「てかさ…名前は兎も角、俺達が全員仕事じゃねえって奇跡だろ。棗なんて毎年正月出勤じゃん」
「確かにね。神様の計らいかな。ほら、僕らみんな今年失恋したから」
「お前らが初詣だって騒ぐから仕事片付けて来たんだろうが!!神の所為にするな」
「ちょっと、静かにして。ただでさえ目立つ頭してるんだから。私まで変な目で見られる」
それなりに大きな神社だ。参拝客も多い。お詣りするまでにも、長い列ができていた。その途中でやいやいと騒ぎ出す男達を慌てて諌める。これで20代後半とは世も末だ。折角の初詣なのに、棗は仕事疲れなのかピリピリしている。それを労うどころか、後の二人は煽ってくる。つまり、私の立ち位置が一番面倒だ。
「と言うか、なんでこのメンバーで初詣?こんなに五月蝿い集団の願いなんて、神様は絶対叶えてくれないと思うんだけど」
「なに言ってんだ、神は懐が深いんだぜ。信じる者は救われるってな!」
つい文句を垂れると、椿が肩を組んでそう言った。一番賑やかな人に言われても説得力がない。梓はくすくす笑うだけだ。やけに楽しそうで逆に怖い。やっと解放されて息を吐いた。仕事するよりも疲れる。よく今まで幼馴染やってきたなと自分を褒めたくなった。全然喋らない棗を見れば、悟りを開いたみたいな顔をしていて思わず肩を揺すってしまった。
「ちょっと、大丈夫?体調悪いとかじゃないよね?」
「平気だよ。絶好調でもないけどな」
「散々文句言うくせにこうして付いて来てくれるんだから、本当お人好しだよね。そこが棗の良い所だけど、ちゃんと自分のことも大事にしなよ」
力無く笑う顔に、本気で心配になった。スポーツマンだし身体が丈夫なのは知っているけれど、棗だって超人ではなく人間なのだ。それに一人暮らしだから、食生活とかに気を配り続けるのも難しいだろう。声から私の心中を察したのか、バツが悪そうに視線を逸らすから、思わず背中を殴る。小さく「いてぇ」と言う声が聞こえた。
「余計なお世話だと思うけど、その…大丈夫なの?」
「何の話だ?」
正直に『心の方は』とは訊けなくて、口ごもる。絵麻ちゃんが昴と付き合うことになってから、面と向かってこの話をするのは初めてだ。11月に会った時は思ったよりも元気そうで安心したけれど、やっぱり空元気なんじゃないかと疑ってしまう。個人的に落ち込んでいる時は誰かと一緒にいた方が気が紛れるし、吐き出すと楽だと感じている。でも、棗もそうとは限らない。例えば、ひとりでランニングしたり仕事に没頭する方がいいのかもしれない。
「はっ、らしくないな。いつもの直球はどうした?」
「あのね、一応気を遣ってるの。親しき中にも礼儀ありって言葉、知ってる?」
「ああ、悪い。見たことない顔してたから、ちょっと面白かった。お前、意外に心配性だよな…大丈夫だ。それとも、駄目って言ったら慰めてくれるのか?」
心底楽しそうに笑いながら、目を細めてこちらを見てくる。まさか棗の口からそんな台詞が出てくるとは思わなくて、思わず立ち止まってしまった。たぶん、今の私はかなりの間抜け面だろう。本気でヤバい顔をしていたのか、棗がぎょっとして「悪い、冗談だ」と謝ってきた。
「顔は良いんだから、勘弁して」
「おい今、顔
不満げに口を結ぶのが面白くて、今度は私が声を上げて笑った。本当は知っている。棗も、そして椿と梓も、私が心配しなくても大丈夫だ。それでもやっぱりこの3人は特別で、お節介と分かっていても傍観を決め込むことはできない。
「棗……今の何?いくら幼馴染だからって、調子に乗りすぎだよ。名前にはかな兄がいるって忘れてるわけじゃないよね?」
ヒヤリとした梓の声に棗とふたりで動揺してしまう。もしや本気で怒っているのだろうか。いやでも、今のはちょっと揶揄われただけだ。今までだって何度もあったやり取りだ。
「えっと、梓…私的には、今さら他人行儀になられる方が調子狂うっていうか……あれくらいは全然、
「そう、じゃあ僕も名前のこと口説こうかな」
「「は?」」
棗と私の声が重なる。だからきっと空耳じゃない。口説くって、誰が誰を。悪い笑顔で近付いてくる梓に、咄嗟に棗の腕を掴んだ。掴まれた本人も戸惑うように兄の名前を呼ぶ。怖すぎる。口説くと言うよりも恐喝の類ではなかろうか。まるで空気を読んだように、列は全く動かない。いつまで祈っているのだと、先頭の誰かさんを責めたくなる。いつの間にか真正面に来た梓が、私の左の耳元で囁いた。
「ねえ、名前…僕のことも慰めてくれる?」
声にならない悲鳴が出た。これが声優の本気か、なんてことを思う。乙女ゲームの主人公になった気分だ。これは世の女子が落ちるのも分かる。思わず左耳を塞いだ。
「なになに〜、楽しそうなことしてんじゃん。俺も交ぜろよ」
また厄介なのが来た。先手を取って右耳を死守しようとしたけれど、椿がそれより早く私の手を掴む。無防備な鼓膜にまたも爆弾が投下された。
「梓じゃなくて、俺にしろよ。なあ、名前」
「〜っ、いい加減に、して!!」
ちょっと大きな声を出したから、周りに並んでいた人達がチラチラ見てくるけれど、構っていられない。距離を取りたくても列に並んでいるので叶わず、仕方なく棗を盾にする。呆れたように溜息をつかれた。正直、要以外に甘い言葉を囁かれるのには慣れていない。まあ私が知っている限り、あの男以上のフェミニストはいないから、耐性はあると思っていた。しかしどうやら、甘かった。たとえこの双子に恋愛感情を抱いてなくとも、威力はとんでもない。
「絵麻ちゃん、大変だったろうな。今度ご飯奢ってあげなきゃ」
「安心しろって、絵麻にはもっと過激だから!」
「いや、余計駄目でしょ!なにイイ顔で言っちゃってるの!?」
「こんなの序の口だよ。本当にかな兄の彼女なの?」
「幼馴染だから質が悪いんでしょうが!ねえ、棗。梓がいつの間にか椿に似てきてるんだけど!」
「まあ双子だしな」
ほんの数分前に五月蝿いと注意したのに、思わず声が大きくなる。さっき好奇の目を向けられたから、少しボリュームは落としたけれど。肩を揺すって訴えてみても、棗は明後日の方向を見て軽い返事をしてきた。暖簾に腕押し。その理論でいくと、三つ子の貴方も例外じゃないんですが。
「ほら、僕らの番だよ。騒いでないで、準備して」
「そうそう、落ち着けって。ちゃーんとかな兄に報告しといてやるから、俺らに口説かれて名前が顔真っ赤にしてたって」
「ご愁傷様」
「もう絶対にこの面子で初詣はしない」
梓が呆れたように言う。誰の所為で騒いでると思っているんだ。椿に至ってはもう言い返す気にもならない。棗は全然味方になってくれないし。うんざりしながら、財布から小銭を出した。生憎、14円しか持ち合わせがない。僧侶の妻になるのにどうかとは思うけれど、別に信仰心が深いわけではないから、お札を入れる気にはならない。それに14は朝日奈家の兄弟の人数だ。それにちょっと嬉しくなった。5枚の硬貨を取り出して、賽銭箱に放る。小さな音を立てて消えていくのを見届けて、手を合わせた。
「(家族が幸せでありますように)」
ありきたりな願いだけど、本心だ。それに、普通の人より人数が多いから、ちょっとお得な感じもする。そう思う自分がなんだか恥ずかしくて、小さく笑った。顔を上げて、驚く。私より先に手を合わせたはずの幼馴染達は、まだ目を閉じたままだ。一体何を祈ったのだろう。気になったけど尋ねるタイミングを逃してしまった。列から外れたところで、梓が時計を見ながら言う。
「そろそろ年が明けるよ」
「おー、やっぱ正月ってテンション上がるな!」
「お前は年中ハイテンションだろうが」
「椿は毎日お正月じゃん」
「お前らの中の俺のイメージひでぇ」
子供みたいに燥ぐ椿を見て、棗と一緒に息を吐いた。それに彼が不満げに言ったところで、ちょうど年が明ける。それぞれおめでとうと言い合うのも、なんだか変な感じだ。
「お、棗も生まれたな」
「そうだね、ついでにおめでとう」
「益々おじさんになっちゃうね」
「お前ら……もう少し素直に祝えないのか」
げんなりした顔も見飽きた。そんな弟を放って椿と梓はおみくじを引きに行ってしまう。少し可哀想になって肩を叩くと、棗はまた大きな溜息をついた。私も双子に続いておみくじを引いてみる。開いて、顔が歪む−−−凶だ。まあ、こういうものに一喜一憂するような性格じゃないけれど、なんだかヘコむ。特に去年はプロポーズされたし、幸せな年だった。今年もきっと大変だけど、楽しい一年になるに決まっている。だから別に、こんな紙切れに流されることはない…はず。
「うわ、凶じゃん」
「逆に運いいんじゃない?」
「いいよ、別に。おみくじだし。そう言うふたりはどうだったの?」
「僕は小吉。まあまあだね」
「俺は大吉!!」
「そうですか」
言い方からして凶ではないだろうと思ったけれど、やっぱり。椿に至っては大吉だ。そういえば以前、大吉よりも凶の方が珍しいと聞いたことがある。それなら梓の言ったように、ある意味強運なのかもしれない。そういうことにしておこう。そう思いながら、再び折ろうとしたおみくじが手の中から攫われる。
「あ、ちょっと椿……え?」
「俺のと交換、感謝しろよなー」
「いや、いいって。だってこれは椿が引いたんだし」
「俺はおみくじなんて無くても、幸せの方から寄ってくるからいらねえの」
「意味わかんない……っ、でも、ありがと」
物凄いドヤ顔に思わず吹き出してしまった。たぶん突き返しても、椿は受け取ってくれなそうだ。貰ったおみくじは、さっき引いたばかりなのにもうクシャクシャになっていた。それでも恋愛の欄に書かれた言葉につい口元が緩む−−−この人となら幸福あり。嬉しくなって素直にお礼を言えば、椿だけじゃなくて梓と棗まで優しく笑うから少し恥ずかしくなった。
「そう言えば、3人ともやけに熱心に祈ってたけど、何をお願いしたの?」
誤魔化すように話を逸らす。まあさっき本当に考えていたことだし、怪しまれはしないだろう。ところが、私は再び動揺することになる。私の質問に顔を見合わせて、まず棗が口を開いた。
「俺ら3人共、今年はふたり分願ったからな」
「ふたり分って…え、どういう意味?」
つまり、3×2で6人ということか。そもそも、そのもう一人は一体誰なのだろう。全く意味が分からず梓に説明を求める。
「ちなみにそのもう一人は全員同じ人物。とぼけた顔してるけど、君だよ」
「へ、私?」
「俺ら全員で祈っといたんだから、神様も叶えざるを得ねえだろ。やーっと、くっ付いたんだから、上手くいってくれねえと困るしな」
思考が追いつかない。駄目だ、泣きそう。言葉が出てこなくて俯くと、歯を見せて椿が覗き込んでくる。顔を見られたくなくて棗の背中に隠れれば、椿は余計調子に乗って揶揄ってくる。おまけに梓の笑い声まで聞こえて、もっと恥ずかしくなった。棗は何も言わなかったけれど、いつもみたいに優しい顔をしているに決まっている。私はきっと、何十年経ったって、彼らに驚かされ続けるのだろう。一つだけ確信しているのは、そのとき私は絶対に笑っているということだ。