、サンドイッチくんがご飯の支度をしていますから」
「……熱ぐらいで心配しす――つめたっ!?」
「その『熱ぐらい』で、寝込んでるのは誰ですか?」
額に置かれたタオルは、焼けるように熱い額には些か毒だ。相反するその温度は、最初は冷たかったものの段々と心地良さを招いてくる。グラグラと揺らされているような感覚が、少しだけ引いていくのを感じた。
「いま何時?」
「夜ですよ。昼間のお祈りの後に、ぱったり倒れたんですもの。神父様が嫌がるかと思ってお医者様はお呼びしてませんが……わたくしの判断ですと、過労と風邪ですね」
「お仕事もいいですが」と、普段は穏やかな表情が微かに口先を尖らせ、眉を寄せられる。これはお説教モードだ……確かに、自己管理がなってない自分が悪いのだから、怒られてもしかたない。でもそれは、熱が下がった後にでもしてくれないだろうか。流石に、靄がかったハッキリとしない脳内に流れ込んでくる言葉は、頭痛の活性剤になっている。
「だいたい、神父さまは――」
「わかった……わかったから。悪いけど黙って……頭に響く……」
まだまだ続きそうなお小言を制した時だ、僕たちの間に割って入るようなノック音がしたのは。
返事もそこそこに、開けられたドアから顔を出したのはトレーを持ったサンドイッチで「交代するぜ、ティラミスさん」と、告げて仰向けのまま額を抑えている僕を愉しげに覗き込んできた。
「どうだ、神父さま。久しぶりのベットの上は?」
「……最悪」
「それに懲りたらソファじゃなくて、夜はしっかりベットの中で寝ることにした方がいいぜ」
くつくつと喉の奥で忍び笑いを転がせて、サンドイッチは「食べれる?」と、トレーを軽く掲げる。助け起こそうとしてくるティラミスに断わりを入れて、自力で上半身を起き上がらせた。起き上がった瞬間にぐらりと傾きそうになった視界は、長時間寝ても本調子ではないことを物語っている――憂鬱だ。
「それじゃあ、わたくしはカフェの方へ行きますね」
「うん、了解。クローズ作業はもうすぐ終わるから、炊き出しの方よろしく。見回り作業は俺がやっておくから、ティラミスさんたちは先に休んでていいぜ」
「わかりましたわ。それでは神父様、しっかり休んでくださいね?お大事に」
微笑みと共に落ちてきた、たおやかな言葉に短い返事をしてからサンドイッチと遠ざかる栗色を見つめる。耳に届いた静かな開閉音を合図に、僕は再び身体をベットへ沈ませる。
僕の様子にはサンドイッチは特に気にする素振りも見せずに、ベットの端へ腰かけトレーを膝の上に乗せたまま僕の首元へ手を這わせてきた。体感で熱を測ってくれているのは分かっているので、僕自身も特に抵抗もせず、黙ってそれを受け入れる。
予想通り、這わせられた手は「まだ熱いな〜」という、サンドイッチの言葉と共にあっさりと離れていった。
「やっぱり無理そうなら、また後で持ってくるけど」
「……いや、いい。たべる」
「ん、俺が食べさせてやってもいいぜ〜」
「そこまで弱ってない」
再び、身体を起き上がらせてサンドイッチからトレーを受け取る。小鍋の蓋を開ければ、そこにあったのは昔から馴染みのあるミルク粥ではなく、微かに出汁の香りを放ち、ふくふくと柔らかく煮込まれた米粒が艶立つお粥だった。ネギが散らされたそれは、美味しそうな出汁の香りと混ざり合って食欲を刺激させる。
「ミルク粥じゃないんだ」
「あ、そっちが良かったか?」
「そんなワガママ言わないよ……」
「ネギがあったし、神父さまに借りた本にネギは風邪に効くって読んだから入れてみたんだ。レシピは神父さまのレシピ集参考にしたけど」
「美味しい、」
身体は重いはずなのに、スプーンを持つ手の動きは止まらなかった。程よい塩気も、食べやすい柔らかさも――微かに不安げに眉を寄せていた相棒の表情が、僕の言葉で一気に明るさを取り戻し破顔する。明朗なその笑顔は、軋めく僕の胸へ温かさを寄せてくれた。
食べきれるか不安だった食事も杞憂なもので、今では綺麗に器の底を見せている。食事とともに添えられていた薬もしっかりと飲んで、再びベットへと潜り込んだ。胃に食べ物を入れたことで、身体はポカポカと温まるがその後ろからはぞわり、と悪寒が一筋。これはまだ熱が上がりそうだ。
「氷嚢持ってくるからそれまで寝てて」
「うん、……サンドイッチ」
「ん?」
「僕がやらなくちゃいけないのに……けっきょく、きみにふたん、かけてる」
「うん」
「ぼくが、せおわなきゃいけないのに」
「うん」
「……ごめん、」
「謝るなら、早く元気になって神父さまがまたそれを背負ってくれよ」
「うん、……ありがと」
微睡む意識の中で自分で紡ぐ言葉は、自分で発しているのに鼓膜にフィルターがかかったみたいに聞き取れない。しかし、そんな矛盾が発生していても口から零れる音を止められなかった。鼓膜が揺れないくせに、サンドイッチが言ってくれた『背負って』という言葉は、かろうじて聞き取れることができた。
――僕は、まだ背負っていいんだ。
相棒から告げられた言葉に安心して、僕の意識は一気に自分の内側へと引き摺りこまれた。
苦しげな寝言から、穏やかな寝息へと変化した神父さまの表情は、寝息と一緒で同じ表情をしなくちゃいけないのに、痛々しい。
温くなった額のタオルを取り換えて、乱れる髪を整えるように梳いてあげた。
「俺にだって分けていいんだぜ……」
不器用で、未熟な、壮丁的な、俺の御侍さま。
家族『ごっこ』はいつまで?
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