鏡の中にいる自分を呆然と見つめた。頬を紅潮させて琉生が笑う。要はいつだって「綺麗だよ」と言ってくれる。髪型を変えたときも、新しい服を着てみたときも、必ず褒めてくれた。でも今日はどうだろう。私を見て、なんと言うだろう。欲しい言葉や見たい表情は浮かんでくるけれど、上手く想像できない。
クリスマスから約半年。今日は、私と要の結婚式だ。プロポーズされたのが去年の夏で、驚いたことに要は秋にはいくつか式場を押さえていたらしい。最終的にふたりで見学して決まったのがここ。本当に舌を巻く行動の早さだ。確かにデートや旅行のプランを練るのは決まって要で、一度だって退屈をしたことはない。だから不満なんて皆無だけれど、要だって忙しいのに全て任せてしまった。
────謝るくらいなら、俺を世界一幸せにしてよ
幸せにできるのが私だけだと、自信を持てるようになるまで随分かかった。要が虫の息だった
「僕は先に行く。皆、姉さんのドレス姿、楽しみにしてる。でも一番は、要兄さん・・・笑って、ね?」
新郎より先に弟にお披露目することになるとはと苦笑して、控室を出る琉生に小さく手を振った。特別な日に、特別な人達に見送られる私は、これ以上ないくらい果報者だと思う。白い階段をゆっくりと下りながら見えたのは、ひとり背を向けて立っている一番大切な人。一段下りる度に、胸が高鳴るのを感じる。呼び慣れた3文字を紡ぐだけでこんなに緊張するなんて、やっぱり私はいつも通りじゃないのだろう。
「−−−要」
ライトグレーのタキシードは、均整の取れた体躯によく映える。ゆっくり振り向いた要と目を合わせて微笑んだのに、無言のまま。一瞬おかしな所があったかと思ったけれど、その顔を見て心臓がキュッと音を立てる。瞳を潤ませる姿に悪戯心が刺激されて、その胸に飛び込んだ。
「いつもの軽口はどうしたの」
「攫って奪いたいくらい、今までで一番綺麗だよ」
「どうせそのつもりでしょ。要も素敵。黒のタキシードだと思ってたのに・・・っ、悔しいけど惚れ直した」
私は要みたいに甘い言葉を贈るのは得意じゃないけれど、今日くらいは素直になってみよう。恥ずかしくて俯いたら、手を取られる感覚がして顔を上げる。跪いて手の甲にキスをする姿が、あまりに様になっていて笑いそうになる。子どもの時に読んだ絵本にこんなシーンがあった。どんな物語を読んでも、王子様に重ねたのは決まって一人。家族が待つ場所へと並んで歩く途中、繋いだ手から緊張が伝わったのか要が笑う。
「緊張してる?」
「そうなのかな…よく分からない。というか、幸せすぎて上手く笑えないんだけど、どうしたらいい?」
「今日はとても特別な日だけど、名前はいつも通りでいいんだ。無理に心を着飾らなくても、君は綺麗だし強いから心配ない。俺が愛した女だ、大丈夫だよ」
自信満々に言う姿に思わず吹き出す。あ、笑えた。咄嗟に口元を手で覆って要を見る。それでいいのだと満足そうに微笑みながら、腰を抱かれた。優しい貴方に何度救われただろう。これからもきっと、数え切れないくらい頼ってしまう。その分−−−いや、それ以上の愛を貴方に返せたらいい。
16人の家族が待つチャペルの扉に要が手をかける。その瞬間に、色々な記憶が頭を巡った。付き合う前の恥ずかしい自分、告白された日のこと、ふたりで行った夏祭り、肩を寄せ合って見た水平線、初めてキスしたときの心臓の高鳴り。私の人生はずっと要で彩られている。そしてこれからも、それは変わらない。要の手に左手を重ねた。目を合わせて重い扉を開く。
「あ、来た!名前ちゃん、すっごく綺麗!!」
「本当に、とっても綺麗です!あとで写真撮ってもいいですか?部屋に飾りたいので!」
最初に気づいた末っ子が駆け寄ってくる。その声に反応して、他の面々が私達を取り囲む。ついさっきまで強張っていたのに、笑顔は自然に出てきた。絵麻ちゃんと弥が目を輝かせて私を見るから少し照れくさい。弥はきちんと正装していて、もう子どもじゃないのだと教えられた気分だ。絵麻ちゃんも今日のためにドレスを買ってくれたらしい。髪もハーフアップになっていて可愛い。
「似合ってんじゃん。かな兄の女やってるだけはあるな!今日くらいは俺と梓より目立ってもいいぜ」
「いつもは私より目立ってるつもりなの?」
絵麻ちゃんの横から椿が顔を出す。上から目線で言っていても、その目は優しい。同い年なのに、なんだか妹になったみたいな気持ちになる。ムードメーカーで明るい椿は、いつも私を元気にしてくれる。しょぼくれている暇はないと思わせてくれる。そんな椿が落ち込んだときは、お酒の一杯くらいは付き合ってあげようかな。
「椿は素直じゃないね・・・今日の名前は誰よりも綺麗だよ。幼馴染の僕らが言うんだから間違いない」
「梓の『綺麗』は要より重みあるよ」
「ひどいなぁ・・・新郎にそれはあんまりじゃない?」
梓は嘘をつかない。時には椿より真っ直ぐ私を叱ってくれる。隠すのが上手だけど、お世辞も言わない。その梓が綺麗だと言ってくれるのは、とても嬉しい。椿と同じ顔をしているから笑ってしまう。彼が自慢だと誇ってくれる幼馴染であり続けたいと心から思った。
「ドレス姿ともなると新鮮だな。これで俺の肩の荷も少しは軽くなるな」
「そこまで棗に迷惑かけてない。そっちが世話焼いてただけだよ」
また年寄りくさいことを言う。つい反論してしまったけれど、そのお節介に何度も救われた。椿と梓はいつも一緒だったから、幼馴染の中で私に一番近かったのは棗だ。鈍いくせに、私がつまずいた時はいつも振り返ってくれたっけ。お人好しで、器用貧乏なのはずっと変わらないのだろう。
「あーあ、こんな美人がエロ坊主に良いようにされるとか信じられない。姉さん、僕とロスに行こうよ!」
「風斗くん・・・それは、無理」
久しぶりに会う風斗は、また一段と大人っぽくなっていた。マンションで最後に会ったあとに、演技の勉強でロスに渡るのだと聞かされたときは驚いた。様子を見るに、充実した日々を送れているみたいで一安心。琉生は風斗を窘めると、私の方を見てにっこり微笑んだ。この子の笑顔は陽だまりみたいで、いつも心が安らかになる。少し変わった所もあるけれど、私を気遣ってくれる優しい弟だ。
「ひゃっ・・・何するの、光!!」
突然、脇腹を掴まれたから変な声が出た。その先には女装じゃない光の姿。もはや男の格好している方が珍しい。最後まで私を振り回してくれたこの男には、一度くらい高級ステーキを奢ってもらわねば気が済まない。すぐに手を放されて、今度はじっと観察される。
「なんかアンタ……痩せた?」
「なんで分かるの!要にもバレてないのに、怖い!」
咄嗟に昴の影に隠れる。要とは違う意味で光は鋭い。心の変化は勿論、ちょっとでも油断したら全て知られてしまうんじゃないかと不安になる。ひょっとしたら私のスリーサイズも言えるんじゃなかろうか。
「いや、ちょっとダイエットしたの・・・折角ドレスを着るんだから、この機会に無駄な脂肪を退治したいと思いまして。それで、昴がやってる筋トレを教えてもらって、何ヶ月かやったらこの通り」
「え……名前姉、あれマジでやったのか?」
「言われてみれば、確かに抱き心地が変わったな」
「なっ!かな兄、抱き心地って…っ、
昴に結構疲れるはずだと言われていたけれど、本当だった。アスリートは体が仕事道具。ロードワークも筋トレも、昴にとっては習慣なのだろう。真面目過ぎるから少し心配だけど、絵麻ちゃんがいるからきっと大丈夫。要が変なことを言うから、侑介は頬を染めて狼狽えた。そう、この子はそれでいい。初々しい反応を揶揄われることもあるけれど、貴方は強い。だから自信を持って生きてほしい。
「要、弥の前でそういうこと言うのは駄目だよ」
「全くです。悪い所ばかり似てしまっては困る」
父と母…じゃなかった。雅臣兄さんは相変わらず、弥のことになると人が変わる。本人はたぶん、自分のことを頼りないと思っているのだろうけれど、決してそんなことはない。家族みんなにとって、居るだけで安心できる存在だ。右京兄さんは小言ばかりが目立って弟達には煙たがられているけれど、いつも正しい。どんなことも理論立てて説明してくれるから、教えを請うなら間違いなくこの人だ。そして何より御飯が美味しい。私にとっては第二のお袋の味だ。
「とっても綺麗よ、なんだか涙が出そうだわ」
「おいおい、まだ泣くには早いんじゃないかな」
瞳を潤ませる美和さんを見て、麟太郎さんが笑う。美和さんは、実の娘じゃない私にも常に優しく接してくれた。要を産んでくれたことに感謝だ。麟太郎さんとはまだちゃんと話したことがない。今度、要と一緒に旅先での思い出を聞いてみよう。
「要くん」
一歩後ろで私達を見ていた父さんが要に声をかける。表情を引き締めた要に、見たことないくらい優しい顔で笑うから悲しくもないのに涙が出そうになった。さすがに今日は頭を撫でたりしないらしい。次いで私を見ると唇が動く−−しっかりやれよ−−分かってる。頷きながら笑って見せた。ふと視線を感じて振り向いて、見えた姿に堪らず駆け寄る。
「祈織」
腕を伸ばせば、綺麗な掌が私の手を取る。その動作があまりに自然で優雅だから、少し身を引きそうになった。会う度に成長しているのが分かる。それが嬉しいのに、少し切ない。私が世話を焼かなくたって、この子はきっと大丈夫だろう。でも、時々はご飯を食べたり、オススメの本を教えあったり、ハグをしたい。祈織は私に甘いから強請れば叶えてくれるだろう。姉としての権利の濫用に当たるかもしれない。目を伏せて小さく笑うと、祈織が私の耳元に唇を寄せる。
「このまま姉さんを攫ったら、要兄さんはなんて言うかな−−−ふふ、冗談。綺麗だよ、とても」
「ねえ、祈織・・・私ね、今すごく幸せよ」
そう言えば、祈織は息を飲んでから微笑んだ。その笑顔で私の胸に温もりが宿る。私の幸せが貴方を照らすなら、何度だって幸せだと叫ぼう。だけど、どうか知っていて。貴方の幸せも、私を照らしている。脅しみたいに聞こえるかもしれないけれど、絶対にその光を消さないで。そう願いながらグレーの髪を撫でた。交わっていた視線が私の背後に注がれる。
「名前、行こう」
愛しい人が私を呼ぶ。祈織にそっと背中を押されて、迷わずその腕の中へと飛び込んだ。泣き慣れた場所で笑う。白いチャペルは神聖で、少し緊張してしまう。下見で訪れたときとは別の場所みたいだ。結婚式には幼い頃から漠然とした憧れがあった。素敵なドレスを着て、大好きな人と結ばれる特別な儀式。絶対に叶うと疑いすらしなかった少女の私が、得意げな顔をする気配がした。
「続いて指輪の交換をしていただきましょう」
梓の声が響く。司会は自分達にと、椿と梓から立候補されたときは驚いたと同時にとても嬉しかった。聞き慣れたふたりの声に、なんだかムズムズしてくる。光る指輪に高鳴る鼓動のまま、要の左手を取った。いつも通り長くて綺麗な指に、スッと指輪をはめる。並んで皆の方を向けば、割れんばかりの拍手に胸が熱くなった。
「それでは永遠の愛を込めて、誓いのキスを」
真剣な椿の声に笑いそうになる。嫌になるほど祝福が伝わってくる。ベールで覆われていた視界が開けて、見えたのは大好きな人の顔。堪らなく嬉しくて瞼の裏が熱くなる。本当に今日の私は泣いたり笑ったり忙しい。でも悲しい気持ちは一切ない。すれ違ったり、傍にいるのが苦しくなる時もあったけれど、私は要が堪らなく好きだ。そしてこれからも待っているのは楽しいことだけじゃない。それでも要となら、私は乗り越えられる。
「幸せに、してくれる?」
「もちろん。世界で一番、幸せにするよ」
頬に触れる手の温もりに、目を細めた。幸せで胸が一杯だと、どうしたら伝わるだろう。鋭い要のことだから言わなくても分かると思っていたけれど、そうでもない。他人より周りをよく見ているし、気持ちを読むことに長けている。だけど、それに頼りっぱなしでは駄目だ。
「本当言うと、今はこれ以上の幸せが想像できないんだけど・・・その挑戦、受けて立つ」
挑発するように笑えば、キョトンとした顔。急かすように腕を広げると、優しく引き寄せられて唇がそっと重なった。ゆっくりと離れて微笑んだ途端、浮遊感に襲われる。向き合って縦抱きをされていると理解するのに数秒かかった。
「愛してる」
沸き起こる拍手に包まれて、私達は結ばれる。祝福の声に背中を押されて、自然と零れた言葉が重なった。
どうやらやっと、