彼女の守り手

「萩原研二、アンタに話がある」

とある日の放課後。ひとり廊下を歩いていたら、後ろから声をかけられた。なんでフルネーム。心でツッコんでから、戸惑う。知ってる声だ。知ってるけど、嘘だろ。こんな口調で話す子じゃないはずだ。きっと聞き間違いだと思いながら振り向く。ところがやっぱり、そこには想像通りの姿があった。

「え、ちょ、そんなキャラだっけ?」
「猫被る必要がなくなっただけ。まどろっこしいの嫌いだから単刀直入に訊くけど……アンタさ、名前の何なの?」
「は……名前って、苗字のこと?」

俺の問いに無言で頷いた彼女の名は、如月。如月ライカ。漢字だと來花と書くらしい。イギリス人と日本人のハーフで、俺や松田とは中学の同級生でもある。その瞳には俺への敵意しかない。女の子にこんな目を向けられたのは初めてだ。ぶつけられた質問に言葉が詰まる、というか迷う。両思いだけど彼氏ではない。友達だなんて、絶対言いたくないし。そんな俺に苛ついたのか、小さく舌打ち。うわぁ。この感じ、誰かさんを思い出すなぁ。

「じゃあ質問を変えるわ。アンタにとって、あの子は何?」
「世界で一番大事な女」
「……息するみたいに言うのね。ほんっと気に入らない。冗談は顔だけにして」
「酷え!!てか、ちょっと待って。情報過多なんだけど。え、それが素?演技力どんだけだよ!?」

言葉遣いといい表情といい、全部初めて見る。如月ライカと言えば、柔和で文武両道。母親譲りのプラチナブランドと真っ青な目を持つ、嫉妬すら抱けないほどの美少女。誰もがそう言うだろう。そして中学の時は有名な話だったが、一回り年上の恋人がいる。

「急に出てきて、何様のつもり?」
「えーと。如月って、そんなに苗字と仲良かったっけ?高校からの付き合いだろ?」
「お生憎様。こーんなに小さな頃からよ」
「え、マジで?写真見せてくれ」
「話を逸らさないで。死んでも見せないし」

膝の辺りで手を水平に振って見せる。ってことは幼馴染ってやつか。俺が言うのもなんだけど、キャラ濃いなぁ。綺麗な顔して毒吐くところも、あいつにそっくり。

「じゃあ幼馴染なのか」
「なによ、文句ある?」
「いや、苗字から話聞いたことないからさ」
「っ、そうよ!一緒だったのは保育園まで。あの子は私のこと、ただの同級生としか思ってないもの」

終始勢いのあった声が萎んでいく。いかにも自信がありませんって感じだ。幼馴染だっていうのは事実なんだろう。だけど確かに、苗字の口から友人の話は出たことがない。彼女の人間関係はいつも狭く浅かった。しかし、今回の如月のアクション。こいつは以前には無かったものだ。俺だけじゃない。他の人間との関係も、あの頃とは少し変わってきているってことだ。今回のが偶然"友人"だったから良いけど、これが恋愛関係だったらと思うと肝が冷える。

「オーケー、話は分かった。如月にとって苗字は大事な友人で、得体の知れない俺に探りを入れにきたと。そういうこと?」
「気安く友人とか言わないで!アンタにだけは言われたくない!!人がどんな気持ちでこの位置にいると思ってんの!?」

般若みたいな顔で指を差して、また罵声。怖え、情緒不安定かよ。苗字も変な子に好かれてんな。そりゃブーメランだろ、と脳内で親友が言う。え、俺って周りから見るとこんな感じなの。ちょっと落ち込む。まあ、それはそれとして、話を戻そう。いくらなんでも、ここまで怒るか。そして、この反応。怒りだけじゃない。その中には確かに切なさが滲んでいる。一旦黙り込んで、さっきの自分の言葉を思い返す。一体どこが気に障ったんだ────ああ、そういうことか。前言撤回。安心する暇なんて全く無さそうだ。

「もしかして……如月って、俺のライバル?」
「っ、やめて。惨めになるから。私はこれからもずっと、土俵にすら立てやしないのよ」
「そんなことねぇと思うけど……なぁ、いつから好きなの?」
「5歳の時よ。あの子は、私の初恋なの」
「へぇ。それを今まで拗らせてるってわけか」
「悔しいことに、拗れるまでいってないけどね」

初恋。そう呟いた瞬間、如月は微笑んだ。たぶん、俺が初めて見る、心からの笑顔。造形が整っているだけあって、悔しいことに絵になる。まさか、こんな近くにこんな手強いライバルがいるとはなぁ。

「私の子どもの頃のあだ名、何だと思う?」
「え、なにその質問……なーんか、どう答えても怒られる気がするんだけど」
「宇宙人よ、宇宙人」
「宇宙人?なんでまた」

自嘲気味な声で紡がれた単語。それが目の前の女子と結び付かなくて、首を傾げる。この言い方から察するに、いい意味じゃなんだろう。美人で優しい(外面は)から、高嶺の花的な意味が飛躍して宇宙人、かとも思ったが違うらしい。

「なんでって、見た目。髪も瞳も、皆と違うから。まあ、今思えばただの嫉妬ね」
「はは、左様ですか」
「そしたら、宇宙人って綺麗な人ばっかりなんだねって。あの子が…名前が、そう言ったの」

思わず吹き出す。めっちゃ言いそう。どんな顔で言ったのか想像できる。たぶん、真顔。そういや俺のことも昔、宇宙人とか言ってたしな。

「あんまり普通の顔で言うものだから、なんか可笑しくなっちゃって。ついさっきまで泣きそうだったのに、気付いたら笑ってた」
「成る程なぁ、それで惚れちゃったわけか」
「まだよ。トドメはその次────笑ったら、もっと綺麗、って。しかも華やかな笑顔付き!あれで落ちない人間がいるならお目にかかりたいわ!!」
「なにそれ俺も言われたい」

俺が同意すると、如月はふふんと得意げに頷く。きっと瞼の裏には、その時の苗字を浮かべているんだろう。嗚呼、羨ましい。俺の知らない顔を、他の奴が知ってるのが気に入らない。俺も泣きベソかいたら、同じ顔で同じ言葉をくれるだろうか。

「だから私は、ずっと笑顔でいるって決めてるの。いつか絶対に恩返しをしたい。あれ以来そう思っていたけど、名前は私の前からいなくなった。同じ小学校に通う予定だったのに、入学式にあの子はいなくて絶望したわ。再会したのは、中2の冬」
「そんなに時間経ってたのに、よく分かったな」
「分かるわよ。あの子、昔っから姿勢がいいの。って言うのは半分嘘。声をかけてきたのは、名前の方。一瞬、誰だか分からなかった。私の知ってるあの子と、あまりに変わっていて…ッ……」

声が、震えていた。悲しいっていうより、悔しそうだ。こんな時、いつもの俺なら咄嗟に慰めの言葉を吐けただろう。なのに、唇は僅かに動いただけ。理由は明確。どれ程の痛みなのかを、想像できちまった。それだけで、胸を掻き毟りたくなる。笑顔の消えた、苗字が心を閉ざした姿。声も手も届かなくなったとしたら、俺は如月のように憤ることができたか。絶望しか、できなかったんじゃないか。

「取り戻したかった。また昔みたいに笑ってほしかった。だから、それからずっと傍で何度も伝え続けたわ。いつだって力になるって。でも、届かなかった。私が何を言っても、あの子は寂しそうに笑うだけ。なのに……なんでアンタみたいなポッと出てきた奴が、そこに居るの?どうしてアンタの隣だと、あんなに綺麗に笑うわけ?ほんと、気が狂いそう」
「……謝罪はしないぜ。譲る気もない」
「どっちも要らないわよ」

ごめんと言いそうになって、留まる。悪いだなんて、これっぽっちも思っていないから。俺の言葉に、如月は声を漏らして笑った。嘲笑と言ってもいい。そしてずっと床に向けていた視線を上げると、俺の鼻先に人差し指を突き付けてくる。

「泣かせたら承知しない。末代まで呪ってやる。約束して────必ず、幸せにするって」

人に頼む時の顔じゃねえ。誰が見ても不本意だって顔してるじゃん。それでも、俺に託そうとしてくれている。不思議と、ライバルが減ることへの安心感は湧いてこない。ただ、嬉しかった。俺の愛する人に、こんなにも思ってくれる相手がいることが。それだけ魅力的だってことかな。そんな彼女の隣にいられることが、誇らしい。

「誓うよ。絶対に泣かせないし、幸せにする」
「……つくづくムカつく。チャラチャラしてるくせに、こういう時だけ真剣な目をするんだもの」
「ギャップ萌えってやつ?」
「頭沸いてるの?1ミリも萌えないわ」
「デスヨネ〜……なぁ、如月。お前は、苗字に必要な人間だよ。嫌味に聞こえるだろうから、これ以上は言わねえけど」

俺が肩を竦めて見せれば、眉間の皺がさらに深く刻まれる。どっちにしても怒るのかよ。だけど、慰めなんかじゃなく本心。俺に松田が必要なように、如月ライカは彼女に必要だ。

「態々アンタに言われなくても、私はずっと傍にいるわよ」
「だろうな……あ〜、興味本位で一つ訊きたいんだけど、あの年上彼氏とは遊びってことか?」
「最初はそうね。胸の中にいる名前の残像を消すために、正反対の人間を選んだ。性別も、年齢も、性格も。でも今は、ちゃんと彼が好きよ。ただ、あの初恋を超えることはないってだけ」

好きだと、そう笑った顔は晴れやかだった。きっと今もまだ、その心には苗字名前がいて、誰と恋をしようが一生消えることはないんだろう。そんな事はたぶん、如月本人も悟っている。傷じゃない。大切な思い出として携えて、進む。どいつもこいつも、強すぎだろ。

「話は終わり。この後、名前と駅前のクレープ食べに行くから……じゃあね」
「あ、如月。ちょっと待って。あのさ、連絡先交換しねえ?」
「……何の為に?」
「情報共有。俺の知らない苗字の話、聞かせてほしい。あ、グループ名は『苗字を幸せにし隊』でいいよな?」

有無を言わさずに詰め寄り、スマホを取り出す。呆れつつも、如月も手慣れた様子でスマホを操作し始める。そして俺の提案に眉を顰め、溜息。

「グループって、アンタと私の二人だけで?」
「いんや。もう一人誘うつもり。俺の大親友」
「メンツ濃すぎ」
「お前が言うなって!」

どの口が言うんだよ。お前と並んだら、俺も松田も霞むわ。苦笑しながらグループ名を入力しようとしたところで、腕を掴まれる。しかもかなり強めに。いや、痛いんだけど。

「幸せにしたい・・・じゃなくて、幸せにする・・のよ。『幸せにする会』に訂正して。もちろん会長は私」

そこは俺じゃないのか。そう言おうとしたけれど、拳が飛んできそうだからやめておいた。そして前置きせずに松田を招待する。言うまでもなく、教室に戻った途端に抗議された。散々文句を垂れた後で、渋々入会するところまで俺の予想どおり。ツンデレ。それからしばしば、俺と如月が好き勝手に苗字の魅力を語るから、松田は秒で通知をオフにするようになったらしい。


以下、オリキャラ補足
*如月ライカ(來花)・・・ヒロイン至上主義者。5歳で初恋を奪われて以来、彼女の幸せを願っている一途な女。演劇部。ヒロインのことになると阿呆。どうでもいい相手にほど猫を被る。素はかなりの毒舌で、腕っ節も強い。嫉妬心からヒロインに敵意を向けようとする女子達を、千切っては投げる。所謂セコム。ちなみに、ヒロインの台詞「宇宙人って綺麗な人ばっかりなんだね」の"ばっかり"は、萩原のことです。ヒロインとの関係は、幾田りらさんの『スパークル』をイメージしています。

- back -