1. もうすぐ夏がやって来る。私の嫌いな季節だ。それでも楽しみなのは、やっぱり総司がいるからだろう。そんなことを考えながら、梅雨の所為ではっきりしない空模様の下、パン屋の扉を閉める。否、閉めようとした。そこに飛び込んでくる影がひとつ。

    「あー!遅かったか、クッソー!!」
    「…平助?どうしたの、そんなに慌てて」
    「おお、名前!なぁ、なんかパン余ってねえ?何でもいいからさ、腹減ってんだ」
    「あるよ。私が貰ったやつだからタダでいいけど、内緒ね」

    そっと焼きそばパンを手渡すと、平助は小躍りして喜んだ。相変わらず元気だ。いつも左之さんや新八さんに馬鹿は気楽でいいとか揶揄われていたけれど、その前向きさに救われた場面も多かったに違いない。聞けば今日は近くの高校で練習試合だったらしい。それでお腹が減っているのか。

    「もうバイト上がりか?なら一緒に帰ろうぜ、送るからさ」

    突然の誘いに一瞬戸惑ったが、特に断る理由もないので頷く。いつもなら後片付けまでやるのだが、平助が待っていると分かると、店長が先に上がっていいと先に帰してくれた。なんだか申し訳ない。着替えて裏口から外へ出て通りへ。柵に寄りかかってスマホをいじっている平助に駆け寄る。未だに彼の短い髪は見慣れない。まあ、今の時代でロングの男子高校生なんてそうそういないのだけれど。並んで歩き出して暫くすると、平助が「やべ」と呟いた。何がヤバいのかと隣を見れば、私の視線に気が付いた彼が頭をガシガシ掻きながら口を開く。

    「こんなとこ総司に見つかったら殺される」
    「…それは心配ないよ。私と総司は、別に付き合ってるわけじゃないもの」
    「いやまあ、そうなんだけど…後々そうなった時に掘り返されそうだろ。あいつかなり、いや結構、嫉妬深いしよ」

    そうなるとはつまり、私と総司が恋人同士になるということだろうか。正直、今はまだそんな未来は見えない。ただの事実を言ったはずなのに、胸が痛むのが不思議だ。きっと、心のどこかで幸せな結末とやらを期待しているのだろう。あまりの傲慢さに顔が歪む。あの頃のように自分を受け入れるのは、まだ無理そうだ。静かになった私に、平助が明るく言った。

    「そんな暗い顔すんなって。俺さ…総司がお前以外の誰かを好きになることって、ぜってーないと思うんだ」
    「それは…あの頃の記憶があるからそう思うだけだよ」
    「なぁ、それってそんなに悪いことなのか?」

    私の捻くれを一掃するように平助が尋ねる。責めるような口調じゃなく、ただ疑問だとでもいうような声音だった。そっと視線を移してみたけれど、平助は前を向いたままだ。何も答えられないでいると、彼はさらに続けた。

    「お前が捨てたいって言うなら別に止めねぇけど、それが無かったら俺らはただの他人だったわけだろ。そう考えると、この記憶ってすげー大事だと思うんだ。不安になるのも分からないわけじゃねぇけどさ、全部引っくるめて自分だろ。俺もお前も、総司もさ。もちろん、今のお前の意思が一番大事なのは間違いねぇけどな」
    「平助って…たまに凄く良いこと言うよね」
    「おい、たまには余計だろ」

    驚いた。まさか平助に諭される日が来るとは予想外だ。決して彼が私より未熟だとか思っているわけではなく、らしくないと言うべきか。なんというか、人を励ます時はもっと勢いよく元気付けるイメージがあった。こんな風に静かに淡々と言い聞かせるのは、左之さんの領分だ。そこまで思って、これはこれで平助に失礼だなと苦笑した。でも、嬉しかったのは本当だ。

    「ごめん。でも元気出たよ。それに…納得できた、ありがとう。確かにこの記憶が無かったら私は総司に会っても何も感じなかったんだろうね。それって凄く寂しい」

    ふっと口元を緩めれば、隣で平助が歯を見せて笑った。今はまだ、総司を想うとき愛しさより不安の方が先を行く。それでも、100年以上の時を超えた今、再び出逢うことができたことに感謝しなければならない。神様なんて信じていないから、誰に宛てたものでもないけれど、心で「ありがとう」と呟いた。

    −−−−−

    7月の初め、私は放課後にあの川沿いに立っていた。数ヶ月前、総司に初めてあった日、ここで左之さんと平助と話をした。今日は金曜日。新八さんから連絡が来て、焼肉でも食べに行こうと誘われたのだ。ちょうどバイトも無かったし、奢りだと言われて秒で頷いてしまった。ぼんやりと空を見上げてみる。もうじき日が沈むと言うのに暑いし、喉も乾く。やっぱり夏は嫌いだ。でも、もうすぐ夏休みが始まる。課外やバイトもあるけれど、高校生らしく遊びたい気持ちもある。そんなことを考えていると、背後から名前を呼ばれる。左之さんの声だ。新八さんはあと二人呼ぶと言っていた。もう一人はきっと平助だろう。そう当たりをつけて振り向いて、驚愕する。

    「え…冗談ですよね?」
    「俺もそう思いてぇよ。ったく…まだ片付けなきゃならねぇ書類が山積みだってのに聞きやしねぇ。おい、新八。勿論お前の奢りなんだろうな?割り勘だとか吐かしたら、はっ倒すぞ」
    「おうよ、任せとけ!」

    引き攣って尋ねた私に、彼−土方さんは般若のような顔で新八さんを睨んだ。怖い。さすがは鬼の教頭。それにしても、なんだか怪しい。妙な胸騒ぎを覚えて、左之さんに近寄ってそっと訊いてみる。

    「ねぇ、新八さんの気前がいいなんて変じゃない?嫌な予感がするんだけど」
    「いや、若干失礼だろそれ。まあ、大丈夫じゃねぇか。たかが焼肉だしよ。逆に何か起こる方が珍しい」
    「まあそうだね、私の考えすぎか」

    釈然としないまま頷いて、近くに停めてあった土方さんの車に乗り込んだ。左之さんと新八さんが後部座席に座ったので、必然的に私は助手席になる。まさか運転手が欲しかっただけなんじゃないだろうか。そんなことを思ったが、とりあえず黙っておいた。やいやい会話を交わす後ろのふたりとは正反対に、私と土方さんの間には沈黙が落ちる。別に気まずさはないから、なんとなしに外の景色を眺めた。

    「俺より総司の方がよかったか?」
    「は…いえ、そんなこと微塵も思っていませんよ。それに、焼肉なら総司より平助だと」
    「ああ、確かにな。生憎、あいつらは今日部活だ。折角だ、鱈腹食え」
    「そうします…あの、あまりこっち見ないでください。土方さんって顔が良いからなんだかムズムズします」

    予想外の質問に首を横に振った。そもそも総司は沢山食べる方じゃない。今は未成年だからお酒だって飲めないし、焼肉屋のイメージはあまりない。正直にそう述べれば、土方さんは喉を鳴らした。奢りなのだから遠慮はするなということだろう。コクリと頷いて意識を前に戻すと、ちょうど信号で車が停まった。右側から感じる視線に向ければ、感情の読めない顔で土方さんが私を見ている。それに思わず本音が漏れた。この人は自分が美形だという自覚がないのだろうか。だとしたら、非常に厄介だ。自覚のある左之さんの方がまだいい。

    「失礼な奴だな。2ヶ月足らずで変わるもんだと思っただけだ…いや、変わったわけじゃねぇな。取り戻したの方が正しいかもしれねぇ」
    「よく分からないですけど、信号青ですよ」

    ブツブツと呟く土方さんに信号を指差せば、分かってるとでも言うように顔を顰められた。この人、絶対カルシウム足りてない。現代は150年前に比べれば格段に栄養補給は楽にできるはずだ。今度、煮干しでもプレゼントしようか。十中八九怒られるに決まっている。暫く車に揺られて着いたのは、私の最寄りの駅から一つ離れた駅前。こんなに駅近なら電車の方が良かったのではないだろうか。そしてふと気づいて尋ねた。

    「あの、今更ですけど本当に車でよかったんですか?これじゃ土方さん、飲めないんじゃ…」
    「おいおい、名前ちゃん。忘れちまったのか?土方さんは飲めねぇんだ」
    「ああ、そう言えば…、
    「飲めねぇんじゃなく、飲まないんだ!明日も仕事だ、二日酔いで帰るわけにいかねぇだろうが!!」

    茶化すように新八さんが言うと、クワッと効果音が付いたように土方さんは反論する。そんな彼をニヤニヤと見つめる左之さん達に、益々雲行きが怪しくなってきた。怒ったまま車のドアを思い切り閉める。物に当たるのは良くない。ひとりで店へと入っていく背中を慌てて新八さんが追いかけた。肩を組んで宥めるのを見ながら、無意識に疑問が口から零れる。

    「…下戸なのって、そんなに恥ずかしいことじゃないと思うんだけど」
    「そうだな。まあ、昔に比べれば飲めねぇ男は珍しくなくなったかもしれねぇな。にしても、ああいう所は結構子供っぽいよな、あの人」
    「私はいいと思うよ、ギャップ萌えみたいな」
    「いや、萌えはしないだろ」
    「優しいのに、誤解されやすいからね。いつも眉間に皺寄ってるから仕方ないけど、今は別に憎まれ役を買う理由なんてないのに」

    ギャップ萌えと言った私に、左之さんは冷静に否定した。別に本気で言ったわけじゃなかったから、そこまで有り得ないって顔をされると返す言葉がなくなる。土方さんは昔から目を吊り上げて、一番大変な役割を進んで担っていた。あの時はそれが最善で、本人にとっても至上だったのだろう。でも今は違う。命を懸けた戦いは起きないし、無理してそんなことしなくてもいいのに。そう思ってしまうのは、やっぱりお節介になるのだろうか。

    「あれが性分なんだろ。それに、俺達が知っていればいいんじゃねぇか、あの人の良い所はよ。特別ってやつだ」
    「……ほんと、土方さんもだけど、左之さんも大概だよね。そういう事を素でサラッと言えるんだから、狡い」
    「なんだ、煽てても何も出ねぇぞ」

    ジトっと見つめれば、喉を鳴らしてまた頭を撫でられる。私の皮肉なんて、この人に通用するはずがなかった。カラカラ笑って、私達もやっと焼肉屋へと足を向ける。その時、土方さんの怒号が鼓膜を大きく揺らした。何事かと駆け寄る私達の前で、文字通り鬼のような形相で土方さんが新八さんに掴みかかる。

    「てめぇ、新八!なにが任せとけだ、こんな量食えるわけねぇだろ!!」
    「まあまあ土方さん、落ち着けって」

    今にも乱闘に発展しそうだ。そっと影から店の看板を見て納得した。そこにはこう記されている−−−大食い焼肉チャレンジ!!全て食べればお代はタダ、デザートのアイス付き!!※残された方は、料金¥15,000をお支払いいただきます。

    「やっぱり可笑しいと思った」
    「お前の勘は正しかった」

    私が呆れたように呟けば、同じくらい疲れた声で左之さんが同意してくれる。未だ怒り冷めやらぬ土方さんをとりあえず新八さんに押し付けて、私は潔く違う店を探し始めた。どうやら今年は、騒がしい夏になりそうだ。
 - 表紙 - 
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