シナリオは要らない

「え……ごめん、今なんて?」
「今度の土曜日、空いてる?もうすぐ夏だから、新しい服が欲しくて。良ければ一緒に出かけない?」

聞き間違いじゃなかった。滑舌の問題だと思ったのか、やけにゆっくり苗字が言い直す。ゴールデンウィーク前の下校中、彼女からそんな事を訊かれて、つい足を止めてしまった。数秒の沈黙。駄目だ、頭が全然回らない。

「予定があるなら大丈夫だよ」
「ない!ないし、あっても死ぬ気で空ける!!てか、え、ちょっと待って。今のは、その、デートのお誘いだと思っていいんデスカ?」

返事する前に結論を出されそうになるから、慌てて否定した。そして片言になりながら、真意を探りに掛かる。こうやって、急に特大ホームラン放ってくるんだよな。対応が追いつかないんですけど。

「どうだろう…デートの定義が分からない」
「ああ、それなら知ってる。互いに恋愛的な展開を期待してっていうのが、前提条件」
「成る程。私は当てはまるけど、"互いに"か。じゃあ、萩原がそうなら前提条件は満たすね」

そら来た、右ストレート。いつも的確にこっちの急所を狙ってくる。苗字からの告白を保留にしたのは俺だけど、最近それを後悔し始めていた。彼女は「好き」という単語を使わずに、愛を伝えるのが異様に上手い。確信犯なのか、無意識なのか。

「み、満たします」
「じゃあ改めて…っ、デートしてくれますか?」

どうして最後で照れるんだ。少し震えた声と赤く染まる頬に、思い出す。確信犯なわけがない。だって彼女は人間関係ビギナーだし、駆け引きなんて無理だろう。なのに、一生敵う気がしないんだよな。恋ってのは、どうしてこんなに厄介なのか。まあ、それが楽しいんだけど。

「喜んで」

そうして、5月最初の土曜日。朝の9時、駅で待ち合わせた。行き先は、県内にあるデカいショッピングモールだ。電車なら1時間もかからずに着く。改札前で電子マネーの残高を確認していると、視界の端に人影が映り込んだ。視線を移す前に名前を呼ばれる────萩原、と。たったそれだけで心臓が高鳴った。

「おはよう。ごめん、待った?」
「おはよ。全然、俺が早く着きすぎただけ」

そんな事で謝らなくたっていいのに。だってまだ5分前だ。そう気持ちを込めて微笑むと、ホッとした顔をする。そして俺に断ってから、電子マネーを券売機に入れた。残高がなかったのか、財布を取り出す姿を半歩後ろで眺める。まだ5月だけど、それなりに暑い。だけど朝と夜は冷えるから、半袖ってわけにもいかない。今日の彼女のコーデは、ボーダー柄のシャツにカーディガン。ライトブラウンのスカート。それから白のスニーカー。髪は下ろしてある。今年は切るのかな。ショートも夏っぽくて好きだけど、ロングもロングでいい。

「とりあえず1階から回るか。ちなみに、これが欲しいってのがある感じ?」

入り口にある案内板を見ながら尋ねる。それなりの広さだから、最初に目的の店を絞った方がいいかもしれない。

「トップスとボトムスは2着ずつ。あと、ワンピースも見たいかな。それから……」
「どうかした?」
「いや、なんか私ばっかりになってる気がして。萩原も欲しい物があったら言ってね」
「欲しいもの……君かな」

思案するより先に言葉にしていた。小声じゃなかったから、たぶん隣にいる彼女にも聞こえただろう。その証拠にピタリと足を止めて、瞳を大きくして俺を見てくる。なんて答えてくれるのか、期待と不安が半々の心境で見つめ返した。

「今はまだ無理。人様にあげられる程、立派な人間じゃないから」

苗字らしい答えだ。重要なのは"今はまだ"の部分。俺としては、今のままでも彼女は充分魅力的だと思うし、そこまで立派な人間じゃなくたっていい。なんと言っても、俺は尽くす質だし。一人で持てない荷物は、俺に預けてくれていい。だけどそう伝えたところで、君はきっと頷かないんだろう。そういう女性だと、よく知っている。

「助けてもらってる分、支えたいと思う。それくらい強くなって、今より自信が持てたとして・・・もしその時、萩原が変わらず私を想っていてくれたなら…よ、よろしくお願いします」

もう充分支えられてるし、これ以上強くなられたら困る。そして最後、俺がこの恋をやめる日なんて一生来ない。とまあ、色々とツッコミ所が満載だが、とりあえず結論────、

「いつまでだって待つよ。それと、愛してる」

手を握って、耳打ち。それだけ囁いて身体を離すと、彼女は耳に触れながら下唇を噛んだ。ほのかに赤く染まった頬に、笑みが漏れる。遠慮なんてしない。言葉で、行動で、君に伝え続ける。そうして、この想いの深さを思い知ればいい。

「やっぱり、この色だと少し地味かな」
「だけどそっちの方が好みなんだろ?なら、スカートをこっちにして、靴の色を明るめにすればいい。あとは小物でだいぶイメージ変わるぜ……っと、ごめん。口出し過ぎだな、俺。今のはあくまでアドバイスってことで」

我に返って自分の口を覆う。こんな風に買い物したり、並んで洋服選びできるのが嬉しくて、舞い上がっちまった。そもそも着るのは苗字だし、俺の意見なんか関係なく、好きな服を選んでほしい。

「そんなことない、もっと聞かせて。萩原はお洒落だから勉強になるし、こういう会話ってなんだか新鮮で楽しい……嘘じゃない、本当だよ」

わかってるよ。嘘が下手なことは知ってる。今日の夕飯、その日にあった事、少し気持ちの沈んだ話。大切な人との、そういう些細な会話。普通の人間なら、誰しも経験するだろうことだろう。でも、彼女にとっては初めて。一瞬一瞬を楽しいと、大切だと、君が笑ってそう言ってくれる。それが俺の全てで、守るべきものだ。

「そろそろ腹減らない?」
「本当だ…もうこんな時間」
「何にする?中華とか和食とか、色々あるぜ」
「中華以外でもいい?」
「……珍し。もしかして苦手?」
「いや、昨日の晩御飯が餃子と麻婆豆腐だった」

キュッと眉間に皺を寄せて一言。2日連続で中華は嫌だと、表情で語っている。可愛くて吹き出すと、少し不満そうにそっぽを向かれた。拗ねると精神年齢が下がるの、気付いてるのかな。

「萩原はデザート食べないの?」
「遠慮しとく〜。お腹いっぱい」

結局、ハンバーグを食べた。調子に乗ってライスを大盛りにしたせいで、デザートが入る余地は俺の腹に残されていない。一方で、彼女は苺パフェを食べている。細い体の一体どこに入るんだか。そんな事を考えていると、悪戯心が顔を出す。

「なぁ、一口くれる?」
「…いいよ。せっかくだから苺のところあげる」
「え、いいの!?」
「自分で言ったのに、なんでそんなに驚くの」

鈴を転がすような声で笑うと、器用に苺をスプーンで掬い、俺の口元に近づけてくる。いやいやいや、間接キスなんですけど。でもくれるって言ってるし、いいよな。秒で肯定して口を開ける。

「美味しい?」
「ん、美味しいです」

苺の甘酸っぱさと粒の感覚を噛み締める。美味しいかって、愚問だろ。彼女が食べさせてくれるなら、嫌いな物だって美味しく感じるに違いない。

「あとはワンピースか」
「うん、夏っぽいデザインのが欲しい……」
「あー、言葉飲み込んだろ、今。俺の前で我慢は禁止。ちゃんと見てんだからな」
「本当に目敏いよね」
「まあそれもあるけど、相手が苗字だからだよ。男はね、好きな子の変化には敏感なの」
「それは男性に限らないと思うけど」

照れてくれると思いきや、そのまま打ち返された。つまり彼女も同じだと、思っていいんだろうか。また自惚れそうになる。言葉に詰まる俺を差し置いて、彼女はなんてことない顔で続けた。

「えっと話を戻すとね…ワンピース、明るい色を選んでみようかなと思って」

恥ずかしそうに、それでいて芯のある声。確かに彼女が纏う服は、モノトーンが多い。だけどそれは、別に悪い事じゃない。もし、無理をして挑戦しようとしてるなら、止めるべきだ。そう思ったけど、それも一瞬だった。横顔を見れば、前向きな理由だとわかるから。

「へぇ、いいじゃん。苗字は少し淡い色が似合うよな。黄色、ピンク、あとは青とか」

脳内で着せ替えながら、列挙する。どれも捨て難いな。彼女は両手にハンガーを持って難しい顔をしている。真剣なのが可愛くて、気づかれないように小さく笑った。

「決めた、これにする」
「お、爽やかだね。そんじゃ、預かりますよ」
「預かるって…ちょっと、萩原」
「1個くらいプレゼントさせてくれって」

俺がそのままレジに行こうとすると、慌てた声で制止してくる。せっかくのデートなんだし、少しは俺に花を持たせてほしい。まあ、彼女が甘えた声でおねだりしてきたら、失神しちまうけど。笑顔でパステルブルーのワンピースをレジに置いた。

「はい……はは、すっげえ不機嫌」
「強引すぎる」
「だって苗字、事前に奢らせてって言ったところで頷かないだろ?」
「それはそうだよ。私達まだ学生なんだから」
「真面目だねぇ」

頑なに袋を受け取らず、彼女は眉を寄せる。揶揄いすぎたら、さらに怒らせそう。松田だったら喧嘩になるんだろうな。しかしそこは俺だ。

「オーケー、それじゃフェアにいこう。これをプレゼントする代わりに、お願い一つ聞いて」
「お願いの内容による」
「今度、これ着てデートしてくれる?」

柔らかな手を取って尋ねる。俺のお願いに、一度目を見開いてから仕方なさそうに笑うと、ワンピースの袋を抱きしめて頷いてくれた。ありがとうと、そう言って微笑んでくれるだけで、もう充分なのに。むしろ俺の方が貰いすぎ。ちゃっかり次のデートの約束をしてることにも、気づいてないんだろうな。

「そういえば、松田はもう平気?」

帰りの電車はそれなりに混んでいたけれど、なんとか座れた。あと数駅になった頃、苗字が思い出したように尋ねてくる。一瞬、質問の意味が分からなかったが、妙に真剣味の帯びた声のお陰で理解できた。

「平気って……ああ、もしかして噂のこと?」
「うん。萩原もいるし、私が心配するような事じゃないけれど、溜め込んでないかなって」
「大丈夫だよ。溜め込んだ分は拳で発散してる。あと、苗字の言葉が効いてるかな。ほら、いつだったか教室であいつに言ってくれたでしょ」
「…あんなの、ただ本音を押し付けただけなのに。でも、少しでも役に立ったなら嬉しい」

あいつ、ちゃんとお礼言ったんだろうな。こんな顔して喜んでもらえてるだけでもムカつくのに。そう思ってても胸が温かいから不思議だ。恋愛も友情も、厄介な点は同じ。

「萩原は、松田のお父さんに会ったことあるの?」
「え、ああ。まあ、幼馴染だしね。ちなみに、陣平ちゃんの髪の毛は親父さん譲りだぜ」
「ふふ、そうなんだ」
「確か写真があったな…ちょい待ち」

スマホをスクロールしながら目的の写真を探す。似てるのは髪の毛だけじゃねえか。性格も親父さん似だ。今年の正月に撮った、ふたり並んでいる写真。それを見せようとスマホを寄せた瞬間、隣で息を飲む気配がした。反射的にそっちを見れば、苗字は写真を凝視して唇を震わせている。俺が理由を尋ねる前に、彼女はそっと呟いた。

「────私、松田に嘘ついた」

その声に後悔の色はなく、ただ呆然と、自らに真実を突き付けるみたいで戸惑う。感じたことのない雰囲気に、嘘の内容も訊けぬまま。電車を降りてからは、彼女はいつも通りだった。それが余計に不自然で、これ以上踏み込んではいけない気がして、無意識にブレーキをかける。なにやってんだ。ここにきて、臆病風を吹かせるとか正気かよ。

「こんなに楽しい買い物、初めてだったよ。今日は本当にありがとう。あとワンピースも」
「どういたしまして。また行こうぜ」
「うん……それじゃ、学校で」

晴れやかに笑って手を振る姿に、胸が小さく軋む。これはきっと、俺が俺を責める音だ。壊れることのない絆を結べた気がしていた。目先の現実に満足しようとしていた。馬鹿野郎が。無理矢理こじ開けるなんて、死んでもやりたくない。だからこそ、悔しいんだ。こんなに傍にいるのに、俺はまだ、彼女の心の一番深い場所に触れられない。

「…ッ……渡しそびれた」

ポケットから取り出した紙の袋が、やけに惨めに映る。彼女がトイレに行ってる間にこっそり買った、バレッタ。大きさに迷ったけど、今日は髪を下ろしていたから小さめのやつを選んだ。別れ際に袋から出して、サイドの髪を留めてやるところまで想像してたってのに、笑える。握り潰しちまう前にポケットに戻す。深呼吸してから、重い足取りで再び歩き出した。

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