08 本当の婚姻の理由

 即席の岩の部屋から出る。地龍はまだ向こうで巨体を揺らして歩いているみたいだ。ディアンシャ様はすっと目を細め、地龍のほうへ体を向けた。

「セラエル様。剣をお借りしても?」
「剣? いいけど……」

 あなたも持っているのに。刃こぼれしたのかしら? 疑問に思っているのに気づいたのか、彼が言い加えた。

「これはただの装飾品ですので。傷つけたくないのです」
「あら、そうなの」

 たしかによく見れば、彼の腰に刺さる剣の柄には、大粒のエメラルドの宝石が嵌め込まれている。暗くてよく見えないけれど、輝きからするに一級品だろう。

「わたしのものは、そんなにいい切れ味ではないと思うわ」

 いつもの嫌がらせで、わたしに与えられる剣は男爵が持っていればいいほう、という具合だ。

「問題ありません」

 それからあっと声を上げるよりも早く、彼は駆け出していた。宙に踏み台があるかのように、とんとんと高く飛び上がっていく。地龍は近づいてくるディアンシャ様を捉え、口を大きく開いた。

「うそ!」

 彼は空中で宙返りをし、地龍の喉に何か投げ入れた。地龍が炎を吹き出そうとすると、何か詰まったのか燻った煙が出るばかりだ。地龍が混乱しているあいだに頭に乗り上げ、そのまま、首の骨へ剣を一振りした。
 あっという間に地龍の首が落ちていく。

 そんな、こんな簡単に地龍を倒してしまうなんて。ディアンシャ様ってどれだけ強いの? 普段の授業ではずっとずっと火力を抑えているんだわ。試験の結果さえ誤魔化しているのかもしれない。
 魔族にしても強すぎる。

 とん、とディアンシャ様が地面に降り立つ。

「……地龍を、あんな簡単に?」
「倒し方を知っていれば簡単ですよ」

 簡単では……ないのでは!?
 宙をあんなふうに自由に飛んで動き回れる人はいないし、一太刀で首を切れるようにできるほどの魔力強化を剣に施せる人もいない。あの剣、岩を紙のように切ってしまいそうだ。

 でも……よかった。こんなに強い人がいるなら、きっともう大丈夫だよね。

 その巨体に反して、綿毛のように地龍が静かに落ちてくる。

「こんな魔法までかけたのね」
「地響きでセラエル様が落ちたら困ります」

 ……え、そ、そっか。そういうことね。
 たしかにひとりならディアンシャ様は飛び上がればすむ話だけど、わたしを抱えて飛ぶのは──令嬢だからと気遣ってくれたのね。

「ありがとう」

 地龍の体から、ディアンシャ様は鉤爪を剥がし始めた。

「何をしているんですの?」
「売れば金になります。戦利品です」
「……そ、そう」

 こんな場所で戦利品や金の話ができるなんて。よっぽど余裕なのね……。

「わたしができることはある? お手伝いするわ」
「……手が汚れますよ?」
「大丈夫よ! 気にしないわ!」

 わたしは近づいて、彼と同じように鉤爪を剥がそうとした。でも、彼がやっているのは本当に簡単そうに見えて──鞘から剣を抜くくらいの感じかと思ったのに、ビクともしない。

「あれ……」

 彼はくつくつと笑うと、わたしの手に自分のそれを重ねた。ひやっと冷たい温度が伝わる。彼と一緒に爪を引っ張ると、嘘みたいに簡単に抜けた。

「魔法を使ってるんです」
「そうだったの」

 まだ触られた手の甲が熱い。手は冷たかったのに、熱いよ。陶器みたいに滑らかだった。少し角張っているところが男らしくて、でも蝋人形のように美しい指だ。無意識に目で追いかけていることに気づき、慌てて視線を外した。
 彼はそれから、魔法を何度かかけ、そのあと地龍の体に何やら液体をかけた。すると鱗がみるみる剥がれていき、勝手に地面に落ちていく。溶剤のようなものを使ったのかしら?

 龍の頭は持ち帰るには大きすぎる。ディアンシャ様は頭を宙に浮かせると、その下に小瓶を置いた。そして魔法をひとつ──龍の頭は萎むように小さくなっていき、同時に小瓶に濁った液体が垂れていく。
 しわしわのへなへなになった龍の頭が残った。

「どういう……どうなってるの?」
「魔力を絞ったんです。またこの小瓶の魔力をかければ、元の形に戻ります」

 そ、そんな! まるで羊の胃袋に空気を入れて膨らませるみたいな、そんな……。彼の常識には本当に驚かされる。
 萎んで布切れのようになった龍の頭は、ディアンシャ様が麻袋の中に入れていた。彼の魔法は奇想天外すぎて、出てくるものすべてが未知数だわ。



 そのあと、ディアンシャ様の道案内で帰り道を進む。途中で美しい球体が地面に落ちているのを見つけ、思わず腰を曲げて取り上げようとした。

「触るな!」

 びくりとして指が止まる。彼に腰を掴まれ、その球体から引き剥がされた。

「毒キノコのような魔物です。近づいたものを喰らいます。セラエル様の指が食べられてしまうところだった」
「……こ、こんなに綺麗なのに……」
「ほしいですか?」
「え? ほしい……というか」
「お取りしましょうか?」

 ディアンシャ様は左右を見渡し、別の場所に生えていた球体に向かった。

「こちらの大きいものは、よくないの?」
「こっちのほうが美しいです」

 球体の根元に剣を差し込み、くるっとひねって球体を取り外した。球体に繋がっていた草のような触手のようなものが、シューシュー音を立てて焦げていく。

「本体からは外しました。もう安全です」

 両掌に落とされる。魔物についていたものとは思えないくらい、美しい形をしている。いわば、水晶型のオパールと言ったらいいだろうか。ただオパールのように表面に艶があるのではなく、内側にオーロラの流体のような砂のようなものが流れている。

「あちらと比べてみますか?」
 
 彼は少し笑って尋ね、初めに目にした大きいほうの球体も外してくれた。手に取ってみるとたしかに、ディアンシャ様が選んでくれたもののほうが綺麗だ。オーロラを成す色の数が多いし、隙間なく流体が流れている。少しサイズが小さいのもまた、かわいらしくて素敵だ。

「あの、わざわざありがとうございます」
「いいえ。俺はこれをパーラルと呼んでいます」

 パーラル……。わたしもそう呼ぶことにしよう。


 それから、U級の魔物が複数体現れ、ディアンシャ様が次々と斬り殺していった。ただ、殺すたびに前に進んでいくせいで、仕舞いに道を曲がり姿が見えなくなってしまう。魔物の死骸を避けながら歩くも、ぶにょぶにょした肉が靴に当たったり、目玉のようなものを踏んだりして、さらに怖くなった。
 光を灯していたのはディアンシャ様だ。彼は右折したあとかなり先に進んでしまったのか、辺りが真っ暗になる。さっきひとりで魔窟内を彷徨っていたこと、もう帰れないかもと不安に襲われたことまで思い出し、ついに足が竦んでしまう。

「……ディアンシャ様?」

 声が小さく木霊していく。
 こんなときこそ魔法を使わなきゃ。セラエル。光を灯して、早く。

『お前はいくらやっても出来損ないだな! こんな問題も解けないなんて!』

『わかってるの!? 娘の代わりにこんなに時間とお金をかけて貴方に愛情を注いであげているのよ!? 早く〈聖魔法〉が使えるようになりなさい!』

『ほら早く服を捲れ! そうだ、今日は二十回だ! わかるな、お前のせいだぞ!』

 ──やめて、こんなときに。
 お父様と義母様の怒鳴る声がフラッシュバックして、視界がくらくら回る。……ごめんなさい、ごめんなさい。期待に応えられなくて。……聖魔法、使えなくて。ごめんなさい。

「セラエル様、」

 ごめんなさい。役立たたずで。何もできなくて。義母様、お父様。

「セラエル様!」

 はっとして視線を上げる。

「ディアンシャさま」

 視界いっぱいに水が溢れて、思わず彼の服を掴んだ。自分の声とも知れない何かが不意に落ちる。

「……行かないで。置いていかないで」

「……。──俺でよかったなって言ったばかりなのにな」

 自嘲気味に笑う声のあと、頬を冷たい指が包んだ。そっと息を塞ぐように唇が重なる。
 見下ろした青眼がちかちかと黒く塗られては戻り、そして仄かに嗤っている。

「置き去りにされたと思って泣いてたの?」

 どこかぼんやりした視界と空気に、彼の敬語が外れていることにすら気づかなかった。自分で動かしているつもりはないのに、唇が言葉を発する。

「……お姿が、見えなくなって」
「そんなにかわいいと、喰い殺したくなっちゃうんだけど」

 ぼうっとして、なんの話かわからなかった。

「セラエル、」

 ふと体が何かに包まれる。ばさりと黒いものが羽ばたき、大きく揺れて色濃い影が地面に落ちる。

「もっと泣いて。俺のために。俺のせいで泣いて、俺のものになって」
「……ディアンシャ、さま?」
「大丈夫だよ。ちゃんと好きにならせてやるから」

 悪魔みたいに甘い声が耳を濡らした。

「もう俺以外に傷つけられないようにしてやる」

 ──それから意識が途絶えた。



 目が覚めるとディアンシャ様の膝の上で寝ていて、慌てて飛び起きた。

「わ、わ。わたし気を失ってたの?」
「そうみたいです。一、二分ですよ。大丈夫です」
「そう……。あなたが見えなくなったから不安に思って……それから、戻ってきてくれた気がしたんだけど……」

 そのあとの記憶がない。

「俺が戻ったときには倒れていたので、寝かせただけです」
「そうなの……。いろいろと、迷惑ばかりかけてごめんなさい」
「いえ。それは俺のほうこそ」

 嗤う唇の隙間から、小さな牙が見え隠れした気がした。



「手を繋いで帰りますか?」
「えっ! え!?」

 彼はくつくつと喉を鳴らす。

「冗談です。さっき俺が進んでしまったせいで怯えていたようでしたので」
「……それは。その。こんな魔窟の地下なんて慣れなくて……」
「じゃあ繋ぎます?」
「つ、つ、繋ぎません!」

 ディアンシャ様、思ったより悪戯っ子だ。……いや、子≠ニいうか。背も高いし歳も上だろうから、むしろ子供扱いされてる気がする。彼は180cmくらいあるし、わたしは150cmしかないから、余計にそう思われているのかな。

「無理やり繋ぎたくなっちゃうな」
「……え?」

 小さな独り言で、声が聞き取れなかった。

「いいえ、こちらの話です」



 どうしてシャーロットは、あの騎士たちを護衛に選んだんだろう。優勝を狙うなら、ディアンシャ様に頼めばよかったのに。でもそこで、はたと気づいた。わたしもシャーロットも、今日一日彼の存在を|忘《ヽ》|れ《ヽ》|て《ヽ》|い《ヽ》|た《ヽ》。
 魔窟を探しにきてくれた彼に声をかけてもらって、顔を見て、初めてディアンシャ様を思い出したのだ。

「……あの、ディアンシャ様」
「なんでしょう?」
「こうして助けてもらったことも、このパーラルのことも、また忘れてしまうの?」

 彼はぴたと足を止めた。
 忘れるのはきっと、ディアンシャ様が何か魔法をかけているせいだ。認識阻害魔法の一種だろうか。

 ディアンシャ様は振り返り、透き通った青眼を少し細め、悪戯げに言う。

「忘れたくないですか?」
「……はい」
「いいですよ。じゃあ今日あったことは覚えておけるようにしておきます」

 彼はまた前を向いて歩き始めた。神秘的で、儚げで、よくわからない魔族のディアンシャ様。だけど、もう少し彼のことを知ってみたい。


 ✶


 それからわたしたちは洞窟の外に出た。夕方になってしまっていたけれど、なんとか制限時間内には戻ってこれたみたいだ。優勝者はやっぱりシャーロットだった。
 でも、ディアンシャ様が先生にこそこそと耳打ちをすると、先生はコホンと咳払いをして、わたしを助けた武勲に、優勝賞金をディアンシャ様に譲ると言い始める。

 シャーロットは途端に機嫌を悪くして、「ちょっと、」と声を上げかける。

「……それはそうと、シャーロット様」

 自分に声がかかると思っていなかったのか、彼女はびくりとしてディアンシャ様を視界に入れた。

「大丈夫でしたか? お姉様が消えたとなっては、たいへんお心を痛めておりましたでしょう。そんななか優勝までされるとは、なんともお強いお方です。慈悲の心ならず、魔法力も精神力も優れていらっしゃるとは」

 ひ、皮肉? 皮肉だと思うけど、シャーロットはそれに気づいてない。

「無事姉君を届けられたこと、嬉しく思います」
「そうね、もちろん。名誉に思いなさい? よくやってくだすったこと!」

 彼女はたじたじだ。たぶん、わたしはただ魔窟の上層階で迷子になっていただけだと思っていたんだろう。まさか地下まで落ちていたとは思っていなかったはずだ。

「それに賞金もこの魔族の私めに譲ってくださるなど、なんと慈悲深いご令嬢でしょうか。王子ともたいへん仲がよろしいとか。ヴァーミシック王国の未来は明るいですね」

 彼は優しく微笑み、シャーロットはたじろいでこくんと頷いた。ここまで言われてしまうと、もう彼女は賞金を返してとは先生に言えなくなってしまう。

「お礼にもならぬ品ですが……。実は洞窟の途中で見つけたものがございます。シャーロット様の美しい瞳を見ていたら思い出しました」

 そう言って、ディアンシャ様はあのとき拾ったパーラルを取りだした。

「まあ……!」

 シャーロットは目を輝かせてパーラルを眺めている。虹色の煌めきを目で追いかけ、自然な綻びが零れている。

「シャーロット様の慈悲深い心を称えて、こちらをお贈りさせていただいても?」
「もちろん!」
「妹君の寛大なお心に、誠に感謝いたします」

 彼はそう言うと、おもむろに拍手を始めた。慌てて周りも拍手をし始める。
 優勝したことが取り消されたわけではない。公爵家が今現在特別お金に困っているわけではないし、彼女は本来、賞金よりも宝飾品のような美しいもののほうが好きなはずだ。シャーロットはみんなに称えられ、初めよりももっと気分をよくして笑顔を振りまいていた。


 そのあと、彼はわたしの横を素通りし、こそりと耳打ちをする。

「学園に帰ったあと、C教室でお待ちしています」

 秘密のやりとりみたいだ。なんだか嬉しい。小さく頷いた。



 授業が終わって教室で待っていると、約束どおりディアンシャ様が来てくれた。箱に入れたパーラルを手渡してくれる。中を確認すると、どうやらシャーロットに送ったほうは大きいパーラルのほう──ええと、つまり美しくないほうだった。

「あの、これ……」
「あなたが先にほしがっていましたからね。あちらはサイズが大きいですし。ですが、見られないように気をつけたほうがいいかもしれませんね」

 わざわざ気を使って、授業後に渡してくれたんだ。

「ありがとう。妹を宥めてくれたことも含めて……」
「いえ。あれは俺が賞金ほしさにやったことですから。自分の後始末をしたまでです」
「そうだったの? 先生に何か言っていたようだけど……」
「洞窟内で地面が崩れてセラエル様が落ちたと伝えました。彼らはフラッグに通ずる道の確認を怠ったのです。教師側の不手際を王族に知られてもいいのか、と脅しました。ダスメリカ公爵家も、責任を追求し賠償金を請求するかもしれません。そして、セラエル様を助けていなければ本来その賞金は自分のもののはずだと」

 ぎょっとして箱を落としそうになった。ディアンシャ様って意外と……意外と狡い人なの?
 たしかに教師陣は、あくまでわたしの不注意であり、自分たちに落ち度はないような言い方で場を諌めていた。

「勇気が、あるのね」
「言葉を選んだお返しを、ありがとうございます」

 彼はにこにこ笑っている。素敵な紳士だと思ったんだけど、そうでもなかったかしら。……まぁ、教師側の不手際であるのはたしかだけれど。フードから見える瞳を見上げ、改めてカーテシーをする。

「本当に、助けていただいてありがとうございました」
「いえ。それでは失礼します」

 彼は手触りのよさそうなコートを揺らし、長い脚をすたすたと動かして消えていった。