07 涙を流す令嬢
その日は実践授業と評して、〈魔の森〉付近へ転移魔法を使って移動していた。数人でパーティを組んで〈魔の森〉の中にある魔窟へ入り、先生たちが事前に置いてきたフラッグを取って戻ってくるという試験だ。
なにやら、一番多くフラッグを取ったパーティには賞金も与えられるということで、みんな色めき立っている。
「お姉様。一緒にパーティを組みましょ?」
無視されると思っていたのに、今回は誘ってくれた! ちょっと嬉しい。シャーロットのパーティには、実地で騎士として活動している者たちが二人いた。いつもの女友達は別のパーティになったようだ。
シャーロットは騎士のひとりに腕を搦め、豊満な胸を押し当てて甘い声色を出した。
「わたしは公爵嬢ですもの! 一番にならなくては」
「もちろん。我らにお任せくださいませ」
シャーロットはあざとい。歳上で特にクラスで優秀だと噂の騎士にちゃんと声をかけている。
事前に先生たちが魔窟を調べているとはいえ、低級魔物は出てくるだろう。それらを撃退しながらフラッグを探すのだ。「この先は進んではいけない」という旗も用意してあると指示を受ける。
わたしたちは魔窟へと足を踏み入れた。
湿った空気が流れはじめ、すぐに光が失われる。騎士のひとりが魔法で光を灯し、苔むした岩壁を照らし歩いていく。耳障りな鳴き声が聞こえて、わたしとシャーロットは少し身を縮めた。
「大丈夫ですよ。U級までの魔物しか出ないという話ですから。僕たちは訓練を受けています」
騎士のふたりはそうシャーロットに声をかける。後ろで歩くわたしには見向きもしない。……うん、まぁいいんだけどね? 仲間に入れてくれただけ助かってる。
順調にフラッグを回収していたところ、二手に別れた道が現れた。片方はすぐに行き止まりになっていて、光を掲げると、その奥にフラッグが立っていることがわかった。
「お姉様、私たちは優勝するべきでしょう? だから時間短縮のために、あのフラッグはお姉様が取りに行ってくださる? 私たちは先にこちらの道に進んでいるから。距離も近いし、すぐに追いつくでしょう?」
……そう、だね?
あんなにあからさまにフラッグが立っているのを見ると、何か罠があるのかな。これまでくぐり抜けてきた罠を考えると、たぶんひとりでも大丈夫だ。きっとフラッグの下にある宝箱に、何か仕掛けがあるはずだ。
「じゃあ行ってくるね。シャーロット、気をつけて」
「お姉様も!」
今回の優勝を狙うため、御しやすい駒をと思ってわたしを選んだにすぎないんだろう。それでも、一緒にパーティに入れてもらえたことは嬉しかったし、力になれたらもっと嬉しい。一応これでも、お姉様だからね!
シャーロットは「怖いわ」と言いながら、二人の騎士のあいだに体を滑り込ませた。わたしはそれを尻目に横道に入っていく。……一応辺りを警戒しながら、っと……。
フラッグにあと三歩で届くというところで、不意に足元の地面が崩れた。脆くなっていた地面が連鎖的に零れ落ちていき、大きな穴が開きはじめる。ついに足を取られ、真っ逆さまに地下階層へ落ちた。
✶
初めはV級までの魔物しか出てこなかったので、まだひとりでもどうにかなった。だけど岩陰から地龍を見つけてしまい、あまりの恐ろしさに震え上がった。
出口もわからない。初めに落ちたときは衝撃で気絶してしまって、気絶しているあいだに地形が変わっていたのだ。
「どうしよう……どうしよう。このまま永遠に洞窟内を彷徨い続けるの?」
涙が出てきた。
時間が経てば先生たちが助けにきてくれるかもしれないけど……それまで待ってられるのかな。水も食糧も多くない。それに、向こうにいる地龍に見つかってしまったら──。
ここは地下階層だ。絶えず地形が変わっているようだし、素直に道を進んでわたしのところまで来れるかどうかもわからない。何日もかかり、そのころには喉も枯れて体も……。そもそも、その前に魔物に襲われてしまったら。
地龍がボウっと火を噴く凄まじい音がして、耳を塞いだ。辺りが高温に包まれ、空気が陽炎のように揺らぐ。途端に汗が吹き出した。
地龍はたぶんT級の魔物だ。先生たちが複数人で束になっても、倒せるかどうか……。
……わたし、なにもできてないのに。
ずっと離宮にいるままで、学園でも友達ひとりいなくて、|聖魔法手《エンジェル》として称えられる夢も消え、──
──このままずっと、誰にも見つけてもらえないの?
誰か来て。誰か、誰か。助けて。
「……見つけた」
はっとして顔を上げると、フードを被った背の高い男がこちらを見下ろしていた。銀髪に鮮やかなコバルトブルーの瞳。……ディアンシャ様だ!
「あ、あの。どうしてここに……」
「地面が崩れた跡があったから、誰かが落ちたのかと思ったんです。来て正解でしたね」
岩を掴んでいた手が緩み、そのまま力が抜けて床にへたりこみそうになった。ディアンシャ様がさっと腕を捉えて体を支える。
「……大丈夫ですか?」
緊張しっぱなしだった体から蛇口が緩んだように、涙が落ちてくる。
「もうっ……ダメかと。ずっと真っ暗で。魔物ばっかり、でっ……。地龍も、いて……っ」
公爵令嬢がこんな場所で泣いたらいけない。そう思っても止められなくて、彼は何も言わないまま、体を支え、そしてゆっくりと地面に座らせてくれる。
「助けにきてくだすって……よか、よかった、」
彼の澄んだ青眼が仄暗く光っている。急に手を伸ばされ、温度のない指が頬を包んだ。
「かわいいな、お前」
低い氷のような声色に、悪めいた|嗤《え》み。
青眼が消え、眼球が濡れた漆黒に塗りつぶされたように見えた。
「……へ?」
幻みたいな声と表情が、ふっと掻き消える。彼の指はわたしの頬にない。──気のせい、だったのかな。
「大丈夫ですよ。外に出られます」
「……ほんとう?」
「はい」
「泣いたことは、言わないでね。……おねがい」
「言いませんよ。……泣き顔は、誰にも見せないんですか?」
彼は何か含んだ声で問いかける。
「ええ。だって……淑女として、相応しくないでしょう。もう成人するし、家族も……その、わたしは自立していかなきゃいけないから」
「……別に、しなくていいと思いますけどね」
「え?」
「誰かに甘えられたほうがよくないですか?」
「……でも、甘えられる人なんて」
──俺がなってあげるようか。
耳元で甘い囁き声が聞こえた気がした。でも空耳だ。ディアンシャ様は一歩も動かず、目の前でただわたしを見下ろしているだけだ。
「お体は大丈夫ですか? 怪我は?」
我に返り、体を捻った。落ちたときに背中をぶつけたかしら。あちこち服が破けて、細かい擦り傷ができてしまっているけど、酷い怪我はないような気がする。
「落ちたときは、衝撃で気絶してしまったの。たぶん背中を打ち付けたとは思うんだけど……」
「家で治療はしてもらえますか?」
どきりとして目を泳がせた。
きっと治療はしてもらえない。どうせ嫁の貰い手もいないんだから、と捨て置かれてしまうだろう。
「セラエル様がお許しくださるなら、今俺が治します」
「あ、あの……よければ。お願いしてもいいかしら」
ディアンシャ様は地面に落ちていた細い小枝を取り上げ、ふっと息を吹きかけた。白く光ったかと思うと、細長い指揮棒のような、光る魔法の杖ができた。……すごい。
岩壁に向かって、ドアを描くように杖を回す。岩が重々しい音を立てて開いた。中が空洞になっている。
「え? ここに部屋が?」
こんな魔法も初めて見た。
「いえ。今作りました」
彼に促され、岩壁に囲まれた小さな部屋に入った。
炎を灯して、部屋を明るくする。そのあと杖を使って何度か地面を舐めし、柔らかな砂に変えてくれる。
「うつ伏せに寝ていただけますか?」
痛くないように、わざわざ柔らかくしてくれたんだ。言われたとおりに寝転がった。
「あの距離から落ちたので、おそらく大きな痣になっているかと思われます。ここは魔力が充満しているし、アドレナリンのおかげで痛みを感じていないだけでしょう」
こくこくと頷く。
「服を捲らなければいけないのですが……本当に大丈夫ですか?」
「は。はい」
改めて聞かれると照れるよ。それにいいのかって言われて、ダメって言いたくても……家で怪我は治してもらえない。学園側は応急処置をしてくれるだけで、残りは家でと帰されてしまう。
「背中なので……大丈夫よ。治療だし……」
「わかりました。失礼します」
ディアンシャ様は慣れた手つきで服をまくり始めた。お腹が砂に触れて、少し擽ったい。
「……どうかしら? 酷い?」
「そうですね……背中全体が内出血しています。少し触ります」
彼の冷たい指の腹が、何度か背中を押した。すると今まで感じていなかった痛みがぐっと押し寄せ、「いたっ」と大きな声が出てしまう。
「そうですよね。痛そうです」
ディアンシャ様は背中を三回杖で軽く叩き、そのあと指の腹で何度か背中を撫でた。そのたびに全身が粟立ち、気恥しさが勝っていく。魔族とはいえ、ディアンシャ様はとてもかっこいいお方だし……なにより男性だし……緊張しちゃう。
「こうしてどなたかに体を見られたことはあるんですか?」
どこか悪戯げな声色に、びくと耳が揺れる。
「……家族や、侍女はあるけれど」
「男性は俺が初めてですか」
「……そ、そうだけど。深い意味はないからね!」
「そうですね。わかってますよ」
くつりと笑い、小声で詠唱を始めた。知らない言葉ばかりだ。数秒もすれば詠唱は終わってしまう。
「治癒魔法をかけてくれたの? それにしては短いけど……」
「短縮しています」
……もう彼の魔法には何も言うまい。
服を丁寧に戻してくれ、体を起こすのを手伝ってくれた。いつもの冷たい仮面のような美顔がこちらを見つめている。
「大丈夫です、すべて治りました。……ですが」
低くなった声色に、首を傾げる。
「別の怪我があったようですが。治さなくて大丈夫ですか?」
……あ。そうだった。
幼いころスパルタ教育を受けているとき、問題を間違えたり、魔法を失敗したりしたら鞭で叩かれていたのだ。特に〈聖魔法〉が発現しないとわかったときは、背中だけでなく体のあちこちを鞭で打たれた。お腹の傷は少ないから、もうあまり目立たなくなっているけど……。
「大丈夫よ。消えたら……その、怪しまれるので」
「今も打たれているんですか?」
なんの怪我かもわかっちゃうか。
「……あの、たまに、です。これは単なる体罰なので、気にしないでね。貴族では普通なの」
普通かどうかはわからなかった。ディアンシャ様があちこちに吹聴するような性格でないことは知っているけど、公爵家の品位を落とすわけにはいかない。
「ではもうひとりのシャーロット様も?」
「いえ! 彼女は大丈夫よ。わたしは期待をかけていただいているから。家のことを気にしてくださり、ありがとうございます」
彼は一度その青眼を細くしてから、ふっと視線を外した。
「わかりました。このことも秘密にしておきますので、ご安心ください」
「ありがとう! 助かるわ」
そのあとも、戦ってるあいだ擦り傷ができた箇所をひとつひとつ治してくれた。こんなに近い距離で男の方と一緒にいたことはない。うるさく鳴る心拍の音が聞こえてしまわないかと心配になっちゃう。
「緊張してます?」
彼がくつくつと笑う。
見透かされていたのかと、さらに顔が熱くなった。
「あの……だって。その」
「よかったですね。相手が俺で」
「……え?」
「助けに来たのがよからぬ相手なら、体を弄ばれたあとに殺されてしまっていたかもしれませんよ」
いまさら体が竦みあがった。そんなことをする人が学園にいるとは思いたくないけど、わたしは嫌われ者だし……もしかしたら、あったかもしれない。
「……よかったわ」
彼はまた低く笑う。
「認めてくれるんですね?」
「でも、ひとりで助けにこれるのはディアンシャ様くらいだと思うわ」
「たしかに。じゃあ、あのとき崩れた穴へ降りるという判断をした俺を褒めてください」
「え、え! ほ、褒めるわ。素晴らしい判断力よ! それに、試験中なのにわざわざ見にきてくれたんだから、本当にありがとう。おかげで助かったもの。怪我も治してくれたし」
「めちゃくちゃ言うじゃん、かわい」
彼は喉を鳴らして笑い、不意打ちに崩れた口調にわたしはさらに動悸が上がった。
いつも彼は……もっと、事務的で淡白で、人と距離のあるような話し方をするから……こんなのずるい。
「ありがとうございます。素直に褒めてくださるなんて、セラエル様はお優しいですね」
「は、はい。ディアンシャ様こそ、どなたでも平等に扱ってくれて、嬉しいです」
「いいえ」