まあ、10回に1回くらいは私も一緒になって楽しんでいるのだから、あまり非難できない。"苦手"に止まっているのは、そんな時間が私は結構好きだから、というのもあるだろう。光のやり方は度を超えているし、時と場合を選ばないのだけど。たぶん私は、苦手の度合いは大きくなれど光のことを嫌いにはなれない。それを知ってか知らずか、しばしば暇を持て余した光の遊びに私は付き合わされた。一番よく憶えている出来事がある。あれは確か大学のときのクリスマス。要とデートするのだと零してしまったのは、私の不注意だった。
「ふぅん、要とね・・・おい、逃げるな」
「離してよ。だって何か企んでるときの顔じゃん」
「ははっ!よく分かってるな。いいだろ、少しくらい遊ばせろって。要にはバレないようにするから」
嫌な予感しかしない。まあ光がバレないと言うなら、たぶんバレないのだろう。この男は常に本気だ。つい無意識にデートの予定を零した自分を呪っても遅い。せめて釘を刺しておこう。
「台無しにしたら許さないから」
「許さないって具体的にどうするんだ?」
「それを言ったら不利になるじゃない」
「へえ、やっぱりアンタ…面白い」
クリスマス当日。要とは夜に会う約束をしていることを光に伝えると、13時に駅前に呼び出された。あり得ない。要との待ち合わせは19時。時間的に、要との待ち合わせの前に一度帰宅する暇はなさそうだ。つまりだ、光と6時間近く一緒にいなければならないことになる。このふざけた男と、しかもクリスマスに、恋人より長く過ごすなんて私はどうかしている。肩を並べて歩くカップルを眺めながら、最高にブサイクな顔で光を待つ。おまけに遅刻とはいい度胸だ。結局5分遅れで現れた光は、悪びれる様子もなく私の腕を引いた。最近になってやっと見慣れてきた女装姿。周りの人達にはクリスマスに友達と過ごす哀れな女に見えているのだろう。
「ねえ、そろそろどこに行くか教えてよ」
「ヒ・ミ・ツ」
「そういうのは可愛い女の子が言うから良いんだよ」
拳が出そうになるのをなんとか堪えた。妙に上機嫌なのが解せない。考えるだけ無駄だろうし、諦めて別のことを考える。せっかくのクリスマスだ。それに夜になれば、要に会える。今日は寒さを理由にして、私から手を繋いでみようかな。
「さあ着いた。お望み通り、会った途端にキスしたくなるような女にしてあげる」
「は・・・いやいや、冗談でしょ」
立ち止まってそう言われ、見上げた先には綺麗なブティック。もしかしなくても、私はこれからここに入るのだろうか。というか、何故ブティック。嫌な予感しかしない。隙を見て逃げ出そうか。いや、私の行動なんて先読みされているに決まっている。
「なに百面相してるのよ、さっさと入るわよ」
思考している間に手を引かれる。要と違って強引だ。営業スマイル全開の綺麗な顔をした店員が「何をお探しですか」と近寄って来た。そんな彼女をスルーして光は奥へと進んで行く。なんだか申し訳ない。まあ私もしつこい店員は好きではないのだけど、光らしい。
「俺がコーディネートしたってことは言うなよ」
「それはいいけど、たぶんバレると思うよ。要が鋭いの知ってるでしょ?」
「バレても誰だか分からないから、面白いんだろ」
急にいつもの口調に戻るのはやめてほしい。この男、完全に楽しんでいる。仕方ない、乗りかかった船だ。最後まで付き合おう。今さら逃げるのは無理そうだし、考える時間が無駄だ。開き直り光に目を向けて、ギョッとした。その手にはすでに何着も服がぶら下がっている。
「ちょ、ちょっと待って。まさかそれ、全部着るの?あと絶対に私が着そうにないやつあるじゃん」
「はい、口閉じて。まずはこれ、さっさと着る!」
背中を押され、試着室に押し込まれた。鏡には映っている自分の顔にハッとする。こんな顔じゃ要に何か言われてしまう。一度目を閉じて深呼吸した。瞼を上げて「よし」と気合を入れてみる。折角のクリスマスなのだから、楽しまないと損だ。改めて光に渡された服達に視線を向ける。まずは、スキニーデニムと白いシャツ、それからクリーム色のニットベスト。確かに冬っぽくて可愛い。
「んー、イマイチ何か足りないな」
まるで着せ替え人形になった気分だ。次から次に渡される洋服を言われるまま試着し続け、正直もう疲労困憊である。もう何着目か数えるのを止めた頃、試着室から出た私を見て光が目を細めた。
「ふぅん、良いわね」
やっとお気に召したらしい。身にまとっているのは、赤のニットにグレーのロングスカート、それから黒のジャケットだ。今日履いてきたショートブーツに合うように選んでくれたのだろう。少し胸が温かくなる。ところが、服を脱いでタグに書かれた値段に声を上げそうになった。想像より桁が一つ違う。生憎こんなに持ち合わせはない。折角だけれど、諦めるしかなさそうだ。心で溜息を吐きながら、試着室を出る。
「お包み致します」
「え……」
戸惑っているうちに手の中にあった服達が攫われていく。一体どういうことなのか。ハッとして光の方を振り向けば、見慣れた得意げな顔。その顔も、さらりと会計を済ませる所も、愛しい人に似ていて胸がムズムズした。なんだか悔しくて、素直に「ありがとう」と言えない。店を出て、口を開いては閉じる。
「ほら、次に行くわよ」
「は、ちょ、次ってなに!?」
躓きそうになりながら、必死に足を動かす。要といる時も胸が休まる暇がないけれど、こっちはこっちで忙しい。まるで台風だ。掻き乱すだけ掻き乱して、通り過ぎた後は知らんぷり。ニキビが出来たとか、試験のこととか、嫌な天気だとか、ちっぽけな悩み達を吹き飛ばす時間だ。自然と口角が上がる。
「メイクよ!」
「最近、光が男だって忘れそうになる」
「美意識の高さなら、そこらの女に引けを取らないわよ。それにしてもアンタ、素材が良いのに冒険しないなんて勿体ない!王道ばっかじゃ飽きられるわよ」
「そんなこと……あるのかな」
段々と語尾が小さくなる。言い切れるほど自信がなかった。流行に遅れないようにとは思っているし、人並みには雑誌を読んでトレンドをチェックしてはいる。どんな風に着飾っても要はいつも褒めてくれるから、無意識に妥協していたのかもしれない。
「なーに暗い顔してんのよ」
「ふぇ、ちょっ、やめて」
頬を摘んでくる手を振り払う。人が沈んでいるのに、光の唇は益々大きな弧を描いた。他人の不幸は蜜の味とか思ってるんだろうな。本当に性格が悪い。ふいと視線を逸らすと、さも面白そうに光は喉を鳴らした。それから行きつけだと言う化粧センターに連れて行かれ、下地からチークやリップに至るまで全て購入。さらにデパートに入り、アクセサリーコーナーへ。
「光…ちょっと休ませて」
「なに、もうギブアップなの?だらしないわね。いいわ、アンタはここで待ってなさい。15分で戻るから」
そう言うと、ベンチに私を触らせて速足で行ってしまう。光はまさにマイペースの申し子だ。皮肉を込めて心でそう命名した。一方で自分の口角が少し上がっていることに気が付いて、慌てて表情を引き締める。宣言通り15分後、光は戻って来た。
「なに買ったの?」
「それは後でのお楽しみ。さ、お茶にしましょ」
このときすでに時刻は17時。ずっと連れ回されていたから、喉も確かに渇いている。提案に大人しく頷くと面白そうに見てくるのがまた神経に障る。デパートから出ると、外はもう暗かった。昼間とは違い、道を行くのは恋人同士が多い。近くの喫茶店に入り、期間限定のドリンクを注文した。クリスマスらしい赤と緑の容器のてっぺんには白い生クリームが見える。
「光はただのコーヒーでよかったの?」
「ああ、生クリームは油が多い」
「今からそれを飲む人にそういうこと言う?」
「事実だから。ま、いいんじゃない。少し太ってた方が抱き心地よさそうだし」
またとんでもない事を、公衆の面前で堂々と。要もたまに面白がって私を揶揄うことがあるけれど、光はそれを息をするように実行するから恐ろしい。口に近づけたカップが、物凄く重く感じる。このカロリーを消費するには、一体どれだけの運動量がいるのだろう。そんなことまで考えてしまう。
「過度な我慢は、体にも心にも毒よ」
「光が余計なこと言うからでしょ!」
「はいはい。ま、綺麗でいたいってのは分かるけど…要はアンタの見た目だけに惚れてるわけじゃないんだから、もう少し自信持ちなさい。美味しそうに食べてるところ見るのが好きだって言ってたわよ」
どうして、こういう時だけそんなに優しい顔をするんだ。化粧をしているからまだ平気だけど、素顔でやられたら惑う自信がある。笑った顔は要によく似ているのだ。これだから、この兄弟は困る。私がチョロいだけかもしれないが、こうして少し優しい言葉をかけてもらうだけで、怒りが鎮まる。
「そんなの、聞いたことないし」
「ふぅん。じゃあそれ頂戴」
「それはダメ!」
「そうそう、アンタはそれでいい。綺麗でいることはもちろん大事だけど、ずっと背伸びしてたら一生一緒になんていられない。それに男なら、好きな女にはそのままでいてほしい思うもんよ。要も例外じゃない。なんたって、俺がそうだからな」
「・・・なにそれ、胡散臭い」
頬に熱が集まるのを感じて、顔を逸らした。クスッと笑う気配がする。今度こそ迷わずクリームへと口を付けた。広がる甘さに、ふっと口元が緩む。確かに、楽しく食べた方が全然美味しい。
そこで時間を潰し、要との待ち合わせまで1時間になった。それにしても、こんな大荷物で行ったら怪しまれそうだ。素直に光と買い物していたと言った方がいいだろうか。
「さてと、そろそろ行くわよ」
「は…どこに?」
戸惑うまま連れて来られたのは、有料のパウダールーム。初めて入るから、勝手が分からない。というか、こういう場所は男子禁制なのではないか。お構いなしに手を引くから、そんな思考は一瞬でどこかへ飛んで行った。
「まず、着替えてきなさい」
「はいはい」
おざなりな返事をしてフィッティングルームに入り、言われるままに今日買った服に着替えた。カーテンを開けて光の姿を探すと、すでにドレッサーの上にメイク道具を並べている。腕を引かれて無理矢理座らされて、「じっとしてろ」と低い声が鼓膜を揺らす。幸い人は疎らだから、男だとは思われないだろう。折角してきた化粧を一度落とされ、光の手で新しくメイクが施される。慣れた手付きに、私はいよいよ思考することを止めた。
「ほら、見違えた」
鏡に映る自分に、言葉が出てこない。これが、私。別に自分が下手くそだと思ったことはないけれど、確かに見違えた。使っている色もいつもと違うのも理由かもしれない。ぼーっとしているとグイと顎を掴まれてた。仕上げとばかりにリップが唇に塗られ、流れるように小指にスッとリングがはめられる。
「嘘吐き。こんなの…絶対に何か言われるじゃない」
「来た途端に襲ってきたら面白いわね」
「要はそういうTPOは弁えてるよ。でもまあ、楽しかった・・・今日はありがと」
鏡越しにお礼を言うと、そこに映る光の顔が驚愕に染まった。そんなに驚くような事を言っただろうか。それとも私が素直に「ありがとう」を言うのがそんなに珍しいとでも言いたいのか。なんとなく居心地が悪くなって視線を逸らすと、ふっと笑う気配がする。
「アンタって…結構狡い女よね」
「兄弟一狡猾な光には言われたくない」
「ははっ、確かにな!ほら、さっさと行きなさい。要のことだから、10分前には来てるでしょ。荷物のことは気にするな。後で家に届けてやるから」
そう言いながら、背中を押される。確かに待ち合わせまであと15分だ。うん、と返事をして出口へと足を向ける。光相手に変な遠慮は不要だ。甘え上手な方ではなかった私に、いつだったか光が言ったのだ。
────なんだ、一丁前に遠慮か?お前は俺の妹なんだから堂々と甘えてればいいんだよ。
そんなことを思い出しながら歩く。光が言った通り、要はもうそこに立っていた。こんなに人がいても、すぐに見つけられる。そんな自分に小さく笑って近付くと、気配に気づいたのか要が顔を上げた。
「名前……驚いた、どうしたの?」
コートのポケットに手を入れて佇んでいた恋人が、呆然と私の名前を呼ぶ。まあ、そうなるだろう。いつもと違う服、少し派手な化粧。人一倍鋭いこの男が気付かないわけがない。正直に言おうか暫く迷って、こう返した。
「お節介な魔法使いにやられた」
その時の要の顔を、私はきっと忘れることはない。なんと答えたらいいか分からず、眉を顰めている。その様子があまりにらしくなくて、声を上げて笑ってしまった。魔法使いは少し臭かったかもしれない。