1. ※9話の途中〜その後の沖田視点。

    「ごめん」

    泣きそうな顔をしながら、二度目の謝罪。泣きたいのはこっちなのに、その顔を見たら別にいいかと思うなんて変なの。僕ってこんなに優しかったっけ。はぁ、と大きく息を吐く。自分に溜息をついたつもりだったのに、彼女がビクリと肩を震わせるから少し後悔した。

    「あ、左之さん?僕等これから別行動するから」
    「別ってお前……ったく、分かってると思うが、ちゃんと家まで送れよ」
    「はいはい、分かってるよ。うん、じゃあ」

    電話を切って、彼女を見下ろす。また、視線は合わない。だけど、その瞳が戸惑うよに揺れているのは分かる。ひとりで帰れる、とか思ってるんだろうな。ここで「じゃあまたね」なんて言えるほど人でなしじゃないし、そんなことしたら後で左之さんが五月蝿い。心でいくつも言い訳を並べながら、無防備な左手を取った。また振り払われるのは御免だから、今度は少し強い力を込める。だけど、その手があんまり柔らかくて、慌てて握り直した。

    「総司、どこに行くの?」
    「別に。ただ歩きたいだけ」

    素っ気なく答えたつもりなのに、自分の声が思っていたよりずっと優しい響きをしていて笑いそうになる。空気は暑すぎるくらいなのに、触れた指先が冷たいのは、きっと気の所為なんかじゃない。

    「さっきの、誠志郎さんを殺した奴でしょ」

    そう言った瞬間に、握っていた手が微かに震えた。やっぱりそうか。胸に殺意が湧き上がってくる。誰かが傷付いて、こんなに心が痛いのは生まれて初めてだ。そう、ずっと昔。僕がまだ新選組の沖田総司だった頃は、これが日常だった。君が泣いたら悲しくて、微笑んでくれたらどんな憂いもどこかへ消える。本当に君は、嫌になるくらい変わらない。一度死んで土に帰ったのに、どこまでも名前なんだね。嗚呼、そろそろ限界かな。隠しきれそうにないや。いつもいつも心に簡単に入ってくるから困る。無神経なのは嫌いなはずなのに、なんでこんなに心地が良いんだろう。分かってるよ、相手が君だからだって。どんなに拒んでも、この心が僕の許可なく勝手に通しちゃうんだ。全く役に立たない門番だよ。まあ、いくら入ってくるなと言ったところで、君は諦めないんだろうけど。そういう、折れない真っ直ぐな刀みたいな所が好きだった。そして百年経った今も、君はその眩さで僕を惑わすんだ。

    長い橋の上で立ち止まった。皆、僕らとは逆に向かって歩いていく。どこか速足なのは、もうすぐ花火が上がるからだろう。振り向けば、今度はちゃんと視線が交わった。今はまだ、自信を持って好きだとは言えない。たぶんあの時の彼女も、こんな気持ちだったんだろう。

    ────貴方との思い出を忘れてしまったままで心から『愛してる』と言うことはできません

    そう言われて、頑なだなって思ったのを憶えてる。だけど今は、君の気持ちが痛いほど分かるよ。この胸で吠えてる感情が、本当に愛なのか不安だ。今にも涙が溢れそうな瞳を見つめて尋ねた。

    「泣かないの?」
    「貴方がいるんだから、無理よ」
    「へえ、僕はそんなに頼りないんだ」
    「逆よ」

    あまりの頑固さに思わず揶揄うと、きっぱりと否定された。逆の意味が分からなくて先を促せば、可笑そうに喉を鳴らしながら彼女が言う。

    「総司がいれば、それ以外の苦しみなんて些細な事。だから、泣かない。私が泣くとしたら、一人になった時だけ」

    調子狂うなぁ。まどろっこしいのは嫌いだけど、こうも真正直なのもどうかと思うよ。ていうか君、自分のこと天邪鬼だって言ってなかったっけ。子どもの頃は僕と同じくらい意地っ張りで、誠志郎さんも手を焼いていた。まあ、今もそうか。今も意地だけで涙を堰き止めてる。

    「それってただの強がりだよね」
    「そうね。でもお互い様でしょう?」
    「なにそれ、僕が弱虫だって言いたいわけ?」
    「だって総司、隠すの上手いじゃない。悲しい時だって正直に言わないし」

    言葉を返せないでいるとクスクス笑うから、ちょっとムカついた。だけど、苛つきよりも先に愛しさとが募る。些細な口喧嘩が堪らなく懐かしい。張り詰めた糸みたいに涙を堪えている姿を見ると、もどかしくなる。

    「あの時は泣いてたくせに」
    「っ、それは……あれ以上に最悪なことなんて無いと思っていたから。だから、貴方の手を放したの。でも今は違う。今度は絶対に放したりしない」
    「ふぅん。ついさっき、思いっきり振り払った人の言葉とは思えないね」

    大きな瞳が不安げに揺れたかと思ったら、視線が逸らされた。俯いて肩を震わせる様子に心がチクリと痛んだけれど、構わずトドメの台詞を吐く。

    「それに、僕を理由にするのは逃げだよね」

    ここで止めたら、君はきっとひとりで泣くんだろう。それを許してしまったら、僕はたぶん後悔する。根拠なんてないけど、分かるんだ。あの頃分かち合えなかった痛みを、知りたい。そうすれば、全部思い出した時、胸を張って好きだって言える気がするから。あの男との出来事を、彼女は結局最後まで語ろうとしなかった。僕も尋ねることはしなかったし、なんとなく分かっていたから。だけど、言葉にせずに伝わることなんてほんの僅かだ。全てを知りたいなら、それじゃ駄目だ。

    「…全部、貴方の言う通りね。弱虫なのは私の方。情けないけれど、あいつが怖くて堪らなかった。それを認めたくなくて、虚勢を張ったのよ……幻滅したでしょう?」

    また勘違いしてる。逃げたっていいよ。少しくらい弱音を吐いたって、構わない。壊れてしまう程の絶望を植え付けた相手だ。怖いのは普通でしょ。何の為に僕がいるわけ。次々と、らしくない優しさが溢れてくる。とても全部を言葉に出来そうにない。頼るのが苦手なのはお互い様だね。

    「幻滅って、意味分かって言ってるの?僕は別に、君に対して幻想なんて抱いてない」
    「っ……そう、だよね」
    「あのさ、そうやって勝手に解釈するの気に入らないんだけど」
    「え?」
    「悪い方に捉えるのは止めろってことだよ。さっきのは、君が泣いたところで僕はがっかりなんてしないって意味だから」

    意味が分かっていないのか、難しい顔で見上げてくる。なんで伝わらないかな。ずっと感じていたけれど、この子は少し悲観的な所がある。もっと良い方に捉えたらいいのに。そう思うけれど、たぶん難しいだろうな。僕と同じくらい不器用だから。別にいいよ、そのままで。君が下を向くなら、その間は僕が手を引くから。思いが伝わるように、少し手に力を込めた。

    「そっか…そっかぁ……っ、

    あ、決壊した。湧き出るように止めどなく、涙が頬を伝う。道行く人々が怪しげに視線を寄越す。最悪。これ、どう見ても僕が悪者だよね。ほら、あのおじさんなんて「折角の花火大会で喧嘩かよ」って顔してる。まあ、赤の他人にどう思われようがどうだっていいけど。

    「ふたり居るんだから、少しの間くらい片方が下を向いていたって平気だよ」

    返事はなかったけれど、握り返された掌に小さく笑った。素直にありがとうって言えばいいのに。なんて思ってみたけれど、人のこと言えないか。ヒュルルと音が鳴る。すれ違う人達が漏らす声を聞きながら、歩いた。綺麗だと素直な感想を述べる人、ただ見上げる人、花火より隣の恋人を見てる人。色々な人がいる。だけど僕の心は、斜め後ろで泣いている彼女以外には呼応しないらしい。

    「そんなに泣いたら枯れちゃわない?」

    人が疎になってきた。日も落ちた薄暗い道で、呆れたように言えば、小さく笑う気配がした。悲しいなら泣けばいいと思うのに、やっぱり笑ってくれた方が安心する。あと5分も歩けば、彼女の家に着く。だけどもう少し話がしたくて、あの公園に寄った。誰も居ない。もう夜だから当たり前か。

    「少し、返してもらったよ」

    向かい合ってそう呟くと、彼女が首を傾げる。そっと手を離して、自分の胸に触れる。それで理解したのか、また泣きそうな顔をした。

    ────私の中に貴方に託された心がある。それを貴方に返す

    16年間、凍ったままだった心に春が来た。君と出会ってから、狂い咲きみたいに次々と記憶の蕾が芽吹いていく。今日もまた、一つ咲いた。思い出したのは忌まわしい記憶だけれど、それもこの心を形作る大事な一欠片だ。

    「ありがとう」

    お礼を言ったら、また泣き出すから敵わない。ゴシゴシと目元を擦ろうとする手を取って引き寄せた。石みたいに身体を固くするのが可笑しくて、思わず息が漏れる。こんなに暑いのに、触れ合っていたい。これから先、その涙を拭うのは僕だけであればいい。全部返してもらったら、伝えると約束するよ。今は泣いていたっていいから、どうかその時は笑ってほしい。

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