『賢い助言者』の行方
深く沈んでいた意識が徐々に浮上する。窓から覗くちらつく光を煩わしく思いつつも、ゆっくりと瞼を上げればそこは見慣れた書斎――いつの間にか寝てたのか。
早朝から書斎に篭もり、固い机に資料を散らしたまま突っ伏して眠ったせいか鈍痛が微かに脳内へと響く。それを和らげる為に、米神を指で軽くほぐしながらギルバートは上半身を起こすと肩と机上の変化に気がついた――まず、机の隅には白磁器のティーカップに淹れられた紅茶と、その横には苺のジャムとバター付きのバケットが数個添えられている。そして、肩には見知った白の上着……この上着のお蔭で、誰かに問いを投げかけなくてもこの紅茶をわざわざ運んでくれた人物は、直ぐに分かった。
「来たなら起こしなよ……」
イレブンジズとして持ってきてくれたであろう紅茶は、すっかり湯気を立てることを忘れ、冷めきっている。バケットを摘まみ齧りつけば、冷え固まったパンの焼面が口内を刺した。それを緩和させようと紅茶へ口付けるが、冷めた紅茶は甘み何てなくて渋みばかりが目立つ。しかし、そんな事をギルバートはさして気にもしない。
黙々とバケットを食べ、紅茶を飲む。本来ならば温かい内に食べるもので、お世辞にも美味しいとは言えないものだ。窓からは早朝よりも高く上がった太陽が顔を向けて、こちらを照らしてくれる――それが、これを用意してくれた人物を連想させた。
胸の奥へじんわりと広がる温かの方がくすぐったく、何よりも心地いい。
少しだけ眩しいくらいの陽の光を受けつつ、ギルバートはゆったりと目を細めた。
「サンドイッチは居る?」
ピークの時間まで余裕があるカフェに来店するお客はやはり少なく、店内にはスタッフである食霊たちばかりだ。今日の様な晴天の日は、カフェに隣接している屋外のウッドデッキへ通す様にしているので、店内に人が居なくてもさして気にもならない。
ギルバートの問いかけにティラミスは首を振り、ビーフステーキは首をもたげる。ジンジャーブレッドは何か思案したような顔つきで、皿洗いをしていたがおもむろに口を開いてくれた。
「あたしは見てないな」
「ごめんなさい、神父さま。わたくしもですわ」
「私も見ていない」
「――あいつなら屋上だぞ」
困窮してしまいそうな言葉を振り払ったのは、幼い声。それは、少しだけ棘があり頭に引っ掛かりを覚えてしまうような声色。声のした方へ目を向ければ、食霊たちの住居スペースとして設けている二階へと続く階段から降りてきたローストターキーだった。そのローストターキーは、声の抑揚と同じで顔つきはどこか苦々しく不服げな表情をしてる。
「また喧嘩でもしたわけ?」
「違う!余はまだ納得していないだけだ!余を差し置いてあいつと最初に契約を交わすとは!」
「お坊ちゃん。外には客が居るんだから、もう少し声の大きさ抑えられない?」
皿洗いを終えたジンジャーブレッドは、手を拭きつつ呆れながらローストターキーを見やる。確かに、いくら屋外にお客がいるからと言って、ここの会話が全て遮断されているわけではない。ローストターキー自身もそれには直ぐに勘付き、行き場のない感情を抑えるべく微かに肩を震わせていた。
「ありがと、ローストターキー」
「待て!余の話はまだ終わってないぞ!?」
「だから、この間も言ったでしょ。次にあの洋墨が手に入ったらアンタにするって」
「っ、で、でも!」
「いい子だから、言うこと聞いてよ――ティラミス。悪いけど教会に誰か来たら待たせてもらって。急ぎだったら教えて」
「分かりました」
ほのかに血色の良い、滑らかな片頬を膨らませ、未だ不機嫌そうなローストターキーの頭をひと撫でしてからギルバートは、二階から屋上へ続く場所へと足を向ける。
屋上で干されているまっさらなシーツが風で靡き、一面の蒼天へ白を浮かばせる。それに乱反射する陽光は瞬き、その光のちらつきはギルバートの心を温かくさせてくれた。
「……サンドイッチ?」
屋上の隅に設置されたベンチへと半そで姿のまま仰向けに寝転ぶサンドイッチは、ジャムのようなアプリコット色を瞼で閉じ、風の音に混じって規則だたしい寝息が聞こえてくる――風に遊ばれる髪先はきらきらと輝き、まるで彼自身を体現しているかのようだった。
今日が晴天で温暖な日でも、いくら普段の寒い気候に慣れているからといって、雪国に部類されるナイフラストで半そでで昼寝してしまうのは流石に風邪を引いてしまうだろう。「屋内でうたた寝してた僕に上着かしてちゃ意味ないでしょ」と、浅く息をついたギルバートは眠り続けている相棒を起こすために手を伸ばす――が、それは、サンドイッチが握りしめている綺麗に折りたたまれた羊皮紙によって、動きを止められた。しっかりと握りしめられているのにも関わらず、その羊皮紙は簡単にギルバートの手へと渡る。
「――あの時、処分を申し出てきた理由はこれか」
丁寧に折りたたまれた羊皮紙の内容は、誓約の為に書いたお互いの署名と極印。
几帳面そうな筆記体はギルバートで、その横へ寄り添うように丸っこく震えた字はサンドイッチのものだ。普段は、豪快なくせにこういった形式のものには緊張してしまう相棒の姿はとても面白かった。未だ、穏やかに寝息を立てるサンドイッチの表情は、その時と全く違うもの。ギルバートは、内から込み上げる心地よさをそのまま現し、口の中で笑い声を転ばせた。
「ほら、起きなよ――」
誓約をした時、ギルバートの頭の中で突如として一つの『名前』が浮かんだ。
誓約をし終えた後に、知り合いの御侍にその話を持ちかけてみると、誓約を交わした御侍には脳内に焼け付くような『名前』が浮かんでくるそうだ。食霊と誓約を交わした御侍たちの間では、それは『真名』ではないかという憶測が飛び交っているらしい……らしい、というのも未だに確証がなく、情報は霧散してしまっている状態なのだ。
そのことを踏まえつつ、ギルバートはサンドイッチと『名前』について話し合えば「俺はウェルカムだぜ!御侍のあれこれは良くわかんないけど、ジリーが言うのなら本当だと思うし……何よりそれって名づけてくれたみたいだよな。ジリーの『家族』になれたみたいで嬉しいぜ!」と、いつもの様に明朗に笑ってくれたことは、ギルバートの記憶に刻み込まれている。
しかし、『真名』と言われると洗礼名を彷彿とさせ、暫くの間はむやみやたらに人前で『名前』を呼び合うあわず、二人の時だけ呼び合おうと約束事をした。
夢の中に落ち続ける相棒の肩を控えめに揺らし、『真名』を――
「『――』……え、」
紡ごうとした『真名』が、音として出てこない。
喉から外へ言葉として出てくる筈のものが空気となり、ぱくぱくと閉口を繰り返すその行為は水を求める魚のそれだ。
「……ん、?」
「サ、ンド、イッチ……」
――『名前』は出るのか。
揺さぶりで起きたサンドイッチは、ベンチから起き上がり眠気眼を擦りながも様子のおかしいギルバートに首をかしげた。
また再び、呼ぼうと試みるが喉は頼りなさげな空気を紡ぐだけで何も生まれない。自分に起きている不可思議なことに、ギルバートは己の喉元へ手を這わせ、はっと浅く息をする……その様子はサンドイッチの違和を深め、微かに眉間に皺を寄せ心配そうにギルバートを覗き込んだ。
「どうしたんだ、神父さま」
――『神父さま』
それは、サンドイッチが誓約する前のギルバートを呼ぶ時の名だ。
誓約を気にギルバートはサンドイッチを『真名』を、サンドイッチはギルバートを愛称である『ジリー』と呼ぼうと二人で決めた、のに。
「『真名』が出てこない」
「……『真名』?」
止めてくれ、なんでそんな分からないようなフリをするんだ。何も無かったみたいな振る舞いで、――
「――何言ってるんだ?神父さま、俺はただの『サンドイッチ』だぜ」
困ったように笑い、眉を下げたアプリコットの瞳と新緑がかち合う。
――『――』
やっとのこと、掠れ掠れで出た頼りのないポツリと呟かれた言葉は、風に攫われることなくサンドイッチへ届いてしまった。
「神父さまそれって誰のことだ?」
目の前に居るのは相棒の筈なのに、似ても似つかない別人にすら思える。
こちらを労わるように笑うその表情は散々見てきた筈なのに、この子は誰だと思ってしまう。
――『アルフレッド』
再び言いかけたその台詞は喉から口へ、でも外に吐き出されることはない。口端を噛み締めたギルバートは、その言葉を咥内で押し潰すしかなかった。
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