いつも見守ってる

「お疲れ様」
「は・・・・何してるの?」
「見ての通り、出待ちだよ」

仕事を終えていざ帰ろうとしたら、前方から声がかかった。顔を上げると、梓がメインゲートの近くで佇んでいる。電話でもメールでもなく、わざわざ職場に来るなんて余程の急用なのか。それにしたって、私が定時であがる確証はなかったはずだ。梓らしくない。

「用があるなら電話してくれればいいのに。仕事、忙しいんでしょう?」
「まあね、1時間で戻らないと。でも会って話したかったんだ、名前の様子が変だって棗から聞いてね」
「変って……情緒不安定でごめんなさいね」

あの夜、酷い態度をとってしまったのに、棗は私を少しも責めなかった。しかしまさか、梓に話すなんて予想外だ。昔から棗は、上ふたりに苦労させられているくせに、妙な所で連帯感を発揮してくる。確かに、電話やメールで会おうと言われたら断っていたかもしれない。椿みたいに直球ではなく、逃げ道を塞いでくるあたり梓は策士だと思う。結局、逃げるのを諦めて、隣に並んで歩き出した。

「どうやって誤魔化そうかって顔してるね。まあ、棗にも言えないことを僕に話せるわけないか」
「……貴方達は弱音を吐くには近過ぎるの。別に信頼してないわけじゃないよ」

朝日奈家で、私のことを一番よく知ってるのは要だろう。でもそれは、恋人としての私。要の前で自分を繕っているつもりなんてないけれど、やっぱり父さんや椿達といる時よりも良い意味で緊張感を持たざるを得ないのは確かだ。それはきっと、恋人故の距離感を無意識に保っているからだ。つまり、要が見ている私は恋人としての側面が強い。私は要を兄としては見ていないし、要にも私を妹として見てほしくない。だからそれでいいと思っている。

でも、梓や他の兄弟達が見ているのは家族としての私で、私も皆を大切な家族だと思っている。そして父さんの次に近くにいたのは、幼馴染である3人だろう。近いからこそ無理だ。光があんな表を作って楽しんでいることや、要の帰宅の理由を、彼らに言いふらすことはできる。でもそうすれば、少なからず動揺が生じて彼らの衝突に混乱を招く。その結果、取り返しのつかないことになるのだけは嫌だ。たとえ吐き出すことで自分が楽になるとしても、絶対に嫌だ。そんなこと頼んでないと言われても、血が繋がってなくとも、それくらい大切なのだ。

「つまり、言えないんじゃなくて、言わない・・・・んだね」
「そうだって言ったら、納得してくれるの?」
「言わないってことは、そこに名前の意思がある。話せば、良くないことが起きるのかな」

なんだか尋問されている気分だ。そして言い当ててくるからタチが悪い。黙りこくる私に梓は仕方なさそうに笑った。

「絡んでいるのは、かな兄だけじゃないね」
「まあ……そうだね」
「分かった。僕がこれ以上問い詰めたところで名前は口を割らないだろうし・・・でも」
「っ、なに?」

立ち止まって真顔で見つめてくるから、身を引いてしまった。何を言われるのだろう。まさか椿と棗を呼んで、3対1で問い詰められるとかだろうか。そんなのは御免被りたい。

「心配するくらいはいいよね」
「はい?」

思わず聞き返してしまった。一言一句ちゃんと聞こえていたし、意味も理解できるけれど、全く予想していなかった単語だ。あれ、心配するのって許可がいるんだっけ、なんて見当違いのことを考える。

「僕が心配してもしなくても、名前にはどうだっていいことだろうけれどね」
「いや、心配してくれるのは嬉しいけど…わざわざ言うなんて、それってプレッシャーじゃない?」

また歩き出して、梓は続ける。椿にも棗にも、「らしくない」と言われた。ふたりとも私が些細なことでめげたりしないと、そう思っているのだろう。それは頑丈と言う意味で、梓の声音はそれとは少し違う。泣き言を吐くくらいは許してくれている気がした。元々優しいからかもしれない。椿と棗の言葉はもちろん嬉しい。何度も私を奮い立たせてくれた。でも、梓には「らしくないね」と言われたことはない。

「たとえ君にとってプレッシャーになっても、ずっと昔に決めたんだ。僕にどんなに大切な人ができても、君とかな兄を見守るって。名前は…僕の憧れだから」

ぽかん、と効果音が聞こえた気がした。憧れとは。咄嗟にネット検索をしたくなる。なにかのドッキリだろうか。私が梓を尊敬することはあっても、逆はない。文系科目は梓の方ができたし、器用で優しい幼馴染。
狼狽える私に、クスリと笑って梓が話し出す。

「中学のとき、クラスの女の子に言われたんだ。梓くんって、椿くんより地味だよねって」
「…そんなことあった?ごめん、全く憶えてないや」
「そうだろうね。憶えてないくらい君にとっては当然のことだったんだろうけど、僕にとっては印象的だった。だからこそ、今も鮮明に思い出せる」

幼馴染の3人とは思い出が多すぎて、日常の1ページ毎を記憶してはいない。遠くを見つめるように梓が語る昔話に、私は黙って耳を傾けた。

「椿が怒るよりも先に名前が前に出てさ、なんて言ったと思う?すごい真顔で、梓の良い所が分からないとか悲しいねって」
「うわ、それ本当?その子、友達だったっけ?」
「いや、君とはタイプの違う子だったから、たぶん親しくはなかったと思うよ」

一歩間違えれば反感を買いそうな行いだ。幼馴染だからっていい気になるなよ、的な感じになっていたかもしれない。なんと言っても、朝日奈兄弟は顔がいい。
だからって、どうして憧れなんて言葉が出てくるのだろう。

「僕には名前みたいに怒ることは難しい。いつもどこか冷静で、何に対してもあと一歩本気になれない。でも君は、仕事にも、そして恋愛にも真っ直ぐだし、熱意がある。そういう所が椿に似てるから、人として惹かれるのかもしれない」

いつになく饒舌だ。梓が自分をそんな風に見ているなんて、知りもしなかった。世話の焼ける幼馴染程度の認識だと思っていたから、なんだか照れる。だが、それよりも聞き捨てならない。

「まるで梓には熱意がないみたいな言い方だね」
「え?」
「声優の仕事、楽しいでしょ?椿と梓が出てるコンテンツは全部チェックしてるから、分かる。熱意がないのにあんなに楽しむことはできないよ。それに・・・梓は今、本気で恋してるじゃない」

虚をつかれたみたいな顔をしているのを見て、笑ってみせる。何歩か進んで振り返ると、梓は立ち尽くして私の名前を呼んだ。以前、梓が私に教えてくれた、幼馴染として貴方を見てきたうえでの確証を、今度は私が伝えただけだ。

「見守ってるのはお互い様。幼馴染を甘く見ないで」

−−−−−

それから数日。私は久しぶりに仕事を休んで、街に出かけた。要のことは未だ胸の中で燻っているけれど、部屋で閉じこもっていたら余計に気が滅入る。

────元気づけるつもりで来たのに、逆に励まされたよ。やっぱり、名前は凄いな。でも、本当に駄目なときは言わないと許さないから

梓に言われたことを思い出す。怖い怖い、と笑う。本気で怒らせると梓はヤバいから、気を付けないといけない。できることなら、幼馴染の手を煩わせずに済めばいいなと思う。

「あれ、名前姉?」
「……侑介!偶然だね、大学は?」

振り向けば、朝日奈兄弟の11男がいる。ちょっと見ない間に、大人っぽくなった気がする。環境の変化が理由だろうか。弟の成長は嬉しいものだ。

「今日は午後しか授業がねえから、漫画の新刊を買いに来たんだ。名前姉こそ、仕事は休みか?」
「まあね。それじゃあ、優しいお姉様がご飯を奢ってあげよう」
「マジかよ!じゃあ、ラーメンにしようぜ!前にすば兄と行ったんだろ?そこがいい」

昴と行ったラーメン屋といえば、あの店だろう。確かにあそこなら焼肉屋とかより安く済む。頷いたら、侑介は小躍りして喜んだ。大人っぽくなったのは見た目だけかもしれない。店に入ると店長がニカッと笑う。注文を済ませて、ふぅと息を吐くと、視線を感じて顔を上げた。

「なあ、名前姉はさ…振り向いてもらえなかったからって、かな兄のこと嫌いになれるか?」
「なれないよ。そんな生半可な気持ちで恋してない。
…と言っても、私は要と恋人同士になれたわけだから説得力ないけどね」

まあそれも今、崩れ去りそうな状況だ。だから想像するだけならできる。要が絵麻ちゃんを選んでも、私はきっと、あの人を嫌いになることは一生できないだろう。振り向いてくれなかったときの光景を少し考えるだけで、こんなに胸を締め付けられる。シミュレーションでこれなのに、現実に起きようものなら私はどうなるのだろう。

「いや、すげえよ。だって名前姉、即答したじゃねえか。俺はその結論を出すのにめちゃくちゃ時間かかったから」

穏やかに笑う弟を見て、胸が軋んだ。侑介はきっと、自分が選ばれることはないと覚悟を決めている。そのうえで好きでいることを貫こうとしているんだ。前言撤回。お調子者で、少しお馬鹿な弟は、心も大きく成長していたらしい。

「俺は…他の奴らみたいに才能もねえし、頭も悪い。だからって別に一歩引くわけじゃねえけどさ、あいつには本当に好きな男と幸せになってもらいてえんだ。それがたぶん俺じゃねえことは流石に分かるよ」

嗚呼、私はこの子に何を伝えられるんだろう。世の中には振られたから嫌いになったと言う人は大勢いる。それこそ侑介より年上で社会的地位が高い人も多い。その中でこの子は、自分の好きな人の幸せを最後まで見届けようとしているんだ。そんな弟に、失恋したこともない女が、一体何を言える。

「…侑介は、強いよ。貴方のしようとしていることは誰にでもできることじゃない。少なくとも、私には無理なことだから、凄いなって本当にそう思う。でも…私にはそれしか言えないし、全て終わったとき、侑介が後悔しないように祈りながら見守ることしかできない。ごめんね」
「・・・いや、それで充分だ。名前姉に強い奴だって言ってもらえただけで、すっげえ嬉しい」

侑介はいつも太陽みたいに笑う。それも、カラッと晴れた夏の日の。春生まれだけど、この子は向日葵みたいに真っ直ぐに、スルスルと進んで行く。たぶん明るい表情を返せていない私を見て、侑介はまた笑った。

「俺、頑張るからさ、ちゃんと見ててくれよ。そんでまたラーメン奢ってくれ」

奢られる前提なのがまた侑介らしい。それもまた愛嬌だ。今言えば慰めにしか聞こえないだろうから口にはしないけれど、私を含め兄弟の誰も貴方を駄目な奴だなんて思ったことは一度もない。侑介が生まれた日のことは、今でもよく憶えている。難産で、兄さん達でさえ不安を隠しきれていなかった。この子の産声を聞いて、皆が涙を流したのだ。

「生まれてきてくれて、ありがとう」
「ん、何か言ったか?」
「ううん、何でもないよ」

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とヒロインの関係が好き