強靭な止まり木

※千速さん、ガッツリ登場します。

「わかっちゃいたけど、辛すぎる、無理」
「ブラジル行っちまうくらいのテンションだな。ただのクラス替えだろうがよ」
「俺にとってはそん位の距離なの!お前はいいよ、同じクラスなんだから」

張り出されたクラス割り表を見ながら、萩原が嘆き散らす。うざい。こればかりは、どうしようもないだろ。誰かに代わってもらうわけにもいかないし、学校側が私情まみれの理由で考え直してくれるはずもない。

「日頃の行いかしら」
「…如月」
「アンタは一生を貰えるんだもの。1年間くらい私に譲りなさいよ…あの子、やっと伝えられたのね」
「それ、苗字に聞いたの?」
「馬鹿にしないで。あの子の顔を見れば、それくらい聞かなくたって分かるわよ。私との約束は、死ぬ気で守ってよね……なに?」
「いや。死んでも守れ、じゃねぇのかと思ってさ」
「死なれたら困るのよ」

不本意そうに顔を歪めた如月は、3年間ずっと苗字と同じクラスだ。本人曰く、運というより執念らしい。念じて叶うのかよ。萩原が頷くと、ブロンドを揺らしながら校舎に入って行く。

「オメェ、吹っ飛ぶよりあいつに刺されるんじゃねーか?」
「怖いから真顔で言うなって!!」
「……気ぃ抜くなよ、萩原。浮かれんのは、あの日を超えてからにしろ」
「誰に言ってんの。守り抜いてみせるさ、苗字のことも、彼女との未来もな」

迷いの欠片もない瞳に、俺も笑う。絶対に、大丈夫だ。そう確信している自分がいる。必ず未来を変えてみせる。その為にできる事は全部やる。今までもそうしてきたし、これからもそうだ。

「おし、もう完璧だな」
「俺ってば優秀」
「ばーか。有能なのは俺だっての」

それから暫く経った5月の土曜、萩原の家で会話を交わす。液晶に表示されたcompleteの文字は、最近では見慣れた光景だ。目の前のパソコンには、俺お手製のクソ楽しいゲームが組み込まれている。爆弾の構造をデータ化し、解体シミュレーションができる優れものだ。萩原を吹っ飛ばした爆弾のデータはもちろん、より複雑なトラップを付与することも可能。俺達は暇さえあれば、こいつを使って様々なパターンを想定し、模擬解体をしている。

「おい、ちゃんと訓練もしてるんだろうな?わかってると思うが、防護服の中はサウナ状態だ。それに、いくらお前でも平常心でいられるわけがない。あらゆる最悪に備えておけ」
「わかってますよ、松田大先生。忘れてるみたいだけど、俺は慎重な男なんだぜ」
「前科ある奴が言っても説得力がねぇんだよ」

そう言ってやると、萩原は途端に黙り込む。少しくらい口煩い方が丁度いい。言わずに後悔するのは御免だ。数分休憩することにして、テーブルに置いてあったコーラのキャップを開けたその時だ。階段を駆け上がる足音が聞こえてきて、乱暴にドアが開け放たれた。ほぼ同時に突き抜けるような声が響く。

「研二!大福買ってきたぞ!」
「姉ちゃん……入る前にノックしてくれって何度も言ってるじゃん。着替え中だったらどうすんだよ」
「ああ、そうだったな。すまんすまん。なんだ、陣平も一緒か」
「よぉ」
「お前も食べるか、大福」

相変わらず、嵐のような女だ。千速は俺達より2つ年上。昔から自由な奴だが、大学に入ってからはさらに磨きがかかったように思う。弟の小言は右から左で、ズカズカと部屋に入ってくる。萩原の隣に座り、勝手に大福を頬張り始めた。文句を言ったところで糠に釘だろう。早々に諦め、俺も萩原も大福に手を伸ばす。

「時に研二」

萩原が大福にはミスマッチなサイダーを口に含んだその時、千速が思い出したように話し始める。口内に広がった餡子の甘さに茶が飲みたいと思っていると、予想外の言葉が飛んで来た。

「お前には勿体ないくらい良い子じゃないか、名前は」
「ぶふぉっ!!」

食おうとしていた俺の最後の一口に、萩原が吐き出したサイダーが降りかかる。ふざけんな。一度口に入れたら死んでも吐くなっての。

「テメェ…俺の大福、どうしてくれんだ」
「ああ、ごめん…じゃなくて、え?姉ちゃん、今なんつった?」
「無視すんじゃねえ!弁償しろ!!」
「わかったから、ちょっと黙って」

食いもんの恨みはデカい。肩を掴んで抗議すると、食いかけの大福を口に押し込まれる。窒息したらどうすんだよ。とりあえず咀嚼してから会話に耳を傾ける。

「で、どうして姉ちゃんが苗字のこと知ってるわけ?」
「彼女のバイト先は高校時代の行きつけでな。久しぶりに顔を出したら、新顔がいたものだから声をかけたんだ。聞けば、お前達と同じ高校だと言うじゃないか。おまけに付き合ってるとは、流石の私も驚いたぞ」
「俺は初対面でそこまで聞き出した姉ちゃんに吃驚だよ」

全く同意見。相手はあの苗字名前だ。呆れたように言う萩原の横顔は、どこか嬉しそうに見える。こんな風に、彼女としてあいつの話ができることが感慨深いんだろう。千速の話じゃ、苗字も萩原と付き合っていると公言したらしいから驚きだ。

「あいつ、自分でこいつと付き合ってるって言ったのか?」
「いや、態度だな。顔付きで私が研二の姉だとすぐにわかったらしい。もしかして彼女かと訊いたら、頬を染めて狼狽えていたぞ。実に可愛いじゃないか」
「そんな事とっくに知ってる。てか姉ちゃんさぁ、男友達とか絶対に連れて行くなよ」

相変わらず嫉妬深い野郎だ。しかし、どちらかと言えば苗字は同性にモテるタイプだろう。見た目といい、性格といい。だからまあ、千速が気に入ったことに然程驚きはしない。

「約束はできんな。名前のオムライスは中々に美味かった。あれは一食の価値ありだ」
「…ちょっと待った。苗字のオムライスってなんだよ!?」

いちいち五月蝿い。いつにも増して情緒不安定だ。千速も千速で、態となのか無意識なのか、萩原が敏感に反応しそうな内容ばかりをぶっ込んでくる。

「なんだ、さては未食か?オムライスは名前が担当らしい。ライスも卵も店主に劣らぬ出来だった」
「それも重要だけど、そこじゃない!味よりも、姉ちゃんに先を越されたことが大問題なんだよ。陣平ちゃん!今度絶対に食いに行こうぜ、オムライス」

こいつ、姉にまで嫉妬してやがる。呆れを通り越して、尊敬するぜ。それにしても、苗字は食事に興味があるだけあって、料理はできるらしい。外面がドライだから、家庭的には見えない。かと言って、ズボラにも見えないが。
 
「あと、さっきから思ってたけど、なんで名前呼びなんだよぉ……ずりぃ」
「私からすれば、付き合ってなお苗字で呼び合っている方が驚きだがな」

この姉弟は、他人との距離を詰めるのが上手い。しかし弟である萩原は、たった一人、苗字名前が関わる時だけ異常なほど奥手だ。晴れて恋人同士になったんだから、名前で呼び合えばいいものを。まったく難儀な奴だぜ。

「それに、じきに義妹になるのだから問題はなかろう」
「なっ……まさかそれ、苗字に言ってねぇよな?」
「言ってないが……まさか手離してしまうのか、勿体ない。滅多にいない、私並みにいい女だぞ」
「姉ちゃんに言われなくても分かってるさ。そもそも、手離すつもりなんて更々ないし。ただ、俺の気持ちを誰かに代弁されるのは我慢ならねぇだけ」

いつにない真剣な萩原の様子に、千速は興味深けに口角を上げた。俺にとっては見慣れた光景で忘れかけていたが、萩原は基本的にヘラついている。第三者からすれば、そんな男が見せるにしては珍しい顔なのかもしれない。

「……ほぉ。よっぽど大事にしているようだな。感心感心。そんなに惚れてるなら絶対に手離すんじゃないぞ、研二」
「オゥよ!」

**

その数日後の土曜日。時計は14時を回っている。昼飯を食うには少しばかり遅い時間だ。半ば引きずられながら、俺は苗字のバイト先に連れてこられた。宣言通りオムライスを食うつもりらしい。しかも、どうやらアポ無し。

「いらっしゃい、ませ……どうしたの、急に」
「ランチに彼女の手料理食べたくなるのは普通じゃん?」

この野郎、概要を省きやがった。真意が掴めないんだろう。苗字は困り顔で俺に視線を向けてきた。鼻歌混じりに空いている席に移動する萩原の背を睨みつけ、仕方ないから説明してやる。

「お前、千速にオムライス作っただろ?それであいつ、食いに行くって聞きやしねえんだよ。いっぺん食えば大人しくなるだろうから、頼む」

頭を掻きながら頼み込む。なんで俺が頭下げなきゃならないのか甚だ疑問だが、毎日オムライスの話をされるのは御免だ。自分の為だと言い聞かせ、なんとか堪えた。あいつ、苗字が絡むとマジでガキだな。

「おい、どうした?」
「っ、ううん。大丈夫…とりあえず、松田も席に」

黙り込んだままの苗字に声をかける。こいつも女だから、内心では嬉しいんじゃないかと思ったが、これは違うな。困惑顔で首を横に振ると、俺を席へと促して奥へ消えて行く。やっぱり連絡くらい入れておくべきだったか。ところが、暫くして注文を聞きに来た苗字に、さっき見せた不安げな空気はなくなっていた。まさか気の所為か。いや、そんなはずない。

「えっと、ご注文は?」
「オムライス。made by 苗字名前でお願いします」
「か、かしこまりました。松田は?」
「俺も同じで……おい、 苗字。ちょっと肩の力抜け。焦っても上手くいかねぇぞ」

強張った表情に、なんとなく状況を察した。こりゃ恐らく、緊張。大事な人間にアクションを起こす時というのは、誰だってそうなるもんだ。例えば好きな相手に触れる時、例えば好きな相手に手料理を振る舞う時。この女も例外じゃない。

「焦らずに、平常心」

コクコクと頷いて、厨房へと向かう背中はいつも通り真っ直ぐだ。それを見届けてそっと口角を上げれば、向かいの萩原が頬杖を突きながら不満そうに口を尖らせる。

「そんな顔する前に、困らせるような行動を控えろってんだ。あいつはお前みたいに人付き合いが得意じゃない」
「ほーんと、 優しいよなぁ……でもさ、仕方なくね?俺の為に困ってる姿見るの、好きなんだから」
「っざけんな。フォローする方の身にもなれ」

良い顔でほざくから、深い溜息が出た。苗字に同情しつつも、不快じゃない自分に内心笑う。たぶん俺は一生、こいつらの恋路に振り回されるんだろう。それもそれで悪くないと思うのだから、俺も大概だ。

「めっちゃウマッ!卵とろっとろ!!」

千速の言っていた通り、苗字のオムライスは美味かった。悔しいが、お世辞じゃない。胃袋を掴まれるとは正にこの事だろう。まあ萩原の場合、全部まるっと掴まれているわけだが。

「あの…美味しかった?」

俺達が食べ終わる頃、ちょうど苗字もバイト終わりらしく、家まで送ることになった。店を出て満杯になった腹を撫でていると、恐る恐る尋ねてくる。
 
「まあ、店に出しても恥ずかしくない程度には」
「まーたそういう捻くれた言い方する。素直じゃねぇんだから、陣平ちゃんは。すっげぇ美味かったぜ。今まで食べた中で一番。毎日でも食いたい」
「テメェは褒めすぎなんだよ」

忙しなく泳いでいた苗字の視線が大人しくなる。萩原をじっと見つめ、本心を探っているらしい。どっからどう見ても本心だろ。

「安心しろ。ハギはその手の嘘つかねぇよ。それに、お前相手だと阿呆みたいに分かりやすいからな。嘘言ったらすぐ見破れるぜ」
「見破らなくていい嘘までバレそうですげぇ嫌なんだけど…てかさ、あんなに美味いのになんで食わせてくれなかったの?」

いじけた子どもみたいな声で萩原が尋ねる。デカい図体で弟属性を発揮してきやがるから勘弁してほしい。不貞腐れた様子に気押されたのか、苗字は視線を落として言いにくそうに答えた。

「店長から合格は貰えたけど、まだ練習中だし……萩原には、完璧にマスターしてから食べてほしかったの。他のお客さんを疎かにしてるみたいに聞こえるし、なんか恥ずかしくて」
「だぁーー!完全アウト、逮捕!!」
「ざ、罪状は」
「好きにさせすぎ罪」
「どうでもいいが、イチャつくなら俺がいない所でやれ」

なんてことない。開けて見れば笑っちまうような理由だ。だが、本人にとっては頭を悩ます問題なんだろう。恋愛に限らず、こいつは本気で悩み、生きている。隣に萩原がいるんだ。何が起きようと、苗字が心を枯らすことはないだろう。俺が口を出す必要があるとすれば、萩原のことで揺らいだ時。今はもう、煙みたいに消える気配は微塵もないが、用心だけはしておいてやろうじゃねぇか。もしそんな瞬間が来たとして、俺が贈る言葉はすでに決まっている────大丈夫。その一言だけだ。

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