1. ※8話〜9話の沖田視点。

    ほんの少し騒ついた心持ちで、着物に袖を通した。今日は、夏祭りだ。途中で偶然会った一君とふたりで、待ち合わせ場所へと歩く。

    「名前も来るのか?」
    「さあ。誘ったけど、来るかは知らない」

    そう答えたら、探るような視線を向けられた。なに、その顔。一君は、土方さんや左之さんみたいにネチネチ言ってこない。それが楽な時もあるけれど、こういう時は逆だ。煩わしく感じる。責められている心地がするんだ。まるで僕が悪者みたいじゃないか。そんな視線に気付かないフリをして、先を行く。待ち合わせ場所には影が三つあった。千鶴ちゃんと平助、それから−−−嗚呼、なんで胸が鳴るんだろう。夜に紛れそうな紺色に、白い花柄の浴衣。夏祭りなんだから普通なはずなのに、勝手に視線が引き寄せられる。目が合うと、彼女は少し驚いたような顔をした。迷うように開きかけた唇から目を逸らしたその時、

    「気分でも悪いのか?」

    僕の横で、一君がそう尋ねたのが聞こえた。それに答えた彼女の声はとても小さくて、風に乗って消える。暗い顔をしてると、苦しい。笑っていたら、嬉しい。だから誘いたくなかったんだ。この子がいると、心が騒つく。いつからかなんて忘れちゃったけれど、僕の真ん中にいる誰か−−もっと適切な言葉を探すなら本能−−が、耳を塞ぎたくなるくらい大声で必死に訴えかけてくる。何て叫んでいるのかは分からないし、知りたくもない。ずっとそうだったし、これからもそうだと思っていた。それなのに、彼女に会ってから、その声が音を持ち始めた。もう知らんぷりはさせないと、そう言われた気がした。

    「ほんと五月蝿いなぁ。ちょっと黙っててよ」

    全員揃って歩き出す途中、喧騒に紛らすように呟いてみる。誰に何を言われようと、僕は流されたりしない。そう決めてはいても、予感がするんだ。僕の心にはきっと、もうじき嵐がやって来る。糸で引っ張られるみたいな弱い力じゃなくて、身体ごと連れ去れるような大きな引力が、この心を揺れ動かす。それが終わった時、どこに辿り着いているのかは分からない。想像すらつかない。それでもその瞬間、後悔するのは御免だ。

    「やっぱりちょっと地味だったかな」
    「まあ、も少し明るい色でも良いかもしれねぇが、その色もよく似合ってるぜ」

    後ろから聞こえた会話。左之さんと、あの子の声。たぶん、浴衣の話だ。確かに水色とかピンクとかも似合うだろうな。なんて事を思った自分に戸惑う。自分を戒めるために拳を握った。思考を断ち切るように、一君に話しかける。

    「あ、綿飴」
    「なんだ、欲しいのか?買って来てやるよ」
    「平気、自分で買うから。先に行ってて」

    それでも何故か聞き耳を立ててしまうんだ。そう言い残して駆けていく彼女の背中を、横目で見送る。嗚呼、後ろ姿を見るのが嫌いだったっけ。そう思ってから、あれと首を傾げる。

    ────うん。大丈夫、ちゃんと分かってる。ずっと手を繋いだままじゃいられない。総司はもっと速く走れるもの

    見送ったのは、彼女の方だったはずだ。なのになんで、背中を思い出すんだろう。ズキッと頭が痛んだ。なんとか声を漏らすのを我慢して、手で額を覆った。一瞬立ち止まったせいで、一君がこっちを見てくるけれど、それどころじゃなくなる。視界の端に捉えた彼女の側に、誰かいる。左之さん、そんなわけない。本人は僕らの後ろにいる。じゃあ、あいつは誰。声が聞こえないくらいは遠いのになんでだろう、瞬時に理解する−−−怯えてる。

    「おい左之、誰だあいつ」
    「あいつって・・・おいおい、ちょっと目を離したらこれかよ。この俺の目の前でナンパたぁ、いい度胸じゃッ、おい!総司!?」

    途端に足が動く。なんなんだよ、一体。不本意だ。従いたくなんてない。なのに、加速していく想いが心地よくなってきてる自分がいる。納得いかない。人混みを掻き分ける間も流れ込んでくる記憶の波に、舌を打った。

    ────私が死ねばよかった

    ふざけるな、そう思ったっけ。自分を卑下する姿が嫌いだった。そりゃそうでしょ。大事なものを否定されて嬉しいわけない。だから、誓ったんだ。その分、僕が肯定する。君が捨てようとした部分も、好きになれない所も。

    ──── 約束して、待ってるって。僕も約束するから。絶対に名前のところに帰ってくる

    嗚呼、確か泣いていたな。あの時、彼女はもう心を決めていたんだろう。刀を取り、闇へと突き進むことを。なのに僕は、涙を流して別れを惜しんでくれていると疑わなかった。気付けなかった。僕がどれだけ悔しかったのか、きっと君には分からなかっただろうな。

    ────きっとまた逢えるから哀しくなんてないよ

    嘘吐き。冗談は得意なくせに、嘘は下手だ。心が欠けたみたいだった。虚しくて、苦しくて。ひとり残して行ったのは僕なのに、傍にいなかったくせに。もしかしたら君はもう、同じ空の下にいないかもしれない。少しでもそう疑ってしまったら壊れてしまいそうで、僕は自分の心を守るために君を利用した。笑っちゃうけど、愛おしそうに名前を呼んでくれる姿を思い浮かべるだけで、息が出来たんだ。

    ────総司

    息を切らして、人混みを抜ける。2メートル先に見えた背中はやっぱり震えていた。そんなに強くなくたっていい。そう思う僕のことなんて知らんぷりで、君はどんどん逞しくなっていった。生意気なだけとか、よく土方さんが言っていたけれど、皆が君の凛々しさを知っていた。それがほんの少し嫌で、だけど誇らしかった。まるで自分のことみたいに。

    「名前!!」

    この世界に生まれてから、名前を呼んだのはこれで二度目だ。そもそも、こんなに大声で叫んだことないかも。初めて会った日に公園で自己紹介をして以来、僕は彼女の名前を呼ばなかった。この想いに自ら水を注ぐような真似をしたくなかったから。でも、そんな悠長なこと言ってられそうにない。見て見ぬフリしたって、君はひとりで何とかしちゃうんだろう。でも左之さんあたりが気が付いて、慰めるんでしょ。それはそれで気分が悪いんだよね。その理由を考える暇すら今はないけど、都合がいい。そんな簡単に「はいそうですか」なんて、受け入れられるほど器大きくないんだよ。

    「あんた、誰?この子に何の用なのさ?」

    だから今はただ、心のままに。その先に見えた光景がきっと答えだ。隣で彼女が小さく僕を呼んだ。弱々しい声に、胸から何か得体の知らない感情が湧いてくる。目の前のこいつ−−−知らない顔だ。背が高くて垂れ目がち、見た目だけで言えば優男。傍に女もいるけれど、多分この男の方が彼女の恐怖の理由だ。恋人なのかとか、不愉快なことを訊いてくる。あんたに関係ないだろ。

    「何か勘違いしていないかい?私は君と話しているわけではないんだ」

    ピキッと何かが割れる音がする。油断したら手が出そうで、拳を強く握った。彼女が不安げに僕を見るのが分かる。平気だよ、殴ったりしない。こんな所で暴力沙汰なんて起こしたら、土方さんのお説教は必至だし、部活にだって影響が出る。何より近藤さんに迷惑が掛かるんだ。

    「今は、とても出来そうにない。正直、それだけの余裕がない。何より優先したいことがあって…後悔、したくないから」

    そう言った横顔は、まだどこか怯えているように見えた。記憶の中の姿は、強くて凛々しくて眩しい。そんな彼女が怖いと思う相手−−−ああ、そうか。こいつが誠志郎さんの仇か。

    「そうか……なら、それが終わったらで構わない。いつまででも待つよ。どうしても伝えたい事があるんだ」
    「……約束はしないわよ」

    無言で去って行くの背中を睨みつけた。まだ、縛るのか。消えない傷を残しておいて、次の世界で再び現れるとか信じられない。そんな風に思ってみたけど、気付く−−−それは僕もじゃないか。こうして彼女の心を縛り付けているくせに、どの口が言うんだろう。

    「ごめんなさい、迷惑かけて・・・皆のところに戻りましょう」

    歪な笑顔でそう言った。視線は合わない。今にも倒れそうなのに、本気で言ってるのかな。僕の返事を待たずに歩き出そうとする彼女の左手に触れた瞬間、衝撃が走った。パチンッと音がしたと思ったら、右手が少しヒリヒリし出す。それを感じてやっと、振り払われたんだと理解する。その事実に、刀で刺されたんじゃないかってくらいの痛みが胸を襲った。対照的に、どこか冷静な自分もいる。拒絶されたのなんて初めてだな、なんて事を思った。散々素っ気ない態度をとっておいて、拒まれたら一丁前に傷付くとか笑っちゃうよね。なんでかな。その手に触れたら握り返してくれるって、根拠のない確信があったんだ。でも今それが崩れそうで、柄にもなく祈りたくなる。お願いだから拾い上げてよ。そう心で請うたら、神様が嘲笑う気配がした。そりゃそうだよね。僕は一度だってあんたを信じたことないんだからさ。

 - 表紙 - 
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