ベリーの余毒
 雨が降りしきる中、ラベンダー色の髪を揺らして蝙蝠傘をさした少年が振り返った。微かに細められた瞳と緩む口端、表情はとても穏やかだ。

「ギルさん。今日も、ご指導ご鞭撻ありがとうございました」
「......フレディ。まだ少し時間はありますか?」
「?、いえ、特に急ぎの用などはありませんが......?」
「それは良かったです」

 フレディ――フレデリックの言葉に、ギルバートはゆったりと綻んで、もう一人ほど通れるくらいに扉を開いては、腕を外から室内の方へ仰ぐ。まるで「中へどうぞ」と、促し招き入れてるかのような動きだ。

「久しぶりにお茶でもどうですか?」

 未だ目を瞬かせているフレデリックにギルバートは、くすりと笑みを深めた。

 窓を打つ雨音は強く、遠くの方からは微かな轟音が聞こえてくる......あのまま帰ってしまえば、きっと、ずぶ濡れだっただろうな。と、フレデリックは、出された紅茶へ二粒の角砂糖を落とし入れながらふと思う――が、自分はそんなことになっても心配をしてくれる人などいないのだから別に良いのか。と、また一人納得した。
 赤茶色の海に白が溶け込むのをジッと見つめていれば、ティーカップの隣には皿に盛られた長方形のクッキーが静かに置かれる......そのままクッキーからそれを置いてくれた人物へ視線を向ければ、ギルバートが「僕の故郷のお菓子で『ショートブレッド』と言います」と、簡単な説明を口した。
 おもむろにクッキーを摘まんで、一口齧る。さっくりとした歯ごたえで、ふわりと香るのはバターだ。咀嚼しようする前に、口内で生地がほろりと崩れた。微かな塩気にのって広がる素朴な味は、紅茶にとても合っている。

「この紅茶、香りに甘みがありますね」
「セカンドフラッシュダージリンです。香りがマスカットみたいじゃないですか?」
「……そうですね、言われてみれば」
「セカンドフラッシュは、茶葉の生育にとって最適なシーズンで『紅茶のシャンパン』という異名まであるんですよ。味、香りがとても良い。対して、春摘みのファーストフラッシュはみずみずしさと渋みがやや強いので、甘めのお菓子に良く合うんです」

 ギルバートの言葉を聞きながら、また一口紅茶を飲む――微かな渋みの奥には砂糖とは違う甘みが顔を出し、口の中を程よく落ち着かせてくれる。
 ギルバートは勉強のこと以外にも、こういう合間にも雑学的知識を与えてくれる。それは、フレデリックが出会ったころから変わらずに続いていることだ。何も知らなかったあの頃よりも知識、マナー、信仰心、身体の動かし方……曖昧なものではなく、確信を得て覚える知識は増え続けている。

 しかし、ふとフレデリックは疑問に思うのだ――この人は『見返り』を求めないのだろうか。

 ゆらりと白磁器の中で揺れる紅茶は、波紋を作り上げ水面に映るフレデリックをぐにゃりと歪める……露呈したい疑問を見事に現わし、カップのそこで微かに形を残している砂糖は『普通』を学びつつも違和を拭え切れないフレデリックみたいだった。

「……ギルさんは僕に沢山の知識をくれます。僕だけじゃない、食霊のみなさんや礼拝者、子供たち……『見返り』を求めようとは思わないんですか?」

 また、水面が揺れる――カップを覗き込んでいる自分の表情が、湾曲して分からない。
 
 今、この口に出してしまった疑問も感情も。

 ギルバートは、すっかり暗くなってしまった窓の外を見つめ「見返り、ね」と口の中で言葉を転がし、俯き気味にこちらの言動を待っているフレデリックを横目で一瞥した。

「そうですね、確かに人は欲深い。善を振り撒きを続ければ、ふと自分へ寄り添ってくれる人を求めてしまうでしょうね」
「でも、ギルさんはそういうのを求めません」
「……僕の事を買いかぶり過ぎですよ、フレデリック」

 雷鳴が近くで声を上げ、雨音が強くなる。
 
「――会えないだけで、いつだって求めてるよ」

 雷鼓の音に紛れたギルバートの囁きは近くにいたフレデリックの鼓膜を揺らすことはなく、ただただ轟音が耳を不愉快に撫でるだけで――腕を組んでいるギルバートが自分の上腕を握り込んでいるのに気が付かなかった。 


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