一緒なら毎日が絶景

「リクエストしてもいい?」

ソファに座り、要のスマホを覗きながら尋ねた。それに答えがないから振り向けば、キョトンと珍しい表情をしている。まあ、驚かれるとは思ってたけど、そんなに吃驚されると言葉にしづらい。そんな私の心情を正確に読み取ったのだろう。くしゃっと笑いながら、頭を撫でてくる。この男、絶対に確信犯だ。

「勿論。名前と俺の新婚旅行だからね。どんな望みでも叶えるよ」

魔法使いじゃないんだから。そう思うのに、本当に何でも叶えてくれそうで困る。なんとなく負けた気がした。いや違うか、一度だって勝てたことなんてないし。

「ナポリがいい」
「ナポリってイタリアの?」
「そう。『ナポリを見てから死ね』ってことわざがあるの知ってる?本当にそんなに綺麗なのか確かめたいじゃない。あと、ご飯が美味しそう。ちょっと、なんで笑うの?馬鹿にしてるでしょ」

食い意地が張ってると言いたいのだろう。だって仕方ない。ご飯は大事だ。かの賢人、右京兄さんもそう言っていた。ちょっと拗ねてみると、要は苦笑しながらスマホで検索し始める。

「ごめん。名前のそういう、欲に素直なところ好きだよ。イチャイチャしようとしたら寝ちゃってたりするしね。あ、でも性欲にも忠実か」
「新婚旅行の話でしょ!なんでそっちに脱線するのよ!」

グイと肘で抗議してみるけれど、全く悪びれる様子はない。それどころか、あんまり穏やかな顔で笑うから何も言えなくなった。釣られて私も嬉しくなって、その肩に頭を預ける。あのことわざを光に教えてもらったことは内緒だ。

**

結局こうして望みを叶えてくれるのだから、やっぱり要は私に甘い。だけど本当は、要も行きたい所があったんじゃないのだろうか。そう思って、何度も「本当にイタリアでよかったの?」と尋ねる私に、要は優しい顔で頷いてくれた。こんなに甘やかすくせに、駄目な時はちゃんと叱ってくれるところが好き。

「こういう建築物とか見ると、自分の小ささを痛感させられない?」

見上げるはヌオーヴォ城。正面には高い塔が2つある。こんな堅牢な城が何百年も前に建てられたというのだから驚きだ。

「俺の中では君の存在が一番大きいけどね」
「・・・本気で言うんだから質悪い」
「赤くなってる。可愛い」

気を抜いたら口元がだらしなく緩みそうで、慌てて手の甲で隠す。なのに、耳にかかった髪を払いながらそんな事を言うから、頬の熱が増した。いい大人なのに、心臓がキュッと音を立てる。調子に乗るから絶対言わないけれど、幾つになってもこういう瞬間があればいいと思う。ナポリの街は歩いているだけで楽しかった。外国だというのもあるだろうけれど、なんと言うか歴史を感じる。人通りの多い場所は賑やかで、料理も美味しかった。撮った写真は、後で右京兄さんに見せよう。

「んー、やっぱり本場のピザは絶品」

マルゲリータも美味しいけれど、サラミが乗っているやつが個人的に良かった。ナポリ、侮り難し。気付かないうちに最後の一切れになっている。我に返って伸ばした手を引っ込めた私を、不思議そうに要が見た。

「だって折角ダイエットしたのに」
「綺麗でいたいと思ってくれてるのは俺の為?」
「は……まあ、そうね。それと、自分の為」

頷けば、嬉しそうな顔をする。そう、これは私の為でもある。昔から、喜んで欲しくて何でもやった。一番初めはいつだっただろう。確かあれは5歳かそこらだったかもしれない。道端で摘んだ花を要にあげた。土塗れで、ずっと握りしめていたせいで萎れていたのに、貴方はとても喜んでくれた。その顔が見られるなら、お洒落もダイエットも頑張れる。

「言っとくけど、そのままでも綺麗とか要らないからね」
「え〜、本心なのに」
「要は自分がどれだけ良い男なのか分かってないの。自信を持って貴方の隣にいる為には、自分を磨くのは必要なことなんです。でも、ピザは貰う。沢山食べて、その上で実行する。その方が私らしいしね」

そう言って笑えば、愛おしそうに目を細めるから、心臓が五月蝿くなる。少し冷めてしまったピザを食べながら、我ながら図太くなったものだと苦笑する。これもお節介な家族のお陰だろう。らしくないな−−−はいはい、分かってますよ。好きな女にはそのままでいてほしい思うもんよ−−−何処かのノワール作家の言葉がよぎり、慌てて頭を振った。

「そっくりそのままお返しするよ。名前こそもっと自覚した方がいい。自分がどれだけ魅力的なのかをね」

嗚呼、なんで毎回ドキドキするのだろう。言われ慣れているはずなのに、また頬が熱を持つ。理由なら分かっている。嫌になるくらい、声音から伝わってくるからだ。こうして言葉を贈られる度に、自分がいかに愛されているのかを思い知らされる。

「だから、俺以外には隙見せちゃ駄目だよ・・・じゃないとこうして食べられちゃうから」
「っ、ちょ!?」

徐に手首を掴まれて、ピザでベタついた指先をペロリと舐められた。私の反応を楽しむように見せつけてくる。なんで手を引っ込めないの、と自分に抗議した。ゾワゾワと身体を何かが駆け上がる。真昼間、それもこんな異国で、情事中の記憶を思い出してしまった。それもこれも、全部目の前の男の所為だ。

「イタリアの男性は積極的だって言うからね。余所見しないように」
「その積極性も貴方の前じゃ霞みそう」

皮肉を言ったつもりなのに、自分の声には少しも棘が無くて戸惑う。なんだかんだで私は、要の言葉や態度に翻弄されるのが好きなのだ。勿論、悲しくなるような事は御免だけど。こういう時間は大歓迎だ。正直に伝えるのが恥ずかしくて、食事を終えて歩く道で腕を絡ませたら、くすっと笑う気配がした。

**

次の日は、カプリ島に行った。ナポリから船が出ていて、人気の観光地だ。港はカラフルで、ホテルやレストランが並んでいる。泊まったホテルの人の話では、新鮮な魚料理がとても美味しいらしい。あとはレモンの産地として有名だと聞いた。帰りにレモンゼリーを買おう。レモンならさっぱりしているから、甘い物が得意じゃない兄弟も食べられそうだ。あと、父さんにも。お菓子なら仕事のヒントになるかもしれない。

昼食の前に向かったのは、青の洞窟。ネットや旅行誌にも決まって載っていた場所だ。小さなボートに乗り中に入って、その理由が分かった。言葉を失うとはまさにこの事だ。それくらい神秘的な光景だった。太陽光が水で屈折して、青々と輝いている。ガイドの話では、今日は天気も波の状態も最高らしい。

「・・・やっぱり写真だとあの感動が伝わらない」

ボートを降りて、撮った写真を見返してぼやく。帰ったら皆に見せるつもりだ。きっと喜んでくれるだろうけど、写真以上に絶景だったのに。

「なら今度は皆で来よう」
「え…そうね。ガイドは光に頼みましょ」
「随分と危険なガイドだな」

確かに。でもとても楽しい旅行になるだろう。絵麻ちゃんが来てから、海外旅行はしていない。そもそも色々・・とありすぎて、国内すら満喫できていない気がする。今はもう全員集まることが難しいけれど、たまには皆で温泉や朝日奈家の別荘に行きたい。普段は顔を見せない弟達も、我儘を言えば来てくれるだろうか。なんて事を思った。

その後、立ち寄ったのはアウグスト庭園。青の洞窟は知っていたけれど、ここは名前を聞いてもピンとこなかった。だけどそんな自分を少し責めたくなるくらい、素晴らしかった。自然が豊かで鳥の囀りが聞こえて、心が洗われる気がする。東京にいたら自然に触れ合える機会は少ないから余計かもしれない。中でも特に素晴らしかったのが、断崖絶壁にある展望台から見た景色だ。光が反射する海、ぽつぽつと見える船。瞬間ごとに光の加減で青色が揺れる。この時にはもう、光から教えられたあのことわざの意味を痛感されられていた。

「素敵!こんなに綺麗な景色、初めて!!」
「そうだね」
「そうだねって・・・え、ちょっと、なんで涙目?」

あまりに素っ気ない返事に思わず振り向いて、狼狽えた。だって要の瞳が潤んで揺れている。綺麗で感動したのだろうか。戸惑う私を安心させるように抱きしめて、曖昧に微笑んだ。

「それで誤魔化したつもりなら甘く見過ぎ」

少し語気が強まる。でも、仕方ない。泣く理由が分かるなら寄り添うことができるけれど、分からなかったのだから。そんな私を見下ろして、要は再び眼下の景色へと視線を移した。肩に回された手に身を委ねて、私も海を見つめる。今はたぶん、整理している最中だ。長年の勘のお陰か、雰囲気で分かってしまう。だから黙って待った。

「一人だったら、こんなに感動しなかったと思ってさ。名前の隣だから、全てが美しく見えるんだ。君が今ここに居てくれる事実に震えた」

そんな大袈裟な、と言おうと思った。なのに、唇は思うように動いてくれない。だってそんなの、私も同じだ。要が居なくなったらきっと、私の世界は色を無くす。気が早いと思われるかもしれないけれど、何十年か先、お別れする時が来る。もし私が残される側だとしたら、想像するだけで怖い。逆でも堪らなく恐ろしいけれど。でもきっとその瞬間、要と過ごした何十年が私を支えてくれる。今この時も、その一欠片になるだろう。

「勘弁してよ……こっちまで泣きそうになるじゃない」
「同じ気持ちでいてくれてるんだ。光栄だけど、幸せなら笑ってほしいな」

最初に泣いたのは要なのに、どの口が言うんだ。少しムッとして抗議しようとした時、右肩にあった手が優しく頬に触れる。流れるように上を向かされて、額を要の唇が掠めていった。

「額じゃ不満かな?」

文句を言おうとしていたから、不機嫌な顔だったのだろう。それを見当違いに捉えた要が、可笑そうに尋ねてくる。その瞳にはもう、涙はない。私の行為に言い訳するなら、その事に安心したのと、イタリア男性の情熱さに流されたということにしておこう。得意げな要の顔を引き寄せて、唇を合わせる。いくら外国とは言えど、他の人に見られるのは恥ずかしいから触れるだけだ。

「非常に不満ですよ、旦那様」

至近距離で呟けば、見たことないくらい間抜けな顔。数秒後、ほんのり目元を赤く染めるから胸が大きく高鳴った。照れるなんて珍しい。いつもは散々その手の台詞を吐くくせに。可笑しくて、声を漏らす。

「私の目にも貴方と同じくらい綺麗に映ってるわ」

要の腰に腕を回して、右肩に頭を寄せる。それから暫く、横に並んで美しい海をふたりで眺めた。毎秒キラキラと色を変える様は、いつまでも見ていられる気がした。今日のこの景色が色褪せた頃、また来たい。それが何年先でも、私はきっと同じことを思うだろう−−−貴方と出逢えて良かったと。

−−fin.−−


匿名様へ
この度は企画に参加いただき、ありがとうございました。リクエストの内容を拝見したとき、ハッとしました。本編で書けよって話ですよね、ごめんなさい🙇‍♀️仕上がりはこんな感じになりましたが、如何でしたでしょうか?これでも精一杯甘くしたつもりです。まず、勝手にイタリアにしてしまいました。私自身は行ったことがなく浅い知識で大丈夫かと少し心配でしたが、光の影響と個人的に行ってみたいなと思った国をチョイスさせていただきました!そこ恋は要と夢主の物語であることは間違いないのですが、それ以前に家族の話であると認識しています。なので、随所に兄弟達の影がチラついてしまうのはお許しください・・・。要みたいなキャラが照れているのが好きで、夢主には一肌脱いでもらいました(笑)大人になってからは、夢主優位な場面が増えているといい。最後になりますが、素敵なリクエストありがとうございました。また機会がありましたら、是非ご参加くださいませ😌

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