心の端すら見えない

────お前、興味ねぇだろ。

確かな意思のもとに吐いた言葉だった。傷付けたくて言ったわけじゃないが、気付かせたかったのかもしれない。お前のそういう性分を、良しとしていない人間も居るのだと。ところが、俺の発言に敏感に反応したのは苗字本人ではなかった。萩原の方が、何倍も傷付いた顔をするからバツが悪くなる。

「おい、松田!ちょ、待てって」

背中を向けると、予想以上の大声を伴って肩を掴まれた。こいつ、ここが図書室だってこと忘れてんだろ。案の定、カウンターから図書委員がひと睨みしてきた。力が緩んだ隙に、肩の上の手を振り払って歩き出す。萩原はそれ以上追いかけて来なかった。お優しいあいつのことだ。慰めの言葉でもかけているんだろう。そんなもの、あの女に響くとは思えない。そもそも痛みを感じているのかすら怪しい。教室に戻り、机に散らばった筆記用具やテキストを鞄に放り込む。結局、無駄足だった。いっそ猿みたいに鈍けりゃ、こんなに苛つかずに済んだかもしれない。

「クソ、付いて行くんじゃなかったぜ」

口を衝いたのは、まるで後悔しているかのような台詞。後悔って、何にだ−−−知るかよ。心でひとり問答をしたところで、扉が開く気配がした。顔を上げれば、無表情で佇む萩原の姿がある。

「んだよ、怒ってんのか?」
「いや、尊敬した」
「はぁ?」

思ってもみない言葉。後で謝っておけと言われる気がしてたから、つい間抜けな声で聞き返しちまった。そんな俺を一瞥したあと、同じく荷物を片付けながら萩原が言う。

「覚悟がないなら、これ以上踏み込んでくるなってさ」
「・・・あいつがそう言ったのか?」
「まあ、要約するとそうだね」

お得意の笑顔すらない。覚悟なんて、あるわけないだろ。俺達はまだ高校生だ。同級生の女の生き方に口を出せるわけない。もしあいつがそう高を括って牽制したのだとしたら気に入らないが、ただそれだけだ。見返してやる気もない。

「ここらが潮時なんじゃねぇの。ほっとけよ、あんな頑固者。さっさと帰ろうぜ」

また苛つきが募ってきて、そう吐き捨てる。返事はなかった。振り向いてみても、その表情は読めない。この時にはもう、萩原はあいつに囚われていたのだろう。言葉にして気付かせてやるほどお人好しでもなかったし、それが親友の一方的な思いだというのが、なんとなく癪だった。相手がかなり変わった女だから、尚更。いくらでも他の選択肢があるだろうに。そう思いながら、脳内でありとあらゆる女を萩原の横に並べてみても、どれもしっくりきそうにない。それが余計にムカついて、ひとり舌を打った。

**

「おはよう」
「・・・おお」
「おは…よう」

次の日、終業式の朝。下駄箱の前で、萩原とふたり間抜け面を晒した。そりゃそうだろう。昨日のやり取りの後だ。話しかけてこないだろ、普通。それが見慣れた澄まし顔で挨拶してきやがるから、思わず返事をしちまった。

「お前、なんで普通に挨拶してんだよ」
「なんでって…朝に会ったんだから『おはよう』が普通じゃない?」
「そういう意味じゃねぇよ。昨日、俺が喧嘩売ったの忘れたのかって訊いてんだ」

上履きに足を通して、何事もなかったように去って行こうとする背中にそう言った。振り向いた苗字は俺と目を合わせると、怪訝そうに眉を寄せる。一体どこで悩んでんだ、こいつ。

「あれって喧嘩売ってたんだ。えっと、じゃあどうすればいい?」
「は…どうって、何が」
「萩原は兎も角、松田とは同じ委員会だし、話さないってわけにいかないよね?」

この女、"兎も角"って言いやがった。思わず、隣の萩原をチラ見する。怒らせたかと思ったが、無表情で突っ立っている。いや、余計に怖ぇよ。

「話すくらいは構わねぇけど、俺は謝らねぇぞ」
「・・・別にいいよ。松田は悪いと思ってないことに謝罪はしないでしょ」
「おいこら、テメェこそ喧嘩売ってんだろ」
「全然。どっちかと言うと、尊敬するかな。私には出来ないから」

尊敬。昨日も萩原から同じ言葉を聞いた。正直言って、勘弁しろよと思う。俺は真面目じゃないし、人間関係に器用な方でもない。まあこの女よりは幾分かマシだとは思うが、萩原の方がよっぽど得意のはずだ。一体どこに尊敬する要素があるのか甚だ疑問だぜ。

「それに松田は、ただの事実を言っただけだしね」
「そうかよ。だがまあ、その、こいつとは普通に話してやってくれ」

萩原を指差して俺がそう言うと、苗字は不思議そうに見返してくる。だから、どこが不思議なんだっての。マジでこいつの思考回路がどうなってんのか分からねぇわ。

「別に萩原には喧嘩売られてないんだから、今まで通りでしょ」
「ふっ、はは!」

ふざけんな、と言いそうになった時、萩原が笑い出す。やべぇ、ついにこの女の奇人ぶりが乗り移ったか。俺がぎょっとしていると、苗字も同じような顔をしていて可笑しくなった。

「んじゃあ…改めてよろしくね、苗字」
「よろ、しく」

差し出された萩原の右手に、戸惑うように手を重ねて頷いた。昨日の話じゃ、踏み込んでくるなって言ったんじゃねぇのか。なに握手してんだよ、こいつら。意味不明だ。それなりに理解していると思っていた幼馴染が、少し遠く感じた。手が離れると、苗字は今度こそ階段を上がって行く。

「なあ、松田。俺さ、踏み込む覚悟もないけど、諦める覚悟もないんだよね」
「へいへい、勝手にしろ。俺は関係ねぇ」

だから巻き込むな−−−何度もそう言った。なのに俺は結局、最期までこいつらの恋路に付き合わされることになる。めんどくせぇし、楽しかったなんて思いたくない。それでも、退屈ではなかった。死んでも認めたくねぇけど。

**

「なんで野郎と年越さなきゃなんねぇんだよ」
「いいじゃん、めでたい日なんだから。来年も俺達の麗しき友情が続くことを祈ってさ」
「何が麗しき友情だ。腐れ縁の間違いだろうが」

夜道を並んで歩きながら、いつもの軽口を叩く。何が楽しくて、男二人で初詣に行かなきゃならねぇんだ。誘われて付いて来た俺もどうかしてる。まあ、めでたいのは否定しない。今日やっと、あのクソみたいな量の課題が片付いた。残りの冬休みは思う存分やりたい事をやれるわけだ。

「お前、学校始まるまで何すんだ?」
「特に決まってないけど…買い物行ったりとか?えー、なに。陣平ちゃんがそんなこと訊いてくるなんて珍し。もしかして俺とどっか行きたいの?」
「調・子・に・乗・ん・な!」

関係ないと言った手前、話題に出すのは癪だ−−−苗字を誘ってみろだなんて。年末年始なんだから、流石にバイトはねぇだろうし。そんな俺の気遣いなどお構いなしにニヤニヤと尋ねてくるから、尻に蹴りを見舞ってやった。

「イッテ!ちょっと、割れたらどうすんのよ!」
「元から割れてるだろうが!」

周りには他にも参拝客がちらほらいたが、騒がしい俺達を咎める奴はいない。正月だからだろう。ふと頭をよぎったのは、苗字のこと。正月に限らず、バレンタインもクリスマスも興味なさそうだ。

「苗字?」
「は、何言って・・・おお、マジだ」
「松田…と、萩原。こんばんは」
「お前、ひとりか?」
「まあ、ね」

なんだ。やけに歯切れ悪いな。逆方向から歩いて来たのは確かに苗字だった。ベージュ色のコートを羽織っている。だからか、街灯のない道でもはっきり見えた。

「苗字はもう帰り?初詣、終わったんだ」
「初詣?」
「え、違うの?」

聞き返してくるから、萩原が首を傾げる。初詣じゃないなら、こんな時間に何してんだよ。眉を寄せる俺達を見てから、少し考える素振りのあとに一言。

「いや、そんなところ」

嘘だ。直感的にそう感じ取る。だが、言葉にはしなかった。気付かれないように息を吐いて、吸う。すると鼻を掠めた独特の香り−−−線香の匂いだ。当たり前か。道路沿いにあるのは、大きな寺。

「こんな時間に線香やる奴がいるのか」
「え・・・ああ、確かにな。でもまあ正月だし、家族とかに挨拶しに来てる人もいるでしょ」
「ふぅん、そういうもんか」

曖昧に頷きながら再び視線を戻して、眉間に皺が寄るのが分かった。目に映ったのは、またあの横顔。闇に映える色の服を着てるくせに、消えていきそうだと思った。無意識に舌打ちが飛び出す。それに反応して苗字が俺を見たが、なんとなく居心地が悪くて視線を逸らした。その時だ。

「名前!!」

慌てたような声が後ろから聞こえた。一瞬、名前って誰だよと心で突っ込んだが、すぐに思い出す。ああ、こいつの名前か。振り向けば、男がこっちに駆け寄ってくる。

「どうしたの、そんなに慌てて」
「どうしたってお前、中々帰って来ないから心配で捜しに来たんだろう。コンビニに行くって言ってたじゃないか・・・また、来てたのか。夜中に行くなら私達も一緒に、
「ごめんなさい。もう帰るから」

細い肩に触れながら、男が苗字に言い聞かせる。会話からして、父親だろう。年もそのくらいだ。俺と萩原が黙って見守っていると、苗字が途中で会話を遮った。また、来てた−−−どこに。やっぱり初詣じゃねぇな。

「すみません。誘ったの俺達なんです。たまたま途中で会って」
「・・・君達は?」
「同級生っす、娘さんの」
「折角なので、初詣に連れて行ってもいいですか?それとも男と一緒じゃ心配ですかね」

俺は別に寺でいいんだけどな。元から神も仏も信じてねぇし。てか、ハギの奴、本気で誘ってんのか。絶対断られるぞ。親父じゃなくて、苗字に。

「行って来てもいい?」

ところが、まさかの返事。こいつ、キャラブレすぎだろ。その言葉に驚いたのは俺だけじゃなかった。父親も目を見開いている。この女、家族にも変わってると思われてんのか。ただ一人、萩原だけが表情を変えなかった。

「ああ。だが、何かあったら必ず連絡しなさい。分かったね?」
「うん」
「君達、悪いけど頼めるかな」
「はい。行こう、苗字」

父親の言葉に頷くと、萩原は流れるように苗字の手を取って歩き出す。おいおい、彼氏アピールかよ。鼻から息を吐いて、その背中を追いかけた。出会って半年以上経っても、俺にはこの女のことがさっぱり分からない。まあ、理解する努力をしていないのだから当然か。それが、目の前の幼馴染と俺との決定的な違い。だが、その萩原ですら、恐らく1%も理解できていないだろう。つまり、それだけ苗字名前は面倒な女だということだ。

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