ジョーカー暗躍す

胸にくすぶる嫉妬を曝け出したとき、要は幻滅するだろうか。二度と優しく触れてくれないかもしれない。それでも確かな答えが欲しい。そのくせ拒絶されるのが怖くて二の足を踏む私の背中を押すのは、あの子達の言葉−−−『名前姉自身が一番幸せだと思う選択をしてくれ』『踏み出さなくちゃ、そのまま』『姉さんの気持ちを伝えるのを忘れないで』−−−鉛のように重かった足が、嘘みたいに軽くなる。次に右京兄さんに会ったら、また貴方の弟達に救われたと伝えなければならない。

全てが終わって、どんな結果になったとしても、この家族と離れることはきっとできない。要とまた兄と妹に戻れるかと問われたら、それは時間が経っても無理な気がする。でもだからと言って、祈織や椿達と他人になれるかと問われれば、それもできない。

「難儀なものだな、家族って」

小さく笑って携帯のボタンを押そうとしたら、着信音が響く。ディスプレイに表示されたのは電話をかけようと思っていたひとの名前ではなかった。自分の顔が歪むのが分かる。無視することもできたけれど、それは何だか逃げのような気がして苦い気持ちのまま電話に出た。

「ゴヨウケンハ?」
「そう身構えないでよ、傷つくじゃない。アンタ今どこにいるの、家?」

言葉とは裏腹に、喉を鳴らして笑う光の声。目の前にいたら、ぶん殴っていたかもしれない。まあ、そんなことで光が懲りるとは思えないし、余計に面白がるに決まっている。ペースに呑まれては思う壺だ。

「弥に用があって、マンションに向かってるところ」
「あらそう、じゃあまたね」
「は?」

呆然と携帯の画面を見つめるけれど、間違いなく切れていた。一体何のために電話してきたのか、10分後にはその訳を知ることになる。サンライズ・レジデンスのエントランスで佇んでるのは光だ。十中八九、私を待っていたのだろう。分かった上で素通りしようとしたら、腕を掴まれた。

「さっきの電話といい一体なに、嫌がらせ?」
「時間通りね。さ、行きましょう」

当然のように手を引かれる。言い返そうと開いた唇が震えた。時間通りって、どうして分かるの。何時に約束したのかなんて、私と弥しか知らないはすだ。なるほど、読めてきた。弥に指定された時刻は夜の10時半。やけに遅い時間だなと思ったけれど、そういうこと。足に力を込めると、光が立ち止まって振り返る。

「弥を利用したの?」
「少し携帯を借りただけよ。だってアンタ、私が呼んでも来ないでしょう?」
「自業自得でしょ・・・分かった、さっさと済ませる」
「へえ、従順なんて珍しいわね」

どうせまた何か企んでるに違いないけど、ここで逃げても意味はない。嫌いな物は先に食べるタイプだ。面倒な事は先に片付けてしまおう。

「どこに行くの?」
「リビングよ」
「じゃあ先に行ってて。弥の所に寄ってくる」

ここには弥の勉強を教えるつもりで来た。だから、一緒に取り組もうと思っていたプリントを持ってきたのだ。持ち帰るよりも渡してきた方がいいだろう。もしもう眠っていたら、袋に入れてドアノブに掛けておけばいい。バックから取り出したファイルを振って見せる。「分かったわ」と頷いた光を残して、自分は3階でエレベーターを降りた。

「名前ちゃん!!」
「弥、遅くにごめんね。起きててよかった。これを渡しに来たの、はい」
「これ、この前教えてくれた範囲の問題?」
「そう、ピックアップしてみたの。私はこのあと用事があるから一緒にはできないけど、弥なら自力で解けると思う。今度、答え合わせしよう」

目をキラキラさせて頷く。こういうのを萌えと呼ぶのかなと、椿みたいなことを思った。「あ」と小さく呟いた弥が、部屋の奥から何か持って来る。そして私の手を取ると、それを掌に乗せた。見ると、どうやらお菓子らしい。

「あげる!今の僕は皆みたいにお金持ってないから、あんまり高級なやつじゃないけど・・・でもいつかお金持ちになったら、名前ちゃんにステーキご馳走するから!約束!!」
「そっか、楽しみにしてるね」

−−−−−

リビングのドアを開けようとしたら、それは勝手に動いた。中から出てきたのは光ではなく、朝日奈家のもう一人の母だ。そう、右京兄さんである。

「名前・・・要はリビングにはいないですよ」
「要じゃなくて、光に用があるの」

私がそう返すと、眉間にぐっと皺を寄せる。嫌悪感丸出しの顔は、いつものことだ。光はこの人の天敵と言ってもいい。思わず笑いそうになるけど、真顔をキープする。

「貴方に心配など不要だと思いますが、十分注意しなさい。あいつは私達の理解の範疇を超えている」
「すでに掻き乱されまくってるんだけどね」
「・・・要があの様子なのは、やはり貴方が原因のようですね」
「あの様子って・・・そんなに荒れてるの?」

大きく息を吐きながらそう言われた。そういえば琉生も、要が寂しそうだとか何とか言ってたな。周りに悟られるほどの変化なのだろうか。ちょっと想像できない。坊主なのとは関係なしに、要は自分を隠すのが上手い。嘘をつくのもいい意味で自然だ。

「逆ですよ、見ていて痛々しいくらいです」
「え・・・ちょっと今度、写真撮っておいてよ」
「苦労しているのは貴方だと思っていましたが、要もそれなりに大変そうですね」

呆れ顔も見慣れたものだ。右京兄さんは意外に表情を隠そうとしない。その必要があればそうするのだろうけど、無表情でいられるよりは笑ったり怒ったりしている方が私は好きだ。ただし怒っているときの方が断然多い。

「助けは、必要ないですか?」
「もう充分助けてもらったよ、兄さんの弟達にね」

私が得意げに笑うと、右京兄さんは少し驚いて、ふっと微笑んだ。光に向けるような顔とは似ても似つかない、誇らしげな兄の顔。些か問題のある人間もいるけれど、自慢の弟達なのだと伝わってくる。そんな貴方達の家族であれて幸せだと、いつか言葉にして言えたらいい。自室へ向かう背中に手を振ってから、今度こそリビングへと足を踏み入れた。光の他に誰かいるのか、話し声が聞こえる。まさか要じゃないだろうな、だとしたら私が思う以上に光は性悪だ。

「失礼します!」
「絵麻ちゃん?」
「っ、名前さん」

絵麻ちゃんが大きな目を見開いてこっちを見る。光の奴、また妹を弄って楽しんでたのか。その後ろでニヤついている光に軽蔑の視線を向けた。そんな私に彼女は会釈をしてリビングを出て行こうとする。

「言っておくけど、4番はまだ現役だからね。あれは京兄の独断と偏見。忘れないでよ、いい?」

光は彼女に向かって話し続けていたけれど、それに構わず出て行ってしまった。普段は礼儀正しい子なのに珍しい態度だ、相当怒らせたらしい。視線を光に戻すと、その足元に何か落ちている。拾い上げようとしたら、ひょいと横から取られてしまった。

「さてと、次はアンタね」

光が長い足を組んで私を見る。何を言われるのか知らないけれど、私にとっていい話でないことは確かだ。溜息をつきながら、ソファに座った。

「要を問い詰めなかったの?」
「何に対して?」
「分かってるくせに。修行に出た理由よ、そしてどうして戻って来たのか」

今やっと弟達に励まされて、要と話をしようとしていた。それすら分かっているかのように光は笑う。だって要は言った−−−私だけだと。その言葉を信じていたから、修行に出る理由は聞かなかった。無意識に疑っていたのかもしれないけれど、信じていたかった。それを容易く覆してくる現実達。

「まず、修行に出たのは想いを断ち切るため。そして要は、皮肉にも断ち切ろうとした想いの対象を守るために帰って来たのよ」
「っ、やめて・・・」
「ああいいね、その顔。すごくそそる。どんなにアンタが拒もうと事実よ。受け入れなさい、その方が息がしやすくなる」

こんな風に要以外の口から教えられるのが一番嫌だ。分かってる、いつかのように−−あの子とのキスについて尋ねたときみたいに−−訊けばいい。そうすれば要の口から真実が聞ける。たとえそれが恋心わたしを殺す答えだとしても。いや違う、要しか息の根を止めることはできないからこそだ。

「それとこれ、プレゼントよ」

あまりに今の状況に不相応な単語が出てきて狼狽える。目の前に差し出されたのは写真だ。それを持つ綺麗な指先に目を奪われたのは一瞬で、写真の中の人物−−正確にはその表情−−を見て心臓が嫌な音を立てる。そこには要がひとりで写っていた。

「よく撮れてるでしょ。今日の写真よ、ほんの数時間前の光景。場所は都内のレストラン」
「っ、要は・・・誰と一緒にいたの?」

やっとの思いで紡いだ声は震えていた。ただ笑って写真に収まっているだけなら、こんなに狼狽えたりしない。要は仕事で檀家さんとよく食事をしているし、誰かと一緒にレストランに行っているくらいで今更驚きはしない。付き合い始めた頃なら泣いていただろうけど、そんな時期はとうの昔に終わっている。

「馴染みの檀家みたいね」

私の反応を楽しむように光が言う。それに苛つく余裕すらない。目の前の写真を破り捨ててやりたい衝動が湧き上がる。写真の中の要は、私がよく知る表情をしていた。たった今まで、それは私にだけ見せる顔だと思っていた。裏表のない、優しさの中に愛情を滲ませた瞳で、私以外の人を見ている。

「何なの、この
「ふふ、さすが視点が違うじゃない。目は口ほどに物を言うってことね。先に振ってやったらいいわ。そうしたら、俺がお前を貰ってやるよ」
「−−−は?」

間抜けな声がリビングに響く。狼狽える私とは対照的に、光の唇は曲線を描いたままだった。最初は、その意味を正しく理解できなかった。でも口調と声のトーンで、冗談ではないのだということは分かる。貰うとはつまり、光のアドバイス通りに私が要を振ったとして、そのあと私とこの男が恋人同士になるということか。しかし、要が私を振ることはあるかもしれないけれど、逆は二度とない。

「なにそれ、同情とか御免だから」
「同情なんて可愛いこと、私がすると思う?本気よ。アンタのことは嫌いじゃない。それに正直、今の要に負ける気がしない・・・忘れさせてあげる」

光がソファから立ち上がって私の前に立った。そのとき、リビングに誰かが入ってくる。咄嗟に振り返ろうとしたら、光に顎を取られて叶わなかった。しかも入ってきた誰かさんに見せつけるように笑う。本当に悪趣味だ。そんなことを思っていたら、唇に何かが触れる。しまった、油断した。光は本気でふざける男だってことを失念していた。要以外にキスされた−−−そう認識した瞬間、反射で光の綺麗な唇に歯を立てる。途端、部屋中に第三者の怒号が響いた。

prev -  back -  next
とヒロインの関係が好き