すれ違ったのが運の尽き

「すんません」
「はい、なんでしょう?」
「遠くにいるダチ・・・親友に贈りたいんだけど、それっぽく見繕ってくれます?」
「ご友人に……かしこまりました。少々お待ちください」

某年11月6日、その人は現れた。夏でもないのにサングラス姿で、真っ暗なスーツに身を包み、私を見下ろしている。フワフワな髪を見て、実家で飼っているポメラニアンの尻尾みたいだなと思った。こうして抽象的な注文をする人は多い。失礼ながら、花が好きなようには見えない。それにしても、遠くにいる人に花を贈るだなんて、枯れてしまわないのだろうか。まあ、ただの花屋の店員には関係のないことだ。私はただ、注文通りに選ぶだけ。一本、また一本と花を取り机に並べていく。彼は黙ってその様子を眺めていた。サングラスに隠れているけれど、かなりの美形だ。歳はたぶん、二十代前半。

「あの…そのご友人って女性ですか?」
「いや、男だけど・・・なんでだ?」
「贈る相手のことを分かっていた方が、選び易いので」
「へぇ、そういうもんなのか−−−女好きでな。いつも飄々としてる奴だった。そのくせ周りをよく見てて、何度助けられたか知れねぇ」

全て過去形。嗚呼、もう居ないのだ。言葉の届かない遥か遠くへ逝ってしまった人。そう語る横顔は笑っていたけれど、どこか悲しげなのが印象的だった。赤の他人に話したくなるくらい、特別な友人らしかった。低い声に耳を傾けながら、花を選び終える。我ながら中々の出来栄えだ。

「1,800円になります」

そう言えば、放り投げるように千円札が2枚置かれる。そして差し出された掌に100円玉を2枚乗せた。それを財布に突っ込むと、「どうも」とぶっきらぼうに言い残して彼は去って行った。それが、最初の記憶。誰に話すこともない。しがない花屋の店員と、ただの客のやり取り。

**

それからその人は、時々やって来ては花を買って行った。年に一度だったら忘れていたかもしれないけれど、二月に一度は必ずやって来る。暇を見つけては足を運んでいるのだろう。余程、大切な相手だったに違いない。彼の顔を覚えた頃には、まるで馴染みの定食屋みたいに「いつもの」と言葉少なに注文し始めた。毎回同じ花束を見繕うから、私もいつの間にか手が勝手に動くようになってしまった。お陰で、段々と出来が良くなっている。

「あんた、何も訊かないんだな」
「・・・花を買う理由は様々です。それを尋ねるほど無神経ではないですし、そこまで興味もないので」
「ぷっ、はは!花屋で働いてるから、謙虚でお淑やかな女かと思ってたが・・・言うじゃねぇか」
「貴方は予想よりずっと失礼ですね」

そんな風に笑うのか。少し吃驚してしまった。今まで小さく口角を上げるだけだったから、こんな子供みたいに砕けた笑い方はしないのだと思っていた。きっと、この花を贈る相手の前では、当たり前に見せていた顔なのだろう。驚く私に喉を鳴らすと、男はサングラスを外した。その下から鋭い目元が現れる。だけど不思議と、そこに敵意は微塵も感じられない。

「あんたのお陰で、あいつの墓はいつも華やかだ。女に目がない上に派手好きな奴だったから、あの世で会ったら礼を言われるぜ」
「それはお門違いですね。貴方がいなければ、私と親友さんを繋ぐものはありません。花はただの手段です。私はそれを用意しているだけ。その人のお礼を受け取るべなのは、私じゃなく貴方が相応しい」

私の言葉に「そうか」と一言だけ零して、彼はきゅっと目を細めた。名前すらも知らなかった。尋ねる理由もなかったから。私も彼も、店員と客以上の関係なんて望んでいなかった。ただ、花束を手渡すまで会話を交わす短い時間が心地よかっただけ。回数を重ねる毎に解けていく表情が、ほんの少し愛おしかっただけ。それだけだ。

**

その日は、母の命日だった。手に抱えた花は、どれも少し萎れている。仕事場で売れなくなった集めて作ったから、当然だ。こんな花を供える娘は、親不孝に見えるのかもしれない。だけど、ゴミ箱に入るより手向けた方がいいに決まっている。優しかった母なら、きっと笑ってくれるだろう。建ち並ぶ墓石の間を通り抜けて、その場所を目指す。ところが、視界の端で捉えた色彩に、足を止める。振り向けば、やはりそこには見覚えのある花達が手向けられていた。つい昨日、私がこの手で繕ったものだ。

「はぎ、わら」

彫られた名前を呟く。彼が言っていたとおり、他のお墓よりも華やかだ。心で「初めまして」と語りかけ、お辞儀をしておく。そして、小さく笑って背中を向ける。自分の手から離れた花が、こんな風に咲いていることを初めて知った。誇らしい。純粋にそう思えた。

「たまには違う花にしないんですか?」
「しねぇ。俺はこれが気に入ってんだ」
「・・・そうですか」

即答。サングラス越しでも、視線が交わっているのが分かった。譲らないという意思が伝わってくる。まあ別に、争う気もないのだけれど。そこまで気に入ってくれているなら、花屋冥利に尽きるというものだ。自然と緩んだ口元を隠さずにいたら、目の前の男も笑った気がした。

「寂しいなんて、馬鹿みたい」

無意識に落ちた声が、喧騒に飲み込まれていく。彼は突然、来なくなった。約束をしていたわけでもないのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。カウンターで佇み通りを眺めながら、あの癖毛が現れないかと期待している自分がいる────ああ、私、好きだったんだ。その事実は、すとん、と胸に落ちた。今さら気付いたところで、どうしようもない。だって私は、彼がどこの誰なのかすら、分からないのだから。

「一年経っても忘れてない、か」

彼が店を訪れなくなってから一年が経った。どれだけ時間が経ったかをカウントしているくらいだ。やっぱり私は、あの人のことが好きだったのだと、思い知らされる。いつかと同じように花を取る。一本、また一本。そうして出来上がった花束を見れば、記憶が頭を駆けて行く。

────あんたの好きな花は?

低い声。素っ気ない態度。サングラスの向こうにある瞳。綿毛みたいな髪。目の前にいた時は何とも思わなかったのに、今はこんなに眩しい。記憶に残るその全てが心を揺さぶってくる。地に根を張る花のように、深く植え付けられて、消えない。

「11月7日」

霊標に刻まれているのは、今日と同じ日付。年は5年前になっている。会ったこともない、あの人の親友の命日。その墓の前で私はひとり佇んでいる。すでに誰か訪れた後なのだろう。墓周りは綺麗に清掃されて、瑞々しい花が手向けられていた。手ぶらは流石にと思って花を持参したけれど、これなら不要だった。もしかしたら、あの人が私以外の誰かに繕ってもらったものかもしれない。そう思うと胸がチクリと痛んだ。小さな棘を誤魔化すように、微笑む。

「貴方の親友は、野良猫みたいな人ですね」

気ままに近寄って来て、何も告げずに居なくなってしまった。これで忘れた頃に顔を出すようなら、なんと言葉をかけようか。もしそんな奇跡があるとすれば、彼はきっといつもの仏頂面で現れるに違いない。こちらもそれ以上の仏頂面で迎えてやればいい。線香に火を点けて、ぼんやりとその煙を眺めていると、背後から声をかけられた。

「おい、あんた」

その呼び方に、無意識に反応してしまった自分が憎い。同じだったのは呼び方だけだ。声音は全く違う人のもの。波の立った心を落ち着かせ振り向けば、ひとりの男性が怪訝そうに私を見ていた。2メートルはあろう大男が、遥か上からこちらを見下ろしている。ヒグマみたいだ。

「私ですか?」
「そうだ。あんた、萩原の知り合いか?」
「・・・いいえ」
「じゃあなんで花なんか供えてんだ?」
「この人の親友と、面識があったので」
「親友って、松田のことか?」

松田。そうか、彼は松田というのか。初めて知った名前は、気味が悪いくらいに馴染み深い。確かに松田って顔してるな、なんて意味の分からないことを思った。何も答えない私を一層怪しげに見てくるから、一から説明することにする。だってこれじゃ、まるで変質者だ。

「私、花屋の店員をしているんです。松田さんは、彼のお墓参りに行く時に、いつもウチの花を買ってくれていたので、それで少しやり取りがあっただけです。だけどお墓の場所は、直接本人に聞いたわけじゃありません。私の母もこの寺で眠っていて・・・ある時、ここに自分が選んだ花が供えられているのを見て、知りました」
「マジか。あの派手な花、お前さんが選んでたのか」
「派手好きな方だったと伺ったので」
「がはは!まあ、確かに!」

予想を裏切らない、豪快な笑い方だ。見ていて気持ちのいい人だな。小さく笑い返すと、ヒグマさん(仮)は大きな身体を屈めると、私の隣に座り込んだ。

「俺は伊達航。お前さんの名前は?」
「苗字、名前です」
「そうか。この後は松田の所に行くのか?」
「いえ、待ち合わせするような仲ではないので」
「待ち合わせって・・・そうか、知らないのか。あいつは、
「言わなくていいです!今の態度で、なんとなく……ッ、ごめん、なさい。私の前からだけ消えたのだと思っていたのに、まさか・・・そう、ですか」

つい大声で遮ってしまった。だって、そんなの、信じられない。彼はもう、この空の下には居ないのだ。あの声も、あの瞳も、もう二度と感じることはできない。ああでも、親友と同じ場所に行けたのなら、本望だったのだろうか。いや、そんなわけない。大切な人を喪っても、生を投げ出す人じゃなかった。僅かな時間を共有しただけの私でも、それくらい分かる。

「泣いてくれる女が居るなんて、あいつは果報者だな」
「泣いていません」
「存分に泣いておけ。どうせ俺しか見てねぇから。そんで、今度連れて行ってやるよ。あいつが眠る場所にな」
「だから、泣いてないですってば」

−−fin.−−


杉林様へ
初めまして。松田さんのリクエスト、ありがとうございます!正直に申しまして、今回いただいたリクエストの中で一番難しいお題でした😭書き終えた今でも、応えられているのか怪しい。まず、内容を見た時、恋愛関係にしようか迷いました。仮に恋人同士だったとすれば、ハッピーエンドかバッドエンドどちらかになってしまいそうだったので、結局こんな感じになりました。赤の他人でもないですが、甘い関係でもない。好きだったけど、囚われる程でもない。そんな曖昧な雰囲気を目指しました。少しでもご満足いただけていれば、嬉しいです✨

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