06 魔法学園にいる魔族

 広すぎるベッドにひとり横たわる。

「離宮では凄く小さなベッドだったし、毛布も古くて薄かった。こんなにふかふかのお布団で眠れるなんて……」

 ふとサイドテーブルにのせたお母様の肩身のネックレスが目に入る。なんとはなしに手に取って、ギュッと胸元に引き寄せた。

「……よかった」

 ……このお礼も伝えられてないな。

 彼はわたしをただの政略結婚の貢物としてしか考えていないのかもしれない。だけど、さっき尋ねてくれた質問がまだ心の中に残っている。

『今後俺と親しくなりたいと思っている?』

『ラゼスキア様とお近づきになりたいです』

『今の発言は取り消すなよ?』

 わたしは、無骨なお爺さんの辺境伯様だったとしても、なんとかいい結婚生活ができるように頑張ろうと考えていたのだ。
 いくらラゼスキア様が素っ気なかろうと、ちょっと貴族として非常識なところがあろうと、すでにたくさんのものをもらった。

 ナタリーという監視役を遠ざけてくれて、ネックレスを返してくれて、わたしのために新しい使用人を雇ってくれて、髪を整えてくれた。用があればいつでも呼んでいいと、銀のベルをくださった。他人に任せるのではなく、夫である自分が世話をするべきだと言ってくださった……。

 どれも、義母様もお父様もくださらなかったものだ。

 ラゼスキア様と親しくなりたい。彼に応えてほしい。ただの盟約の道具ではなく、いつか妻として認めてもらいたい。
 今はこの行動の意味が「盟約の道具として」でしかなくても、そうでなくなるように、ラゼスキア様に信頼してもらえるように頑張ろう。


 そのあと、もう一つ机にのせた置物──パーラルに視線を送る。マーブル色に光る球体だ。中に流体が入っているかのように、オーロラの和やかな波を見せる。つい最近、魔法学園でディアンシャ様にもらったものだった。

 昼間の荷解きで、ラゼスキア様もこれを見ていた。

「……へえ、持ってきたんだ。大切なものなのか?」

 頷くと、横顔に小さな笑みが浮かんだ。愛でるようにそれを摩る。

「……俺にとっても大事かもな」

 なんて言ったのか聞こえなかった。

「ラゼスキア様? なんと仰いましたか?」
「いや。このパーラルが綺麗だと言ったんだ」

 ラゼスキア様もこの球体の正体を知っているのね。ディアンシャ様は自分が名づけたような口ぶりだったけれど、同じ魔族だし、彼らのあいだで呼び方が共有されているのかもしれない。


 辺境伯様と同じ、魔族のディアンシャ様。そういえばふたりとも、銀髪に碧眼を持っている。ディアンシャ様のほうはもう少し礼儀正しくて、優しい人だった。
 ラゼスキア様の妻になったのだから、このパーラルは捨ててしまうほうがいいかもしれない。……考えてみればあれは、初恋だったのかもしれないから。

 それは、一ヶ月くらい前のことだった。

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 魔法学園、それは魔法力を上げるために近年設立された学園だ。

 この国ヴァーミシック王国は、北東部に〈魔の森〉という魔物が住み着く森がある。この森の中にある|獄門《カロンド》の先には、かつて封印した悪魔や魔物が捕らわれている。

 王国は、今後の魔物や悪魔との戦いに備え、国力を上げることを目標に掲げた。そうして設立されたのが、わたしの通う魔法学園だ。

 貴族令嬢子息はもちろん、騎士団で既に働いている者や、貴族当主などなど、年齢問わず学園に通うことができる。そのうえ、魔力量の多い平民や、このヴァーミシック王国に力を貸してくれると約束した魔族さえも、入学を許可しているらしい。

『かつては人間という同胞だった者たちだ。魔族≠ニいう名前を与え、差別してきたのは我々だ。これからは手を取り合って、悪魔どもに対抗しようじゃないか!』

 数年前の王の演説以降、魔族への差別を減らそうという動きが活発になっている。学園へ入学が許可されたのも、きっとそういうわけなんだろうな。




 魔法学園には腹違いの妹と一緒に通っている。

「シャーロット、わたしの教科書は?」

 友達の令嬢とくすくす笑うシャーロットに声をかける。キャラメルブロンドの髪を揺らし、くりくりの瞳をこちらに向ける。

「知りませんわ?」
「シャーロットに貸したでしょう?」
「私は机の中に入れておきましたわ。そのあとどうなったかは見ておりません!」

 ツンと前を向くと、連れ合いの令嬢たちが彼女の体を摩った。

「またシャーロット様のせいにするおつもりかしら?」
「不貞の子の身でシャーロット様のご両親を奪ったというのに、なんて図々しい」
「おふたりとも、ありがとう」

 シャーロットは猫なで声で、涙を潤ませて微笑む。

「大丈夫よ。最近は少しずつ……お母様たちとも時間が取れてきたの」

 涙ぐむ様子に、二人の学友は「シャーロット様! お可哀想に!」と抱きついている。

 わたしは学園でもひとりで過ごしている。実質公爵家の長女はシャーロットとでもいうふうに、ほとんどの方はわたしを遠巻きにして、「不貞の子」「|聖魔法手《エンジェル》のなり損ない」と腫れ物扱いだ。
 たまに話しかけてくれる子がいても、シャーロットがその子を連れて行き何かを伝え、それからは逃げるように避けられてしまう。

『お姉様は義母様たちにたくさん愛情をもらっていたでしょう? 私はもらえなかった。だから学園では楽しく過ごしたいの。私のお友達まで奪わないでちょうだい』

 いつかにそう彼女に宣告されてから、できる限り影を潜め、シャーロットを刺激しないように過ごすことにした。特にシャーロットが義母様やお父様に告げ口をすると、わたしはまた体をぶたれてしまう。痛いのは嫌だ。
 何もかもを認め、シャーロットに尽くしたいわけじゃないけど、無理に学園で学友を作る必要はないよねと、諦めることにした。


 結局授業までに教科書は見つからず、授業中に恥をかく羽目になってしまった。

「セラエル様。140ページを音読してくださいませ」

 ……教科書がないからわからない。

「あの、失くしてしまって……」

 先生は目を細め、鋭い声で言った。

「公爵家令嬢ともあろう者が、学習道具の管理もできないのですか? いくら成績が良くても、学習態度が悪ければ進級はできません。セラエル様、減点と致します」
「はい。以降、気をつけます」

 周りからくすくすと笑い声が聞こえる。前の席にいる年上の騎士が、独り言を漏らすように言った。

「自分は本がなくてもわかりますって、そういうフリかと」

 先生はわたしに目を止めたあと、隣の席の男に声をかけた。

「ディアンシャ。彼女に教科書を見せてあげて」

 ディアンシャ様は魔族で、この学園の最優秀成績者だ。ただ友達らしい友達はいないし、歓談を嗜む様子も見たことがない。授業が終わるとふらっと消えてしまうし、なんの魔族なのかさえわからない。既に成人はしているだろう。20歳……いや、28歳……、年齢もよくわからない。
 いつ見てもお美しい目鼻立ちをしているので、ご令嬢たちは裏でお近付きになりたいと言っているけど、魔族という種族の垣根で近寄り難い存在になっている。でも、本人はそれを全然気にしてないみたいだ。

 彼は黙って本を滑らせた。半分こずつ読む、じゃなくて、完全にわたしに貸してくれるつもりらしい。

「あの……ディアンシャ様。これではあなたは読めなくなってしまうので……」
「俺は必要ありません。お使いください」

 淡白に落とされた言葉の直後、ディアンシャ様が先生に指名された。本の全ページを暗記しているのか、すらすらと澱みなく声が流れていく。低く透明で、耳障りがよく、水となって溶け消えてしまいそうなお声──。

 ディアンシャ様の顔もそうだった。
 何度会っても、何度彼を見ても、どうしても家に帰ると彼の顔を思い出せない。学園に来て、先生に「ディアンシャ」と指名されて初めて、「そうだ彼がディアンシャだった」「ディアンシャという魔族が、このクラスにはいたんだった」と思い出す。同時に、ぼんやりと彼との記憶が戻ってくる。
 他の人も、みんな同じように彼の顔や存在を忘れてしまうらしかった。たぶん、道端で彼が通り過ぎてもわたしは気づけないだろう。それくらい、記憶が曖昧になってしまう。


 わたしはなくなった教科書を探し回り、ようやく、ゴミ箱の中に捨てられていることに気づいた。鳥が破ったかのようにページが引きちぎれ、文字が読めなくなってしまっている。
 ……これで何冊目だろう。
 魔法でかろうじて修繕を施しても、繋ぎ目が残っていて読みづらい。泣かないようにぎゅっとこめかみを抓ってから、とぼとぼと次の授業へ向かった。




 ディアンシャ様は、たまにみんなに魔法のアドバイスをしてくれることがある。

「失礼ながら……セラエル様。大規模な炎魔法を使うときは、先に水属性の魔法を使ってからのほうが、扱いやすいですよ」

 このクラスでいちばん魔法力に優れているのはディアンシャ様だ。火力、テクニック、大技から繊細な生活魔法まで、どれをとっても引けを取らない。座学では常に満点、先生が急に吹っかけた応用問題でも、答えに詰まったことはない。
 だからこそディアンシャ様にはみんな一目置いていて、たいていの人は……ディアンシャ様のアドバイスを素直に聞き入れている。特に彼は低姿勢だったし、初めのひとりが「アドバイスどおりにやったら火力が1.2倍にも増えたのだ!」と喜んでからは、そわそわとアドバイスしてもらえるのを待っている子もいるくらいだ。

 妹のシャーロットはよく自分から尋ねにいく。

「ねぇディアンシャ。私の魔法についてはアドバイスがあるかしら?」
「そうですね……シャーロット様は水属性の魔法がお得意なご様子。水属性魔法を使うときは、体のどの部分に魔力が集中している感覚がありますでしょうか?」

 フードの下で銀髪が揺れ、冴えわたるような青眼が彼女を見つめている。シャーロットの甘い微笑みにも、腕に押しつけられている胸元にも、ディアンシャ様は一切気に留めていないみたいだ。

「そうね……背中の……中心? 魔法発動中に、ディアンシャ様が体を触ったらよくわかるかしら?」

 彼はやんわりと声を落とす。

「ご令嬢の体になど触れられませんよ」
「私がいいと言っているのよ? ほら、早く!」

 甘えた声でディアンシャ様を責付いて、彼はそっと背中に指先を添えた。はっとするほど白い指先は、細くしなやかで、角張った関節がどこか艶かしい。

「ッッ。……ひゃん」

 シャーロットはわざとらしく上擦った声を漏らす。そういうの、こういう場所でやらないほうがいいと思うんだけどな……。

「シャーロット様? 魔法を使ってくださいますか?」

 ディアンシャ様が一切動じずに促したのを見て、思わずくすりと笑ってしまった。シャーロットの色仕掛けがここまで通じないなんて……。魔族っておかしい。

「ねぇ、ディアンシャ?」

 シャーロットは、魔法の指導が終わった彼を引き止めた。

「なんでしょう?」
「この前お姉様に教科書を貸していたようだけど……。あの子には親切にしなくていいのよ。公爵令嬢なのに、勉強道具の管理ができていないのは恥ずべきことなの」
「それならば、魔族である私こそ恥ずべき存在ですから。セラエル様を無下にすることはできません」

 シャーロットは困ったように目を泳がせた。

「ですが……。同じダスメリカ家の令嬢として、セラエルに親切にしなくとも、貴方を罰しないと誓うわ」

 ディアンシャ様はフードを揺らし、雫の紡ぐような声を落とす。

「では、これからはご助言どおり気をつけるようにいたしますね」

 でもその会話のあと、ディアンシャ様がわたしを無下にすることはなかった。そしてなぜか、シャーロットもそれを咎めることはなく、この会話自体を忘れてしまっているみたいだった。