あなたの切なさを僕にください
 お互いの繁盛期も終えて、まだ雪深いナイフラストのアパートで食事の約束していた日の事。晩酌用のお酒を切らしていたことを思い出し、商店街を歩いている時だった。
 僕が『ソレ』を見たのは。
 寄り添うように前方を歩く、男女……別にそこは大したことのない、普段の僕だったら興味もない気にもとめない男女の仲睦まじい光景だ。しかし、その人物が問題だった。見覚えのある後ろ姿は、男にしては綺麗な長い濡羽色を揺らして歩いている。

 ――斎、だ。

 斎との関係は、とても曖昧なものだ。友人なのか、と問われればイエス。仲が良いのか、と問われればイエス。付き合っているのか、と問われれば――答えは、ノーだ。
 しかし、身体の関係があるのだから本当に、曖昧で歪な関係だ。

 僕自身で関係をハッキリさせるために話を持ちかければいいだけの話だけれど、それを言おうとするたびに口を結んでしまう。
 怖い、のだ。
 独り立ちを決め、今の今まで特定の友人を作らず、心を開いた人物も作らなかった。しかし、自分のこの発言でその人物をいっぺんに無くしてしまいそうで。そんな想いが、僕の中で足踏みをずっと促している状態だ。

「――やっぱり、いるよね」

 小さく囁いた言葉は、冷やされた外気によって白い吐息となって僕の視界をちらついた。心が形作られた様な気がして、酷く嫌気がさした。










「おかえり」
「……ただいま」

 結局、あの光景を見たくなくて感情の波を沈ませたかった僕は遠回りしてアパートへと足を向けた。アパートには既に斎が何食わぬ顔でそこに居て、キッチンで何かを作っている。ぐつぐつと煮込む音と、買ったお酒を冷蔵庫に入れた時に少しだけチラリと盗み見た作業台の上には切り終えた白菜――鍋、だろうか。お互いどちらかが料理をしていれば、キッチンに必要以上に入らないことを暗黙の了解としているのでそれ以上は聞かなかった。




「――ギル!」
「!?」
「やっと気づいた……ご飯出来たよ」
「え、……」
「それ、面白くなかったのかい?」

 斎に指さされたのは、僕が膝の上で開いている本。好きな作家のシリーズの最新作で、ずっと待ち望んでいたそれは現在の僕の楽しみの一つでもある。斎の料理が終わる頃まで読んで居ようと、決めたそれは開いた時から全くページが進んでいない。斎の問いかけに歯切れ悪く返事をするのもはばかれ、僕は咄嗟に「別に」と、冷たく答えてしまった。
 そんな態度の僕に斎は「そっか」なんて、普段通りに優しく答えてくれる――馬鹿か、僕は。こんな態度だから飽きられてしまうんだ。だから斎だって。

「疲れてるようなら、もう寝る?」
「いや、大丈夫。アンタの料理食べたいし」

 全く進んでいないページに再び、ブックマーカーを舞い戻しテーブルへと置き、なにか言いたげ視線を送る斎をわざと無視して食卓へと足を向けた。

 夕食は、予想通り鍋だった。

 ぐつぐつと煮えるそれは、僕の感情を表しているかの様で少し視界に悪い。だが、味は確かなもので程よい塩気と煮込み加減は絶妙だ。「美味しい」と素直に感想を告げれば、斎は嬉しそうに破顔して鍋文化に馴染みのない僕へ食材の説明をしてくれる。
 しかし、少し饒舌気味な斎には悪いが、僕が意識を奪われたのは別のものだった。

 ――斎の横に置かれた白い小さな箱。
 想像何て直ぐにできた。ここへ来る前に見た、女性の背中が脳裏をよぎり深くこびりつく。
 
 あぁ、ついにこの曖昧な関係にも『名前』が付くのか。

「――ねぇ、説明してる時に悪いんだけど」
「ん?」
「それ、誰の?」

 箸を置いて、すっと指差すのは真っ白で穢れを知らぬ白。きっとその中身は、幸せを具現化したものが綺麗に収まっている筈だ。微かに震える指先に、どうか気づかないで。

「あー……君の」
「は?」
「本当は夕食前に渡したかったんだけど……」

 立ち上がった斎は、僕の真横に来て跪く。僕も彼と向き合うように身体の向きを変え、その様子を未だに状況についていけいない頭と目で必死に追った。
 跪いた斎は、はにかみつつも真っ直ぐに僕の瞳を射抜く。斎から伝わる緊張感、そして、もしかしなくても、もしかするかもしれないこの状況には、無意識に固唾を飲み込んでしまう。

 ゆっくりと白い箱をこちらに差し出す様に開けられた中には、銀色でキラキラと輝くリング。

「恰好つかないな、ほんと……えーと、ギルバート。俺と――」
「まって、」
「――えぇ?」
「アンタ、間違ってるんじゃない。僕じゃなくてあの人に言いなよ」
「は?」

 僕の言葉に、甘さを含んでいた声が一気に底冷えするのを肌で感じた。ぐっと唸る喉を押し込んで、僕は言葉を続ける。

「はぐらかすのも、予行練習も、そうだったなら言いなよ。夕方、一緒にいた『彼女』にも悪いんじゃない?」
「見てたの?」
「そりゃあ、あんな堂々と街中歩かれれば誰だって見るでしょ」
「あの人は――」
「聞きたくない!」

 荒げた声が室内にビリビリと反響して、空気をぐっと重くさせたような気がした。いや、させたのだ。僕って、こんな声も出せたのか。父さんが死んで以来、自分を押し殺して生きてきた14年間。こんなに感情を露わに出来たのも、目の前の彼のお蔭なのに、それは本来嬉しい筈なのに、今は息が苦しくて堪らなかった。

「――それじゃあ、言わせてもらうけど。俺だって、君を『あの人』に取られたくないから記念日でも、イベントでもないのにこうしてるんだよ?」
「……『あの人』?」
「しらばっくれなくても良いよ、好きなんだろう『彼女』のこと」

 『彼女』?
 何の話をしているんだ?
 話が中々見えなくて、困惑の色を滲ませた僕の表情に、斎もだんだんと何かを察して同じような表情を浮かべる。もしかして、勘違いしてる?

「……悪いけど、アンタが言ってる『彼女』って?」
「え、この間ギルの教会に行った時に居た『彼女』だよ。君たちやたらと距離が近かっただろう」

 斎が言っていた『彼女』の正体が、やっと霧晴れた。
 はぁ、と自然に出てしまった僕の溜息に、斎はますます焦り色を濃くしていく。

「あれは、教会本部から来たシスターだよ。もともと、男好きらしくて付き纏われてたの。今は本部にも連絡して今頃、始末書に追われてるか、もしくは追放にでも合ってるんじゃない?」
「……えぇ?」
「はい、アンタの勘違いって訳。残念だったね、僕に非がなくて」
「っ、君ねぇ!」
「それじゃあ、次。アンタの合ってた『彼女』は誰さ?」

 間髪入れずに問いかけた言葉に、斎が押し黙る。
 言えないってことはやっぱり『彼女』?
 僕はここで、さよなら?

「……の、――と」
「は?」
「だからっ!ジュエリーデザイナーの人!計画もなく勢いで作ったから、こんな当日になっちゃったわけ!格好悪いから言いたくなかったの!」
「はぁ!?何それ!!それこそ恰好悪いんだけど!?」
「なっ……!?」
「それじゃあ、なんであんな密着して歩いてたのさ!?」
「あれは、彼女の足が不自由だから転ばないように付き添ってただけで!指一本触ってないから!」
「んなの信じられるわけ――」

「――君のお父さんに誓う!」

 吐き出された言葉が、指先から心臓へ、そして脳へと伝わり激しく揺さぶられる。
 なんだよそれ……ずるい。

「誓って本当に何もない!だから、」


「俺と結婚してください!」

 差し出された指輪は、変わらずの光を放っている。
 宝石もなにもついていなシンプルな筈のそれは、斎の言葉によって更に輝きを増しているように思えた。

「……なんだよ、それ」
「ギルバート?」

 差し出されていた箱が小刻みに揺れていることに今更、気が付いた。
 ゆっくりと、指先を小さな白へと伸ばす――

「ほんと、狡い人」






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