君だけに傾く天秤

「たとえそれが絵麻ちゃんじゃなくて、美人な檀家さん相手でも?」
「え・・・・」

私が「嬉しい、要大好き」となるとでも思ったか。絵麻ちゃんのことは一先ず良しとしよう。あの空白の2年間については強く責められないし、要が彼女にキスをしたことは既に知っている。"今"と"これから"において私を一番に思ってくれているなら、それでいい。
残るは一つ、光が見せてくれたあの写真だ。例えば私と要が結婚したとして、檀家と不倫などされたら目も当てられない。光の言葉通りなら、あれは今日のことらしいし、訊きたいことは全部ここで訊いてしまえ。

「光が写真を見せてくれたの、たぶん隠し撮りだろうけど。今日、要が都内のレストランで檀家さんと食事をしてるところ」
「……あいつには、呆れて何も言えないな。名前がやめてほしいと言うなら、君以外と出かけるのは控えるよ。もちろん食事も。それにもう、
「勘違いしないで、それ自体は別にいい。要の仕事は理解してるし、割り切ってるから。何年、貴方の恋人やってると思ってるわけ?」

伊達に"朝日奈要の恋人"の名乗ってはいない。理系のくせに、根拠のない自信がある−−−要は私以外とデートはしてもキスやセックスはしないし、最後は私の所に帰って来る。そう信じてないとやっていけない。今まで難癖をつけてくる女は何人もいたけれど、根性でノックアウトしてきた。まあ要に直接アプローチする勇気のない人達は、恋人である私に行動を起こす。それなら今まで通り対処できるけれど、そうじゃない相手については正直言って未知だ。

要は檀家さんと一緒にいたことを咎められると思っていたらしく、私の言葉にひどく戸惑っているみたいだった。他人の心情を読むことには人並み以上に長けているから、こんな顔はあまり見たことがない。是非とも額縁に入れて飾りたいくらいである。

「貴方の

人差し指で自分の右目の横を、トントンと2回叩いて見せる。要が「目?」とオウム返しをして一層怪訝そうに私を見た。純粋に首を傾げる仕草が、少年みたいで少しときめいた。

「その写真の要、私に向けるのと同じをしてた。家族を見るときとも違う。私だけが知ってるって思っていたけどっ、そうじゃなかった!」
「名前・・・えっと、ごめん。俺の勘違いかもしれないけど、もしかして、嫉妬してる?」
「はぁ!?何をっ、今更、言ってんのよ!!ずっとしてるでしょ!!」

まさか、と目を見開く要の胸を叩きながら叫んだ。確かに「妬いてる」とか言葉にしたことはないけど、それくらい気付いてほしい。例えば侑介とか昴が私の恋人なら、そんなこと期待しない。でも何しろ要はそれが得意分野なのだから、今こそ発揮してくれと思う。ああでも、祈織にはちゃんと伝えろって言われていたんだったな。恥ずかしさで涙が滲んできて俯く。

「分かってないみたいだから言っとくけど、絵麻ちゃんにも嫉妬してるんだからね」
「え・・・ちょっと待って、頭が追いつかない。名前が妹ちゃんに?さっきの修行の話もそうなの?」
「そうだよ!!どうして私にはそう鈍感なわけ?」

額に手をやる要を見て、頭を抱えたいのは私の方だと叫びたくなる。もう叫んでるけど。嫉妬じゃなかったら、キスやさっきの修行の話を問い詰めた理由は何だと思っていたのか。

「いや、何だろうな。上手い言葉が見つからないけど先入観、かな・・・ああ、端から見れば、確かに鈍感なのかもしれない。何年も付き合ってて、名前が俺の女性関係に対して何か言うのは初めてだったし、恋人としての義務みたいな認識なんだと思ってた。だって、あんなに淡白だっただろ。それがまさか嫉妬とは…」

これは相当、狼狽えている。独り言みたいなくせに、よく喋る。そういえば、私が嫉妬を吐露したときに要がどんな顔をするのか興味があると、祈織が言っていたっけ。たぶん、この顔がそうだろう。あとで祈織に説明しようと凝視してみる。大きな右手で首元を覆ってはいるけれど、耳と首筋が赤く染まっているのがその隙間から見えた。心臓を掴まれる感覚がする。

「頼むから勘弁してくれ…っ、
「優しい貴方が好き。でも、私にくれる優しさと同じものを他の子に向けられるのは嫌なの。……こんなこと言ったら幻滅されると思ってた」
「・・・幻滅なんてするわけない。好きな女に嫉妬されたら嬉しいに決まってるよ」

どうやら落ち着いてきたのか、要がふぅと大きく息を吐いた。首に手をやって俯く姿をじっと見つめる。私の視線に気がついて、要が顔を上げた。目が合うと、どくんと胸が高鳴る感覚。私を捉えるその瞳にずっと見つめられていたい。

「名前が言っていたのは、このだろ。それなら嫉妬する必要はないよ」
「いや、ドヤ顔で何言ってんの?この期に及んで開き直り?ちょ、やめて!」

頬に触れた手が、後頭部に回る。キスしようとしているのが分かって唇を結んだ。絶対向かい入れてやるものか。小さな抵抗をする私に要は微笑を浮かべると、ぎゅっと強く抱きしめられた。

「これは名前を想うときにする瞳だよ。意味が分かる?今日会った檀家さんと君の話をしたんだ」
「え、なんで要が檀家さんと私の話なんてするの?」
「俺も色々と考えてることがあってね」
「・・・ぜんっぜん答えになってない!」

余計に謎が深まった。どうして檀家さんに私の話をするんだ。もしかしたら私、明日その檀家さんに刺されるのではなかろうか。よくも私の要仁さんを!的な。怖すぎる。文句の一つでも言ってやろうとしたのに、愛おしそうに見つめてくるから、言葉に詰まる。

「これからは今までみたいに二人で会うことはできないって伝えたら理由を聞かれた。それで、大事な人がいるからだって答えたんだよ。もちろん、君のこと」
「……はぁっ!?」
「僧侶は卒業して、身を固めようと思ってね」
「ミヲカタメル・・・」

もう何が何だか分からない。僧侶を辞めるなんて初めて聞いたし、身を固めるの意味ってなんだっけ。ツッコミが追いつかずに片言になってしまう。とりあえず写真の謎は解けた・・・のか、これは。別の問題が発生した気がする。え、つまり要は、これから檀家さんと懇意にしないってことなの。

「本当はこんな所で言う予定じゃなかったんだけど、体裁ばかり気にして泣かせる方が格好悪いよな」
「な、に・・・」

頭の整理の付かないうちに要が話し出す。本気の瞳を見て、これから何を言われるのか本能的に察した。全然、準備なんてできていない。確かに要なら有り得ないシチュエーションだ。やるなら、練りに練ったプランのうえで実行しただろう。でも今ここで言ってほしい、早く私を捕まえてほしい。左手を取られて、本日二度目となる掌へのキスを落とされる。

「名前−−−俺と、結婚してほしい」

ああ、私は今、プロポーズされているんだ。それも世界で一番大好きな人に。何か言わなくちゃいけないのに、答えなんて一つしかないのに、上手く言葉にできない。要は急かさずに待ってくれている。気づいたときには無意識にキスをしていた。触れるだけの口付けをすると、少し頭がクリアになる。きょとんとしている要を見たら、自然と言葉が出てきた。

「喜んで」

そう言って微笑めば、腕を強く引かれる。バランスの崩れた体は簡単に抱きとめられた。膝の上に乗せられると、満たされたような要の顔に鼓動が高鳴る。引き合うように再びキスをする。今まで数え切れないくらいしてきたのに、とても特別な感じがした。

指と指を絡ませて、肌を重ね合わせる。要が全身で『愛してる』と訴えかけてくるのが分かった。部屋に入ったときは、二度とこんな風に触れ合うことはないかもしれないと思っていたから、笑ってしまう。きっと私は、一生この人に恋をしているのだろう。でも仕方ない−−−抱きしめる腕は、とても私を離してくれそうにないのだから。

−−−−−

「僧侶を辞めて、ホストにでもなるの?」

朝。裸で抱き合いながら尋ねると、要が苦笑いを浮かべた。本気で訊いているわけじゃない。ただ、要がサラリーマンをしている姿はとても想像がつかない。でも頭の回転は速いし、普通の仕事も向いているのかもしれない。

「さすがの俺でも、プロポーズしておいてホストに転身はしないよ・・・母さんの会社を手伝おうと思ってるんだ。今の仕事をすぐに辞めるのは難しいから、暫くは準備期間かな」
「美和さんの?……なるほど確かに、要以外の社会人は皆、定職に就いてるしね」
「ひどいな、僧侶も立派な職業だよ」

普通の坊主はそうだろう。世の中にはイレギュラーがいるもので、要はその筆頭だ。その彼が僧侶を辞めてアパレル会社で働くなんて、考えもしなかった。美和さんはバリバリのキャリアウーマンで、今もまだ現役だ。だけど、そう遠くないうちにリタイアする時が来る。その時になってから後継者を探し始めても遅いということだろう。美和さんが要を選んだのか、それとも本人が立候補したのか定かではないけれど、大切な人が新しいことを始めるのだから応援するに決まっている。

「もちろん応援するけど、頑張り過ぎないでね」
「・・・そうならないように名前が見張っててよ」
「出た、人任せ!」

うげ、と顔に出せば要が笑う。こんな風に戯れる時間が堪らなく好きだ。それなのに、その関係性を持続することはとても難しい。すれ違いも些細な喧嘩も、これから何度もするのかもしれない。それでも私は、要の隣でずっと笑っていたい。

「あ!そういえば、あのクロス返ってきたみたいね」
「…驚いたな、祈織に聞いたの?」
「うん。あの子、要が帰って来た理由が分かってるみたいだった」

私よりもよっぽど冷静に状況を見ている。自分のことで精一杯どころか、要に説明されるまで何一つ理解していなかったなんて恥ずかしい。

「…名前には何でも話すんだな」
「なに、もしかして妬いてるの?」

少し不貞腐れたような声音に、面白くなって尋ねた。そんな私の髪を撫でて要が笑う。その顔がとても穏やかだから、面食らってしまった。いつも軽薄だから、急にこういう顔をされると調子が狂う。

「嫉妬を通り越して憧憬してる。なあ、名前・・・祈織は今、光の下を歩いていると思う?」
「要が私の傍にいてくれる限り、心配ないよ」
「俺が?」
「私が幸せなら自分の歩く道も明るくなるって、祈織がそう言ってた。だから私のこと、ちゃんと幸せにしてよね」

あの日、祈織を守るという誓いとして刻んだ十字架タトゥは、今もまだそこにある。今日みたいに抱かれる度に目に付いて、あの子の暗くて苦しい表情を思い出しては胸が痛んだ。それが今この瞬間、とても愛おしく感じるのは、一番に思い出すのが祈織の笑顔だからだろう。目の奥が熱くなって、堪らず擦り寄った。

「俺の肩には二人分の幸せが掛かってるわけか・・・責任重大だな。名前、手を」
「手?」

差し出された要の右手に、自分の左手を重ねた。何かの儀式だろうか。尋ねようとして、はっとする。要の指先にある物を見て、口が半開きになった。今の私はたぶん、これ以上ないくらい間抜けな顔だろう。

「祈織のときみたいに十字架を刻むことはできないから、これを贈らせて−−−うん、ピッタリだな」
「は・・・っ、ベッドの中でなんて要らしい」

綺麗な夜景を見ながらとか、夕焼けの海辺でとか、ロマンチックな妄想をしたことはある。でも大切なのは場所なんかじゃなくて、相手が要で、そのとき私がどう思うかだ。私は今、これ以上ないくらい満たされていて、幸せだ。左手の薬指で光るリングを見つめて、口にできたのは色気のない返事。

「ずっと俺の傍にいてほしい、愛してるよ」

言葉というのは、回数を重ねる毎に安っぽくなる。何度も同じことを言っていたら重みがなくなるのは当たり前。そのはずなのに、要がくれる「愛してる」は真逆だ。回数と比例してその価値が大きくなっていく。そのうち抱えきれなくなりそうだ。愛を囁かれる度に、私はその重さを嫌になるほど思い知らされる。

「私も、貴方を愛してる」


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とヒロインの関係が好き