後悔を希望に

「よろしくな、松田!」

初めて・・・会った時の挨拶。思わず吹き出しそうになった。何がよろしくな、だ。初めましてって顔してねぇんだよ。演技下手くそか。だが、いい。お前がその気なら乗ってやる。

「オゥ、こっちこそ。仲良くやろうぜ、ハギ」

敢えてその名を呼んだ。死に損ない同士、と付け足してやろうと思ったが、やめた。そんな明確な言葉を出さなくても、じきにその時はやって来る。お前も俺も、二度とつまらない後悔をしないように生きるだけ。

────そん時は、仇を取ってくれよ。

やり直すことなんざ、不可能だと思っていた。ところが、だ。俺は今こうして息をしている。神の気まぐれか何だか知らないが、そんな事は正直どうでもいい。この身が世界に存在し、目の前には親友の姿がある。それ以外の事象はゴミみたいなもんだ。上等じゃねぇの。萩原もそう思ったに違いない。あの時の後悔全てを覆してやる。

「松田、話があんだけど」
「んだよ、苗字の話か?」

中学の卒業式を終えての帰り道。制服のボタン全て女子に持って行かれた所為で、萩原の服装はいつも以上にだらし無い。こいつが俺を松田と呼ぶのは、それなりに真面目な話をする時だ。生まれる前からそう決まっている。だから、先手を取った。卒業証書の入った筒を放りながら、返事をしてやる。

「当たり」
「やっとかよ」

やっと────そう、やっとだ。これまで俺達は、以前のことに触れずにきた。避けていたわけじゃない。そう遠くないうち、正確には高校入学前までに、この日が来ると確信していた。萩原研二が、苗字名前を諦めるはずがないからだ。

「やっぱバレてたか〜」
「ばーか。何年ダチやってると思ってんだ。バレバレだっつの」
「だよなぁ。てか陣平ちゃん、最初っからハギ呼びだったしな。なんか俺が気を遣って年相応演じてたのが馬鹿みたいじゃん。あ、でも陣平ちゃんは何歳になってもガキだから、演じる必要ねぇ、グェッ!ちょ、ギブギブ!!」

また調子に乗るから、首を締め上げてやる。笑い混じりに降参のポーズ。こういう瞬間を経る度に、強くなる思いがある────絶対に失くして堪るか。二度と、あんな結末は御免だ。親友が吹っ飛ぶ様も、あの女の死に顔も、記憶に刻み込まれている。それはそれでいい。狂いそうになる程に最悪な記憶だからこそ、原動力になる。俺が為すべきは、再びあの光景をこの瞳に映すことのないよう生きること。

「悪かったな、背負わせちまって」
「そりゃ何に対してだ?お前が死ぬ前に言った仇云々のことか?」
「あ〜、それもだけど……苗字のこと」
「なら、その謝罪は受け付けられねぇな」

俺の言葉に戸惑う瞳を、真正面から見つめ返す。まるで意味が分かってないって顔だ。当然だろうな。こいつは、苗字を置いて行ったつもりでいるんだから。息を吐いて、目の前の馬鹿野郎にも分かるように真実を告げてやる。

「言っとくが、俺が放棄したとかじゃねぇぞ。テメェが連れて行ったんだろうが」
「は?冗談だろ……ッ…マジかよ」

萩原はそう言って、呆然と右手で口元を覆った。その指の隙間で口端が持ち上がるのが見えて、思わず声を荒らげる。

「お前なぁ、なに嬉しそうな顔してんだ!?俺がどんだけ……ああクソ、思い出したら余計に腹立ってきた。おい、一発殴らせろ」

あの日の情念が、腹の底から蘇ってきそうだ。足場が崩れ去るような、ひとり闇の中へ放られたような感覚。あれは俺にしか分からない。だが別にいい。あんな感覚は、萩原にも、そして苗字にも味わせたくはない。心でそうは思っても、苛つくもんは苛つくんだよ。泣くならまだしも、こいつは笑いやがった。

「ちょ、たんま!!今自分でも吃驚してるとこだから……なぁ、陣平ちゃん。俺って、もしかして歪んでんのかも。好きな女を道連れにして喜ぶとか最悪だよな!?」
「そうだな。だけど、それが本心なんだろ?」
「いや、そうなんだけど……すげぇ自己嫌悪」

世界から連れ去った罪悪感より、揃ってあの世に逝けた喜びの方が勝っていたってことか。かなり精神的にやられたから口にはしないが、俺はむしろその事実に安心した。それは萩原が、他人よりも己の欲を優先したってこと。優しさで出来ているようなこの男が、利己を優先するようになった。いい傾向じゃねぇか。貫いてもらわにゃ困る。ただし今度は、心中じゃなく、一緒に生きること。ただその未来だけを死守してみせろってんだ。

「慰めるつもりはねぇけど、逆かもしれないぜ」
「逆って……どういう意味だよ?」
「ありゃ苗字の意思だったんじゃねぇかってことだ────お前が連れて行ったんじゃなく、あいつが追いかけた。あの女は、世界よりお前を選んだ。俺にはその方が、しっくりくるけどな」
「優しいねぇ、陣平ちゃんは……本当にそうだったら最高だけどなぁ」

そう言いながら、萩原が目を細めた。その瞳には、以前と変わらない色彩が宿っている。必要ない事は見透かすくせに、テメェの色恋となるとこれかよ。いや、駄目だ。無意識に足を止めた俺に、萩原は振り向いて名前を呼んでくる。あの時に伝え忘れた言葉を、音にした。

「掴んだら、死んでも離すんじゃねぇぞ」
「……オゥよ!」

**

4月1日、夕方。あと1週間もすれば、俺達はめでたく花の高校生デビューってわけだ。だが生憎と、2回目だからって青春を謳歌する暇はない。

「やっぱり陣平ちゃんも同意見か」
「ああ、それがこの世界の法則だ───何のアクションもしなきゃ、起きる事象は以前と同じ。日時、内容、結果、その他諸々な」

誰もいない公園のベンチに、男二人で座って物騒な会話を交わす。たぶん、今の俺らの目付きは相当険しいだろう。だが、構ってられない。これは、必ずやってくる最悪な未来の軌道を変える為の下準備。そう、ただ悪戯に人生をなぞってる余裕はないってことだ。

「んでもって厄介なのは…止めようとアクションを起こしても、回避できる保証はねぇってとこね」
「だな。そいつは俺の親父とお前の実家の件で実証済み。気に入らないが、糧にするっきゃねぇな」

思い出して、舌を打つ。身体がガキだったとはいえ、変えられなかった結末。親父の誤認逮捕を防ごうと、手を尽くした。あの日は早く帰って来るように頼んで、違う道を通るように仕向けたり。それでも結果は変わらなかった。場所や時間がズレただけで、松田丈太郎の逮捕という結果は同じ。萩原の実家の倒産もまた同様。中途半端なアクションじゃ、何一つ変えられない。それが分かっただけ、御の字。そう捉えて、前を見据えるしかねぇ。

「よく考えてみたらさ…あの件がなきゃ、俺らが警察官になることもなかったわけだよなぁ」
「なんだ、怖気付いたか?」
「はは、冗談っしょ。残念なことに今回も、動機は充分にある。それに警官目指さないと、あいつらにも会えないだろうし……あと何より、俺って警察官に向いてるらしいから」
「はっ、配属されて1年もしないうちに吹っ飛んだ野郎の台詞とは思えねぇな」

誰に言われたのかは、訊かなくても分かった。萩原にこんな目をさせる人間はひとりしか知らない。それに、適性や志だけじゃ避けられない運命がある。そんなことは、とっくの昔に痛感してんだよ。

「耳が痛いねぇ。今世の座右の銘は、油断大敵にしとこうかな……おっと、話がズレちまった。とりあえず結論は、温い横槍じゃ意味ねぇってことだな」
「分かってんじゃねぇか。運命とやらをぶっ飛ばすために、目標を明確にしておくぞ。俺らが回避すべき胸糞悪い未来は2つ。まず、大学3年の3月26日。苗字が事故に遭うのを防ぐ。いいか、それまでにあの女をものにしとけ」

指を2本立てて、萩原の前に突き出す。正直、こいつが一番難易度が高い。その日一緒にいるだけじゃ駄目だ。3月26日を無事に終えても、それ以降にやって来る場合がある。だからこそ、それまでに苗字の心を解いて、守れる距離にいなきゃならない。

「ほんっと、簡単に言ってくれるよなぁ……どんだけ難易度高いか知ってるでしょーよ」
「出来るか出来ねぇかじゃない。やるんだよ」
「わかってる。てか、端からそのつもりだって」

恐らく"一つの結果"が出るまで安心はできないだろう。そう。例えば、事故に遭っても軽傷で済む。なんて、そんな上手くいくなら苦労はしない。最悪、苗字の代わりに他の人間が犠牲になる。その誰かはたぶん、十中八九、俺の隣にいるこの男だろう。そんなことは一々言葉にしなくても伝わってくる。そして萩原には死ぬ気なんざ、露程も無いことも。だから、これ以上は何も言わない。

「次にあの11月7日。とりあえず、お前が生き残らなきゃ話にならない。あの日さえ乗り切れられりゃ俺が死ぬこともねぇし、
「ちょちょ、ちょっと待った!ストップ!死ぬことはねぇって何!?サラッと衝撃の事実ぶっ込んでくるなって!!ちゃんと説明しろ……おい、松田」

聞き流せよ、馬鹿。いつになく真面目な顔をしやがるから、思わず笑った。考えてみりゃ、恥じることなんてない。俺はあの時、観覧車の中でした選択を後悔してねぇから。一呼吸おいて、告げる。

「大往生する予定だったんだがな……お前が死んだ4年後、俺も吹っ飛んじまったんだよ」
「理由は?」
「……勇敢なる警察官よ。君の勇気を称えて褒美を与えよう。もう一つのもっと大きな花火の在処のヒントを、表示するのは爆発3秒前。健闘を祈る────お前なら、どうする?」

一言一句、憶えている。液晶パネルに表示された文字の羅列。挑発するように見返せば、萩原は一瞬顔を歪めた後、唇を震わせた。愚問だろう。お前だって、俺の立場なら同じ選択をしたはずだ。だからこそ今、選ぶ言葉に迷っている。

「かぁ〜、はいはい。よぉーく存じてますよ、お前が大馬鹿だってことはな。だけどま、そこが陣平ちゃんの良い所でもあるんだけど……で、それと俺が吹っ飛んだのと、どう関係してるわけ?まさかその爆弾仕掛けたのが、俺らの時と同一犯だとか言わねぇよな、ん?」
「……だったら何だよ。文句あんのか、コラ」
「あるに決まってんだろ……なんて、言えた義理じゃねぇけど。縛ったのは、俺だしな。律儀に約束守ろうとしてくれたんだろ。ほんと男前すぎ……ありがとな」
「やめろ。結局、守れなかったんだからよ」

むず痒くなって、視線を逸らす。あれはこいつの為じゃない。間違いなく自分の為、俺のエゴだった。そうしなければ、進めないと分かっていた。妙な空気を撫ぜるように隣で笑う気配がして、思わず拳を振り上げる。ヘラついている萩原の脳天目掛けて拳骨を落とそうとしたが、容易く躱された。舌を打つ間に両手が伸びてきて、犬のように髪を撫で回される。

「頑張ったなぁ、陣平ちゃん」
「や・め・ろ!!」

蝿を追い払うように、手を振り回す。ふと、思う────苗字には、こうして容易く触れることも躊躇していたんだろうか。こいつは基本的にスキンシップが過剰だ。男にも、女にも。そしてその対象となる人間は全員、2つに分類される。拒絶されても構わない相手か、拒絶されない確信のある相手。苗字名前以外の女は前者で、気色悪いが俺は後者。だがあの女だけは恐らく、どちらにも該当しない。

「ったく、話を戻すぞ。あの時、お前の方のタイマーが動き出したのには理由がある。爆弾犯は二人いたんだよ。住民の避難が完了した30分後、ちょうどお前がバラしている頃だな。犯人の一人から警察に電話が入った────爆弾のタイマーがまだ動いてるってどういう事だ、ってな。会話を引き伸ばして逆探知に成功したまでは良かったが、慌てた奴さんは車に撥ねられてあの世にとんずら」
「成程。それでもう一人がタイマーのスイッチを押したってわけか。汚ねぇ犯罪者のくせに仲間意識は強いみたいだな」

苦い顔で萩原が言った。テメェの最期を思い出したのかもしれない。俺の視線に気が付いたのか、誤魔化すように笑って、再び口を開く。

「で、今度はそうなる前に、あいつをバラさなきゃならねぇってことか」
「そうだ。俺もお前も解体に駆り出されるから、犯人を確保するのは難しいかもしれねぇ。だが、あの時みてぇに一人を取り逃したとしても、だ。奴は必ず4年後に再び仕掛けてくる。幸運なことに、俺らは未来をカンニングしてっから、先手が取れるってわけだ────まさに僥倖、だろ?」
「いや、うん、そうだけどよ……もうちっと具体的に。そもそもあの時の爆弾を、時間内に解体できなきゃだし。んでもって、それが出来たとしても、復讐するのに前と同じ方法を選ぶとは限らないだろ」

その通りだ。この世界は普通なら以前と同じ道筋を辿って行く。そして余程の衝撃を加えなければ、その道が逸れることはない。だが、足取りが揺らぎはする。時間や場所の僅かなズレ、結果の微小な変化がそれだ。もし仮に、あの11月7日。萩原が生き残れば、それは世界にとってかなりデカい衝撃になる。死ぬはずの人間がひとり生き延びるんだから、当然だろう。その衝撃が与える世界への揺らぎが、どの程度かは分からない。萩原が言ったように、爆弾犯が復讐の手口を変えてくる可能性は勿論ある。

「解体の方は心配いらねぇよ。あの時の爆弾の構造は全部、頭に入ってる。お前が吹っ飛ばないよう、この俺が一から十まで叩き込んでやる」
「松田、お前…頼もしすぎるだろうが!いっぺん死んで、また一段といい男になっちまってよぉ!!」
「だぁーー!!わしゃわしゃするんじゃねぇ!」
「はは!ワリィ、つい」
「それに、どんな手を使って仕掛けてこようが関係ねぇ。今度はお前がいるからな。俺ができなかったことでも、俺達ならできる────そうだろ?」
「っ、ふは……オゥよ、上等だ」

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